「まさか……ボア！？」

「フゴッ、フゴッ……！！」

茂みから姿を現した巨大な猪を前にしてレノは後退り、その外見を見て「ボア」という名前の魔物だと気づく。ボアは普通の猪とは異なり、特徴的な牙の形をした魔物だった。普通の猪の牙は曲線的な物に対してボアの牙は槍の刃のように伸びている。更に体毛の色も若干赤みを怯えている事からレノは赤毛熊の事を思い出し、恐怖で身体が震えてしまう。

偶然にもレノが先ほど撃ち抜いた矢が森の中に存在したボアに的中したらしく、そのせいで攻撃されたと勘違いしたボアは矢の方向を辿ってレノの元に追いついたらしい。弓矢を掲げるレノの姿を見てボアは怒りの表情を浮かべ、鳴き声を放つ。

「フゴォオオオッ！！」

「うわっ！？」

突進を仕掛けてきたボアに対してレノは咄嗟に横に飛び移ると、ボアはレノがが的を吊るしていた樹木に突っ込む。その衝撃で樹木は薙ぎ倒され、折れた樹木が地面に倒れ込む。その破壊力を見てレノは冷や汗が止まらず、もしも正面から衝突したら即死は免れない。

「フゴッ、フゴッ！！」

「う、うわぁあああっ！！」

自分に振り返ったボアを見てレノは恐怖のあまりに駆け出してしまい、森の中を疾走する。それを確認したボアは怒りの声を上げながらレノの後を追い、いくつもの樹木をなぎ倒しながら後を追う。

「フガッ！！フガッ！！」

「く、来るなっ……うわっ！？」

樹木を破壊しながら追いかけてくるボアに対してレノは必死に逃げるが、逃げるのに必死で足元の注意がおろそかになってしまい、石に躓いて転んでしまう。その様子を確認したボアはレノの元へ接近し、巨体で圧し潰そうとした。

「フゴォオオッ！！」

「くっ……近寄るなぁっ！！」

レノは咄嗟に握りしめていた弓矢を掴み、矢を番えて正面から迫るボアへと構えた。こんな矢で樹木を破壊する威力を誇るボアの突進を止められるはずがないが、それでも抵抗しなければ死ぬのは確実だったレノは反射的に矢を番える。

生き残るためにレノは弓の言に矢を番えると、無意識に手元に風属性の魔力を施す。その結果、矢に風の魔力が纏うと弓から離れた瞬間、凄まじい勢いでボアの左目に的中した。

「プギィイイッ！？」

「うわっ！？」

片目を突如として失ったボアは悲鳴を上げ、軌道が反れてレノの横を通り過ぎてしまう。偶然にも助かったレノは慌ててボアから離れると、左目を失ったボアは痛みのあまりに暴れ回り、左目に突き刺さった矢をどうにかしようとする。

(当たった……も、もしかしたら倒せる？)

左目を失って混乱しているボアを見てレノは弓矢に視線を向け、もしかしたら倒せるのではないかと考えた。ここで逃げた所でボアから逃れられるとは思えず、それならば一か八か戦って倒そうかと考えたレノは新しい矢を手にする。

苦しみもがくボアを見てレノは少しだけ可哀想に思えたが、ダリルの言葉を思い出す。それは「狩猟するときは決して獲物に同情しない」「命を奪う以上は自分も命を奪われる覚悟を抱く」「生き延びたければ手段を選ばない」この三つの教えを思い出したレノは矢を放つ。

「喰らえっ！！」

「フゴォオオッ！？」

再び放たれた矢は今度はボアの右目も貫き、これでボアは完全に視界を失う。レノはこれで相手は自分の姿を捉えられない事に安心しかけたが、ボアは鼻をならしてレノの位置を臭いで特定し、突っ込む。

「フガァッ！！」

「うわぁっ！？」

両目を失っても突進を仕掛けてきたボアに対してレノは衝突の寸前に横に飛んで回避に成功する。両目を失ったおかげでボアの動作が鈍った事でどうにか避けられたが、嗅覚で自分の位置を特定したボアに対してレノは焦りを抱き、同時に最後まで油断しないように気を付ける。

(気を抜いちゃ駄目だ、あと少しで倒せるんだ……でも、矢はもう一本しかない)

最後に残された矢を取り出したレノは悩み、何処を射抜けばボアを倒せるのかと悩む。だが、考えている間にもボアは起き上がると、鼻を頼りにレノの位置を特定して顔を向ける。レノが考えている暇もなく、次の攻撃にボアは動く。

――プギィイイイッ！！

怒りの咆哮を放ちながら突っ込んできたボアに対して今度は避けきれないと悟ったレノは弓の弦に矢を番え、迫りくるボアに対してレノは恐怖を押し殺して矢を構える。この時、レノの手元には風の魔力が迸り、今まで以上に矢に魔力が伝わった。

レノが抱いた目の前の敵を確実に倒す、という強い思いに反応するかのように魔力は迸ると、矢の先端に魔力が集中し、弓から離れた瞬間に鏃に纏った風の魔力が吹き溢れる。その結果、竜巻を想像させる風の魔力の渦を纏った矢はボアの眉間に的中すると、強烈な衝撃がボアへと走る。

「ッ――！？」

ボアの声にならない悲鳴が響くと、巨体が地面に崩れ落ちる。その光景を目撃したレノは信じられない表情を浮かべ、倒れたボアの様子を伺う。頭を撃ち抜かれたボアはしばらくの間は身体が痙攣していたが、やがて事切れたのか完全に動かなくなる。その様子を見てレノは動揺を隠せず、手にした弓に視線を向けた。

「た、倒した……？」

「おい、何の騒ぎだ！？レノ、何処にいる！？無事かっ！？」

遠くの方からダリルの声が響き、彼は手斧を持った状態でレノとボアが倒れている場所に辿り着くと、目の前の光景を見て目を丸くした。地面に座り込んでいるレノの前に凶悪なボアの死骸が倒れているのだから驚かないはずがなく、彼は何が起きたのかをレノに尋ねる。

「な、何だこりゃっ！？こ、こいつ……ボアか？死んでるのか？」

「と、義父さん……」

「レノ、お前まさか……こいつをぶっ倒したのか？」

ダリルは信じられない表情を浮かべながらレノに尋ねると、そんな彼にレノは戸惑いながらも頷き、彼の弓を差し出す。ダリルは自分の弓を持っているレノに驚いたが、それよりも彼が無事であった事を喜び、力強く抱きしめる。

無事だった義理の息子を抱きしめながらもダリルはボアの死骸に視線を向け、その死に様を見て彼は冷や汗を流す。これほどの大物はダリルでも滅多に狩れる相手ではなく、少なくとも１０才そこらの子供が倒せる相手ではない。しかし、現実にボアの死骸には矢が突き刺さっており、そして弓を手にしたレノが傍に存在する以上は疑いようもない。

(何が起きたんだいったい……？)

レノを抱きしめながらもダリルはボアの死骸を観察し、とりあえずはこの死骸をどう処理するべきか悩んだ――