5 救出
それは夢というには生々しく、けれど現実というには実感が無さ過ぎた。
眼下に雲が流れる山頂、森林限界を越えたそこに石造りの巨大な社があり、その前に長い年月を生きてきたのを示すようにくすんだ金色の鱗を持つ巨竜が立っていた。
そして、その巨竜に似た、けれど鮮やかな金色の鱗を持つ一回り小さな竜が苛立ちを隠そうともせず一方的に喰ってかかっていた。
「なぜですか!我らの力を、このような狭い世界、カビの生えた掟に縛られ腐らせればよいと本気で父上は考えておいでなのですか!」
「お前はまたよそ者の言う事を真に受けておるのか。あのような者の戯言に耳を貸すな。我らは災いを防ぐための存在としての責務がある。お前も我の子ならばそれを忘れるな!」
くだらない……!
我らはとうにその主から捨てられたではないか!
ならばもう掟とやらに縛られる理由はない!
だから我は――。
「グッ。お前は、そこまで……」
「愚かな古き王よ。お前の戯言もここまでだ。これよりは我が王となり世を統べる! これより我らの新しき世が始まるのだ!」
「愚かな。だが、そうしたのは親である我のせいか。我が主、白き王よ。どうかお許しを……」
あの者が話してくれた様々な世界は我には想像も出来なかった。
だから見たかったのだ。
例え何を犠牲にしてでも――。
「これより我らは外の世界に武威を示す!我に続け!」
『うおおおおおお!!』
あの者が言うには我らをこの世界に縛り付けた
後継者を名乗るのならば不当に虐げられた我らの怒りを受けるのは当然。
「ハハハハハ!壊せ、焼け、奪え!我らをちっぽけな世界に封じた連中を皆殺しにせよ!」
もはや誰も我らを止めることは出来ない。
そのはずだったのに――。
「……これが、伝承にあった黒い災いだというのか?こんな、こんな馬鹿な事があってたまるか!父を殺しようやく手にした自由の結末がこれだというのか!?」
幼い頃に母と暮らした山も、父に戦いを教えてもらった草原も、仲間と過ごした谷も、我らを崇めていた人間たちの村も、そして我自身も、何もかもが飲み込まれていく。
それでも我が魂を保てたのは、父を殺すに至った守護者としての信念、いや執念だったのは皮肉としかいいようがない。
例え肉体を奪われようと『支配の力』だけは渡すわけにはいかぬ!
そう、まだ我は負けたわけではない。
奴らに奪われた支配の力の一部を取り戻しさえすればやり直せるはずなのだ!
その為にはまずはこの娘の体を――!
絶え間なく見せられるのは女王、いやラー・ル・リュシオーフュという竜の記憶。その記憶の奔流の中で龍見は一糸まとわぬ姿でただ体を丸くして耐えていた。少しでも気を緩めれば記憶に流され自分が消えてしまうような気がしたからだ。
しかし、ただ耐えている間にも確実に龍見の精神は摩耗していく。
自分が自分で無くなる感覚に恐怖しながらも、抵抗の意志を手放せば楽になれる誘惑に、ともすれば屈しそうになる。
(もう、だめ、かな。あの子は大丈夫かな)
もう顔も思い出せない赤毛の少女の心配をするが、そもそもなぜ心配をしているのかも龍見は思い出せなくなっていた。
その時、龍見の耳に僅かだが今まで聞いたことのない女性の声が聞こえてきた。
「……いた、いましたよ!あの子で間違いないですよね!?」
『うむ、なんとか自我は保っておるな。しかし、あの纏わりついておる女王の記憶が邪魔じゃな。蹴散らしてしまえ!』
「触ったらマズイんじゃないですか?」
『お前さんはヒヒロと同じ武術を使うのじゃろ。その感覚で言えば気を手足に集めるのじゃ。そして触るのではなく弾き出すイメージで殴ればよい』
「そんなのでいいんですか?だったら最初から全部ぶっ飛ばせばよかったんじゃないですか?」
『断言してもよいが、そんな真似をすればお主の精神が摩耗して死んでしまうぞ。論より証拠じゃ、やってみればわかる』
「そうですね。イルマ・レイヤード、突撃します!」
急加速で接近し繰り出された渾身の回し蹴りが邪魔な記憶を吹き飛ばした。だが、触れた瞬間に自分の中の力がごっそりと失われる感覚にイルマは顔をしかめた。
「確かにこれは中々キツイですね!」
『結構な重労働じゃろう?』
「ですね。でも、この程度で根を上げるほどヤワな鍛え方してませんよ!」
『時間をかければまた記憶が寄ってくるぞ。なんとか隙を見いだし娘を連れ出すのじゃ)
先生の言う通り、先ほど蹴った記憶がゆっくりとではあるが戻ってきている。律儀に群がる記憶を排除していてはイルマの方が持たないのは明らかだ。
「なら、こうするまで!……破っ!」
精神を研ぎ澄ましふわふわと移動する記憶の動きを読み、その1つに淡い光に包まれた拳を叩き込む。勢いよく飛んでいった記憶はビリヤードのように別の記憶にぶつかり、それが連鎖していき龍見の前に人一人が潜り込めそうなスペースが生まれた。
「今だ!」
その隙を見逃さずにイルマは空いたスペースに身を滑らせ龍見の手を引いて包囲を脱した。
『見事じゃ!そのまま表層へ逃げるんじゃ。幸原龍見、ワシの声が聞こえておるか?』
「タツ……ミ?」
「そう!それがあなたの名前です!」
「ワタシ……ワレ……ハ……」
虚ろな瞳はどこを見ているわけでもなく2人の問いかけにもただ機械的に返しているだけで、そこに意志を見る事はできない。
「手遅れだった……?」
『いや、じゃが……。む!?気を付けよ、何か来るぞ!』
先生の言葉が終わらないうちに突風がイルマと龍見の横を通り過ぎる。
突風が吹き抜けた衝撃に体が持っていかれそうになるがイルマはなんとか踏ん張り、引き離されないよう龍見を抱き寄せる。
「今度は一体……ってアレは龍見さん!?」
自分たちを見上げる位置にいる突風の正体を見てイルマは目を丸くする。なぜならそれは自分の腕の中にいる少女に瓜二つの存在だったからだ。
「えっ、なんで龍見さんが2人いるんですか!?」
『落ち着け。あれも記憶の一種じゃ。ただし多分に捏造された物じゃがな。あの姿をよく見るのじゃ』
先生に言われ目の前にいる龍見を見てイルマも納得する。
顔は確かに龍見だが体を覆うのは金色の鱗を素材にした鎧であり、手も人間の物とは思えない鋭利な爪、背には鎧と同じ色の翼を持ち、そしてお尻の部分には尻尾が生えている。
「会った事はないですけど
『種族や竜の血の濃さによって違うがな。さしずめアレは女王の人間バージョンといった所じゃろ』
「勝手に顔を使われている龍見さんは怒っていいですよ。あんな際どい格好させられて可哀そうに」
『うむ。乳は横から見えそうじゃし、股の切れ込み具合も……』
「はいはい、あまり見ないように!冗談はここまでにして対策を考えてください」
言葉が通じている様子はないが歯を剥き出しにして偽の龍見が笑ったように見えた。
嫌な予感がしたイルマは横に飛ぶと同時に再び衝撃が体を襲った。
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