2 イルマ・レイヤード

(でも、こんな楽なことしてお給料もらうのはいいのかな?)


 エスカレーターやエレベーターもあるのに関わらず、体力を維持するために階段を上がりながらイルマはこれまでとこれからの事に思いを馳せていた。



 決してイルマは勤勉というわけではない。むしろのんびりしている方だと自分では思う。

 そんなイルマが故郷で情熱を持って取り組んでいたのが古代遺跡の調査。もっと言えば魔法使いたちが使っていた魔法に関してである。


 イルマは父の顔を知らない。母によれば魔法の研究をしている奇人変人の類だと言う。母の口ぶりから死んだ訳ではないようだが、なぜ妻子を置いていったのか、そして今どこで何をしているのか?それが気になって昔一度だけ聞いたことがあった。


 「きっと今もどこかの遺跡にいるわ」


 そう言った母の顔が寂しそうだったのが印象的で、それ以来イルマは父の事を聞いたことはない。ただ二人の間には例え娘でも入り込めない何かがあったのだろうというのは子ども心にも察せられた。

 父を知る人から聞いた話では大体変人という評価だったが不思議と悪く言う人は誰もいなかった。村に来た頃は聞いたことのない言語を使っていた事から異世界の人だろうと思ったが、素朴な村人たちは詳しいことは知ろうとはせず父を受け入れたのだという。

 小さな村、しかも迫害される事が多かった獣人族が多く住む事から閉鎖的、排他的な村人が多い中、なぜかイルマの父は不思議と村に馴染んでいたようだった。

 一度気を許せば親切な村人たちはイルマにも優しく接してくれ父がいなくて寂しいと思ったことはなかった。

 そんな幼い日々を過ごしている時、一度だけ父と思わしき人物と会った事があった。


 11歳の時、村の裏手にある山の中にある古代遺跡を一人で歩いていた。

 この頃は、まだ遺跡に興味があったわけではなく母の真似をしてみただけで散歩の延長に過ぎなかった。

 その遺跡は既にユグドラシルの協力員だった母によって調査しつくされ安全ではあるが特に貴重な物もなく最低限の保全作業しかされず荒れ果てていた。

 膝まである草を踏み越えて、前日に降った雨の名残である水たまりを飛び越えて、脳内では危険な遺跡を探検している大人になった自分を想像しながらイルマは遺跡の中央にある広場に足を踏み入れた。

 その奥、かつては立派な神殿があったとされる場所。既に屋根も柱も崩れ落ちて残っているのは色あせた壁画だけだが、それでもイルマはこの場所がお気に入りだった。

 壁画には様々な人、老若男女、獣人や鎧を着こんだ人に龍。そして中心にいるのはローブを着た人が描かれていた。

 「魔法使いが世界を越えて多くの人を従えていたことを示す絵」と定期的に村に勉強を教えに来てくれる先生は言っていたがイルマはそれは違うと思っていた。

 遺跡調査員だった母に意見を聞いてみたが「きっと今イルマが思っている事。それが正解なのよ」とはぐらかされてしまった。


 (せんせーはまほー使いさんが一番偉いって言ってたけどわたしは違うと思う)


 イルマの習ってきた歴史の支配者、魔法使い《マギウス》。その教科書に載っている絵に描かれているのはいつも高みから見下ろす構図だった。

 だがこの絵は違う。朽ちかけ色彩も無くしているし線も消えかけ人々の表情も分からない。

 だがイルマは、ここに描かれている人たちの表情は笑顔だったのではないかと思っていた。力で支配をしていたのではなく互いに手を携えて生きていた。それを表現した壁画だったのではないか?

 もちろん根拠はない。だが、きっとそうだったとイルマはそう信じていた。

 そしてこの絵を見るたびに魔法使いという人たちに不思議と親近感がわくのだった。

 

 「この絵が好きなのかい?」


 突然後ろから聞き覚えのない男の声がしてイルマは驚きで飛び上がって振り返る。

 そこにいたのは、ボロボロの服を着て帽子を目深にかぶった男だった。旅でもしているのか服はあちこち破けている。


 「うん、わたし、この絵が好きなの。おじさんは旅行で来たの?」


 カバンの類をもっていない事から近くの村に泊まっている旅行客だと思ってイルマは尋ねる。昔ほどではないが、この辺りの人々は閉鎖的で余所者をあまり信用しない。イルマも見知らぬ人間を見るといつもなら身構えてしまう。普段なら挨拶もそこそこに逃げるようにこの場を去ってしまうところなのだが。


 (なんだろう、この人。どこかで会った気がする……)


 帽子で顔は見えないが、雰囲気や声になぜか安心している自分を不思議に思いながらイルマは旅人に近寄る。

 服はボロボロだが悪臭などはせず、草木の匂いが微かに鼻腔をくすぐる。


 (この辺りを散歩していたのかな?)


 半獣人で嗅覚が鋭い自分が近づかれたことに気づかなかったのは、この匂いのせいだろうと思い、突然現れたことは気にしないことにした。


 「旅行か。そうだね、ちょっとした息抜きといった所かな」


 近づいてきたイルマの頭を優しく撫でて男は壁画を懐かしそうに仰ぎ見る。帽子から零れた髪の色はこの地方では珍しい緑色。色合いはイルマの髪色と同じだった。


 「おじさんもこの絵、好きなの?」

 「ああ、好きだよ。この絵は私たちの願い、だからね」

 「願い?」

 「ああ、願いだ。決して叶う事がないと知りながらも求めた理想。未練だとは分かっているが、それでも……。いや、なんでもないよ」


 言葉の意味が分からずキョトンとしているイルマの頭をもう一度優しく撫でて男は微笑んだ。


 「そうだ、つまらない話を聞かせたお詫びに異世界のお土産をあげよう」

 「えっ、でも……」

 「ははは、こんな胡散臭い人間から物は貰えないかい? 大丈夫、ヒヒロは許してくれるはずさ」

 「どーして、お母さんの名前を知っているの?」

 「ちょっと、ごめんよ」


 イルマの問いには答えず男は屈んでいつの間にか手に持っていた不思議な模様が刻まれたペンダントをイルマの首にかけてくれた。


 「わぁ、きれいだね~。これ、どこのお土産? 聖王国? 帝国?」

 「いや、もっと遠くのお土産さ。そのペンダントは将来きっと君の助けになる。だから大切に持っていてくれ」

 「うん、ありがとう!」

 「いい子だ。そろそろ雨が降りそうだね。村まで送っていくよ」


 その後、手を繋いで村まで他愛のない話をしながら帰ったのだが、村の門が見えた所で男は立ち止まるとイルマの頭をもう一度優しく撫でながら。


 「ここでお別れだ」


 寂しそうにそう言った。


 「お母さんに会っていかないの?」


 言葉を交わしたのも触れた時間もほんの僅かだったがイルマは確信していた。この人自分の父だと。

 だから、なんとしても母に会わせたかった。だがーーー。


 「今はまだ会えないんだ」


 男の視線は村のある方角、イルマの家がある方に向けられていた。

 その目が、やはりイルマと同じ琥珀色の瞳の奥には断固とした決意があった。それはなにも知らない子どもが踏み入れるものでは決してなく。


 「じゃあ、いつなら会えるの?」

 「……そうだね、君が大人になった時、かな?」


 嘘だと思った。多分もう二度と会えない、だから男はここに来たのではないかとイルマは思った。


 「それじゃあ、元気で。ヒヒロを頼むよ」

 「まっ……」


 思いを乗せた言葉は遠雷に掻き消され、目の前にいたはずの男は最初からいなかったように消えてしまった。

 太陽の光を遮る厚い雲から落ちる水滴の冷たさと胸に輝くネックレスが夢ではないと教えてくれる。

 どのくらいそこに佇んでいたかは覚えていない。

 親切な村人が雨に打たれ固まっているイルマを見つけ家まで送ってくれたこと。心配していた母親が怒るよりも早くその胸に飛び込んで泣き続けた事。そして何よりその日の夜にイルマが貰ったペンダントを握りしめ、声を殺して泣き崩れていた母を見たことは今でもイルマの心に焼き付いていた。

 その日から、イルマは古代遺跡の調査員になろうと心に決めたのだった。

 ただ待つのでなく父を探すため、そしてあの日の言葉、『願い』の意味を知るために。

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