3 謎の男

 「それでは失礼します!」


 届け物を無事終えたイルマは元気に階段を駆け下りていく。

 急いだ所で何か仕事がある訳でもないのだが、ユグドラシル本部に来て鈍った体を少しでも動かしたい一心で再び階段を使う事を選び勢いよく駆け下りていく。

 エレベーター、エスカレーター完備の本部でわざわざ階段を使う者は少ない。今まで一人もすれ違わなかったから今日も大丈夫だ。その根拠のない自信がある人物に災難をもたらすことになる。


 「やぁ、待っていた……げふぅ!」

 「ああ、ごめんなさい!」


 階段の踊り場に差し掛かったところでトレンチコートにつばの大きな帽子を被った≪いかにも変装してます≫といった格好をした男が現れた。

 しかしタイミングが悪かった。

 男の脇腹に勢いの乗った膝蹴りをかましてしまったイルマが謝るが時すでに遅し。

 吹っ飛んだ男は壁に叩きつけられ、そのまま下り階段を転げ落ちていった。


 「あ、ああああ……」


 思わぬ大惨事に「殺人事件」や「うら若き乙女が容疑者!?」というゴシップ記事の見出しのような言葉が浮かんで踊り始めた。


 「だ、大丈夫ですか~!?」


 我に返ったイルマは階段を駆け下りて、壁に背を預けてぐったりしている男の傍に跪いて息があるか確かめようと手を伸ばす。


 「は、ははは、だ、大丈夫、大丈夫。いや、いい膝蹴りだったよ。さすがはヒヒロさんの娘さんだ」

 「えっ、お母さんを知っているんですか?」

 「もちろんだとも!」


 まったくダメージを感じさせない機敏な動作で立ち上がった男は逆にイルマの手を取り立ち上がらせるとニヤッと笑って見せる。

 帽子からのぞく金髪には所々白い物が混じっているが、妙に子どもっぽい雰囲気を持つイルマが今まで会った事のないタイプの男だった。


 「以前にヒヒロさんの渾身のボディブローを喰らった時は一日起き上がれなかったからね!」

 「えっと、よく死ななかったですね……」


 イルマと違い純血の獣人である母の力は強い。文字通り岩をも砕く拳は故郷でもっとも大きく凶暴な熊が一撃で地面にキスをするほどである。となれば、このとぼけた雰囲気の男も相当な実力者なのかもしれない。


 「はははは、これでも昔は……、っとそんな話をしている時間はなかったな。さっそくで悪いがイルマ・レイヤードくん、君にある任務を与えたい!」

 「に、任務ですか?」

 「そう、任務だ。これは非常に緊急を要し、大きな機密性を帯びた任務なのだ」

 「は、はぁ。あの、その前に質問をしてよろしいでしょうか?」

 「私が何者かということだろう?だが、まずは話を聞いてからにしてほしい」

 「りょ、了解です!」

 「しっ! 声が大きいぞ!」


 (いや、あなたも声が大きいし……)と思ったが多分そういう指摘は無駄なタイプの人だなと見当をつけ、イルマは黙って男の話を聞くことにした。


 「遺産管理局は今かつてない苦境に見舞われている。だが、だからといって目の前の危機、危険を見過ごすわけにはいかない! それが偉大な先人たちから受け継いできた我々の誇りなのだ!」

 「は、はぁ」


 田舎出身でユグドラシルに来たばかりのイルマにはピンとこない演説ではあったが、とりあえず相槌は打っておく。


 「というわけで、君にこれを預ける」


 そういって男はポケットから一枚の青いカードを取り出してイルマに手渡した。カードの片面にはユグドラシルの紋章が描かれ、もう片面にはイルマの知らない花を意匠化した模様が刻まれていた。


 「使い方はログ君に聞きたまえ。必要な事、物資も彼が整えてくれるはずだ」

 「班長が、ですが?」

 「ふふ、彼はあれで有能だよ。もっとも私はあとでまた恨まれるだろうがね」


 クックックと悪い笑みをこぼした男は、そのままイルマに背を向けて階段を下り始めた。


 「それでは、良い報告を期待しているよ」


 膝蹴りと階段落下ダメージを全く感じさせない足取りで手をひらひら振りながら去っていくのをイルマは呆然と見送った後に、結局男の正体を聞きそびれたことをおもいだすのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る