第16話 アリスの旅立ちの時

 その日は青空が広がる気持ちのいい日で、体調の良いかたは見送りに出てくれました。

 それでも私は、まだ出て行く勇気が持てませんでした。

 うつむいて動けない私に、「もうひとつお願いしてもいいかい?」と、おだやかな声がふってきました。

「アリスちゃん、わたしたちと約束をしておくれ」

「わたしたちの家をたずねた後でいいから、『なぞ』をひとついてもらいたい」

「……こんな時にナゾナゾなんて」

謎々なぞなぞじゃあない。わしらからのお願いじゃ」

SOUVENIRスーベニアというゲームの中に『紅葉こうようの謎』という『謎』がある」

「それを解いてほしい」

「……全然わかりません」

「わからなくていいんだよ。アリスちゃんが私たちの家族と会って、外の世界に慣れてからのことだから。今はわからなくていいんだ」

「一人で解こうとしなくていいのよ。誰かに協力してもらえばいいの」

「誰かなんて。外に出たら、私には誰もいないのに」

「家族や友達じゃなくてもいいのよ。謎を知っている人がいたら教えてくれるわ」

「ワシの孫に聞くといい。あいつは役に立つぞ」

「謎を解くときは、ぜひ私の作ったお洋服を着ていってね。私のお洋服がきっと力になるから」

わしからはこれをプレゼントしよう」

「……これ、カツラですか?」

「そうじゃ。愛らしいじゃろう。アリスちゃんによく似合う」

「アリスちゃん、私からはこれを。もし『紅葉の謎』を解くのに困ったら使ってね。中身はまだ内緒よ。必要になってから開けてね」

 皆さんからのたくさんの言葉と、カツラと厚手の白い封筒という贈り物にはげまされて、私は顔を上げました。

 ならんでいる皆さんの顔をしっかりと見て、口を開きました。


 私の成長は病気で止まったままです。

 これからどれだけ大人になってもこれ以上大きくなることはないと聞いた皆さんは「永遠の少女なら『アリス』ね」と、私のことを『アリス』と呼んでくださいました。

「『アリス』はね、みんなのあこがれなの」

「老いないからじゃないわ。ずっと少女の心を持っているからよ」

「貴女もそうあるといいわ」

「あなたの心が『アリス』なのよ」

 優しい声でそう言ってもらえて、呼ばれるときはいつだって、どこか秘密を打ち明けてくれるような響きに聞こえました。

 私は皆さんから呼ばれる『アリス』という名前が大好きです。


 今までで私が一番着た服は寝間着ねまきでした。

 病院で貸し出される寝間着、両親が買ってくれた寝間着、個人的に購入した寝間着。

 ここに来てから、初めて普通の服を長い間着るようになりました。

 私の姿に創作意欲を刺激されると、素敵な服をデザインしてたくさん作っていただきました。

 どの服もおしゃれで可愛くて心がおどります。大事に着ます。


 薬の影響で、私の髪の毛はまばらにしか生えていません。

 いつも帽子をかぶっていました。

 こんなに可愛い髪型になれるなんて嬉しいです。


 この髪で、いただいたお洋服を着たら、きっとお外に出ても大丈夫です。

 皆さんの言葉を、ちゃんと皆さんのご家族にお伝えして、『謎』を解くことを約束します!


(……もう他に伝える言葉はないでしょうか?)

 私は私自身にたずねました。

 ここを出たら、もう皆さんとは会えないのです。

 この終末医療施設には、ここに入居する資格があるか、入居者の家族じゃないと入れません。

 今が、私が皆さんと会える最後なのです。

 私が皆さんとお話しできる最後の機会なのです。

 気持ちのいい天気と同じ穏やかな笑顔で、皆さんは私を見守ってくれています。

 病気が治ったのは喜ばしいことなのに、誰一人として、私に「良かったね」と言わず、ただ外の世界に慣れるための「お願い」をしてくれたのが、皆さんの気遣きづかいだとわかっています。

 皆さんは、私の気持ちをわかってくれる、家族以上に家族のような、仲間のような存在です。

 かなうなら、ずっとここで皆さんと一緒にいたかった――。

 それは言っても仕方の無いことだと、今の私は知っています。

 私は涙をこらえて笑おうとしました。

 皆さんに覚えていてもらうなら笑顔の方が嬉しかったからです。

 でも、あふれる涙を止められず、最後は、たった一言だけしか言えませんでした。

「皆さん……ありがとうございました」

 私は、皆さんがどうして「ありがとう」の言葉を選んだのか、わかったのでした。

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