????と古戦場跡

《……古戦場跡には行っちゃダメよ》

 アルテナが幾度も口にしている言葉。

 アルドはナグシャムの宿屋で、この言葉を反芻していた。

 クンロン山脈から戻ってきた一行。

 ガリアードとヘレナは傷ついた体のメンテナンスもあり、一足先に次元戦艦へと戻っていた。

 アルドとラキトは、呆けた様子のアルテナを見守りながら、これからのことを思案していた。

「ナグシャムまで来てアルテナを診てもらったところ、体に異常がないことはわかったけど……これから、どうしよう?」

 ラキトはクンロン山脈で、三本目の角が生えたことで正気を失ってしまった。今は、角も頭の中に納まったようで、落ち着きを取り戻していた。

「……そもそも、アルテナが使う武器って弓だろ?なんで、剣を握ったまんまなんだよ?」

 様子がおかしくなった時にアルテナがいつのまにか手にしていた剣。今も手放すことなく握られている。鈍い輝きで刀身が歪んでいるようにも見えていた。

「……剣か。……アルテナにとっては、忌むような思い出があるはずなんだけどな……」

「だったら、なおさら急いでなんとかしないと!……なにか、手掛かりはないのかよっ!」

「……古戦場跡。ここに行けば、アルテナの様子に変化が現れるかもしれない……」

「どういうことだよ?」

「ラキトは聴いていないのか?アルテナがたびたび口に出していた、《古戦場跡》っていう場所のこと……」

「そんなこと知らないよっ!……でも、そういうことなら話は早いじゃないかっ!今すぐ行こう!……っていうか、なんでそのこと、言ってくれなかったんだよっ!」

「まぁ、こういう反応が返ってくるからかな。……遅かれ早かれ、行くことにはなるだろうとは思っていたけどさ……。確かに、ここでじっとしていても仕方がない。何が待ち受けているかはわからないけれど、古戦場跡に行ってみるしかない……か」

「行こう、アルド!アルテナのために、俺が出来ることなら何でもやってやるさ!」

 そうして、次元戦艦に乗り込んだアルドたちは、現代ミグレイナ大陸に位置する古戦場跡へとやってきた。

 そこは遠い昔、人間族とオーガ族が激しい戦いを繰り広げた地。エレメンタルの力が弱く、荒廃した大地が拡がっている。

 アルドとラキトはアルテナを連れて不毛の地を進んでゆく。

 アルテナは素直に二人の後をついてきており、今のところ変化は見られない。

 しかし、問題は別に起きていた。

深部へと至るにつれ、ラキトの足取りが重くなってゆく。頭に手を添えて顔を歪ませていた。

「ここ、なんか嫌なところだな……体が重いし、頭の中がガンガンする……」

「ラキトは戻った方がいいかもしれないな。ここからは、俺一人で探ってみるよ」

「冗談じゃないやいっ!こんな辛さ……アルテナに比べれば、なんてことないっ!」

「……そうか。……決して、無理しないでくれ。今以上に悪化するようなら、ここをすぐに離れるんだ」

 アルドは二人の様子を気に掛けながら荒れ地を進んでゆく。その中で気づいたことがあった。

「アルテナの持つ剣……前よりも光が強くなっているというか……ざわついている気がする……」

 剣が放つ鈍くて歪んだ光が強まっているような気がしていた。

 その時、不意にアルテナの歩みが速くなって、二人との距離が開いてゆく。

「アルテナ?」

 アルテナはクルリと振り返って、アルドたちの方へと向き直った。

「……近づかないで……こっちに来ちゃダメ……」

 アルドとラキトは、突然の指示に戸惑いながらも素直に従った。

「アルド!アルテナはどうしちゃったんだ?……俺たち、どうすればいいんだよ?」

「このセリフ……どう読み取ればいいんだ?」

 アルテナとの間にピリピリとした緊張感が走った。

 アルテナは腕をゆっくりと頭の上まで振り上げた。

 その手には歪んだ光を放つ剣が握られている。

「……この剣は……破壊……するわ……」

 アルテナの視線の先には岩がある。ここに刃の平な部分を打ち付けてしまえばポッキリと折れてしまうだろう。

「おいっ、アルド!このまま……じっとしてていいのかよっ!」

「くそっ!」

 アルドは意を決して距離を詰める。

 アルテナの腕を押さえて、その動きを止めた。

「ずっと、おかしいと思っていたんだ!でも、今、はっきりとわかった!」

「アルド!どういうことなんだよ?」

「お前……アルテナじゃないな!正体を現せ!」

「目の前にいるのが、アルテナじゃない?」

「怨丹ヶ原で会った時に、あいつは言っていた。他の魔獣へと姿を変えられるのだと!自分の目的はラキトを引き入れることだと!だからあいつは、そのためにアルテナへと姿を変えたんだ!」

「それって、ひょっとして……」

「お前は魔獣バロンだ!怨丹ヶ原以降、一度も姿を現してはいないのは何故か?俺たちはイザナでアルテナと再会していたと思っていた。その時には既に、この姿へ化けていたんだ!」

「それじゃあ、本物のアルテナはどこに行っちゃったんだよ!」

 アルドはアルテナが振り上げていた剣に視線を移した。

「いつのまにか持っていた、見慣れない剣……それこそがアルテナなんだ!」

「……あの剣がアルテナ?……嘘だろ?」

「以前、アルテナは四本の精霊の剣と合わさって、一本の精霊大剣へと変えられてしまったことがあった。あの時の剣とは見た目が違うのは精霊の剣と合わさったわけではないからだ。アルテナはフィーネの力を借りなくても、ジオ・アンギラスの姿へと変化することが出来た。これは、それと同じこと……言うなれば、これは精霊大剣・レプリカ。つまり、この剣こそがアルテナなんだ!」

「確かに、普通の剣とは違う……不思議な光を放っているし……」

「それはアルテナが送っているシグナル……悲鳴なのかもしれない……」

「それを破壊しようとしたってことは……」

「……おそらく……アルテナは……」

「ダメだ!ダメだ!そんなの、ダメだろ!」

「そう、そんなのダメだ。俺たちは絶望してしまう。……その末に起こるかもしれない怒りや悲しみで、ラキトの魔獣としての力を覚醒させる。……それが、バロンの目的なんだ!」

 アルドの数々の指摘。しかし、目の前の対象は反応を示さない。

「……剣……破壊する……」

 あくまで、目的のためだけに動こうとしていた。

「くっ!力が強くなっている……ラキト!頼む!荒っぽくなっても構わない!俺が支えている間に、こいつを止めるんだ!」

「くそっ!よくもアルテナの姿になって騙しやがったな!許さねぇ!」

 ラキトは怒りに震えた。

全身全霊。

 持てるすべての力を解き放って突撃する。

「喰らえぇぇ!」

 一気に縮まる距離。

 両者が正に激突する、その瞬間。

「ウオオォォー……オォ……」

 攻撃は遂行されなかった。

対象に当たる直前。

 ラキトはピタリと動きを止めた。

 ギリギリ手前で突進を中断させた。

 ラキトは地面に両手をついて、がっくりとうなだれた。

 目が真っ赤に染まり、大粒の涙がポタポタと地面にしみ込んでゆく。

「……無理だよ……俺には出来ないよ……目の前のアルテナが、偽物だとわかっていても無理なんだよ……。いかるがの里を巡っていた時、アルテナは楽しそうに笑いかけてくれた。その笑顔を思い出しちゃうんだ……。俺は将来、アルテナと結婚するんだ。そんな人を傷つけることなんて……できるはずないじゃないか……」

「ラキト……」

 アルドはラキトを責めることが出来なかった。

酷なことであることが痛いほどにわかっていた。

 ラキトの悲痛な嘆きに感化されてしまったアルド。

それゆえに、隙が生まれてしまう。

 押さえつけていた対象の腕が振りほどかれて、距離を取られてしまった。

 改めて振り上げられた剣。

 間髪入れずに、腕は振り下ろされた。

 今、それを遮るものは何もない。

「やめてくれっ!」

「やめろぉ!」

 アルドとラキトは必死に叫んだ。もはやできることが、それしかなかった。

 叫びは届かない。

 願いは届かない。

 パリーンと刃の弾ける破壊音が、周囲に虚しく響きわたった。

 無情にも、剣は粉々に破壊された。

「ああぁぁ……」

 がっくりとうなだれるアルド。

「うおおぉぉ……ヲヲォォー!」

 ラキトは涙を流しながら全身をブルブルと震わせている。

 嘆きが獣の咆哮へと変遷する。

「……ラキト……まさか!」

 アルドはハッとしてラキトのことを見上げた。

 ラキトの前頭部から三本目の角が伸びてきている。

 それは、今までの少年の姿ではなかった。

青みがかった魔獣の外見はそのままに、四足歩行の巨大な恐竜へと変貌していた。

「あれがラキトの魔獣形態……」

完全に正気を失っていた。

「ヲヲォォー!」

 高らかに雄たけびを上げる。

 アルドはクンロン山脈での出来事を思い出していた。

「ラキトは、半分だけ覚醒した状態のときでさえ、ガリアードとヘレナの厚い装甲を破壊していた。……二人に、抵抗する意思がなかったとはいえ、その破壊力は本物だった。……完全に覚醒してしまった、今……ラキトは一体、どうなってしまうんだ?」

 その時だった。

 アルドの後方から誰かが近づいてくる気配がした。

「ここは俺にまかせてもらおう……」

 魔獣の毛を束ねたようなマントを羽織った男の後ろ姿。

「お前は……ギルドナ?」

 男はゆっくりとラキトの方へと近づいてゆく。

 慣れた手つきで、持っていた首輪を魔獣形態のラキトの首へと掛けた。

「グルル……」

 ラキトは咆哮することもなく、主に服従する犬のように大人しくなった。

「ここ、古戦場跡は膨大な怨みの念が蔓延する場所だ。そこで、この小僧を怒りと悲しみにまみれさせ、魔獣の力を覚醒させる。いかにもバロンが弄しそうな策だ」

「ギルドナ……」 

「話は聞いている。この小僧……我が妹を伴侶にしたいという心意気。……面白い。気に入ったぞ。俺を超える力を持てるのか否かは後に試すとして……だ。……アルドはそこで待っていろ。まずは、こいつを古戦場跡から引き離すことで正気に戻す。その後で、そこのバロンとは決着を付ける。妹の仇はただではすまさぬ。バラバラに引き裂いて、生きたまま地獄の果てを見させてやる」

 男はラキトを引っ張って歩き出した。

「……」

 アルドは古戦場跡から立ち去ろうとする男の背中を眺めていた。

 突然の展開に戸惑ってしまって考えがまとまらない。

 しかし、感じていることがあった。

ひとつの確信があった。

「……お前……バロンか?」

 目の前にいる男はギルドナではない。

 言動にはつじつまが合っているように思える。

 しかし、違う。そんなことは関係がなかった。

アルドの直感が、この男はギルドナではないと強烈に訴えかけていた。

 男は歩みを止めようとしない。 

「……アルド……大丈夫だ。……全て、俺にまかせておけ」

「待て!お前……」

アルドが立ち上がろうとした、その時。

 古戦場跡全体が禍々しいオーラで覆われた。

 それまで漂っていた、無数の怨念の類ではない。

たったひとつの強大な力。

「アルド……お前は時に、ズレているのか、鋭いのかが、本当にわからなくなるな……」

近寄ってきた男が纏っているのは、全てをひれ伏せさせるような圧搾のオーラ。

「この禍々しい殺気!これまでとは比べるまでもないほどの強大な力……これこそが、魔獣王ギルドナ!」

 黄金色の髪,燃え盛る炎のような二本の角,たくましい腕に握られた禍々しい魔剣。威風堂々とした佇まい。

紛れもなく魔獣王ギルドナ、その人だった。

 ギルドナは持っていた剣を天にかざした。

 古戦場跡に漂っていた負の念が一本の剣の元に吸収されてゆく。

 すると、魔獣形態のラキトは見る見るうちに元の少年の姿へと戻っていった。前頭部に伸びていた鬼の角も額の中へと納まっていた。

 ひとしきり、周囲に立ち込める怨念を吸収しきったギルドナは、ラキトに向かって剣を一閃した。それを避けるように、ラキトを手なずけていた男は素早く後方へと飛び退いた。

その時、たち込めた白い煙が男の姿を覆い隠した。

 靄が晴れた後に現れたのは道化の姿をした魔獣の男。

 魔獣バロンだった。

「ギルドナ様……あなたが出てくる前に終わらせたかった。……今回の目論見は、残念ながら、完全に失敗に終わりましたね」

ラキトに掛けられていた首輪は、ギルドナの剣閃によって引きちぎられて地面に落ちた。

 アルドは気を失ったラキトの傍へ駆け寄って小さな体を支えた。

「やっぱり、最初に現れたのはバロンだったのか……と、いうことは……俺が偽物だと思っていたアルテナは本物で間違いなくて……最初から、剣に変えられてなかったってことか?」

「あれは精霊大剣とはなんの関わりもない、魔獣族の怨念が込められた魔剣だ。バロンは我が妹にその剣を握らせることで、その意識を乗っ取らせた。……そのことに関しては、アルド。お前も身に覚えがあるだろう?オーガベインに体を乗っ取られたことがあったはずだ」

「オーガゼノンと戦ったときのことか……」

「もっとも、怨念だけあって、完全には操れなかったようだがな。……そもそもだ。例え精霊大剣のレプリカだと思っていたとはいえ、鈍に輝きの剣を妹だと思っていたとは、いかなる了見だ?妹の力の大部分は精霊と連なるものだ。対して、暗黒大陸は精霊の力が希薄な場所だ。仮に、剣に変えられたとしていたならば、古戦場跡において鎮まりこそすれ、騒がしくなるはずがないのだ」

「確かにそうかもしれないけど……」

「もっとも、魔獣ではないお前には気づき辛い事柄ではあるかもしれんがな」

「すまない。俺がしっかりしていれば……」

「問題ない。妹に危害は加えられておらず、バロンの企みは潰えることになった。上出来ではないか。……あとは俺がやる。アルドは妹のことを守っていろ」

「ああ、もちろんだ」

 ラキトを抱えたアルドはアルテナの元へと向かった。

 剣を破壊した後、その場にうずくまったままのアルテナ。アルドが近寄ってきたことに気が付いて顔を上げた。その瞳には生気が宿っており、剣の怨念からは完全に開放されていた。

「アルテナ!よかった、正気に戻ったんだな!」

「ええ、なんとかね。心配かけちゃって、ごめんなさい。……剣を破壊したのはいいけれど……すぐには体が言うことを聞いてくれなくて……」

 アルテナの何気ないセリフ。しかし、アルドはその言葉に引っ掛かりを覚えた。

「どういうことだ?アルテナが剣を破壊した?……いや、確かに見た目はその通りだったんだけど……あれは、ラキトを覚醒させるために剣の怨念がさせたことだろ?」

「そうじゃないのよ。確かに、少しややこしい話よね。私に起こっていたこと……聞いてくれる?」

「もちろんさ」

「私ね……体の自由は利かなかったけれど……意識ははっきりしていたのよ?アルドたちのやり取りも見聞き出来ていたし、怨念の目的もわかっていたわ。……つまり、ラキトを古戦場跡におびき寄せて、魔獣形態としての力を呼び覚まそうとしていたことを感じていた。……私はそれを止めたかった。必死に訴えかけたけれど、それは伝わらなかった。唯一発することが出来たのは《古戦場跡には行っちゃダメ》ということだけ。すごく焦ったわよ?アルドったら、私の言うこと聞いてくれないんだもの」

「アルテナの様子がおかしかったしさ……そんな状態で、突然古戦場跡には行っちゃダメって言われたら、何かあると思うじゃないか?」

「それだけじゃないわよ?この場所に来た時もそう!乗っ取られて時間が経ったせいかはわからないけれど……私ね、少しは体の自由が利くようになっていたの。だから、必死に魔剣を破壊しようとしたわ。だから、そのことも必死に伝えようとしたの。《こっちに来ちゃダメ》《この剣は破壊する》ってね。でも、アルドったら聞く耳持ってくれないんだもの!」

「だってさ……アルテナが剣に変えられたかもしれないって思ったら……そりゃあ、止めるさ!」

「私の言ったことを、そのまま受け取ってくれたら良かっただけなのに!……いつも素直なのに、なんでこういう時だけ反対のことばっかりするの?」

「それを言われると……何故だろう?」

 詰め寄るアルテナに困惑するアルド。それを横で聞いていたギルドナが口を挟む。

「素直だからだろう?いつもとは違う妹だったからこそ、素直に疑い続けていたのだ。……実にアルドらしい」

「……褒められてはいないよな?」

「褒めてはいない。……だが良いことだ。俺にとってはな。……とてもわかりやすい」

 ギルドナは不敵な笑みを浮かべている。

 アルドは腑に落ちない感覚を抱きつつも、再度アルテナの方へ向き直った。

「とにかく、私は怨念に体を乗っ取られたんだけど、なんとか剣を破壊して正気に戻ることが出来たのよ。……後で、ラキトに謝らなくっちゃ……あの状況、悲しませることになるとは思っていたけれど……でも、ラキトが正気を失うことになったとしたら、絶対に私が止める覚悟はできていたわ……ただ、すぐには体が動いてくれなくて……」

「ギルドナに化けたバロンに、ラキトを連れていかれそうになった……」

「最初に現れたのが兄さんじゃないのはわかっていたけれど……」

「……そうなのか?」

「だって、しゃべっていることが兄さんらしくないんだもの。それにバロンとは別に、本物の兄さんの気配も感じ取れていたから……なんとかしてくれるって、安心はしていたわ」

「オーラの迫力で、改めて本物を実感させられたけどさ……そもそも、ギルドナがアルテナのことを心配しないなんてありえないもんな。一番初めに気に掛けるところだろ?」

「当たらずとも遠からず……と言ったところかしら?……本物の兄さんらしさは、後でわかるかもしれないわよ?でも今はそのことよりも……」

 アルテナは会話を打ち切って、ギルドナとバロンの方へと注意を向けた。アルドもつられるように二人の動向を見守る。

 ギルドナは軽々には動かない。堂々とした立ち振る舞いのまま、泰然と構えている。

「バロン。ここに至るまでの策謀の数々。相変わらずの手練だな」

「お褒めに預かり光栄の至りでございます」

「クンロン山脈では妖魔を利用して雪崩も起こしたようだな?」

「おあつらえ向き……というものでしたので」

「そして、怨みの念が漂う古戦場跡。……なるほど……魔獣を覚醒させるためには恰好の場所だ。しかし、そのような小賢しい真似……魔獣王たる、この俺の前では許さん」

「ギルドナ様……魔獣族の苦しみをわかっておられるはず。あの少年は魔獣再興のための切り札。彼に英才教育を施せば、あなたに匹敵するほどの逸材へと育つ可能性を秘めているのですよ?」

「手管が気に食わん!」

「全ては魔獣族を苦しみから解き放つためです。それがわからない、あなたではないはず……」

「魔獣族の永きにわたる苦しみ……数え切れないほどの悲しみ。……恨み……嘆き……怨嗟……慟哭……負の想い!そんなものは、この魔獣王・ギルドナが全て呑み込んでくれる!」

「魔獣族の負の想いのすべてを受け止めるというのですか……。心というものは、繊細なもの……些末な負の感情にさえ、容易に捕り込まれてしまうもの……。あなたは膨大な感情の奔流にさらされようとも……動じることがないというのですか……」

「それが魔獣王としての責務だ!復讐に囚われていたかつての俺には見えていなかったものがある。負の連鎖を超えた先にこそ、新たな魔獣族の進むべき道がある。……そのことを俺の身に沁みさせた者がいる……」

「魔獣族の中には、あなたがぬるくなったと揶揄する輩も多い。しかしそれは違う。あなた様の底知れぬ容量は更に広大で深淵なものへと膨れ上がっているようですね……」

 ギルドナとバロンは共に口を閉ざした。

 無言で互いの眼の奥を見つめている。

 ギルドナは流れるような仕草で剣を構えた。

「バロンよ。覚悟はできたか?」

「あなたの言う、その覚悟……私が出来ていないことは百も承知でしょう?」

 バロンが右手を振り上ると、後方に控えていたオーガドギーの群れが壁となって立ちふさがった。

「ギルドナ、加勢するぞ!」

 二人のやり取りを黙って見守っていたアルド。

膠着状態が解かれたことを見て、ギルドナの元へと駆け寄ろうとした。

「取るに足らん。アルド、妹を守っていろ」

「でも、こいつら……ただのオーガドギーじゃない!より血に飢えたブラッディドギーの群れだ!それに加えて《開放されし獣性》に《鬼殺しの狂犬》までいるじゃないか!」

「問題ない。これほどの戦力が必要であることがわかっているのだ。バロンの……」

 ギルドナが言い終える前に、ドギーの群れは鋭い牙をむき出しにして襲い掛かってきた。

 対するギルドナは、静かに集中力を高めており、魔力の奔流が体全体からあふれ出している。剣を固く握りしめ、ドギーの群れを目掛けて横一線に薙ぎ払った。

「ギャウキャウン!」

 噴き出した魔力の刃がドギーの群れを一掃した。

「……奴が、この場を立ち去るためにはな……」

一気に開けた視界。

 拡がる荒れ地に、バロンの姿はなかった。

《いずれまたお会い致しましょう……》

 不敵な笑みを思わせるセリフが風に乗って耳へと届けられた。

 地に伏せたドギーたちも、しっぽを撒いて散り散りに去っていった。

 ギルドナのたった一振りの斬撃により事態は収束した。

 古戦場跡に残ったのはアルド,ギルドナ,アルテナ,ラキト。

 アルドはバロンが去った方角を眺めながらギルドナの方へと歩み寄る。

「これでよかったのか?」

「奴には奴の行動原理がある。それを抑えつけることは、つまらないことにしかならない」

「持って回った言い方をするんだな……まぁ、ギルドナが構わないならいいけどさ……」

「……バロンうんぬんよりも、遥かに重要な問題が残っているのでな……」

 脅威は去ったはずだった。しかし、ギルドナの表情は緩んでいない。むしろ、表情の険しさは増していた。

「ギルドナ?」

 ギルドナはゆっくりと歩を進めてラキトの前で立ち止まった。

「貴様か?我が妹を手籠めにしたという輩は!」

「人聞きが悪すぎるっ!そんなわけないだろう?ちょっと、好意を持っただけっていうか……」

アルドがフォローするも、ギルドナは止まらない。

「我が妹と契りを交わすと宣ったそうではないか?……俺がそれを許すとでも?」

「えっと……いや、俺……」

 当のラキトは身がすくみ、動けないでいる。

 対峙するモノの全てを委縮させるかのような迫力に圧されている。

 ラキトは緊張に耐えかねて、徐々に後ずさりをする。その際、手にしていた真珠の首飾りを地面に落としてしまった。

 それは、ラキトが怨念に取りつかれたアルテナに渡しそびれたものだった。

 アルドは宿で首飾りを拾った後、アルテナが元気になった時に改めて渡せるように、ラキトへと返していた。

「なんだ、これは?」

 ギルドナが首飾りを拾い上げた。

「それ……俺がアルテナに……」

「……そうか、これが例の首飾りか……」

 ギルドナは魔剣の鋭い刃をラキトの首筋に当てた。

「貴様の首と、この首飾り……どちらが大事だ?選ばせてやろう……」

 ラキトは表情も視線もおぼつかない。刃を当てられた時もそれは変わらない。

 しかし、ギルドナの質問を耳にした時、不思議と体の震えがピタリと止まった。

しっかりとギルドナの眼を見返していた。

「どっちも大事じゃないやい!……俺が大事なのはアルテナだ!」

 ギルドナは静かに剣を納めた。

「……これを妹に渡したいのであれば、力ずくで俺から奪い取るんだな。……いつ何時,手段も問わん。好きな時に寝首を掻きに来るがいい。遠出から射殺そうが、毒を盛ろうが一向に構わん。……妹を欲するのであれば、我が屍を超えろ!……俺は、たとえ肉体が滅びようとも、怨・凶・呪・憎、全ての災禍の感情を抱き、永劫、絡みつくしてくれるわっ!……魔獣王を凌駕しろ!」

 ギルドナとラキトのやり取りをはらはらしながら眺めていたアルド。

 ギルドナが矛を収めたことで、ようやく胸を撫でおろすことが出来た。

「……ギルドナ……厳しすぎるだろ……」

「そう?私には、兄さんがとてもうれしそうに見えるわよ?」

 並んで眺めていたアルテナの横顔は、どこか楽し気に見えた。

「うん。まったく、わからないぞ……」

「さっき私が言ったこと、覚えてる?あれが本物の兄さんらしさよ。偽物のセリフと比べてみるとわかると思うけど……」

「えーっと……偽ギルドナ……バロンのことだろ?確か《妹を伴侶にしたいという心意気を試す》……だったかな?」

「それに対しての、本物の兄さん……私に関わる話題になると、いつも、あの感じなのよ……」

「……偽ギルドナ……優しすぎたんだな……」

「あれが兄さんの優しさなのよ。……ちょっと分かりづらいけどね?」

「……それでアルテナはどうするつもりなんだ?」

「さぁ?どうしようかしら?とりあえず、あの二人を見守るつもりよ?」

 アルテナはいたずらっぽく笑顔を浮かべた。

 古戦場跡にはつかの間の穏やかな風が流れている。

 そこに、しかめ面を解いたギルドナが近づいてきた。

「ギルドナ。あのやり取り……《魔獣王を超えろ》とかいうやつ……ラキトのことをそれなりに認めてるってことでいいのか?」

「そんなわけがないだろう。《超えろ》とは言ったが、そもそも超えさせる気など毛頭ありはしない」

「ずいぶんと無茶なこと……だよな?」

「無茶だと?ふん、アルド……お前がそれを口にするのか?」

「……なんのことだ?」

「俺は心の底から、あの小僧にアルテナを譲る気はない。しかし、そんなことは問題ではないのだ。《ダメだ!無理だ!》と言われようが、構わず前に突っ込んでくる奴。そういう奴ならば……見込みくらいはある」

「……それは、ずいぶんと高い壁、だよな?」

「俺が建てる壁などたいしたことはない。そんなものよりも遥かに高い壁に挑み続けているのが、アルド……お前だろう?お前は、周りに《無理だ!》と言われたら、振り上げた剣を素直に降ろすのか?」

「……いや、そう言われると、ずいぶんと無茶をしてきたかもしれないけどさ……」

「そういうことだ。そういうお前だからこそ……俺も今、共にいるのだ」

 ギルドナは一通りの講釈を終えた。

 その時と同じくして、離れたところで呆けていたままのラキトが、こちらの方へ駆け寄ってきた。

「俺、決めた!絶対、アルテナと結婚する!だから、そのために真珠の首飾りも取り返して見せるし、魔獣王(?)ってやつも超えて見せる!しかも、それだけじゃない!俺にはその先に、もっともっとでっかい野望があるんだ!」

 ラキトの力強い宣言に対し、ギルドナの眼が鋭く光る。

「ほう、面白い。貴様の野望とやら、聞いてやろう」

「おいっ、ギルドナ!あくまで、穏便に……」

 慌てるアルド。

 ラキトはギルドナの威圧に屈しない。

 小さな拳を固く握りしめ、満を持して決意を表明する。

「俺、アルテナと一緒に温泉に入るんだ!」

「…………」

 言葉を失う一同。

 古戦場跡に吹きすさぶ空っ風。

ギルドナの体が弛緩する。表情は固まったままだった。

「……アルド……黙ってないで、何か言え!……聞こえているのか……おい、アルド!」

「…………」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

魔獣少年ラキト @oountcho

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る