3 夢から覚めたら

 10月。夏服に別れを告げ冬服に衣替えをして早や2週間が過ぎたある日の事。

 幸原龍見ゆきはらたつみは朝なのにも関わらず少し疲れた顔をして通っている高校への道を歩いていた。

 170センチに迫るスレンダーな体に長い黒髪を後ろに束ね、背筋を伸ばして歩いている姿はいかにもスポーツが出来そうに見えるが実際は人並み程度。体力も人並みだが、そこに寝不足が加わると――。


 (はぁ~、怠いなぁ)


 という愚痴が出るのも仕方がないだろう。

 学校までは歩いて10分程度の距離に過ぎないのだが、寝不足気味な体にはちょっと辛い。

 こういう時に役に立つ自転車は1週間前に事故で壊れてしまっていた。

 両親に新しい自転車を買ってもらう事になっていたのだが、過保護な父親が安全性を求めているのに対して龍見は見た目の良さを求め意見が対立しているのが原因で未店にも行けていなかった。

 とはいえ、少し前に事故にあった娘を案じる父親の考えも分かる。分かるのだが、そこは女子高生。色々周囲の目が気になる年ごろである。あまり見栄えの良くないのには乗りたくないし、何より父親の言いなりになるというのが気に食わない。進路についての一悶着がここでも飛び火した形になるが龍見の方は妥協するつもりはなかった。


 (バイトでもして自分で買おうかな。でも勉強の時間もとられたくないし。はぁ、そもそも事故に遭わなければ良かったんだけど……)


 事故当時、自転車は後部がひしゃげ酷い有様だったのだが、そばに倒れていた龍見は傷一つなく気を失っていた……らしい。らしい、というのは龍見自身に事故にあった記憶が全くないからだ。

 なぜ下校ルートから外れた人気のない場所に行ったのか、なぜかすり傷一つないのか。警察や病院で色々聞かれたが記憶にない事は説明しようもなく結局謎は謎のままで龍見はすぐに普通の生活に戻ったのだが――。


 (あの事故の時に何かあったのかな?)


 あの気味の悪い夢は事故が起きた後から見るようになった。だから何がしかの関係があるのではと思うのだが、事故に関する記憶が龍見には一切残っていない。したがって、一体どんな経験をすればあんな残酷でファンタジックな映像の夢に結びつくのか全くわからない。


 (あの日は学校から帰ろうとして、どうしたんだっけ?駄目だ、眠くて考えが纏まらない……)

 

 「ふわぁぁ」

 「やっ、おはよう」

 「うわぉっ!」


 突然の背後からの挨拶に龍見が驚いて振り向くと、同じ高校に通う男の子が悪戯に成功した子どもの様に笑っていた。


 「ああ、びっくりした。驚かせないでよ、古間くん」

 「ああ、ごめん。なんかぼ~っとしているからつい。ん~、ひょっとして体調が悪いのかい?」

 「私、そんなに顔色悪い?」

 「うん、顔色も悪いし、今もフラフラしてないかい?」

 「ちょっと勢いよく頭動かしたせいよ。うん、もう大丈夫。おはよう、古間くん」

 

 自分より少し背が高い少年に笑って挨拶をして2人は並んで歩き始めた。

 龍見と彰はクラスが違うが去年の文化祭実行委員で知り合い、今も顔を合わせれば他愛もない雑談をするくらいの付き合いである。ただ顔立ちが整っている彰と一緒にいる事で時々女子のやっかみの対象になることはあるが龍見には特に恋愛感情はない。というのも、なんとなく彰には誰か思いを寄せる人がいる気がしているからだ。それに龍見自身も今は恋愛に興味もなく、この友人としての程よい距離感で満足していた。


 「そういえば、もう少しで文化祭だけど準備は出来ているの?」

 「うちは、まぁぼちぼちかな。そっちは?」

 「こっちは全然ね。下手したら前日に泊まり込みになるかも」

 「へぇ、それは楽しそうだ」

 「私は当日あちこち見て回りたいから徹夜なんて御免なんだけどね。そういえばさ、どうして古間くんはここにいるの?いつもはバスで登校してたよね。引っ越したの?」

 「いや、そういう訳じゃないけど……。う~ん、ちょっと運動でもしようかなって思って」

 「なら部活にでも入ればいいのに。古間君、私と違って運動神経良いんだから、どの部でも喜んでくれると思うよ」

 「もう2年だし今更部活に入る気はないよ。人数合わせの助っ人程度なら今でもたまにやっているしね」

 「運動できる人が羨ましい。私はそっちの方は全然だから」

 「でも幸原さんはいつも成績上位にいるじゃないか。そっちも十分凄いさ」


 そんな他愛のない事を話しながら歩いていると同じ学校の制服を着ている人が増えてきた。同じ学年の子が2人を見て何かヒソヒソ話していたがいい加減慣れた龍見は気にせずお喋りを続ける。


 「そういえば今年は文化祭の実行委員にならなかったの?」

 「去年は押し付けられだけだからな~。今年は立候補した奴がいたから助かったよ」

 「へぇ、奇特な人もいるのね。私も今年はやらずに済んだけど。ただ委員になった子が基本遊んでばかりだから困りものだけど」

 「ははは、なら幸原さんがやれば良かったんじゃない?」

 「それは遠慮するわ。今でも無理やり生徒会の手伝いやらされてるんだから」

 「ああ、新らしい生徒会長さんと友達なんだっけ?」

 「幼馴染みよ。こっちに相談もなく無理やり生徒会入りさせられそうになるし困った子なのよ」

 「それだけ頼りにされているって事でしょ。幼馴染み、か」

 「古間君にも仲のいい幼馴染みっているの?」

 「ああ、うん。高校に入る前に引っ越しちゃったから、ちょっと会いにくくなったけどね」

 「へぇ、そうなんだ……ん?」

 

 何かに生暖かい物が背中に触れたような感覚に驚いて龍見が後ろを振り返る。突然足を止めた龍見に迷惑そうな顔を向けて何人かの生徒が横を通り過ぎていく。

 龍見がふと横を見ると、今までに見たことのない険しい顔をした彰の顔があった。ただその視線は龍見にではなく龍見が見ていた方向に向けられていた。


 「えっと、古間君?」

 「あっ、ごめん。ちょっと用が出来たから先に行ってて!」


 今までに見たことがないほど真剣な顔をしていた彰に恐る恐る声を掛けると、我に返った彰は来た道を走って戻って行ってしまった。


 「遅刻しちゃうよって、もう行っちゃった……」


 龍見と同じく怪訝そうな目を向ける生徒たちを軽やかに避けた彰の姿が見えなくなった。


 (どうしたんだろ?それに、さっきの……視線?)


 妙な気配とともに感じた視線。それは行為や興味とは違う、何か値踏みしているような無遠慮で不愉快な感じだった。

 そして突然走り去った彰。


 (いやいや、自意識過剰だぞ、私。きっと寝不足で神経過敏になっているだけ。古間君も多分お弁当忘れたとかでコンビニまで買いに行ったとかそんな理由でしょ)


 もしまた変な感じがしたら保健室で少し眠らせてもらった方がいいかもしれない。不思議な感覚に無理やり理由をつけて龍見は学校への道のりを再び歩き始めた。

 



 「……くそっ、確かに喰らうモノの気配があったんだけどな」


 人通りのない路地に入ったショウが周囲を見渡すが、既にあの気配の主は姿を消していた。

 今朝、ショウがいつもの登校ルートから外れた所を歩いていたのは気まぐれではない。

 自主的に早朝パトロールをしていて、この付近で喰らうモノと戦っていたのだ。逃げ回る喰らうモノを倒すのに思いの外時間が掛かってしまったために、いつもと違うルートで学校に向かう事にしたのだった。


 (向こうが仕掛けてこなかったのは幸いだけど。けど何しに現れた?)


 考えられるのは食事だが、地球では能力が落ちる喰らうモノが人目のある所で大っぴらに活動することはまずない。あったとしても有無を言わさずに行い、今回の様に何もせずにいなくなるのは珍しいケースである。


 (もうどこか別の所を襲っていたから空腹じゃなかったとか?とにかく本部に連絡を入れておこう)


 既に被害がでているのなら速やかに対処しなければならない。喰われたモノが消化される前に助け出さなければが失われてしまう。


 (命も記憶も、もう二度と奪われたまるか)


  スマホに似せた勇者ギルドの支給品である万能ツール『ヤオヨロズ』で連絡を入れようとして、ふとショウは先ほどの光景を思い出した。


 (そういえば、あの時幸原さんも振り返って同じ方向を……)


 背筋にゾクリと悪寒が走る。

 

 (確かに幸原さんはあそこにいた。だけど……)


 巻き込みたくない。

 間違いであって欲しい。

 そう願ったが一度生まれた疑念は簡単には消えてくれない。

 何より、ただの願望で可能性を無視するのは現実逃避と同じだ。それでは何も守れない。

 

 「……これでよし」


 今朝の討伐の件は報告済みなので、改めて先ほどの件と龍見への懸念を伝える。それから30秒もしないうちに返信がきたので内容を確認する。


 「……ああ、やっぱりアイツらに頼るしかないか。またルカに集られることになるなぁ」


 ショウがお寒い懐事情に深いため息をつくと遠くでチャイムが鳴るのが聞こえた。


 「やばい、遅刻だっ!」


 慌てて駆け出すが時すでに遅し。結局遅刻したショウは厳しい担任から叱られる事になるのであった。

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