6 黒い竜
調べた家の陰から改めて双眼鏡で目的の建物を見る。
他の家と同じように平屋建て、両脇と背後を崖に挟まれており回り込んで侵入という手はとれそうにない。
(崖から屋根に降りる手はあるけど、もし誰かが警戒しているなら当然対策はしてあるでしょうね)
魔術を使えば人、あるいはそれ以外の存在も感知できる。だが逆に向こうに魔力を察知する能力を持つ者がいればイルマの存在を知られる危険もある。
(覚悟を決めて行くしかないか)
母譲りの優れた視力と聴力を信じイルマは姿勢を低くして建物へ慎重に近づく。心配していたトラップの類はなく問題なく扉の近くまで来ることができた。
(……人の気配はなさそうだけど)
相変わらず建物からは人の気配も中から魔術を使っている様子もない。
堂々とノックしてみるか、それともいきなり開けて入るか。
しばし迷った末に黙ってイルマは扉を開けることにした。
ギィィと音を立てて扉が奥に開く。
扉を開けると同時にイルマは扉から離れ様子を窺うが、暗い内部からはなんの反応もなかった。
もう一度扉に近づいたイルマが手に持ったライトで室内を照らす。中は一室だけで窓もなくガランとしていた。床に麦のような物が散らばっているのを見ると穀物庫のような場所だったのかもしれない。ライトを照らして中を調べていたイルマが奥の壁に黒い塊が置いてあるのに気づいた。
(トラップ……じゃないよね?)
床や壁を調べて見るが罠らしきものは見つからない。加えて人が隠れる場所もない。大丈夫と判断したイルマは黒い塊にゆっくりと近づいていく。
(これは……リュックサック?)
しかも明らかにあの集落に住んでいた人とは違う文明レベルの代物だった。リュックをライトで照らしてみるが所有者の所属が分かる様な物は一切ない。
多少気が咎めるが情報収集第一と考えイルマはリュックを調べて始めた。
だが大きいサイズの割に中に入っていたのは、よく分からない機械がただ1つ、しかも激しい衝撃を受けたのか大きな凹みがあり動かすのは無理そうだった。だが、その機械を見てイルマはここにいた人たちの正体を知ることができた。
「
だとすれば、異なる文明の世界に許可なく関与しないというユグドラシル条約に引っかかるのだが。
「けど、ここが条約に引っかかる世界かどうかもわからないか。まさか帝国領ってことはないと思うけど」
魔導帝国も多くの世界を支配し領土としている。その中にはここのように荒涼とした場所もあるかもしれない。
「あ~、ダメだ。何も手がかりがないんじゃ推測もできないよ。何かないかな……ん、これは?」
壊れた機械を表に出しリュックを手に持って中身を調べていると見えにくい場所に隠しポケットがあり中から1枚の写真が出てきた。
そこに写っていたのは紅い太陽を背に空を飛ぶ1体の黒い竜だった。
「ドラゴン?まさか覇龍?でも、これは何か違う気がする……」
数多ある世界には覇龍以外の龍族も存在する。翼を持つトカゲと言った風貌を持つ種族、蛇に似ている種族、中には犬や猫に似た種族もいる。その中で覇龍は最初に挙げた翼を持つトカゲに似た姿をしている。その点では写真にある個体は覇龍に特徴は似ているが、だからいって断定できない。
だが、イルマが感じた違和感はそうした種の違いといったものとは違った。
まるで死霊術師が使うというアンデッドのような生気のなさ。それでいてまるで獲物を追い求めるように爛々と輝く紅い瞳が不気味だった。
とりあえず写真をポケットにしまいこみ、次の行動をどうするかと考えていると、ギリリリと聞いたこともない耳障りな音が外から聞こえてきた。
急いで明かりを消し足音を忍ばせ開けっ放しのドアから外に出たイルマは空の異変に気付いた。
確かに日が暮れ始めていたが、それだけでは説明できない程に空が真っ赤に染まっていく。
「うう……。何これ、気持ち悪い」
周囲の魔力が搔き乱されている影響を受けてイルマは気分が悪くなってきた。
「一体誰がこんな馬鹿げた量の魔力を操っているの……?」
周囲に術者の気配はない。いや、そもそも誰が、というのが間違っているのかもしれない。この世界に存在する魔力全てがナニカに操られているような、とてつもないスケールの出来事が今起こっているのだ。
キーンと甲高い音が響き雷鳴のような轟音が空から響く。
その音につられて空を見たイルマは言葉を失った。
赤い空の一角が割れていた。ガラスを割ったかのようにひび割れた空に無数の黒い竜たちが殺到し、己の体を使って無理やり空に開いた穴を押し広げている。どうやら時間が経つと穴が小さくなってしまうために体を使って押しとどめているようだ。
「だけど、一体何をして……。まさか自力で異世界転移をするためのゲートを作っているんじゃ?」
力尽きたと思われる個体が地面に落ちる直前、別の個体が近寄っていく。その姿にイルマは助けに入ったのかと思ったが、その後に起きたことは想像を超えていた
近づいた竜の口が巨大化し一口で落ちた竜を飲み込んでしまったのだ。
そこまでが限界だった。
元々気分が悪くなっていたイルマは胃の中から逆流してくるものを地面に吐いた。
精神的な図太さには自信があったが、あの光景が孕む狂気に完全にあてられた。
(なんなの、あれは?共食い?それに口だけ大きくなるって、うぷっ)
意味が分からない。だが分からなくとも現実にそこに存在するのだ。
もっと詳しく調べなくてはと口をハンカチで拭って、もう一度空を見てイルマの顔から血の気が引いた。
「ヒッ!」
空を飛ぶ全ての竜が空ではなく地上の一点を凝視していた。
その視線の先にいるのはイルマである。
(気づかれた!?)
生存本能に従ってイルマは全速力でその場を離れる。
あてはないが、ここにいるのは不味い。背中に向けられる絡みつく視線を振り切る様に走るイルマに一瞬大きな影が差しこんだ。
迷わず右へ大きくジャンプすると、少し遅れて一体の竜が鋭い足の爪でイルマがいた場所を抉りとった。
ドスン、ドスンと次々とイルマがいる場所目がけて竜たちが自分へのダメージなどお構いなく地面に激突して大地を大きく揺らす。
「な、なんなの、こいつらは~!」
揺れる地面に足を取られそうになりながらもイルマは必死に走る。反撃などは考えない。なにしろ数が多すぎる上に体の大きさでも負けている。勇敢に戦って死ぬ気などサラサラない。
だが、突撃してくるドラゴンを間近に見てイルマは一つ確信を得た。
ドラゴンには確かに似た姿を持つ種族が多いが、それでもどこかに他にない特徴を持っている。
覇龍に関しては額に宝石のような石を持っているのが特徴だ。
そして今イルマに執拗に攻撃を仕掛けているドラゴンたちにも額に石があった。
(でも資料には色は個体ごとに違うってあったけど、こいつらは全部紅い。やっぱり何かおかしい……って考えてる場合じゃない!)
本能に従って逃げ回っているうちにいつの間にか崖の近くまで追い詰められていた。上空から地上を舐めるように吐かれる黒い炎のブレスの熱を背中に感じながら必死に走る。もはや何かを考える余裕はない。とにかく、次々と繰り出される攻撃を本能の赴くままに避け続けたが――。
「!」
後ろから追いかけてきた翼のない個体が口から放った火球の爆発でイルマの体を持ち上がり崖の外へ追いやった。
宙に舞うイルマが天を仰ぐと黒い塊がまっすぐにイルマへと迫る。
(あっ、これは駄目かも)
口を異常なほど大きく開いた竜が迫る。
だが、その咢がイルマを捉えるより一瞬早く。イルマのペンダントが強く輝き、光が広がり、そして――。
イルマは遠い異境、東京の夜空に放り出されたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます