第5話

三階と四階を繋ぐ踊場に咲桜さんは立っていた。

窓の外から入ってきた暖風が彼女の髪をなびかせている。

そのシルエットがとても美しく、純粋に綺麗だと思ってしまった。

想いを伝える勇気などない癖に。


「春人くん、どうしたの?」


咲桜さんは不思議そうに僕の方を見ている。

心地よく全身を満たしていくようなその声は僕をすぐさま夢心地にさせた。

このまま溺れていたいと本気でそう思った。

でもそういう訳にはいかない。


「咲桜さんって三年生だったんですね。知らなかった」


「えー、知らなかったの!」


咲桜さんは普段のように大きいリアクションで反応を示した。

僕の中にはある不安があった。

この幸せな時間は終わってしまうかもしれないという不安が。


「卒業した後の進路とかって…」


僕がそう問いかけようとした時、彼女が遮るように言った。


「卒業したら、夢を叶えるために東京の方に行こうと思ってる。」


僕の淡い、甘い想像はいとも簡単に打ち砕かれた。

咲桜さんはさっきとは一転して、真剣な眼差しをこちらに向けていた。

優しさをはらんだその瞳に僕は吸い込まれそうになった。

彼女は続けた。


「自分で納得できるまで、こっちには戻ってこないかもしれない。だからさ…」


咲桜さんは今まで見せたことのないような表情をしていた。

頬は淡く赤らんでいて、唇には薄い笑みが浮かんでいる。

彼女の極端な表情ばかりを見ていた僕にとってその表情は新鮮だった。

すると彼女は続けて言った。



「だからさ、私のこと繋いでおいてくれてもいいいんだよ」



咲桜さんの口から出た言葉に僕は動揺と喜びを隠さずにはいられなかった。

心臓が飛び出そうなほどに躍動し始める。

咲桜さんが僕と同じ気持ちだったなんて。


しかしそれと同時に、あの時の苦い記憶が段々と僕の心を侵食していった。

来るな来るなと自分に言い聞かせたが、まったく意味をなさない。

気づけば、その記憶に僕は支配された。



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