ヘレナとナグシャム

「……なぁ、アルド……俺たち、人込みの下……いつまでここ待ちぼうけてればいいのかな?……モグモグ」

「……うーん。どうなんだろう?もうちょっと待ってれば来ると思うんだけどな……モグモグ」

 アルドとラキトは横並びで行き交う人の波を眺めていた。

 二人が訪れたのは現代ガルレア大陸の北方部に位置する辰の国・ナグシャム。

 立っているのは街はずれにある飯店の前。

 名物のウシブタまんじゅうを片手に、流れてゆく人込みを眺めながら、手持無沙汰で佇んでいた。

「ラキトさ……俺たち、さっきから立ちっぱなしだし、ここ少し寒くないか?やっぱり、まほろばの湯で温泉に入っておけばよかったんじゃないか?」

「いつの話してるんだよっ?さんざん、逃げて,走って,歩いて、ここまで来たっていうのに、今更温泉の話かよっ?ってか、寒くなんかないよっ!それに、この饅頭……熱々だし……アルテナに持って帰ろうかな?」

「ああ、なるほど……宿屋でひとり待っているアルテナへのお土産……いいんじゃないかな?」

「……それにしても、遅くないか?待ち合わせの時間はとっくに過ぎてるじゃないか!……なんだっけ?本草学の達人のクニトモって奴がいるから、ここまで来たっていうのに!っていうか、なんだよ本草学って!」

「うーん。お医者さん?みたいなものだと思うんだけど……腕は確からしいし。……怪我とか風邪で熱が出ているんだったら街のお医者さんでもいいと思うんだけど……アルテナの場合は、そういうのとは違うようだからな……」

「それで、待ち合わせ場所は本当にここで合ってるのかよっ?いつまで経っても、それらしい人、現れないじゃんか!」

 怨丹ヶ原で魔獣バロンの襲撃から逃れて巳の国・イザナへとたどり着いたアルドとラキト。その際、ドギーの足止めをしていたアルテナと再会するも、謎の変調をきたしていた。

 二人はアルテナを街医者へと連れて行ったものの匙を投げられた。その後、ナグシャムに住むクニトモの噂を聞きつけた二人は、イナナリ高原を超えて紅葉街道へと至り、遠路はるばるアルテナを連れて来たのだった。

「……二人とも、こんなところにいたのね?ずいぶんと探し回ったわよ?」

 二人は呼びかけられた方へと眼を向けた。

待ち人の声ではない。

 訪れた人。それは流麗で穏やかな内面を模したかのような、紫色の金属の外殻が妖艶に光り輝く、特殊形態の合成人間だった。

「ヘレナ。来てくれたのか」

「イザナで次元戦艦が到着するのを待っていればよかったのに……北へ向かって移動し続けるから、いつまで経っても落ち合えなかったじゃない?」

「すまない。じっとしていられなかったんだ……実は……」

 アルドは合流したヘレナに一部始終を伝えた。

 説明の最中、ヘレナはずっと神妙な面持ち耳を傾けていた。

「……そっか。わたしも温泉に入りたかったわね」

「いや、第一声がそれなのか?」

 突拍子のない返答に戸惑うアルド。横で聞いていたラキトも目を丸くしている。

「ヘレナって温泉、入れたのか?俺、知ってるぜ?その硬い鉄の体って錆びちゃったりするんだろ?あぶないじゃんか」

「うふふ……ラキト坊やはずいぶんと可愛らしいことを言うのね?」

「ヘレナ……眼が笑ってないぞ?」

 アルドはラキトの発言にドギマギしてしまう。しかし、ラキトは止まらない。

「何言ってんだよ!へるめっとで眼なんか見えないじゃんか」

「あれはヘルメット……でいいのか?……それに、錆びるかどうかは、温泉の質にもよると思うんだけど……とにかく、ラキト……あんまり口を滑らせない方がいいぞ?怒られそうな言葉がひとつやふたつじゃないからな……。俺が言ってたら、たぶん、ただでは済まなそうな……」

「そもそも、錆びないわよ?アルド。あなたも、私のことをそんな風に考えていたの?それとも、私のことなんかに興味はないってことかしら?」

 アルドの発言に対し、ヘレナの声が急激に低くなる。

「……アルドさ……お前が一番、怒らせてないか?」

 寒空の下で一段と冷えた空気が周囲に流れ込む。

「……とっ、とにかくさ……アルテナの調子が良くないみたいだからさ……宿屋で休んでもらってるんだけど……」

 アルドは逸れた話題を慌てて引き戻す。

「その、クニトモってやつを待ってるだけってのも嫌だな……何かないのかな?他に、アルテナを元気づける方法……」

 ラキトが周囲をキョロキョロと見渡し出す。

 その時、街頭に響き渡る威勢のいい掛け声が耳に入ってきた。

「さぁさぁ、皆さま!連日盛況!好評開催中のガーネリ様・生誕祭において、今だけの限定品がお目見えだ!真珠をあしらった首飾りが満を持して大・登・場!期間限定の白点符の取り合いイベント!こりゃあ、やるっきゃないよな!一点ものだから早い者勝ち!こぞって参加してくれよな!」

 ラキトの眼が景品台に鎮座されている首飾りにくぎ付けになっていた。それは、大きな真珠一粒があしらわれた、細い黄金色の鎖の首飾りですっきりとした見た目のアクセサリーだった。

「あれだよっ!あれをアルテナにプレゼントして、元気になってもらおう!」

 ラキトは目をキラキラさせてアルドたちにまくしたてる。

「アルド……あなたたち、人と待ち合わせているんでしょう?あの子、すっかりやる気みたいだけど……止めなくていいの?」

「そうなんだけどさ……無理に止めて、ラキトまで元気をなくしちゃうのはまずいよなぁ……」

「そう……それじゃあ、決まりね。あの首飾り……私たちで全力で取りに行きましょう!」

 アルド,ラキト,ヘレナの三人は白点符を集めるために、催し物を回ってゆく。

一番乗りした者に多くの白点符が配られ、準じて逓減してゆく方式だった。

 三人は、岩砕き,砂袋打ち,大鐘つき,食材探しと順調にこなしてゆく。

 その中で、アルドたちの他にも首飾りを求めて、イベントを周っているらしい一行がいることに気づく。

 和装で腰に刀を差したサムライらしき二人組。

 ひとりは白髪の老翁で、もうひとりはラキトと同じくらいの背丈をした少年だった。

「おいっ!お前も、あの首飾りを狙っているのかよっ?」

 ラキトは催し物の順番待ちで隣り合ったタイミングで、少年剣士に声を掛けた。

「お前、誰だよ?妖魔みたいな見た目しやがって。俺の邪魔するな」

「妖魔じゃない!俺はラキト。れっきとした魔獣だ!お前こそ、なんていうんだよ?」

「俺はリンタロウ。普賢一刀流の使い手だ!」

「その、なんたらかんたら流の奴が、なんで首飾りなんか要るんだよっ?いらないだろっ!」

「いつも道場の外で俺の稽古を見守ってくれているお姉さんに渡すんだ!可憐で美しくて気品あふれる麗しい剣の使い手!凛とした佇まい!あの白くて綺麗な飾りは、絶対、お姉さんに似合うと思うんだ!」

「お前、ねぇちゃんがいるのか?」

「ホントのお姉さんってわけではないけど……」

「お前、そのねぇちゃんのことが好きなのか?」

「はっ?何、言ってんだよっ!そんなことっ……そんなことっ……」

 ラキトの質問にリンタロウはドギマギしている。

 二人の会話を横で聞いていたアルド。リンタロウの言葉が気になり、思わず口を挟む。

「すごい褒めっぷりだな!普賢一刀流にそんな女の人がいるのか……ちょっと、会ってみたい気もするな……」

「おい、アルド!お前、どっちの味方なんだよっ!」

「いや、味方とかそんなつもりじゃないんだけどさ……強い人って聞いちゃうと、どうしても気になっちゃうだろう?」

「今は首飾りの方が大事だろっ!リンタロウ、お前っ、白点符……どれくらい集めたんだよっ?」

 ラキトに促されたリンタロウは懐から両手いっぱいの白点符を取り出した。

「こんなところかな?そういう、ラキトはどうなのさ?」

「うっ……俺か……」 

ラキトはリンタロウの白点符を見て思わずひるんでしまった。そして、ばつが悪そうに取り出した白点符の束はリンタロウのものよりも小さかった。それを目にしたリンタロウはニヤリと笑みをこぼす。

「なんだい?まだ、それくらいかな?このままいけば、景品は俺のものさ!」

「くそっ!まだまだ、これからだ!残ってる催し物は、俺が一番になってやる!」

「負けないよ!」

 景品の行方は一騎打ちの様相を呈していた。

 そうして、二人が並んで待っていた種目マルタナグールの順番が来た。

 己の身体能力で、次々と現れるマルタを撃破してゆく競技。

ラキトとリンタロウは横並びで二人同時に《マルタナグール》をスタートした。

ラキトは最初から全力でマルタにぶつかってゆき、一本一本を確実に倒してゆく。

 対するリンタロウは、腰に差した刀に手を掛けたまま、身動き一つしようとはしない。

「勝てない勝負だと思って、最初から捨てているのか?がっかりだぜ」

 横目で様子を伺っていたラキトは、余裕の笑みを浮かべながら軽口を叩いた。

 しかし、当のリンタロウは気にも留めていないかのように、反応を示さない。

「なんだよっ!ふんっ!面白くもねぇ」

 ラキトはイラっとして、目の前のマルタを殴る手を止めてしまった。

 その時、閉じていたリンタロウの眼がパチッと見開いた。

次の瞬間、目の前の五本のマルタがグラリと揺れて、同時に倒れた。

「なんだよ、それ……リンタロウがマルタを倒したところ……ぜんぜん見えなかった……」

 ラキトは驚きを隠せないでいる。

 リンタロウはラキトに構うことなく、再び刀に手を掛けて目を閉じる。

 戸惑うラキト。その様子を心配したヘレナが背中近くまで寄ってきた。

「大丈夫よ、ラキト。あなただって、負けていないわ。落ち着いて、全体を眺めるように集中して、一気にぶつかってゆくの」

「ヘレナ!うん、わかった!俺、やってやるっ!」

 ラキトは改めてマルタへと向き直り、渾身の力でぶつかってゆく。

 それと同時に、後方で待機していたヘレナの腕が光り輝き、紫色の光をマルタへ向けて浴びせかけた。

 目の前の五本のマルタはいとも簡単にグラリと倒れた。

 マルタは次々に現れる。

 リンタロウは目にも止まらぬ刀さばきで、ラキトとヘレナは体当たりと紫色の光線でなぎ倒してゆく。

 時間いっぱい。

 マルタを倒した本数。

 リンタロウ・三十本。

 ラキト・三十一本。

 ラキトの勝ちだった。

「よっしゃ!勝ったー!」喜ぶラキト。

「……負けた……」落ち込むリンタロウ。

 離れて見ていたアルドは、その光景を複雑そうな表情で眺めていた。

「……ヘレナ……見つからないように上手くやってたんだろうけど……でも、これ……どう考えても反則だよな……」

「野暮なことは言いっこなしよ?」

 ヘレナは口に指を当てて、発言を控えるように促した。

 そんな二人の元にラキトが駆け寄ってきた。

「ヘレナ姉さん!すっげーよ!超かっこよかった!俺、憧れます!空も飛びたいし、びーむも出したい!弟子にしてください!」

 ラキトの意外な言葉に、アルドは素直に驚いていた。

「ラキト、お前……気づいていたのか?……でも、弟子って……いやいや、無理だろ!」

 それに対し、ヘレナはいたずらな笑みを浮かべている。

「この勢いで、次も勝つ!」

 ラキトは喜び勇んで、次の種目間違い探しの館の前まで来た。

「やば……これ……俺の苦手な種目かも……アルド、何かアドバイス、くれないか?」

 建物の前まで来たラキトは弱気な様子でしり込みしている。

「アドバイスかぁ……正直、俺も体を動かすことの方が得意だからなぁ……」

 アルドも困り顔で曖昧にしか答えることが出来ない。

 そこに遅れて、リンタロウ一行もラキトたちのもとへと追いついてきた。

「さっきは負けたけど、今度の勝負はもらったよ。この競技で大事なのは集中することさ。落ち着いて、全体を眺めて目に焼きつける。俺の通う道場では一日二時間の座禅瞑想が日課でね……集中することは得意中の得意さ」

 ラキトは、悠々と進んでゆくリンタロウの後に続いて、覚えるための部屋へと入ってゆく。

 アルドとヘレナは部屋の前で待機する。

「部屋の中にあるモノを当てて、別の部屋の物と違うところを当てていくんだろ?ラキトの奴、大丈夫かな……。ヘレナはどう思う?……ヘレナ?」

 アルドは呼びかけに応じないヘレナを横目で伺った。

「……ええと、何かしら、アルド。ごめんなさい……ちょっと、聞いていなかったわ」

「うん、いいんだ。それにしても、ヘレナが上の空なんて珍しいな。……まぁ、心配になるのも無理はないか。俺たちにできることは応援することくらいだしな」

 少しの間を置いて、部屋から二人が出てきた。

 落ち着いた様子のリンタロウに対して、ラキトはわかりやすく落ち込んでいた。

「だめだ、全然おぼえらんない……もう覚えてないや……」

 自信喪失のラキト。そこへヘレナがそっと近寄った。

「自分の意思で集中力を高めるためには地道な訓練が必要だから、今のラキト坊やには難しいことかもしれない……でも、あきらめないで、最後まで頑張るのよ」

 ヘレナはラキトの両手を取って励ました。

「おう!俺、頑張ってくるよ!」

ラキトは顔を上げて返事をすると、リンタロウの後に続いて、間違いを探す部屋の中へ入っていった。

 しばらくして、部屋の中から案内人の威勢のいい声が響いてきた。

「全問正解!……勝者……ラキト!」

「ええっ!嘘だろう?」

 想いも寄らない結果に驚くアルド。しかし、すぐにハッと気が付いてヘレナの方を見た。

「何かしら?アルド」

「ヘレナ……ひょっとして、何かしたのか?」

「最初の部屋で扉が開いたときに、その中の様子を記録しておいたのよ。そして、そのデータの入った小さな端末をラキトに渡したの。次の部屋でその端末を使うと、変化のあった場所がわかるのよ」

「……いや、だからさ……さっきのもそうだし、今のも反則だと思うんだけど……」

「ア・ル・ド?わかっているわよね?」

 ヘレナは穏やかな口調に少しの威圧感を忍ばせる。

 ラキトはそんな灰褐色の空気を吹き飛ばすような勢いで、間違い探しの部屋から飛び出してきた。

「白点符!沢山、貰って来たぜ!」

 ラキトの白点符は手に収まらないほどの量になっていた。それはリンタロウの持っていた白点符とほぼ互角の量だった。

「二人とも、最後に残っているのは猫レース。つまり、これに勝った方が首飾りを手に入れることが出来るってわけだなっ!」

 意気込むラキト。

「俺は勝つよ。最後には必ず勝って見せるさ」

 リンタロウは落ち着いた雰囲気を纏ったまま、ラキトの宣言を受ける。

 一行は緊張の面持ちでレース会場へと向かった。

 猫レース。

それはシンプルな一直線の箱庭コースの中で行われる。しかし、走るのは気まぐれな猫たち。その中から一着でゴールする猫を選ぶことはなかなかに難しい。

「このレース、普段はエントリーしている猫の中から勝てそうな仔を選ぶんだけどさ……ここ一番の勝負……俺、ヴァルヲに託してみようと思うんだけど……」

「ここの猫ちゃんたち、レース参加者がそれぞれ持ち寄った仔たちだから、それもありだと思うわよ。……それで、肝心のヴァルヲは?」

ラキトの提案を受けて、ヘレナが周囲を見渡している。

「あれ、どこに行ったんだ?俺、ちょっと、探してくるよ」

 アルドは少しの間だけレース場を離れたが、すぐにヴァルヲを連れてきて合流した。

エントリーを終え、レースのスタート地点にスタンバイする猫たち。

リンタロウは凛々しい姿の茶色い猫の前で固唾を呑んで見守っている。

落ち着いている猫たちが多い中、当のヴァルヲは体をブルブルと震わせていた。

「ヴァルヲ……そういえば、おこわがりなんだっけ……」

「いや、頼むよヴァルヲ!お前だけが頼りなんだ!」

 焦るラキトをよそに、スタートの合図が無情にも鳴り響いた。

 猫レースが開始された。

 勢いよく飛び出す猫。マイペースで歩き出す猫。

 そんな中、ヴァルヲはその場に寝転んでしまい、まったく動こうとはしない。

「やばい!ヴァルヲ、全然動いてくれないぞ!」

「うーん。……突然連れてきて……いきなり参加させられて、ちょっとかわいそうだったかな?」

 ドギマギするラキトと同情するアルド。対照的な二人がそれぞれの思いを抱いてヴァルヲを見守っている。

「アルド!なんとかならないのか?このままじゃ、ヴァルヲ負けちゃうよ!」

「さすがの私も、猫を一位にする方法なんて思いつかないわよ?」

 ラキトもヘレナも成す術がないようで、アルドを頼るように懇願してくる。

「うーん。でもなぁ、ここは正々堂々……」

「そんなこと言ってる場合かよ!ヴァルヲがなめられてもいいのかよっ!猫の気持ちになって考えてみろよっ」

「……まぁ、それを言われたら……わからなくもない……のか?」

「いいから、俺たちのヴァルヲをなんとかしてくれよっ!」

「……くそっ、仕方がない!」

 それまでの反則行為に見て見ぬふりをしてきたアルド。

「あら?ラキトのため,ヴァルヲのため……ようやく動く気になったのね?まったく、アルドらしくないわね?」

「……それは、どっちのことを指してるんだ?動いたことなのか?動こうとしなかったことなのか?」

「……ご想像におまかせするわ?そんなことより、ほらほらアルド。時間、ないわよ?」

 ヘレナに促されて、アルドは慌てて荷物を漁り出す。

「何か、ヴァルヲが好きそうなもの……色々な種類のカマス……マタタビ……ほのかに暖かい煮干し……」

「いや、ダメだよ!猫の好物なんかちらつかせたら、他の猫も寄ってきちゃうだろっ!」

 取り出したものをラキトは即座に却下してゆく。こうしている間にも時間は刻々と過ぎ去ってゆく。

「ええっと……それじゃあ、ヴァルヲの気を惹けそうなものを……」

赤紐の鈴に赤色の風呂敷。赤い頭巾にアダニャスひげ。

「それ……猫装備……でも、ヴァルヲが好きで身に着けてるんだったら……」

「違う、違うんだ。えっと……きっと……奥の方に…………これだ!」

アルドが最後に取り出したものは白い画用紙だった。

畳んでしまってあったものを大きく広げる。

そこには黒い線が乱雑にぶちまけられていた。

「……アルド……それ……なんだよっ?ミミズとムカデとゲジゲジが折り重なっているような絵は?」

「失礼だなっ?ヴァルヲのガールフレンド!三毛猫のシモーニさんだ!」

「……猫?」

「驚くなかれ!バルオキーの超レアなオスの三毛猫・ランジェロとヴァルヲが熾烈な取り合いを繰り広げるほどの、美猫さんだ!つやつやな毛並みとキラキラな瞳。清楚でおしとやかな気配り上手。それがシモーニさんなんだ!」

「……うん、全然、わかんない……残念だけど、絵心が……。でも頑張れば、タコとクラゲが踊り狂っているようには見えてきた……かも?」

「このキュートなお目々と凛々しいお耳がわからないのかっ?」

 アルドは憤慨しながら、広げた紙を傾けたりひっくり返したりしてヴァルヲの方へと向けている。

「おーい、ヴァルヲ?ヴァルヲー?ほーら、シモーニちゃんだぞ?こっちだ、こっち!」

「ルール違反とか関係なく、ヴァルヲ……まったく反応してないんだけど……」

「まったく、世話がやけるわね……」

 ヘレナがため息をつきながら、アルドの掲げた紙に何やら紫色の光を当てた。すると、黒い線の描かれた紙の上にリアルな猫の映像が現れた。

「シモーニって、この仔でしょう?」

「おおっ、凄いな!正に本物のシモーニと見紛うばかりじゃないか!」

「前にバルオキー村に寄ったときに記録したものなのだけれど……まさか、こんなことに使うことになるなんて思ってもみなかったわ」

 紙に浮かんだシモーニ。

それを見たヴァルヲははじけるように飛び上がり、アルドへ向かってまっしぐらに駆け寄ってきた。

 他の猫たちをごぼう抜きにする、ぶっちぎりのゴールだった。

「やったぁー!いっちばーん!これで白点符もダントツ!首飾りは俺のものだぁー!」

「……うそだろ?……負けた?」

 飛び上がって喜ぶラキトと、肩をガックリと落とすリンタロウ。

 ラキトはリンタロウに目もくれず、景品所へと走ってゆく。

 手に入れた大量の白点符を得意げに広げて、首飾りを指さした。

 しかし、受付の人の表情が硬い。雲行きが怪しくなっている。

「こちらの白点符の獲得において、不正が確認されたため失格となります」

 ラキトにとっては急転直下の宣告たった。

「そんなぁー!」

 がっくりとうなだれるラキト。それをアルドは複雑そうに見つめる。

「……うん。……これは、仕方がない……かな」

 シュンと気持ちが沈みこんでしまった二人。その後ろからキュイーンと機器が駆動する甲高い音が聞えて来た。

 アルドが振り返ると、そこには紫に光り輝く手をかざしたヘレナの姿があった。

「おいっ、ヘレナ?何か、物騒なこと考えてないか?」

「大丈夫よ。全て焼き尽くしてしまえば、すっきり解決よね?首飾りは消し炭の中から探し出しましょう?」

「大丈夫じゃない!そんな首飾り、アルテナが喜ばないだろ!」

「そう?私はうれしいわよ?尽くしてくれればくれるほど、喜びも大きくなるものじゃない?」

「そうなのかっ?……いや、難しいことはよくわからないけど……とにかく、いったん落ち着いてくれ!」

「……仕方ないわね……」

 ヘレナはしぶしぶと矛を収めた。

 そんな中、ラキトの元へリンタロウが近寄ってきた。

「罰が当たったようだね。汚い真似をするからさ」

「ふんっ!ちくしょう!持ってけよ!」

「それなんだけどね……不正があったとはいえ、僕が負けたことも事実。見たところ、君はなかなかに腕が立つみたいだ。ここは、直接仕合って勝った方が首飾りを手に入れる……ってことでどうだい?」

 リンタロウの提案にラキトはパッと顔を上げた。

「面白い、やろう!情けを掛けられたとは思わない。遠慮もなしだ!全力で取りに行ってやる!」

「決まりだね」

 ラキトとリンタロウは開けた場所へと移動して互いに向かい合った。

 アルドとヘレナはその様子をじっと見守っている。

「ヘレナ、大丈夫か?まさか、また陰で……」

「男と男のぶつかり合い。それを邪魔するのは、さすがに野暮よね?」

 リンタロウは流れるような仕草で木刀を真正面に構えた。

 ラキトは腰を下ろして体全体で飛びかかる隙を伺っている。

 周囲の動きが止まる。

 空気の流れも凪のように収まっている。

「……ふにゃー」

 ヴァルヲの気が抜けた鳴き声が合図となった。

 ラキトがリンタロウに向かって飛びこんでゆく。

 リンタロウはそれに合わせて木刀を振り下ろす。

 ラキトの肩を重い木の刃が直撃した。しかしラキトは止まらない。

 ラキトのぶちかましが炸裂し、リンタロウはたまらずダウンした。

 ラキトは片腕をぶらりと垂れさせたままで、再びリンタロウへ向かって構えを取った。

「真剣で来い!次は、お前の喉元を食い破ってやる!」

 ラキトの呼びかけに反応して、リンタロウもゆっくりと立ち上がった。

木刀を地面に投げ捨てて、腰に差した真剣に手を掛けた。

「俺の一閃……見極められるか?」

リンタロウの小さな体から放たれる迫力が大きく膨れ上がっていく。

「……見えない一閃。俺が捉えてやる!」

静謐が場を支配する。

 そんな中、ヴァルヲのシッポがファサッと揺れた。

 ラキトがリンタロウを目掛けて、渾身の力で持って突撃する。

 しかし、二人はぶつからなかった。

 アルドがラキトの前に立ちはだかって、体を張ってぶちかましを静止した。

「アルド!邪魔するなよ!」

「これ以上は無理だ。我慢できなくなったヘレナが暴走しかねないんだ。……それに……」

 飛び込んだのはアルドだけではなかった。

 リンタロウと共にいた老翁もアルドと同時に飛び込んでおり、真剣の柄が抜けないように押さえこんでいた。

「師匠!なんで止めるんですか?」

 リンタロウにとっても不本意な静止だったようだ。

「冷静さを失ってはいかぬ。それは自らを見失うことであり、未熟であることの証左。未熟者に刃を抜かせるわけにはいかぬよ」

 アルドはリンタロウ達のやり取りを伺いながらラキトの方へ向き直る。

「向こうもああ言っていることだし、勝負はここまでだろ?」

「でも、そうしたら……首飾りが……」

「それは、残念だけどさ……そもそも、俺たちがナグシャムまで来た目的を忘れていないか?」

「そうだよっ!クニトモとかいうおっさん!そいつと待ち合わせてたんじゃないか!早く見つけないとっ!」

 ラキトは慌ただしく周りの人達のことを気にし始めた。

 その時、不意にしゃがれた声で呼び止められた。

「急くことはない。クニトモとかいうおっさんならば、ここにおるぞい」

 それはリンタロウと行動を共にしていた老翁だった。

「えっ?……あんたが、本草学の達人とかいうクニトモだったのか?」

「まぁ、貴殿らが依頼人であることは察しておったんじゃがのう……わっぱ達の切磋琢磨する姿についつい見惚れてしもうた」

「そういうことなら話は早い。今すぐ、宿で休んでいる、俺たちの仲間のことを診てほしいんだ」

「無論じゃ。さっそく参ろうかのう」

 かくして、アルド一行はアルテナの待つ宿へと向かった。

「大人数で押しかけても迷惑だろうから、俺たちは外で待っているよ」

 アルドたちは宿の前で待機することにして、クニトモが一人で中へと入っていく。

 そんな中、ラキトはジッと待っていることが出来ず、道端を右往左往していた。

 その様子を眺めていたリンタロウがたまらず声を掛ける。

「ラキトさ……お前が首飾りを欲しがっていたのって、この中にいる人に渡すためなのか?」

「……だったら、なんだよ!言っておくけど……情けはいらないぞ!」

「……」

 リンタロウは言葉を返さない。真剣な目でラキトを見つめていた。

 一行が待機していた時間はさして長いものではなかった。

宿から出て来たクニトモに一行の視線が集まる。

「儂が診たところ、魔獣族の娘御に悪いところはどこにもない。体の熱,瞳,心の臓やその他の内腑にも淀みは見られん。いたって健やかな娘さんじゃったよ」

「そんなはずはない!どこか悪いはずだ!ちゃんと診てくれよ!」

 クニトモの言葉にラキトは憤慨した。

「儂にできることはなにもなさそうじゃ……すまんのう……」

「くそっ!なんだよっ!あんた、名医だったんじゃないのかよっ!」

 興奮冷めやらずにがなりたてるラキトと神妙に受け止めるクニトモ。そんな二人の間にリンタロウが割って入った。

「なぁ、……これ、やるよ」

 リンタロウは手に入れたばかりの真珠の首飾りを差し出した。

「だから、何度も言ってるけど……情けは……」

「掛けるよ。お前に拒まれたからって、関係ないさ。情けは掛ける。だって、俺だって、もし、道場のお姉さんの調子が悪くなったらって思うと、胸の中が苦しくなる。俺にできることならなんだってしたいと思う。同じなんだ」

 ラキトは首飾りをむしるようにつかみ取った。

「くそっ!礼は言わないぞ!」

「それに、俺はお前と決着を付けられなかったことにずっと腹が立っているんだ。そして、今、首飾りまで取られてしまったさ。この怨み……忘れない。次に会った時にかならず晴らしてやるさ。だから、お前も忘れるな」

「もちろんだ。次はきっちりと決着をつけてやる。約束だ!」

 いつのまにか、二人はがっちりと握手を交わしていた。

 その様子を眺めていたアルドは胸を撫でおろしていた。

「なんとか丸く収まったみたいで安心したよ」

「ふふふ……熱いわね。私は好きよ?こういうの」

 ヘレナも口角を上げて微笑んだ。

「時に、そこの御仁。貴殿の抱くその剣。いわくつきの品かと見受けられるが?」

 クニトモがアルドのオーガベインを指している。

「これか?魔獣族の剣というか……普通ではないことは確かだけど……」

「世の理は恒河における沙の如く。魔獣,妖魔,精霊……おいそれとは計り知れぬものよ」

「んんん?どういうことだ?」

「魔獣の娘御の傍らの剣にも……それと似た、不穏なものを感じたのでのう……」

「それって……アルテナがいつの間にか持っていた、あの剣のことか?」

「もっとも、一介のジジイにとっては、それ以上のことはわからぬがの……」

「そっか、ありがとう」

 こうして、ラキトとリンタロウの邂逅は一応の閉幕を見る。

固い約束を残して、リンタロウは去っていった。

 残されたラキトは首飾りを片手に、アルドとヘレナの元へと駆け寄ってきた。

「俺、この首飾り、アルテナに渡してくるよ。……ついてくるなよ」

「いや、俺たちも……」

「ええ、行ってらっしゃい。私たちはここで待っているわ」

 ラキトの後に続こうとしたアルド。ヘレナはそれを遮った。

 ラキトは一人で宿の中へと入っていく。

 再び道端で待機するアルドとヘレナ。

「なんで、止めるんだ?アルテナの様子、気になるだろう?」

「私たちがいたら、恥ずかしくて首飾りを渡せないでしょう?」

「そういうものなのか……でもなぁ……」

「……まぁ、なるようになるわよ。私たちは見守るのがいいんじゃない?」

 しばし流れる、静かな時間。

 静寂は、勢いよく開け放たれた扉によって破られた。

 中からラキトが飛び出してきて、アルドたちに目もくれずに走り去ってしまった。

「ラキト!おい!ラキト!」

「……あの子、泣いていたわね……」

「あの感じ……放っておくわけにはいかないな!」

「あっちはクンロン山脈の方ね……私が追いかけるわ!アルドはアルテナの様子を見に行ってくれる?」

「わかった!こっちが済んだら、俺もすぐに追いかけるよ!」

 アルドは急いで宿屋の階段を駆け上がり、アルテナがいる部屋へと飛び込んだ。

「アルテナ!今、ラキトが宿屋から出ていったけど、何があったんだ?」

 アルテナは部屋の真ん中で棒立ちだった。相変わらずの無表情で、アルドのことを見ているのかどうかもわからない。

アルテナの足元には、ラキトが渡したらしい真珠の首飾りが放置されていた。

黄金色の鎖がちぎられており、真珠もはずれてしまっている。

「……古戦場跡には行っちゃダメよ」

 アルテナは一言だけつぶやいた。

「……」

アルドは、しばらくの間、その場に立ち尽くすことしかできなかった。

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