第17話 施設の皆さん

 終末医療施設しゅうまついりょうしせつの玄関で、残された者達は、走り去っていく車が見えなくなっても少女を見送っていた。

「……とうとう行ってしまったか」

「私たち、うまくできたでしょうか」

「良い旅立ちになっただろうか」

 こればかりは少女に聞かないとわからない。

 少女とは悲しい別れにしないでおこうと、もし少女がここに未練みれんがあるようならどうすればいいかを皆で考え、『紅葉の謎』を解くことをお願いすることにしたのだった。

 ひとつめの願いである『亡くなった入居者の家族にここでの話や想いを伝えて欲しい』にしても、各家かくいえを訪問するために、住所から訪問先を調べ、電車やバスなどといった交通手段を使うことになる。

 少女が外の世界に慣れるきっかけになればいいと考えてのことだった。

 ただ、どれだけ外の世界に慣れても、訪問が終わって続かないのでは意味が無い。

 どうすればいいのか皆で話し合った。

『新しい世界に出るのだから、ゲームのようにすれば入りやすいのではないか』

 個人的にはゲームをさわったことすらなくても、子供や孫が遊んでいるのは見てきたし、話を聞いたことはある。

 導入部はだいたい同じで、魔王を倒すという大きな目的をたくされたり、壊れかけた世界を直す方法を探したり、冒険のきっかけとなる簡単なおつかいを頼まれたり。お金や地図、武器に防具といった必要なものも融通ゆうずうしてもらえる。

 ちょうど朝倉夫人のご主人がSOUVENIRスーベニアにたずさわっていたこともあり、SOUVENIRを使うことはすぐに決まった。皆で意見を交換して仕掛けを考えるのは存外ぞんがい楽しかった。

 でも、皆ができるのはお膳立ぜんだてだけだ。

 少女と一緒に行くことはできない。

 冒険ぼうけんに旅立つことさえできれば、あとは自然と、知恵も仲間も増えていくだろう。

 皆の人生で経験済みだから、そこは皆、心配していなかった。

「できれば解いて帰ってきたあの子に『よくやった』と言いたかったがな」

「それはあの世で言うしかない」

「あの子の思い出話を、あの世で聞くなんて、面白いわ」

「あの世に行く楽しみが増えましたね」

 ふふふと笑い合う。

 これが少女との今生こんじょうの別れなのだと皆もわかっていた。

「それに、私たちからはちゃんとメッセージを残した」

「大丈夫ですわ。私たちがいなくても、あの子はこれからもちゃんとやっていけますよ」

「短い間じゃったが、わしらが一緒におったんじゃからな」

 この終末医療施設は少々特殊とくしゅな施設だった。

 できる限り面会者を謝絶しゃぜつし、世の中から隔絶かくぜつした、厭世的えんせいてきな施設だった。

 入居者は、地位はあるけれども現実世界に疲れ切った人間ばかり。

 大人のつきあいとして表面上は仲良くしていても、誰も心の底から打ち解けていなかった。

 残り死ぬまでの短い期間一緒にいるだけ。初めはそれだけの関係だった。

 そこに少女を呼び込んだのは、入居者の一人が検査のために通院したおりに少女を見かけたからだ。

 光のない目をした少女は、まさにこの施設に入るのに相応しいと思い、他の入居者に相談した。

 他の入居者も少女を受け入れようと意見はまとまり、少女側も家族が疲れ切っていたので、一度離れてお互い気持ちを切り替えた方がいいだろうと少女の担当医も同意して、すぐに少女がやってきた。

 世の中の辛酸しんさんめてきた入居者から見ると、少女は小犬や小猫のような存在だった。

 皆は最初、少女を愛玩あいがん動物に接するように可愛がった。

 先の短い者同士からの大人な対応が良かったのか、少女ははじめこそ無表情だったけれども、やがて素直な感情を見せるようになった。

 病魔におかされているとはいえ、少女特有の純粋な様子は皆に心地よかった。

 入居者の一人が亡くなったとき、少女はひどく泣いた。

 ほんの数ヶ月の付き合いでそれほど泣いてくれるのか。自分の時はどれほど泣いてくれるのか。少女の心の中に少しでも自分の存在が残ってほしい。

 皆から少女への態度は少しずつ誠実なものに変わっていった。

 ある時、少女から心底真面目しんそこまじめに「どうしてすぐに死ぬのに生きなくてはならないの?」と聞かれると、皆、言葉にまった。

 手垢てあかのついた解答や、正論ならいくらでも言える。

 以前の皆なら「世の中は大変なことばかりだからすぐに死ねるのは幸運だ」とでも言ったかもしれない。

 でも、今の皆は誰一人、そんな解答を言いたくなかった。

 一人が、自分の人生で一番いろどりのあったことを話した。

 するときそうかのように、それぞれ美しい思い出を披露ひろうし始めた。

 少女の問いに対して明快な解答ではなかったけれども、むしろ絶対的な解答でなかったことが良かったのか、それから少女は皆に思い出話をねだるようになった。

 ねだられるまま、皆は毎回違う思い出話や、気に入っている同じ話を幾度いくどとなく話した。

 話していると、自分の中だけにあった思い出の彩りはあざやかさを増した。

 不思議と、誰も少女にうらつらみを話さなかった。

 ある日、施設の管理者から皆に、少女の病気が治ってきていることが知らされた。

 このまま良くなれば施設にいられる条件から外れてしまうので、条件を変えるかどうかの話し合いのために、皆は少女より先に知らされたのだ。

 病気が治ることはいいことだ。

 長年生きてきた自分たちならともかく、まだそれほど生きていない少女がこれからも生きていけるのは良いことだ。

 皆、奇跡に感謝した。

 ただ、ここにいられるのは、間もない死に向かう者だけ。

 皆この施設は最期さいご我儘わがままで成り立っているのを理解している。

 生きられる者は混沌こんとんとした世界に戻らなくてはならない。

 そこだけはゆずれない。

 でも、一人だけここから出ることを、少女はどう感じるだろう?

 皆は少女がギリギリまで滞在たいざいできるように条件を整え、その間に、自分たちから少女になにができるかを考え、協力して実行したのだった。

「まさかこんな風に皆さんと過ごせるようになるとは思いませんでしたわ」

 ふふっとおかしそうに笑うと、皆も頬をゆるめる。

「皆でなにかを成し遂げるのは、やはり格別じゃな」

「残り短い間ですけど、変わらずよろしくお願いしますね」

「もうあの子と話せないのは残念ですが、これからは私たちで話しましょう」

 ゆったりとした動作で、皆、施設の中に戻って行った。

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