第19話 SOUVENIRの『紅葉の謎』

「なんで俺だけー」

 なげくヒロシさんを横目に、朔哉さくやさんが竜肉りゅうにくに目を向けました。

「そろそろ焼けたんじゃないか」

「そうですね」

 竜肉の正体は牛の塊肉かたまりにくで、こうするとローストビーフ風に焼けるらしいです。

 一旦いったんテーブルにあげておいて、粗熱あらねつが取れたら、落ち着くまでクーラーボックスに入れておくことになりました。

「ヒロ、まだ食べられるだろう? 魚介類ぎょかいるいを持って来たんだが焼いてもいいか?」

「あ、俺もマシュマロやポップコーンのもとを持って来たんだ。一緒に焼いていい?」

「もちろんです!」

 朔哉さんが獅子肉蛇肉夢肉と大きなタコの足、ホタテ貝、イカ一匹などを中段に、ヒロシさんがおやつになるものを上段の網にのせていきます。あ、マシュマロは手に持ってあぶっています。

 香ばしくて、どこかしょっぱく感じる匂いがただよってきました。

 私は別のポットから、さっぱりするあたたかいお茶を新しいカップに淹れます。

 そうそう、キュウリとニンジンとセロリの野菜スティックもあったんでした。

 忘れていた野菜スティックを出す頃には、すっかりテーブルがにぎやかになっていました。

「おー、なんかいい感じ。写真とりたいなー」

「スマホをテーブルに立てたら人も入るんじゃないか?」

 せっかくだからと、ヒロシさんが、竜肉のアルミホイルを外してテーブル中央に置き、他の肉や魚介類、おやつを周囲に並べてくれました。

 するとさらに朔哉さんが、竜肉のはしを切り、美味おいしそうな断面を見えるようにして、全体的な配置を整えてくれました。

 朔哉さん、ヒロシさん、私はそれぞれ、獅子肉、ヘビ肉、マシュマロの串を手に、焼き網の後ろに立って、ヒロシさんのスマホでタイマー撮影しました。

 個性的な品々が並ぶテーブルと煙を上げる網、笑っている私たちの背景には海が見えます。

「んー、めっちゃいい感じー。顔出さないでアップしてもいい?」

「好きにしろ」

「いいですよ」

 ヒロシさんは私たちの口から上は入らないようにトリミングしてアップしたようです。

「アリスちゃん、元の写真をスマホに送ったからねー」

「わ、ありがとうございます」

 さっそく受け取った写真を待ち受け画面に設定します。

 あぁ、あのピクニックのお弁当も写真にとっておけば良かったです。このように食べるものを写真に残すなど思いつきもしませんでした。

「そういえば施設の皆さんとの写真はないの?」

「ないのです。施設では写真も厳禁でしたから。絵描きさんだった方が描いてくださった絵ならありますよ」

「それはあの似顔絵を描いた人か」

「見てみたいなー」

「良かったら今度、家まで見に来てください」

「大きいんだな」

「はい。どこかに飾るには大き過ぎるので、私の部屋に置いています」

 毎日、私が絵の中の皆さんに話しかけているのは内緒です。

「はぁー。俺、サクとアリスちゃんと一緒に『紅葉の謎』を解きたかったよ」

「解いたじゃないか」

 私もうなずきましたが、ヒロシさんはジト目です。

「違うよー。SOUVENIRスーベニアのほう!」

「今解くか? PC持って来てるから、ここでもできるぞ」

 なんと朔哉さんは浜辺に持ってきていたかばんから、愛用のノートPCを取り出しました。

 荷物になるからか、朔哉さんのお家で操作に使っていたコントローラーはありませんでしたが、PCだけでも慣れた動作で操作されて、あっと言う間にSOUVENIRの画面になりました。

「途中まで無料でプレイできるから、ヒロ用に新しいキャラクターを作ったらどうだ」

「キャラメイキングできるんだー」

「種族が何種類もあるけど、どうする? 獣人じゅうにんの種類が色々選べるが」

「NPCのアリスと同じで」

「じゃ、ノーマルだな。男? 女?」

「女」

「大きさは?」

「NPCのアリスくらい」

「了解」

 ヒロシさんも気づいていたようです。

 あの山で朔哉さんは私に「自分の歩幅で歩いて」と言いました。『紅葉の謎』を解くには、私と、いえ、NPCのアリスと同じ体型が必要なのです。

 きっと、NPCのアリスと同じ種族で似た体型じゃないと歩幅でずれるのでしょう。

 あの時『紅葉の謎』に挑戦していた猫耳さんは、ひょろりとしていたのもありますが、手足が長く、うさぎ耳さんもあしが長かったです。

 私が謎を解いた時に見せてもらった犬耳さん豚耳さん熊耳さんは、足が短かく、それがなんとも可愛らしいのです。ノーマルと呼ばれる人間族の普通耳さんは、動物耳さんたちの中間の足の長さだとか。

 そのあとも、髪型、髪の色、顔つき、体つきと選択肢が続きますが、朔哉さんはヒロシさんの具体的な注文をすぐに反映させていきました。

「ふぅん。ヒロはこういうのがタイプなのか」

「ちょっと意外ですね」

 画面には、妖艶ようえんな黒猫を思わせる、どこかキツそうな美少女が現れていました。

「え、なに、この羞恥しゅうちプレイ。リアルと二次元は別腹ですからー。だいたいサクこそどうしたの? サク、いっつもゴツい戦士キャラだったじゃん。新しいキャラ作ったの?」

「いや。変身薬が売ってるから、それを使った。変身薬を使うと自分のキャラクターの姿を再作成できて、一定期間その姿でいられる。実際の種族は変えられないし、もし本格的に変えたままにしたいのなら課金が必要だが」

「えぇ~。なんかズルいっ」

 タコの足にかじりつくヒロシさんをよそに、朔哉さんは慣れた手つきで黒猫少女を『紅葉の謎』のある場所へと移動させます。

「着いたぞ。ここからは自分で操作するか?」

 朔哉さんの部屋で見せてもらった『紅葉の地』に黒猫少女がいました。

 きらめく紅葉の中、画面右上で点滅しているのが『紅葉の謎』です。

 透明感のある紅葉を見ていると、現実で見た紅葉の姿だけではなく、あたたかな風や山の匂い、ずっと聞こえていた虫の声まで思い出されます。

 『紅葉の謎』の前まで黒猫少女を進めて、PCをヒロシさんに渡そうとする朔哉さんをヒロシさんは止めました。

「待って。メニュー画面って出せる?」

「もちろん」

 朔哉さんの操作でメニュー画面が開きます。

 黒猫少女の体力知力魔法力といったステータスと持ち物が表示され、下の方にはなにやら四角いわくがいくつも並んでいます。

 私がこの枠についてSOUVENIRの方にたずねたところ、キャラクターが使う攻撃や魔法、回復アイテムを簡単に使えるように、ショートカットとして登録する場所だそうです。マクロ編集は別メニューだとさらに詳しい説明を受けたのですが、すみません。私には初めのあたりから、すでに理解できていませんでした。

 ヒロシさんの黒猫少女は、私のときと同じで、始めたばかりのため、スキルや持ち物などがほとんどありません。

「うーん。これじゃなくて、ゲーム自体のメニュー画面ってあるかな?」

「……あるな。効果音の有無や、使用モニターに合わせて明度をいじるやつ」

 朔哉さんはひらいていたキャラクターのメニュー画面を閉じて、ゲームのメニュー画面を開きました。

「これこれ。ちょっと見せて」

 そこには音声メニューだけで、BGM1・2、声1・2、攻撃効果音1・2、回復効果音1・2、異常状態効果音1・2、挨拶効果音1・2、連絡音1・2、その他効果音、とあります。

 そのどれにも上下に動く音量の調節バーと消音のチェックボックスがありました。

「サクってどこかいじった?」

「画面の方をちょっと触ったくらいで、音はノータッチだ」

「ということは、音はどれも初期設定のままだよね」

 『BGM2』と『その他効果音』だけが最初から消音状態になっています。あるのに使われないということでしょうか。

 画面メニューの方には、俯瞰ふかんの視点の角度調節、画面全体の明度調節がありました。

 どちらにも上下に動く調節バーとリセットボタンがあり、横にある小さな画面で、どのようになるか確認できるようになっています。

「サク、『紅葉の謎』に挑戦してから、もう一度この画面を開いて」

「了解」

 朔哉さんは明滅する『紅葉の謎』に黒猫少女でれると、【紅葉の謎 挑戦しますか? YES NO】のYESを選択しました。


【目と口を閉じて

 N35E135】


 すでにすっかり覚えてしまった、短い『紅葉の謎』が表示されます。

 朔哉さんはすぐにゲームのメニュー画面を開きました。

 ヒロシさんは音声メニューの中で消音になっていた『BGM2』と『その他効果音』だけを最大にして、最初に聞こえるようになっていた音声をすべて消音にします。

 さらにヒロシさんは画面メニューの『画面全体の明度』を最大限に下げました。確認用の小さな画面が、灯りのない夕方みたいに暗くなります。

「なるほど。『目と口を閉じ』たのか」

 【設定を有効にする】を選択すると、画面はすっかり暗くなって、ほとんどなにも見えない状態です。

 そこへ聞こえてきたのは、あの山で聞いたのと同じ虫の合奏でした。

「こんなBGMまで用意してあったのか」

 朔哉さんが感心していると、

「動かすよ?」

 ヒロシさんが矢印キーの『上』を1回押しました。

 ガサというかザクというか、なにか壊れるような音が響きます。

 ほっとした様子で、ヒロシさんはさらに続けて『上』をテンポ良く押していきます。

「この音、SOUVENIRじゃないどこかで聞いたか?」

「朔哉さん、これ、落ち葉を踏みしめる足音だと思います」

「そうか。それまで用意されていたのか」

 重たいくつと足場の悪い山道は大変でした。

 苦労して歩いた時に聞いた音が、かなり忠実に再現されています。

 朔哉さんの解説によりますと、今まで意識せずに聞いていた通常の『紅葉の地』での足音は、もっと軽い音で、草原エリアを歩くのと同じ足音だそうです。

 ヒロシさんは三五回続けて上を押した後、右を押し始めました。やはりザクザクと山を歩いた時と同じ音が続きます。

 一三五回押し終えた時、画面が山で見た紅葉色にぼやけ、

『遊んでくれてありがとう』 

 聞こえてきたのは落ち着いた男女の声でした。

「……え? 私が前に聞いたのとは少し違うような?」

「オレが聞いたのとも違う。オレの時は画面も通常のままだったし、同じセリフで複数人だったが、もっと若い声もあった。SOUVENIRスーベニアの制作スタッフの声なんだろうと思ったが」

「そっか。俺はじぃちゃんの声が入ってる気がしたけど。アリスちゃんも知ってる声、あったんじゃない?」

「もしかして、施設の皆さんの声なんですか?」

「きっとね。俺は全員の声は知らないけど」

「あの、もう一度、もう一度、聞けますか?」

「どうかな?」

「やってみよう」

 今度は朔哉さんが操作を受け持ち、同じようにしたところ、同じメッセージが流れました。それは本当に、短い期間でしたが終末医療施設で同じ時を過ごした皆さんの声だったのです。

「皆さんの声です! 嬉しい! もう二度と聞けないと思っていました」

 なぜでしょうか。皆さんの声だと思ったら、『遊んでくれてありがとう』という言葉が、『一緒にいてくれてありがとうな』『見つけてくれて嬉しいわ』『おめでとう』『よくやった』『さすがじゃ』などにも聞こえました。

 まるでこの場にいて声をかけていただいたように思えたのです。

「ふふっ。皆さんはいつだって私を驚かせるのが上手ですね」

 思わずうるんだ目を気づかれないようにしていると、

「あんたはアリスじゃないんだろう? 本当の名前を教えてもらえるか?」

 静かに問いかける朔哉さんの横で、ヒロシさんは大丈夫だよ、朔哉さんのことも私の友達だと思っていいんだよ、というように頷いてくれています。

「……私の名前はさちです。しあわせの一文字でサチ。私はずっとこの名前が嫌いでした。私の両親がこの名前をつけたことを後悔していたからです。『全然幸せじゃないのに』って、名前も呼んでもらえませんでした。私をこんな体に産んでしまったことを、両親はいつも負い目に感じていたからです。実際に何度も謝られました。名前も呼ばれず、産んだことさえ謝られると、私は産まれてこない方が良かったんじゃないかと、生きていて申し訳ない気持ちで一杯になりました。『私がいるから両親がつらいのなら、私がいなくなればいい。私が早く死ねば両親も楽になれるのに』って。私はずっと、私の名前も病気の体も大嫌ダイキラいで、生きる意味がわかりませんでした」

「あんたのこと、これからはどう呼んだらいい?」

「できればこれからもアリスでお願いします」

 両親にうとまれていた期間が長いので、本当の名前で呼ばれると、まだビクッとなってしまうのです。

「わかった」

「今のアリスちゃんは『大嫌い』が『嫌い』くらいにはなった?」

 ヒロシさんが微妙なところを突いてきました。

「……施設で皆さんと過ごせて、皆さんや皆さんのご家族の方とお話しできたことで、自分の家族に対して、以前よりも客観的に見られるようになりました。そうしたら、両親はただ私を気遣っているだけなのがわかったんです」

 もしかして施設の皆さんはそこまで考えていてくれたのかと、本当に頭が下がる思いです。でも、まだ私は、皆さんが期待する場所までいたれておらず、この先を口にするのには、名前を明かす以上に勇気がいります。

「でも……でも、病気が治ったからといって、両親の態度が変わるわけでもなく。私が両親の気持ちをわかったところで、私の気持ちが急に変われるわけではありません。うまく言えませんが、いきなり仲良くできるものではないのです。それでも少しずつでいいので、距離を縮められたらとは思っているのですが」

「いきなり変われなくて当然だ。あんたはようやく外に出たばかりなんだ。少しくらいゆっくりしてもいいだろう。あせらなくていい」

「サクが言うと説得力あるね。なにも正面から戦うばっかりが正解じゃないよ。なにがきっかけで道が広がるかなんて、誰にも予測できないからねー」

 思わずつめていた息がふっと楽になりました。

「ありがとうございます。今はまだ自分になにができるかもわかりませんが、ゆくゆくは一人で生活できるようになりたいです。そうすればきっと『本当にもう大丈夫だ』と私も思えるし、両親にもわかってもらえるのではないか、と」

「いいね。もし遊ぶ時間があるなら一緒に釣りに行こうよ」

「嬉しいです!」

「ヒロ、お前の方が休めるのか?」

「なんかさー、この前仕事を詰めたことで、体制の見直ししてもらえたから、前より融通きくようになったんだよー」

「ふぅん。アリス、いつでも家に来ていいから」

「ありがとうございます!」

「ええー。なにそれ? 俺もサクんち行きたい!」

「ヒロはいちいち言わなくても勝手に来るだろ」

「そうだけどー。一回くらいサクから誘ってくれたっていいじゃん」

「誘う間があればな」

「間を空けたら忘れられそうなんですけどー」

「本当にお二人は仲がいいですね」

 私のくすくす笑いに、朔哉さんとヒロシさんの声が重なりました。

「打算的な関係だ」

「打算的な関係だけどね」

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