第七章 記憶と精神の狭間にて

1 静寂の世界

 音のない世界。大地も空もなく、ただ空間のみが広がる世界。所々にぼんやりと光が浮いている静寂の世界を騒々しい声が引き裂いた。


「ちょっと、ここはどこ!?なんで、また私が見知らぬ地に飛ばされているんですか~!?」

「いや、そんなの俺に聞かれても。というか、ちょっと近寄らないで……!」


 詰め寄るイルマから赤面しているショウが逃げ回る。

 龍見、あるいは龍の女王ラーの精神に同調し入り込むのには成功したが、なぜかイルマまで一緒にいた。この予想外の事態にはショウも困惑するしかなかった。

 だが、そこに意外な人物が助け舟を出してくれた。


 『恐らくイルマの持っておるペンダントが原因じゃろうな。だが考えようによっては人数が増えたのはむしろ幸運かもしれんぞ?』

 「ま~た適当な事を言う、って先生!?」

 『こんな事もあろうかとイルマと精神をリンクしておって正解じゃったな。流石ワシじゃな』

 「いや、人の許可を取らないで何やってくれてんですか、圧し折りますよ?」


 自分の体の中から現れた杖を両手で持ってこめかみに青筋を浮かべながら笑顔のイルマに先生が慌てて弁明を開始する。


 『いやいやいや、マジックアイテムを使う際は魔力をこめるものじゃろ?お主がワシを持った時に既に同調はできていたのじゃよ。つまりこれは不可抗力……痛い!コレ本気でワシを折り曲げようとするでない!』

 「あの~、イルマさん?先生は性格はアレだけど知識は役立つから、どうかその辺で勘弁してあげてください」

 「むぅ~、納得できないけど命の恩人の頼みじゃ仕方ないですね。というか、どうしてさっきからあなたは目を背けているんです?」

 『若いの~。相手が見せびらかしておるんじゃから見れば良いではないか。うむ、やはり結構な物をもっておるのぉ』

 「何を言ってるんですか?」


 その問いに答える代わりにショウがイルマの体を指さす。それにつられて視線を自分の体に向けたイルマの顔がみるみる内に紅潮し、それに比例して先生の体が湾曲していく。

 

 「な、なんで裸~!?やっ、ちょっとこっち見ないで!」

 「だからさっきから目を逸らしてるでしょうが!」

 『ぎゃあああ!折れる、体が折れる!!』

 


 ややあって。


 「なるほどね。意識を集中すれば服も自由に着れるのね」

 「ただ自分の記憶をもとにしているから現実とはちょっと違うかもしれないけど」

 「ああ、たしかにそうかも」


 イルマが今着ている服もほとんど現実世界のと変わりはないが、細かい所が少し変わっていた。具体的には本部着任以前に使っていたベルトやポーチが変わっていたりしている。


 『自分にとって印象の強い物を具現できるという訳じゃな。イタタ……』

 「というか、センセーも現実の体じゃないんだから痛みなんてないんじゃないですか?」

 『いや、そうでもないぞ。痛みというのは自らの身を守る機能でもある。じゃから今のワシらが傷つけば疑似的な痛みを生じ危機感を与えてくれるというわけじゃ』

 「じゃあ、もし今の状態で死ぬようなダメージを負ったら?」

 『当然精神が死ねば肉体も死ぬ。医学的に無理やり肉体を生かすことは出来るかもしれんが二度と目覚める事はないじゃろうな』

 「うわぁ、気をつけないと……」

 『うむ。じゃからワシの扱いは特に気を付けるのじゃぞ?』

 「ハ~イ、ワカリマシタ~」

 

 両手に付けた母譲りのガントレットの感触を確かめながら、イルマは適当に返事をする。

 

 (先生は本体と切り離した分身みたいな物だから死にはしないんだろうけどな)


 老人の嘘に気が付きながらも、これ以上無駄に時間をロスするわけにはいかないので、その辺に言及するのをショウは止めておいた。それに裸を見たという点ではショウも同罪と言える訳でイルマの矛先が先生に向いているのだから好都合と言える。

 そんな事を考えているショウを見てイルマがおやっという顔をした。


 「そういえば君もちょっと変わっているね。髪の色とか目の色、あと盾もないし」

 「髪と目は元々黒いからこっちが本当の姿だよ。あの盾は、何ていうか、借り物で詳しくは知らないから上手く再現はできないんだ」


 そういってショウが左手に盾を出現させようとするが、出来たのはぼんやりとした外郭だけで、すぐに泡のように弾けて霧散してしまった。


 「ふ~ん、イメージが重要ってことか」


 壊れてしまった思い出の愛用品であったベルトのバックルを指でなぞりながら納得し、イルマは改めて自分がいる不可思議な空間を見渡す。


 「それで、ここが女王の精神世界なのね?」

 「正確には女王と幸原さんの精神世界だね。この光一つ一つが記憶なんだよ。ほら、そこに写っているのは俺たちがいた街だ」


 ショウの指さす方を見ると淡い光の中に確かに地球の町が映っている。ただ余所者のイルマにはそこがどこかは分からなかったが。視線を別の光に向けると、そこには別の光景が映っていた。


 「あっ、あの建物、地球に来る前に見た遺跡と似てる!」

 「という事は、これは女王の記憶か。何か大事なものだったのかな」


 映っているのは白色の巨石で作られた荘厳な石の神殿だった。かなり古い建物らしく遺跡調査員の血が騒いだイルマがよく見ようと近づこうとしたが――。


 「その通り。それこそが我が覇道の始まり。古の賢人が作った世界を穿つ楔よ」


 ふいに後ろから叩きつけられた怒気に反応してイルマを庇える位置にショウが移動する。降り返った2人の前に居たのは怒りに震える黄金の竜だった。


 「王たる我がうちに踏み込んだその罪、その身をバラバラにしても飽き足らぬぞ、下等種ども!」

 「自分だって他人の中に勝手に居着いているくせによく言う。偉そうなことを言う前にさっさと幸原さんの中から出て行ってくれないか?」

 「聞けぬな。我が貴様の言う事に従う道理はあるまい。どうしてもというのなら……」

 「戦って勝て、か。あまりそういうのは好きじゃないけど仕方ないな」


 上から見下ろす巨竜にショウが右手の槍を突きつける。それに応えるように女王もまた歓喜の咆哮をあげる。


 「ここでなら我も存分に力を振るえる!先ほどの続きだ、異界の戦士よ。貴様も本気を見せよ。そして、その身が砕けるまで我を楽しませてみせよ!」


 翼を広げた姿は現実世界でみた姿より一回り大きくショウたちが知る由もないが、かつての姿を完全に再現していた。


 「イルマさん、頼みがあります。あの女王は俺が押さえます。あなたは幸原さんを捜してくれませんか?」

 「私が!?」

 

 突然の頼みに返事をする間もなく女王が振るった尻尾の風圧でイルマの体は後ろに勢いよく吹き飛ばされてしまった。だが結果的には離脱できるチャンスを得た。なんにせよ、ここにいても邪魔になるだけと考えイルマは先生と共にその場から文字通り飛ぶようにして全力で離れる事にした。


 (さて、あとはこっちがどれだけ粘れるかだな)


 精神世界ではその主こそが神である。ホームグランドで存分に力を振るえる女王に対して肉体から離れ輝石の力の供給量が落ちているショウが絶対的に不利な状況である。

 だが、それでも光明はある。

 それは一時ではあるが女王の力を押さえた龍見の存在である。

 女王の支配から彼女の精神を開放できれば、つまりこの精神世界の主導権を龍見に取り戻させれば勝機は十分にある。

 幸い戦闘狂の女王は逃げたイルマには全く関心がないようだ。無関係のイルマを巻き込んだ事に罪悪感はあるが、今は彼女を頼るしかない。


 「いくぞ、女王!」


 突き出された槍から放たれた一閃が龍の胸を穿ち鱗に傷をつける。今相対しているのは女王の精神。先ほどと違い龍見を傷つける心配もない。


 「我が体に傷をつけるか!いいぞ、お前は少し前に遊んでやった人間よりは楽しめそうだ!」


 女王の歓喜を帯びた咆哮に呼応して世界が形作られていく。その景色はさきほど見た竜の世界の故郷を模していた。

 翼を広げ予備動作なしで体当たりを仕掛けてきた女王の巨体を避けショウは新たに出来た大地に足をつける。

 攻撃を避けられた女王も勢いを保ったまま地上に降り土煙を巻き上げた。その土煙の向こうから女王が陶酔気味に語り掛けてくる。


 「古来より、我らが対等に戦う時は己の肉体のみというのが掟。誇りに思うがいい、矮小なる者よ。貴様もわが父や我が認めた者たちと同じ栄誉が得られたのだからな!」

 「そりゃ、どうも。なら精々ご期待に応えるとしましょうか!」


 ショウは腰を低くし武器を持つ右手を後ろに引く。あまり空中戦は得意ではないショウにとって地上戦は望む所である。だが。


 (それは向こうにとってもなんだろうな)


 女王の口ぶりから覇龍にとって肉弾戦とは己の誇りをかけて行うもの。誇り高い女王にとっては正に命を懸けた戦いに他ならない。そして、その全てに勝ってきたからこその女王なのだろう。


 (だけど負けるわけにはいかないからな!)


 翼を折りたたみ前かがみになった姿は地球に押し寄せてきている喰らうモノに似ているがその迫力は段違いだ。

 睨みあうこと一瞬。同時に飛び出した両者の激突の衝撃は遠く離れた場所にも響き精神世界を激しく揺さぶった。

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