ガリアードとクンロン山脈

クンロン山脈。そこは万年雪で覆われた険しい山。

アルドは山を必死に登り、中腹付近までたどり着いていた。

「くそっ!ラキトは一体どこまで登っていったんだ?」

 ラキトはアルテナへ真珠の首飾りを渡しに行った。

 その際、二人の間でどのようなやり取りがあったのかは推測するほかない。

 結果、ラキトは涙を流しながら、ナグシャムの宿から飛び出してきた。そして、アルドのことを気にも留めずに走り去っていったのが、このクンロン山脈の方角だった。

 アルドは、先行してラキトの探索に当たっているヘレナを追いかける形で山道を進んでいる。

「道中、二人の気配は感じられなかった。だから、いるとするならば……もっと上……」

 開けた場所で山肌を見上げたアルド。

 ラキトはいた。

 辛うじて視認できるものの、声が届くか届かないかの距離にラキトはいた。

 ラキトは妖魔の群れに取り囲まれていた。

「ラキト……まずい!」

「……そうね、まずいわ」

 不意にアルドの耳へと飛び込んで来た、独り言への返答。

「ヘレナ!いつの間に!」

 ヘレナはアルドのすぐ横にいた。

「あなたが登ってきているのが見えたから降りて来たのよ」

「それはいいけど、ラキトがまずいことになっている!早く助けないと!」

「……落ち着いて。まずいのは、ラキト坊やが妖魔に襲われていることじゃないの……」

「どういうことだ?」

「彼、正気を失っているわ。妖魔に対してガムシャラに暴れている。……頭のところ……見える?……彼の角が増えているわ」

 ラキトの頭を注視する。

側面から伸びた二本の魔獣の角に加え、前頭部からはまっすぐに伸びた鬼族の角が新たに突き出ていた。

「あれが……バロンの言っていた……三本の角……」

「でも、他の魔獣族と違って、容貌や体型が大幅に変化したわけではないみたいね」

「ということは、あれは角が生えただけで魔獣形態じゃないのか?」

「わからないわ。彼、純粋な魔獣とは違うみたいだから、前例とは合わない可能性はあるわね……」

「この先……もっと、別の変化があるのかもしれないってことか……」

「でも、いまはそんなことを議論している場合じゃないわよ。私の通信回路を使って、次元戦艦で待つ仲間にも今の状況を伝えてはいるのだけれど……」

「でも、山裾から歩いて登ってくるにはどうしたって時間がかかる。それを悠長に待っているわけにもいかない!俺たち二人で周りの妖魔を退けながら、ラキトを正気に戻さないと……」

「もちろんよ。わたしたちで出来るだけのことはしましょう」

 空を飛べるヘレナが、いち早く救援に向かう。

 徒歩のアルドは雪道に足を取られてしまい、思うように近づくことが出来ない。

「くそっ!早く、たどり着かなきゃいけないっていうのに……」

 ヘレナは早々とラキトの元へと到着していた。

 ラキトをかばうように気を使いながら、妖魔を一体ずつ蹴散らしてゆく。しかし、ヘレナ一人では多勢に無勢で、徐々に押し込まれてゆく。

 それだけではない。

 正気を失ったラキトのぶちかましがヘレナの足に当たってしまい、態勢が崩れてしまった。

「くっ!ラキト!お前……」

 アルドはその様子を悲痛な面持ちで眺めることしか出来ない。

 ヘレナに向かって、妖魔たちが一斉に飛びかかる。しかし、反撃を試みない。傍にいたラキトの腕を掴んで引き寄せ、自らの体で覆いかぶさった。

 無防備なヘレナに容赦のない攻撃が加えられてゆく。

「まずい!ヘレナ!」

 アルドが声を上げる。

 同時に《オオォォー!》という獣のような咆哮が辺りに響いた。

 その声に弾かれるように、ヘレナに飛びかかった妖魔の群れが散り散りになった。

「……この声……ラキト……なのか?」

 小さな体格のラキト。ヘレナを片手で抱え上げて、妖魔の一団に向かって投げつけた。

 ヘレナの体は、妖魔を蹴散らしながら吹っ飛んで行く。毬が転がるように雪道を掻き分け、紫の機体は白色に埋もれてしまった。

 遮蔽物が無くなったラキトは大きく伸びをして、再び《オオォー!》と雄たけびを上げた。

周りを取り囲む妖魔たちは、ラキトの迫力に圧されておじけづいている。

「アルド!このままだと、まずいわ!山が哭いてる!」

 ヘレナの叫び声だった。雪を掻き分け、上半身だけは雪面に露出させることが出来たようだった。

「ヘレナ!大丈夫なのか?」

「残念だけど……下半身の機構が正常に駆動しないわ……」

「……それは、動けない……ってことだよな?まずいじゃないか!」

「そんなことより、山頂からの地鳴りが聞こえるの!雪崩が起きるわよ!」

「雪崩?」

事態は一気にひっ迫する。

 暴走するラキト。

動けないヘレナ。

加えて、アルド自身も身を守らなければならない。

「この状況……一体、どうすればいいんだ……」

 その時だった。

 山のふもとの方からモーターの駆動音が響いてきた。

 大きな黒い影が猛スピードで雪山を登ってくる。

 それは、眩いばかりの銀色の光沢を放つ漆黒の重装甲バイク。

 彼こそは、黒銀の鎧に身を包み長大な電子槍を携えた特殊機体の合成人間。

「ガリアード!」

「俺が行く!アルドはこれを使え」

 駆け抜ける一陣の風。

 ガリアードはアルドの傍で重装甲バイクを乗り捨てて、慣性の勢いで射出した電子槍の上に飛び乗ると、雪の上をスノーボードの要領ですべってゆく。

 アルドは山頂に目を向けた。

 白い雪の煙が立ち込めている。

 地鳴りはますます大きくなっていく。

 その時、ガリアードの傍。崩落と地すべりのせいで雪面が縦に裂けてゆく。

 危機を察知したガリアードは槍にブレーキをかけて止まった。

「ガリアード!時間がない!」

「……」

雪崩の音にかき消されて、アルドの叫び声が届かない。

 山に沿った裂け目の右側にはラキト、左側にヘレナがいる。

「おそらく、ガリアードがたどり着けるのは一方だけだ……」

 傷心により暴走してしまったラキト。彼は、結果として雪崩を引き起こしてしまった。

 身を挺して助けに入ったヘレナ。ラキトにぶん投げられて、身動きの取れない状態になってしまった。

 ガリアードにとって、最も大切な人であろうヘレナ。

「ガリアード……お前は……」

 雪崩はすぐそこまで迫ってきている。ガリアードの動向を見守ってから動いていては、おそらく間に合わない。

 今、アルド自身が決めなければならない。

「くそっ!どっちだ!」

 アルドはオーガベインに手を掛けた。

 剣に意識を集中させる。するとオーガベインの刃が立ち上る炎のように開いて巨大化した。

「頼むぞ!オーガベイン!」

 アルドは渾身の力を込めてオーガベインを放り投げた。

 行く末を見守っている余裕はなかった。

 アルド自身は重装甲バイクの陰に身を潜めて、雪崩に備えなければならない。燃え盛るエンジンに服を絡めて体を固定した。

 次の瞬間、雪崩の猛烈な激流がアルドを呑み込んでゆく。

 全身に叩きつけられる雪の衝撃。しかし、巨大な重装甲バイクが盾となり、雪面を滑り落ちてゆきつつもひっくり返ることはなかった。

 やがて、雪崩の勢いが収まった後、重装甲バイクの熱の助けもあり、無事に雪の中から抜け出すことが出来た。

 雪山には静寂が戻っていた。

「みんなは無事なのか?」

 アルドは滑り落ちて来た雪面を登ってゆく。縦に走っていた亀裂は、雪崩によって再び埋もれたようだった。

 白一色の雪面。

 しかし、進んでゆくと、雪面に突き刺さった刃が見えて来た。

 炎の揺らぎを模したかのような刀身。

 その陰に潜むように、紫色の機体が覗いて見える。

「ヘレナ!大丈夫なのか?」

「ええ、ありがとう。あなたのおかげよ」

「よかった、助かって。……ガリアードとラキトは?」

 アルドはそう言いながら周囲を見渡した。

 すると、近くの雪面の一角において、水蒸気が立ち上っている箇所が見て取れた。

「まさか、あそこにガリアードが?」

 熱によって緩くなった雪面がドカンとはじけ飛び、中からガリアードが抜け出してきた。

「ガリアード……無事だったか。ラキトも……」

ガリアードはラキトを救っていた。

今もなお、ラキトの体を屈強な腕でしっかりとつかんでいる。

「礼を言うぞアルド。よくぞヘレナのことを救ってくれた」

「たぶんガリアードなら……ラキトを救う方を選ぶかなって思ってさ」

 ガリアードはヘレナの方へ向き直る。

「ヘレナ、すまなかった。お前が危機に陥っているのにも関わらず、駆け寄ってやることが出来なかった……」

「大丈夫よ。私はガリアードを信じているもの。あなたが何を考えて、何を選択するのか、わかっているわ」

 ガリアードはラキトの胸ぐらを掴むと、自らの眼前にぶらさげた。

「わかるか小僧!皆の想いが!」

「ガアァ!グァアォオァ!」

 ラキトは未だに正気を失ったままだった。

 ガリアードに宙ぶらりんにされながらも、手足を暴れさせながら抵抗している。

「俺にとってはヘレナが全てだ。最も優先するべきはヘレナなのだ。それは、俺のヘレナへの想いよりも優先されるものだ」

 暴走したラキトの拳がガリアードの胸板をへこませる。しかし、ガリアードは微動だにしない。

「ヘレナは自分の危険を顧みずに他者を救うことを選ぶ。だから、俺は貴様を救ったのだ。貴様はヘレナの想いを身に沁みなければならない」

 ガリアードの怒りに満ちた言葉だった。

 今のラキトには聞こえていないであろう言葉。

 聞こえたとしても理解できないであろう言葉。

 それでもガリアードとっては、吐き出さずにはいられないであろう想い。

 アルドは、以前、ヘレナが体一つで次元戦艦を支えたことを思い出していた。

「確かに、ヘレナだったら自らを犠牲にすることも厭わないかもしれない。……でも、その想いを伝染させることを、ヘレナは望むんだろうか……」

 それでもアルドは、ガリアードの想いを否定することは出来なかった。

ラキトはガリアードのバイザーを蹴り上げ、膝関節に咬み付き、肩を殴って引きちぎろうとしている。ガリアードの機体は所々で火花を散らし、黒い煙を挙げ始めている。

 しかし、ガリアードは抗わない。自ら傷つくことを厭わない。

 ただ、グッと怒りを抑え込んでいる。

 そして、その怒りはおそらく、自身に向けられた行いに対してのものではない。

「たとえ何度、同じ状況が訪れようとも、俺は貴様を救うだろう。だが、俺は……自らが下したヘレナを見捨てるという選択を赦すことは出来ない!」

ガリアードはラキトの胸ぐらを掴んだ腕を天高く掲げた。腕がブルブルと震えている。

「くそがぁ!」

 ラキトを横一文字に全力で放り投げた。

「ラキト!」

 アルドが手を伸ばして受け止めようとするが届かない。

 ラキトが雪の上を勢いよく転がってゆく。

「いくら雪がクッションになるからって……さすがに、やりすぎだ!」

 ラキトが吹っ飛んで行く先には、新たに出来た亀裂による谷底が拡がっていた。

「あぶない!落ちるぞ!」

 ラキトの体が断崖に呑み込まれる寸前。

 ヘレナはいた。

 ラキトの体を固い両腕で優しくふんわりと抱え込んだ。

「ヘレナ!動けるのか?」

 アルドが急いで駆け寄ってゆく。

「飛ぶことは出来ないけれど……なんとか、歩けるみたい。……はい、アルド……あなたのオーガベイン。それと、この子の角……二本に戻ったみたいよ?」

 アルドはヘレナに促されて、ラキトの体を支えた。

 その頭に三本目の角は無かった。

 傷があるわけでもないし、折れたわけでもない。

 ただ、ふさがったような痕が見られた。

「角は頭の中に納まっているのか?」

「どうでしょうね?感情の昂ぶりによっては、再び現れたりするのかもしれないわね」

ヘレナはガリアードへと近寄っていくき、目の前で歩みを止めた。

 無言で腕を振り上げて、ガリアードの頬を引っぱたいた。

「感情的になるなんて、あなたらしくないわね?自分が何をしたのか、わかってる?」

「何も言うことはない。言い訳、出来ようはずもない……」

「次はないわよ……二度としないで」

 厳しさと優しさが同居したような口ぶりの中に、秘められた艶やかが感じられた。

「ああ、わかっている。……だが、今はただ、この頬の痛みを至上の幸福に感じている」

「……」

 アルドは無言で二人のやり取りを見つめていた。

その時、ガリアードが山の頂へと視線を向けた。

「……待て……一体いつからだ?山頂に、見慣れない妖魔がいるぞ」

 促されて見上げた視線の先。

 そこには青白く発光する炎雷の妖魔がいた。

「まさか、雪崩が起きたのはあいつのせいなのか?」

「なるほどな……全ては奴のせいか!……奴が起こした雪崩のせいで、ヘレナに危険が及んだということか!」

アルドの指摘にガリアードの怒りが再燃する。

「急いであいつを追い払わないと、また雪崩が起きるかもしれない!」

「……私に考えがあるわ」

 ヘレナは身に着けていた蛇腹状のパーツを鞭のようにしならせて天高く掲げた。

細長いパーツは、まるで避雷針のように空へと伸びた。

 すると、山頂付近にいた妖魔がヘレナの避雷針に誘われるように近づいてきた。

「これは、一体どういうことなんだ?」

 妖魔の不可解な動きに戸惑うアルド。

「驚いている暇はないわよ!後で説明するから、今はあの妖魔を撃退して頂戴!」

 ヘレナに諫められて、アルドは慌てて剣を手にした。

ガリアードも電子槍を振るって応戦する。

「ギニャァー!」

 二人は力を合わせて炎雷の妖魔を退けた。

「なんとか片付いたみたいだな」

 アルドは剣を納めて、人心地を付くことが出来た。

 気を失っていたラキトも、目を覚ましていた。今は、自らの足で立つことが出来ている。

 そんなラキトに向かって、ガリアードがしかめ面を浮かべながら近寄っていく。

「元凶である妖魔は排除した。知らぬとはいえ、お前に手荒な真似をしてしまった。申し訳ない」

 ガリアードは深く頭を下げた。

「違うっ!俺がこんな雪山まで来たのが原因なんだ!ごめんなさい!」

「だが、おれが過ちを犯したのは事実だ。不甲斐ないことだ……」

「そんなことないっ!俺……暴れていた間も、何が起きていたのかがなんとなくわかっていたんだ。ガリアードもヘレナも凄くかっこよかった。二人は間違いなく俺の憧れの人だ」

「……そうか。その言葉、ありがたく受け取っておく。お前はまだまだ成長盛り。これから先、心も体もより強くなっていくことだろう。……俺が今度、叛乱軍を組織する時には是非、ラキトにも参加してほしい」

 ガリアードがラキトに向かって手を差し伸べる。

 二人の不穏な様子を見て、アルドがたまらず間に入り込んだ。

「おいっ、ガリアード!なんか、話が物騒な方向に傾いてないか?」

 ラキトも笑顔でガリアードに答える。

「もちろん!俺、かっこいい乗り物に乗りたい!」

「魔獣と合成人間が組めば、いかなる勢力にも負けることはない。心強い限りだ」

 二人は固い握手を交わして、山道を下ってゆく。

「……いかなる勢力にもって……すごく限られると思うんだけど……いや、まぁ、仲良くなるのはいいことだけどさ……いいことなんだよな?」

取り残されたアルドの声が冷たい風に流されてゆく。

 二人の後に続くヘレナが振り返った。

「呆けてないで帰るわよ。これは、間違いなくあなたが繋いだ絆なんだから」

「とりあえず一件落着したようだから、安心はしているよ」

「ガリアードが蜂起したとしたら、その時に考えればいいじゃない?私としては簡単な話よ?彼についていくだけだもの。……今度こそ……ね」

「だから、それが不穏なんだよ!」

「不穏ついでにもうひとついいかしら?」

「不穏ついでって……なにか、悪い話なのか?」

「セントエルモの火って知ってる?」

「夜に航行する船に見られる現象なのだけれど……マストの先端が青白く発光したりするのよ?」

「へぇ、不思議なことがあるものなんだな?……でも、なんで突然、そんな話が出て来たんだ?」

「他にもね……山の上でも起こったりする現象なのだけれど、それには尖ったものが必要なの。でも、クンロン山脈の山頂はなだらかで、尖ったものはなかったはずなの……」

「クンロン山脈?あの火の妖魔と関係があるのか?」

「あの妖魔がセントエルモの火と似たような性質を持っていたとするのなら……人為的に山頂に尖ったものを設置することで、おびき寄せることが出来るのかもしれないわ」

「まさか、あの妖魔を山頂におびき寄せて、わざと雪崩を起こした奴がいるっていうことか!」

「可能性の一つとして、覚えていくといいかもしれないわね」

「そうか、覚えておくよ。それにしても、セバスちゃんやリィカもそうだけど……さすがのヘレナも博学だな」

「私がそのことを知っているわけはね……セントエルモの火には別名があるのよ?」

「別の違う呼び方があるのか?」

「……それはね……ヘレナ……よ」

「……火をつけたの……ヘレナじゃないよな?」

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