魔獣少年ラキト

@oountcho

アルテナと怨丹ヶ原

「……なぁ、アルド……俺たち、この寒空の下……いつまでここに突っ立っていればいいのかな?……モグモグ」

「……うーん。どうなんだろう?もう少しだとは思うんだけどな……モグモグ」

 アルドの横で愚痴をこぼしている、魔獣の少年・ラキト。

 待ちぼうけの退屈さに耐えかねて、ボソボソとごちる頻度が増してゆく。

 二人がいるのは、現代ガルレア大陸の南方に拡がっている、怨丹ヶ原の端っこ。

 まほろばの湯から少し離れた道の傍。

 甘辛タレのかかった紅葉団子の串を片手に、ゆっくりと流れてゆく雲を眺めながら、手持無沙汰で佇んでいた。

「今更だけどさ、温泉の入口に置いてある長椅子に座って待っていてもよかったんじゃないか?」

 ボーっとしながら、何気なしにつぶやいたアルド。

「やだよっ!なんか、水の音とか聞こえてきちゃうだろ!そんなヘンタイみたいな真似、できるかよっ!」

軽く投げかけた言葉だったが、当のラキトは顔を紅くしながら語気を荒げている。

「そっ、そうか?……さすがに、それは考えすぎじゃないか?」

 ラキトは頑としてその場を動こうとはしない。

 アルドも否応なしに、道端で地蔵のように佇む少年の横で、草のさざめく様子を眺めていた。

「……二人とも、おまたせ。ごめんなさい。結構、待たせちゃったかしら?」

 そう言いながら、アルドたちの元へ近寄ってきたのは、見目麗しい魔獣の娘だった。

「アルテナ。もういいのか?もっとゆっくりしていても良かったのに……」

「ふふっ。あなたたちをいつまでも放っておけるわけないでしょ?」

魔獣王女アルテナ。その身に精霊の力を宿した魔獣族の姫。

 赤みを帯びた茶褐色の髪が、しっとりとした湿り気を含みながら、陽の光を受けて艶やかにきらめいている。

 アルドに微笑みで答えるアルテナは、続けて横を向いたままのラキトの方へと視線を移した。

「ラキトも大丈夫だった?退屈じゃなかった?」

「お、おう。もちろん、大丈夫だ」

 背筋をピンと伸ばしたラキトは視線を真正面に拡がっている草むらへと向けたまま、ぎこちなく答えを返す。

「温泉、すごく気持ちよかったわよ。ラキトも一緒に入ればよかったのに……」

 アルテナのその言葉に、目を見開いて反応を示したラキト。ギッと鋭い目つきでにらみつける。

「何、言ってんだよっ!そんなことできるわけないだろっ!ふんっ、俺、先に行ってるぜ!」

 ラキトは捨て台詞を残して、怨丹ヶ原の中をいかるがの里の方へと進んでゆく。

「おーい。ひとりで進むと危ないぞ!」

 アルドの注意の声もなんのその。ラキトはあっという間に見えなくなった。

「うーん……。ラキトの気分転換にでもなればと思ったんだけれど……残念。……失敗しちゃったみたいね……」

寂しそうに微笑むアルテナ。

「いや、無理もないことだと思うけど……アルテナと一緒に温泉ってのは、さすがに恥ずかしくて断るしかなかったんじゃないか?」

「そう?別に私は構わなかったのに。同じ魔獣族として、仲良くしたいじゃない?」

「まぁ、その気持ちはアルテナらしくて、凄くいいと思うけどさ……。こういうのは、少しづつ近づくのがいいんじゃないか?」

「彼、親御さんがいないから……それでも、ガルレア大陸の厳しい環境の中で生き抜いてきた。……仕方がないことだけれど……だからこそ、今は、私がなるべく見守っていたい。……そう思うの」

ラキトは現代のガルレア大陸で育った魔獣の少年。

 物心ついたとき、両親はすでに亡くなっており、魔獣のいない大陸においてたったひとりで生き抜いてきた。

 魔獣王の妹であるアルテナは、そんなラキトのことを常に気にかけていた。

「だから今日もいかるがの里を訪れて、そのついでに、まほろばの湯まで遠出してきたんだろ?」

「いかるがの里って、魔獣たちが住んでいるコニウムと似ているじゃない?」

「ああ、確かに。鬼族の里ののどかな雰囲気……コニウムと同じような空気感があるよ。さっき、一緒に里の中を周っていた時、二人とも楽しそうだったもんな」

「ラキトと一緒の《いかるが観光》。私が言い出したことだしね。もちろん楽しかったし、ラキトにとっても楽しめてもらえていたようで、とてもうれしいわ。ラキトはこの広大なガルレア大陸の中で、他の魔獣たちと接することのないまま過ごしてきた。ラキトには他の魔獣たちのことを知ってもらいたいし、仲良くしてもらいたい。そのために、出来る限りの事をしていきたい……」

「アルテナが魔獣たちのことを大切に想っている気持ち……とてもよく伝わってくるよ」

「あら?私は、アルドの気遣いにもちゃんと気づいていたわよ?あえて、会話に入ってくることもなくて……ずっと、一歩引いて見ていてくれたじゃない?」

「……まぁ、俺は何かあったときのための助けになれるかもしれないと思って、二人についてきただけだからなぁ……」

「ふふっ。頼りにしているわよ。ボディーガードさん?」

「ということで、だ。……あんまり、ラキトと離れないうちに追いかけよう。怨丹ヶ原の魔物には凶暴な奴らも多い」

「アルドも知っているでしょう?彼、ちっちゃくてもなかなかやるのよ?」

「でも、あいつ……結構、無鉄砲なところがあるからなぁ。……心配だよ」

 アルドとアルテナは一人で突っ走っていったラキトを急いで追いかける。

 子供の足とはいえ、そこは戦う力を持っている魔獣。元々の身体能力は高い。放っておけばどこまでも進んでしまうかもしれない。

「どうやら、地面に争ったような跡はないみたいだな」

「妖魔と出会っても戦わずに避けるようにする。そう、決めていたじゃない?ラキトもそこのところは、わかってくれてると思うわよ」

「でも、そういうことなら……足止めされてない分、遠くの方まで……」

 アルドはアルテナへの返答を言いきらなかった。

 ラキトは思いのほか近くにいた。アルドたちに背を向けたまま、立ち止まっている。

「ラキト、よかった。すぐに追いつけた」

 アルドが胸を撫でおろしたのもつかの間。視線はさらに先へと向けられる。

 ラキトは一人ではなかった。

 こちらを向いている魔獣がいた。

「こんなところに、なんで魔獣が?」

 アルテナが素直に驚きを表している。

「アルテナも会ったことのない奴なのか?」

「ええ、知らない顔よ。そもそも、この大陸で魔獣を見かけること自体、珍しいもの……」

 ラキトと魔獣の間の空気が張り詰めていた。

 ただごとではない緊張感が漂っている。

 ラキトも魔獣も微動だにしない。

 そんな中、魔獣の後方から、更に別の魔物が飛び出してきた。

 目にも止まらぬ速さでラキトの横を駆け抜け、返す刀で再び魔獣の後方へと戻ってゆく。

「魔獣だけじゃない!オーガドギーまで……」

 アルドの中で警戒感が跳ね上がった。

オーガドギー。

血気盛んな魔獣たちが引き連れている魔物。

対峙した物の全てを引き裂くような、鋭い殺気を放っている。

 オーガドギーに飛びかかられたラキトは、態勢を崩して身を縮こまらせた。

「くそっ!なんだよ、お前!突然、何するんだよ!」

 ラキトは右手で左の肩口を押さえつける。そこからはジワリと赤い血が滲みだしていた。

「ラキト!」

 アルドが大声で呼びかけながら、ラキトの元へと駆け寄ろうとした。

 しかし、それよりも早く、アルドの脇をアルテナが抜け出して魔獣の前に立ちはだかった。

「あんたら、いい度胸じゃない!魔獣が同族の魔獣を傷つける……そんなことして冗談ではすまされないわよ!その狼藉、もちろん私が魔獣王女と知ってのものでしょうね?」

 激昂した啖呵。

 しかし、当の魔獣はアルテナの威嚇になんの反応も示さない。

魔獣は血迷っているわけでも、正気を失っているわけでもない。ただ冷静にラキトの姿だけを見据えている。

「ふーん、そう?標的はあくまでラキトであって、私のことは目に入らないってわけ?舐められたものね?」

 自らのことを意に介さない魔獣に対し、アルテナの瞳に燃えるような怒りの炎が盛ってゆく。

 持っていた弓を構えて、ギリギリと弦を引き絞る。

 そんな一触即発の雰囲気を見て取ったアルド。

自らの体を盾にするように、憤るアルテナの前に割って入った。

「アルド、どいて!」

「ダメだ、アルテナ!この状況……なにがなんだか、まるでつかめていないけど……とにかく、魔獣同士で争わせるわけにはいかない!とりあえず、今はあの魔獣から離れるんだ!ラキトを連れて、いかるがの里まで走ってくれ!そこまで行けば、さすがに里の中までは追ってはこないはずだ!里で待機しているはずの次元戦艦にも乗り込める。俺がこいつらの足止めをしているうちに……早く! 」

「……確かに、アルドの言う通りかもしれないわね……」

 悔しそうに弓を握りしめるアルテナだったが、ラキトの方をチラリと見た後、弓射の構えを解いた。

 その時、それまで動きのなかった魔獣がゆっくりと腕を振り上げて手でラキトの方を指し示した。

「………」それは、無言の合図。

 後方で待機していたオーガドギーが身をかがめて力を溜めた。

「来るぞっ!」

 アルドの叫び声と同時だった。

 巨体を収縮していたオーガドギーが、ラキト目掛けて飛びかかってきた。

 金属の苦みを含んだ腐臭をまき散らしながら、頑強な顎を目いっぱい広げつつ、鋭利な剥き出しの牙を獲物目掛けて突き立てに掛かる。

 一筋の剣閃がそれを阻む。

 アルドの抜いた刃が、オーガドギーの牙にがっちりと咬み合わさった。

 眼前まで迫ったオーガドギーの口から漏れ出る血の匂い。しかし、アルドはそんな威圧をものともせずにオーガドギーの巨躯をはじき返した。

「ここを通すわけにはいかない!」

 アルドのそんな決意をくみ取ったアルテナが身を翻してラキトの元へと駆け寄った。

「アルド!ここはまかせるわ!」

「もちろん、喜んで承るさ!せっかく、二人のボディーガードとしてついてきたんだ。少しは役に立たなきゃな!」

「頼りにしているわよ!」

「少ししたら、隙を見て追いかけるよ。そのためには、一人のほうが動きやすい」

「ええ、信じてる。行くわよラキト!」

 アルテナはラキトの手を取って、いかるがの里へ向けて走り出した。

 アルドは迫りくるオーガドギーの攻撃を器用にいなしてゆく。ちらちらと後方を気に掛けながらアルテナ達の逃げる時間を稼いでゆく。

「そろそろ、二人の姿も見えなくなったかな……」 

 アルドも、機を見ていかるがの里の方へと退避を始めた。

「……アルテナたち……無事に、里まで辿りつけたかな……」

 アルドはひとり呟いた。しかし、その期待はすぐに霧散することとなる。

 前方に見えてきたのは、立ち往生するアルテナとラキトの背中だった。

 魔獣の手は既に回っていた。

 別のオーガドギーの群れが、いかるがの里への道を塞ぐように立ちはだかっている。

 時折、飛びかかって来る襲撃をアルテナがラキトをかばいながら防いでいる。

「アルテナ!大丈夫か!」

 アルドもすかさず加勢に入るが、群れの数が多く、オーガドギーの勢いを止めることだけで精いっぱいだった。

「このドギーの数……これを掻い潜って里までたどり着くのは無理みたいね……」

 魔獣に憤っていたアルテナだったが、無謀な突撃は思いとどまっているようだった。

「まずいぞ!ここでグズグズしていたら、さっきの魔獣が追い付いてきて、挟み撃ちになってしまう……」

「アルド……残念だけど、もう遅いみたいよ?」

 振り返ったアルテナの視線を追うと、既に魔獣は目と鼻のさきにまで迫ってきていた。

「くそっ!どうするっ!無理をしてでも里の方へ突っ込むしかないか……」

「この手際の良さ……どうやら、ただの魔獣ではないみたいね……」

「ただの魔獣じゃない?」

「アルド……里の方のドギーを見張っていてもらえる?あの魔獣には私が当たるわ。……大丈夫よ。いきなり攻撃を仕掛けたりはしないから」

 アルテナは警戒しながら、悠々と迫ってくる魔獣を見据えて立ちはだかる。

「あなたのその狡猾さ……一体、何者なの?正体を現しなさい!」

 アルテナの言葉に呼応したのか、それまで頑なに沈黙を守っていた魔獣に動きがあった。 足元から白い煙が立ち込めて、魔獣の姿を覆い隠してゆく。

「ふふふ……魔獣王女アルテナ様。さすがの勇敢さに感服いたします。……さすれば、こちらも礼を尽くすと致しましょうか……」

煙の中から現れたのは、道化師のような飄々とした出で立ちと雰囲気を纏っている、一人の魔獣だった。

 アルドはその姿に見覚えがあった。

「お前は、バロン!ドギー連れのバロンか!」

魔獣バロン。

 他の魔獣たちとつるむでもなく、独自の行動原理で動く男。それだけに、意図を読みづらい。むしろ、自らの思考を極力悟らせないために、虚実を織り交ぜて行動している節がある男。

「ふん。なんだその妙な肩書は?オーガベインを携えし人間よ。お前に用はない。引っ込んでいてもらおうか……」

 アルドに興味を示さないバロン。

 その様子に顔をしかめたアルテナが、場を制するように前へと歩み出た。

「アルド、大丈夫よ。ここは、私が……」

「アルテナ様。できることならば、あなたにも引っ込んでいていただきたい。おとなしくしていていただけるのであれば、一切の危害を加えるつもりはありません。私は、美しいあなたが歪むさまを見たくはないのです」

「あら、ずいぶんな言い草ね?それで礼を尽くしているつもりなのかしら?」

「もちろんです。私は自らを他の魔獣の姿へと変えることのできる術を習得しております。しかし、素直に姿を現した。それは、他でもない。あなたさまへの敬意を示すためのもの」

「相変わらず、口は達者なようね。それで、私たちの前に現れた目的は何?」

「私の興味は、そちらの少年にございます」

 バロンは後方に待機していたラキトの方を見やった。

「……俺?」

 突然の注目に驚きを隠せないラキト。

「名はラキト。両親に関しての記憶は一切無し。このガルレア大陸において、一人で生きてきた稀有な魔獣。……私はそのような噂を聞きつけ、こちらまで駆けつけた次第でございます」

「答えになっていないわね。問題はその先。私はあなたの目的を聞いているの。仲間であるはずの魔獣族に攻撃を仕掛けたのはなぜ?」

「それを答える前に、こちらからひとつお伺い致しましょう。あなたは、その少年のことをどこまで知っておられますか?」

「何が言いたいの?ラキトは一人っきりでも強く生き抜いてきた魔獣の誇り。そんな素晴らしい子に私は出会えた。そして、私にできることを考えた。それは、他の魔獣たちと馴染めるように寄り添っていくこと。それだけよ!」

「やはり、思った通りだ。あなたは少年の秘めた可能性には気づいておられないようだ」

「秘めた可能性?なんのこと?」

「その少年。純血の魔獣ではございません。ガルレア大陸に住まう鬼族との混血児にございます」

「えっ?」

 アルテナはバロンの言葉に驚いて、ラキトの顔を見返した。

 アルドもつられてラキトの姿を改めて見直した。そして、いかるがの里でのラキトの発言を想い返していた。

《俺、ここ好きだなぁ。すごく良い匂いがする。一日いたら暇で死んじゃうけどな》

 そんなことを言っていた。

 いかるがの里は鬼族の里。ラキトは本能的に自分のルーツを感じ取っていたのかもしれない。しかし、それはあくまで直感的なもの。ラキトの外見は頭の側頭から伸びた二本の角が示しているように、魔獣族そのものといった風貌をしている。

「……?」当のラキトも戸惑いの表情を浮かべるばかりだった。

 そんなアルドたちの驚きをよそに、バロンは穏やかな物腰を崩すことはない。

「もっとも、優性遺伝なのかは知りませんが、見た目は魔獣寄りのようですね。しかし、親心というものは名前には如実に反映されるものです。……ラキト。いい名前じゃあありませんか……」

「……名前?ラキトはラキトでしょう?そこに、何か意味があるっていうの?」

「ラは網目の意。転じて、古より《国》という意味を持ちます。もしくは、魔獣界隈では魔道器にそのような言葉を使ってもいる。つまりは魔獣。キは当然、鬼族そのものを象徴しています。トは《戦う》。彼はそのような宿命を帯びて生まれてきたのです」

「そんなのこじつけじゃない!」

「こじつけついでにひっくり返してみましょうか?《トキラ》すなわち《時をあまねく》。時代を超えてその名を轟かせる存在。ひょっとしたら、魔獣王様を凌ぐ存在になるかもしれませんよ?」

「バカなこと言わないで。そんなの、他人の勝手な重圧を押し付けているだけじゃない!」

「ほう?あなたは親御さんの想いや願いを否定されるおつもりですか?」

 バロンの指摘にアルテナの顔がしかむ。

「……そうじゃないけれど……行き過ぎは良くない……でしょう」

「ところが、彼には純然たる素養が備わっているのですよ。名前に込められた裏の意味。それは《ラキト》のアナグラム。そのことが意味するところは《三本の角》」

「三本の角?」

 アルテナは振り返って再びラキトの姿をまじまじと見つめる。

「いっ、いやいや、そんなに見るなよ。角は二本だけだって。アルテナと一緒だよ!」

 ラキトは必死に訴えかける。そんないたいけな姿にアルテナはハッとする。

「そんなつもりじゃないのよ。ごめんなさい、ラキト」

 二人の間に気まずい空気が流れる。しかし、バロンは感情の変化の機微を気にも留めずに説明を続ける。

「魔獣族と鬼族のハーフというものはとても珍しい。つまはじきになることを恐れた親御さんは直接的な名前を付けることをためらったのでしょう。だから、一見しただけではわからないような意味づけを成した。名前というものは言霊です。込められた想いというものは存外、強いものですよ」

「バロン。あなたがラキトのことを詳しく調べ上げていることはわかったわ。でも、そこまで興味を持っている彼に対して、何故こんなにも荒っぽい真似をするの?冗談にしてはいたずらが過ぎるんじゃない?」

「珍しい個体であろうとも、それだけで魔獣族を担わせるに足るか否かはわかりません。それなりの障害を乗り越えられないようでは、残念ながら、私の見込み違いと言わざるを得ない。これは、彼が成長するための試練であるとお考え下さい。その上で、私がその少年を一人前の魔獣へと育て上げます。そのために、彼の身柄をこちらに渡していただきたい」

「それで、取り返しのつかない事態になったらどうするつもり?」

「そのような結末を迎えることになったのならば……私の興味が魔獣の少年からは離れる。……それだけのことです」

「……そっか……そうよね。……個体……個体ね。……所詮、その程度の興味ってことよね……少し見ないうちに、ずいぶんと偉くなったものね?」

 アルテナは鋭い目つきでバロンを見やる。語気が強まり、トーンが低くなる。

「魔獣王様の尻ぬぐいをしなければいけないからですよ?……おっと、失礼。すべては魔獣族の復興のためです。可能性を見つけたらそれを模索し、無くなったならば新しい道を探る。それが最善の方法であると存じております」

「そんなこと、ラキトとは関わりのないことよ」

「アルテナ様。これはあなたの見据えているものとも一致しているはずです。少年を私に預けた方が合理的であるわかっているはずでしょう?」

「そんなこと関係ないのよ」

「あなたは冷静に思案し、正しい判断をするべきです。今のあなたの行いは無思慮で非合理で非効率で不分別だ。魔獣族の未来を本当に考えているのであれば、答えはひとつしかありえません。選ぶべき道は決まりきっているはずです」

「関係ないって言ってるでしょう!私が!私の想いが、ラキトを渡してはいけないって騒いでいるの。その想いが私のことを突き動かしている。何が正しいかは私が決めるのよ!答えなんて決まりきっている!ラキトは渡さない……絶対に渡さない!」

 アルテナの瞳に力が宿る。

「ふぅ。仕方のない人だ。まぁ、予想通りの展開……と言っておきましょうか」

「アルド!お願い!ラキトのことを守ってあげて!私がこんなことろにまで連れ出したせいで、彼を危険なことに巻き込んじゃった。ラキトが傷ついてしまったら……私は、私のことを許せなくなる!だから、お願い!」

 アルテナの必死な想いが願いとなってアルドの胸に叩きつけられる。

「……アルテナ」

「それに……ここからはラキトにとって、ちょっぴり刺激が強いかもしれないもの……ひょっとしたら、ラキトは私から距離を置きたいと思ってしまうかもしれない……正直に言うと、それがとても怖いの……」

 アルテナの表情が寂しさで陰りを見せる。

「まさか、アルテナ……精霊の力を?」

「でも、いいの。私のことは……今は、ラキトの事だけを……」

「……わかったよ。ラキトのことはまかせてくれ!でも、アルテナも決して無理をしないでくれ!」

 アルテナは強い決意を込めて前を向く。

「私は全ての魔獣たちを愛している。目の前で、何人たりとも見捨てたりはしない!」

 アルテナは光を放ちながら姿を変えてゆく。

 魔獣天使ジオ・アンギラス。それはアルテナの魔獣形態。以前はフィーネの力を取り込むことによって変形した。今は一人でも変形ができるようになっていた。

 バロンはオーガドギー達へ指示を出す。そろりそろりと獲物を品定めするようにジオ・アンギラスを取り囲む。時折、威嚇を繰り返し、飛びかかる隙を伺っているようだった。

 アルドは歯を食いしばりながらジオ・アンギラスに背を向けた。

「いかるがの里への道はふさがれている!向かうのは巳の国・イザナだ!」

「アルテナを置いていくのかよ!」

 躊躇するラキトを半ば強引に走らせる。

「アルテナはきっと大丈夫だ!今は全力で走るんだ!決して、振り返っちゃいけない!」

 アルドとラキトはイザナへ向けて駆け出した。

 そのさなか、一瞬間だけ視界の端にジオ・アンギラスを捉えた。

 ジオ・アンギラスの攻勢。魔力の波の奔流が渦となって、オーガドギーの群れを一掃した。しかし、油断は出来ない。どこからともなく、次々とオーガドギーたちが集まってきている。

「アルテナ……」

 アルドは前だけを見つめて走り続ける。

 幸い、道中において二人を遮るものはなかった。

 妖魔たちも魔獣の気配を察知してか、なりを潜めているようだった。

 やがて、アルドたちはイザナの城門を通り抜けることに成功する。

 そして、ようやく腰を下ろして一息を付くことが出来た。

「……アルテナ、大丈夫かな?」

少しして、息が整ったらしいラキトがボソリとつぶやいた。

「きっと、大丈夫さ。アルテナは強いんだ」

「……アルテナ、俺の事……アレって言ってたよな。……俺も、アルテナのこと……アレだし……」

 妙に歯切れの悪い口ぶりだった。

「……何のことだ?なにか言ってたっけ?」

「……だからさ……アイシテル……みたいな!……絶対、渡さないって言ってくれたよな?それって、ソウシソウアイって奴だろ?」

 アルドはラキトの言葉に目を丸くする。空を見ながら、バロンとアルテナのやり取りを思い出す。

「……うーん。まぁ、確かに……そんな風なことを言っていた気もしなくもないけれど……あれは、そういう意味かもしれないし……違うかも……どうだろう?」

「なんだよ!ごちゃごちゃ、はっきりしないなぁ!俺、決めた!」

 ラキトは勢いよく立ち上がる。

「……ラキト?」

「アルテナと合流して……無事に次元戦艦までたどり着いたら……そしたら、俺、アルテナと結婚するんだ!」

「……」

 アルドは口をポカンと開けて、呆気に取られた。

「おい!人の一大決心だぞ!なんとか言ってくれよ!」

「……何と言うか……あまりに、突然のこと過ぎて……どうなんだろうな……」

 返答に窮するアルドにラキトは業を煮やす。

「だから、アルテナを早く助けなきゃ、だろ!」

「確かにそれが先決だな」

「それで、これからどうすればいいんだ?」

「次元戦艦はいかるがの里に停泊している。なんとか、こちらの事情を察知してもらって、迎えに来てほしいところだな……そうすれば、アルテナを助けに向かうことが出来るんだけれど……」

「そんなの……来てくれるかどうかもわからないのに!のんびりしている場合じゃないだろ!」

「うーん。その他に良い手があればいいんだけれど……」

 アルドは有効な手立てがないか、思考を巡らせる。

 ラキトも落ち着かない様子でその場をウロウロと歩き回っている。

 二人は悶々と悩み続けていた。

 その時だった。

 イザナの城門の外。

 怨丹ヶ原の拓けた原っぱの向こうに人影が見える。

「おい、アルド!あそこ!」

 人影はこちらへ向かって、徒歩でゆっくりと近づいてきている。

「あれは……アルテナ?無事だったのか!」

見えるのはアルテナらしき人影がひとつ。バロンやオーガドギーが追いかけてくるような気配はない。

 ラキトは喜びを全身で表すように飛び上がった。いてもたってもいられずに、走ってアルテナを迎えに行く。

「よかった!無事だったんだ!アルテナ……俺……俺……」

「……」

 アルテナはラキトの呼びかけに答えなかった。

「……アルテナ?」

 ラキトはその様子に気圧されて、先の言葉が続かなかった。

いかるがの里ではとても楽しそうに会話を交わしていた二人。今は、大きくて高い壁が二人の心を隔ててしまっているかのようだった。

 アルテナはラキトに見向きもせずにイザナの城門を通り抜けた。

「アルテナ?見たところ大きな傷はないみたいだけど……さすがに疲れたみたいだな……ゆっくりと休もう」

「……」

 アルテナはアルドの呼びかけにも反応しない。どこか虚ろで、心ここにあらずといった佇まいで、二人に意識を向ける様子がなかった。

 加えて、先ほどと変わった点がもうひとつ。

アルテナは見慣れない一振りの剣を手にしていた。

「その剣はどうしたんだ?」

 アルドの問いにアルテナは答えない。

 その代わりに口にした言葉があった。

 つぶやくようにささやいた一言。

「……古戦場跡には行っちゃダメよ」

「えっ?」

 アルドは咄嗟の反応が出来なかった。

 脈絡がない。

 アルテナはイザナの街の中へと入ってゆく。

「……」

アルドはアルテナの後姿をじっと見つめていた。

 アルテナの手からダラリと下げられた剣が、鈍く歪んだ光を反射させていた。

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