第16話 嵐の拳

修行場にしていた滝から離れたレノは帰り路の途中、川原に存在する大きな岩を発見した。その岩の前でレノは試しに拳を握りしめ、修行で身に付けた「嵐拳」を繰り出す。



「これぐらいの岩なら手ごろかな。よしっ……はあっ!!」



十分に拳に魔力を練り上げると、手元に小規模の竜巻を作り出し、それを拳に纏わせた状態で岩に向けて叩き込む。その結果、拳が岩に触れた瞬間に手元に纏っていた竜巻が拡散し、渦巻のような亀裂が岩に走った。その様子を見てレノは驚いた顔を浮かべ、今度は限界まで魔力を込めて叩き込む。



「よし、今度は思いっきり……だあっ!!」



拳を先ほどよりも強く握りしめた状態でレノは魔力を練り上げると、先ほどよりも勢いを増した竜巻が手元に発生し、岩に叩きつけた瞬間に強烈な衝撃が走る。その結果、レノよりも大きな岩は砕け散ると前方に瓦礫が吹き飛び、近くに生えていた樹木が巻き込まれて折れてしまう。


その威力を見てレノは冷や汗を浮かべ、凄まじい勢いで流れる滝の水を吹き飛ばす程の力があるので相当な威力はあると思ったが、まさかこんな大きな岩を吹き飛ばす程の威力があるとは思いもしなかった。レノは半ば冗談で赤毛熊にも通じる攻撃法を身に付けたのではないかと思っていたが、この威力なら本当に赤毛熊にも通じる可能性はあった。



「あいててっ……くそ、拳を痛めた」



しかし、割と強い勢いで二度も岩に拳を叩きつけたせいで痛めてしまい、痛めた拳を摩りながらもレノは帰路へ着く。大分時間帯も遅く、もう夕方を迎えようとしていた。



「ううっ……やっぱり、寒いな。久しぶりに肉が食いたいけど、この寒さだと赤毛熊でも冬眠してるだろうな……」



特訓を終えたレノは山小屋へと戻る途中、風が強くなったの感じ取り、身体を震わせる。一応はボアの毛皮で作り出した防寒具を身に付けてはいるが、今年はいつも以上に寒く、山の中の殆どの獣は冬眠状態に入っていた。こうなる事を予測して冬が訪れる前に十分な食料を確保して冬を過ごすのが基本なのだが、レノの場合は寒い冬の日でも毎日のように外に出向いていた。


獣は滅多に見かけないので狩猟に出向いても意味があるのかと思われるが、レノの場合は特訓のために毎日外を出歩き、訓練に励んでいる。それに時々ではあるが冬眠から寝ぼけて目覚めた獲物も見つかる事があるため、それらを狩って土産に持って帰るとダリルが喜ぶ。一応は冬が訪れる前に食料は保管しているが、やはり新鮮な肉も偶には食べたいのだろう。



「義父さんも最近は年のせいか動きも鈍ってきたしな、少しでも義父さんの分まで頑張らないと……お、この足跡はボアか!?」



山道を歩いている途中、レノはボアの足跡と思われる物を発見し、慌てて足跡を追う。ボアを狩猟すれば肉は食べる事が出来るし、毛皮などは防寒具の良い素材となる。余分に余った素材は村に持ち込めば買い取ってくれるため、狩人としては見過ごせない。



(こっちの方に続いているな……あれ、でも負傷してるのか?)



足跡を追いかける途中、レノはボアの足跡の他にも血痕が混じっている事に気付き、疑問を抱く。ボアが負傷させられるほどの相手などこの山には限られており、嫌な予感を覚えたレノは追跡を辞めて引き返そうとした時、近くから悲鳴が上がる。



「ガアアッ!!」

「フガァッ……!?」

「うわっ!?」



近くの茂みからボアの巨体が吹き飛び、その後から赤毛熊が現れるとボアの頭部に噛みつき、力ずくで噛み砕く。脳にまで牙が届いたのかボアは地面に倒れ込み、しばらくは痙攣していたがやがて動けなくなる。一方でレノの方は唐突に現れた赤毛熊を見て焦りの表情を抱く。



「赤毛熊……!!」

「グゥウッ……!?」



ボアの頭部に噛みついた状態で赤毛熊はレノに視線を向けると、ボアの頭部から牙を引き抜き、口元にボアの血液を流した状態で向かい合う。まさか赤毛熊とこのような状況で遭遇するとは思わず、レノは即座に戦闘態勢に入った。


どうやら冬眠から目覚めた赤毛熊がボアを襲ったらしく、偶然にもレノはその場に居合わせてしまったらしい。ボアの足跡を見つけて他の魔物の警戒を怠っていたレノはため息を吐くが、今はこの状況をどう切り抜けるのかを必死に考える。



(落ち着け、焦るな……前の時とは違うんだ、冷静に対処すればどうにかできる)



赤毛熊と対峙したレノはあまりの迫力に怖気づきそうになる自分自身を落ち着かせ、子供の頃は必死に逃げるしか出来なかった相手だが、今は武器も装備しているし前よりも付与魔術の技術も磨かれた事を思い出す。一方で赤毛熊の方は空腹の状態に現れた新しい獲物に対して咆哮を放つ。



「ガァアアアッ!!」

「くっ……このっ!!」



目の前で両腕を広げて威嚇を行う赤毛熊に対してレノは無意識に後退り、その様子を見て赤毛熊は一歩踏み出して腕を振りかざす。しかし、その行動を確認したレノは体勢を屈めると右手を振りかざし、手元に「竜巻」を作り出して地面の上の雪を振り払う。



「はあっ!!」

「ッ……!?」



腕を振り抜く前にレノが先に竜巻で巻き上げた雪が赤毛熊へと飛び散り、雪煙と化して赤毛熊の視界を奪う。レノが姿を消した事に赤毛熊は慌てふためくが、その間にレノは煙に紛れて「瞬脚」を発動させ、距離を開く。


足元に風の魔力を集中させて後方へ大きく打擲したレノは弓矢を引き抜くと、雪煙が晴れて姿を現した赤毛熊に対して矢を番える。今回は全力で矢に魔力を注ぎ込み、急所を狙い撃とうとした瞬間、ここで予想外の事態が発生した。



「喰らえっ……うわっ!?」



弓から矢を放とうとした瞬間、手元に生み出した風の魔力が強すぎたせいか弦が切れて弓が壊れてしまう。その結果、矢を射抜く事が出来なくなってしまい、弓を失ったレノの手持ちの武器は解体用の短剣しか存在せず、赤毛熊と戦うにはあまりにも頼りない武器にレノは唇を噛み占める。



「グルルルッ……!!」

「くそっ……まさか、お前を相手にの新しい戦法を試す事になるとはな」



本来であれば逃げるのが一番なのだろうが、吹雪で碌に視界も効かず、しかも雪のせいで普段以上に足元が悪い状況では赤毛熊を相手に逃げ切る事は難しく、レノは拳を固めて赤毛熊と向かい合う。まさか本当に赤毛熊と素手で戦う羽目になると思わなかったが、逃げるのが無理なら戦って勝ち残らなけば生き残る道はなかった。

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