第一章 旅立ち

1 覇龍戦争


 これは地球とは違う世界の出来事。


 半年前、とある世界にて一つの戦争が起こった。

 ある特別な力を持つ竜の女王に率いられた軍勢が5つの世界を渡り歩き破壊の限りを尽くした。


 『覇龍』と名付けられたその龍たちが最後に現れたのは、異世界調停機関『ユグドラシル』に影響力をもつ『魔導帝国エルゼスト』が統治する世界であった。

 科学と魔術を融合させた『魔導技術マギテクス』を用い高い軍事力を持つ帝国、死をも恐れずただ戦いを楽しむ狂気の戦闘集団である覇龍。

 そこに覇龍を危険視した他の異世界の軍勢も帝国に加勢し『覇龍戦争』と名付けられた戦いが勃発した。


 戦力の上では帝国を盟主とした連合軍が有利ではあったが急ごしらえの軍は統率を欠き、逆に絶対たる女王を頂く覇龍たちの攻撃に翻弄されることになる。

 それでも次第に数が多い連合軍が徐々に覇龍を押し返し士気が上がり始めたとき戦場に異変が起きた。

 連合軍の残存戦力の30%にあたる兵士たちが突然意識を失い戦闘不能に陥った。

 それを為したのは『覇龍王ドラゴンロード』ラー・ル・リュシオーフュが使った『支配の力』と呼ばれる未知の能力であった。

 耐魔術防御が全く効かない不可避の精神操作。その衝撃は連合軍の士気を崩壊させるには十分すぎるものだった。

 連合軍の敗北。戦場にいた者は誰もがそう思った。

 だが、戦いは意外にも双方撤退という形で決着がつく。

 

 なぜ圧倒的優位に立ったはずの女王が退いたのか?

 その理由が明らかになるのは、半年という時間を必要とした。

 そして―――

 



 バタバタと廊下をけたたましく走る音でログ・アブライトは手にした書類から目を上げた。だだっ広い広い部屋には机が敷き詰められ60人ほどの人が仕事をできるスペースがある。

 だが、今その机を使用して仕事をしているのはログだけ。照明が落とされている事も相まってなんともいえない寂寥感が部屋を支配していた。


 「班長~!」


 そんな静寂の空間の中に大きな声と共に一人の女性が飛び込んできた。

 女性の名前はイルマ・レイヤード。今年19歳になったばかりのユグドラシルにある部署の一つ、『古代遺産管理課』に所属するエージェントである。


 「うっせ~ぞ、犬娘。こちとら三日ろくに寝てねぇんだからキャンキャン喚くな」

 「犬娘ってそれ人種差別的発言です。問題発言ですよ。訴えたら私勝っちゃいますよ!?」

 「お~、お~、訴えてくれ。そんで俺に停職三か月くらいプレゼントしてくれ」


 顎の下に生えた無精ひげをさすりながら背もたれに体重を預けたログはニヤニヤ笑いながら部下の言葉を軽くいなす。


 「なら訴えるのは止めます。その方が班長は苦しむことになるのなら!」

 「ったく。いい性格してるぜ、お前は」

 「処罰受けて休もうって考えている班長の方がよっぽどだと思いますけど。……そんなに仕事大変ですか?」


 肩まである緑色の髪を揺らしてイルマは部屋を見渡しながら尋ねると、ログはうんざりしたため息を漏らし、疲れ切った顔に無理やり笑みを浮かべた。


 「たりめーだろ。なんで俺が一人でこの部署全体の種類作業を一人でやらなきゃならないんだよ! 俺がなにをしたってんだ! なんの罰ゲームだよ、これは!」

 「いや、それは班長があの日仕事をサボって遊んでいたからでしょう?」

 「馬鹿野郎! 俺はちゃんと有休を申請したんだ。上が処理しなかっただけだろ!」

 「まぁ、それどころじゃなかったんでしょうねぇ」

 

 ログ・アブライトとイルマ・レイヤード。

 今現在、古代遺産管理課で働いているのはこの二人だけである。

 では他の職員はどうしているかというと、現在全員謹慎処分中であり実質的に古代遺産管理課は閉鎖されている。


 ユグドラシルでも特に大きな影響力をもつと言われている古代遺産管理課。

 その仕事内容は読んで字の如く古代の遺物、特にある集団が残した遺産の調査回収を主な目的としているエリート集団である。


 かつて様々な世界を渡り歩き特異な遺物、技術を残した集団がいた。

 何が目的だったのかは分からないが彼らは世の理を操る『魔法』、それを扱いやすくした『魔術』を様々な世界に人々に伝え教えて回り各地に謎の建造物を残していった。

 『魔法使マギウスい』と呼ばれた彼らの力でいくつもの世界が交流を持ち繁栄していったのだが、それも突然の終焉を迎えることになった。

 ある日突然魔法使いたちは姿を消してしまったのだ。しかも彼らが建造した様々な異世界へ移動できる『門』を始め、人々に無限の魔力を与えていた『大宝珠エクステル』も封印してである。

 魔法と魔術。そして人々をまとめていた指導者の突然の喪失は様々な世界に大きな混乱を巻き起こした。

 ある世界は残った遺産をめぐり血みどろの戦争へと進んでいった。

 ある世界では文明が崩壊し、またある世界では封印されていた魔獣が暴れだした。


 『大破壊カタストロフィ』と呼ばれる時代の到来である。


 しかし、それでも人はしたたかに生き残った。

 いくつかの世界では『大宝珠』に頼らない魔術を編み出し、いくつかの遺産の機能を解析しコピーを作る事にも成功した。

 やがて門の封印も限定的にだが解かれ、異なる世界の人々は数百年ぶりの再会を果たすことになったのである。


 だが、交流は同時に衝突を生み出すことにもなった。

 より早く魔術を取り戻した勢力が遅れた勢力を飲み込んでいく暗い戦争の時代。

 誰が魔法使いの後継となるか。後に『後継戦争』と呼ばれる終わりなき闘争に終止符をうった存在こそユグドラシルであった。

 戦いに現を抜かす指導者たちに愛想を尽かした様々な世界のはぐれ者たちが作った組織が、なぜ戦争を止められたのか?

 それは各地に眠る遺跡、そして大宝珠の封印を解除する『鍵』を手に入れたから、だと言われている。

 ユグドラシルから得られる恩恵と引き換えに各世界の指導者が平和協定を結んだ事により戦争は終わった。

 そして、世界の誰もが認めたのだ。


 ユグドラシルこそ魔法使いの正当なる後継だと。


 その後、ユグドラシルには様々な世界の俊英が集い、名実ともに数多の世界を導く存在になった。

 それと同時に遺跡の管理、保全、そして捜索はユグドラシルが独占的に担うことになった。

 古代遺産管理局は、まさにユグドラシルの中枢。ユグドラシルが調停者たる立場にあり続けるために必要な心臓部なのである、はずだったのだが……。



 「局長たち、なんであんな事しちゃったんでしょう?」


 それは覇龍戦争の裏で密かに起こっていた。

 覇龍たちの侵攻に対して、調停組織であるユグドラシルは覇龍の女王ラーに停戦を申し込んだが使者が殺されて交渉は最悪の結果となった。

 これに対して魔導帝国などが連合軍を作り対抗したのは前述したとおりだが、なぜかユグドラシルは参加を渋り続けた。


 「あくまで対話での解決を目指す」


 ユグドラシルの最高権力者である総長はこう述べていたが、その裏である計画が進められていた。

 それは覇龍の世界にある魔法使いの遺産を奪取。

 言うなれば連合軍を囮にして自分たちは美味しい所を頂こうとする、漁夫の利作戦を実行したのである。


 結果としては、その行動で覇龍を撤退させることに成功はした。

 だが捨て駒扱いされた連合参加国の怒りは凄まじく局長を始め計画を知っていた者全員に何らかの処分を求め、結果、中心的な役割を果たした古代遺産管理局も一時的に閉鎖される事態になった。


 「飛ぶ鳥を落とす勢いの帝国に喧嘩売ったんだ。よっぽど龍の世界にゃ価値あるお宝が眠ってると思ってたんだろうよ」

 「価値あるお宝。それってやっぱり支配の力関係でしょうか?」


 実際よりも幼く見える原因である大きな緑色の瞳をキラキラ輝かせてイルマはログに尋ねるが「知らねぇよ」と一蹴されてしまう。


 「休み明けで来てみりゃ無断欠勤を責められて、その上知りもしないことをネチネチと何時間も尋問されて、挙句に他の部署から滞っている仕事を処理しろって言われて監禁されてんだ。んでもって、俺のほかに残っているのが役に立たない新入りワンコだからな」

 「だからそれは人種差別……って、もういいです」


 イルマは父が人間、母が犬科の獣人である。といっても特に毛深いというわけでもなく見た目はほとんど人間と変わらない。ちょっと犬歯が鋭いが、それも目立つほどという訳はないし尻尾もない。

 ただ、身体能力、反射神経は常人より遥かに優れており、様々なトラップが仕掛けられている遺跡の調査員としての適性は素晴らしく高い。

 元々、故郷でユグドラシルの協力員として働いていたイルマはその功績が認められて、母と友人たちから盛大に見送られての栄転、だったはずなのだが……。


 「しっかし、おまえもついてないな。来て早々部署閉鎖だもんな」

 「一応、住む所とお給料は確保できたのは良かったですけど、お仕事がないのは暇ですねぇ」


 赴任してきたばかりの新人がやりかけの書類仕事など手伝える訳もなく、基本イルマは部屋の片づけ掃除など雑用をこなして過ごしていたのだが、やる事はそんなに多くなく時間を持て余していた。


 「ひょっとして私、故郷に帰れとか言われないでしょうか?」

 「さてな。まぁ、ウチは金はあるだろうから即刻クビになることはないんじゃねぇか?」

 「そうですか? そうですよね! せっかく盛大に送別会とかしてもらったのにすぐに都落ちするなんて嫌ですよ~」

 「それを俺に言われても困る。なんだったらお前を引っ張ってきた局長に違う部署に転属させてもらうようにお願いしてきたらどうだ?」

 「でも、私はまだ局長さんとお会いした事がないんですよね。どこに行ったらお会いできるんでしょう?」

 「会った事がない? なら、どうして……」


 ログの言葉を掻き消すようにけたたましく電話が鳴り響く。


 「ちっ、また催促か。文句があるならこっちに人寄こせよな。悪いが、そこのファイルを上の保安課に届けておいてくれ」

 「了解です!」


 ログが指さした机の端には10冊のファイルが束になっていた。

 イルマはそれを手に取ると、やる気なさそうに電話応対しているログに一礼してから小走りで部屋を出て階段へ向かった。

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