第11話 ランチタイム

 建物にたどり着いた時、すでにアリスが息切れしていたように、話しっぱなしだったヒロシも、ほとんど話さなかった朔哉さくやも同様に息があがっていた。

 ヒロシにしても朔哉にしても、最近、外で身体を動かす機会などなかったので、体力がないのだ。

 それでも朔哉だけが先に進んだのは、もちろん少しでも早く『謎』を解きたいのもあるだろうが、アリスをゆっくり休ませたいからだということを、ヒロシはくみ取った。

 アリスの息切れはおさまったようだが、顔色がまだ青白いままだ。

 飲み物を手に取るまでにもかなり時間がかかっていた。ここは山なのだ。家に来た時と同じように倒れでもしたら大事おおごとだ。

 一人で先に進んだ朔哉は、疲れた様子のアリスに無駄足むだあしませないように、先に目的地の目星めぼしをつけるつもりなのだろう。ヒロシの役割は、回復を待っていることなどさとらせないようにアリスを楽しませながら、食事をしつつ、可能な限りアリスの情報を得ることだ。

「アリスちゃん、バスケット開ける?」

「いいんですか?」

 アリスはドキドキワクワクとした様子でテーブルの上に置かれたバスケットに手をかけた。

「わぁ!」

 生ハムとレタス、卵とケチャップ、フィッシュフライとタルタルソース、とんかつとキャベツ、アボガドとエビといった、さまざまな具で断面が楽しいサンドイッチがずらりと並ぶ。

 その横にミニトマト・うずらの卵・しましまキュウリのピンチョスサラダ。

 皮ごと揚げた小ジャガイモは団子のようにふたつずつ串が刺してあり、チューリップ状の鶏肉の唐揚げにはいちいち持ち手とカラフルなリボンまでついている。

「かわいい!」

 満面の笑顔になるアリスを見て、ヒロシもにっこりする。

「さ、手をいたら食べよう」

 ヒロシはバスケットのふたの内側にはさんである除菌ウェットティッシュを取ってアリスに渡す。ヒロシも手を拭き、蓋裏ふたうらにあるお皿を配った。

「いっただっきまーす」

「いただきます」

「中身は早い者勝ちだからね。遠慮えんりょ無く好きなものをとってよ。大丈夫。サクの嫌いなものは入ってないから、なにが残っててもサクは文句言わないよ」

 そう言うそばから、ヒロシはチューリップに手を伸ばす。

 ヒロシが初めてチューリップを見たのも朔哉のお弁当の中だった。なんて美味しくて食べやすい肉なんだと感動したものだ。

 アリスはしばらく迷ってから、アボガドエビサンドとピンチョスをお皿にとると、少しずつ口に運んだ。

「ヒロシさん、慣れているのですね」

「うん。俺がサクをドライブに誘ってた時も、毎回こんな風にお弁当を作ってくれてたからね」

「それで朔哉さんも慣れているのですね」

「そ。だいたいはベンチや岩とか座る場所があるんだけど、無いときもあるから、シートやイスの用意を忘れないようになったよ。なにしろ一度なんて、サクが食べられる場所がなくて、食べずに戻ったからねー。あれはツラかった。あんなおあずけくうくらいなら、掃除そうじくらい喜んでするよ」

「お店や車の中では食べないのですか?」

「人がいるから店には行けないんだよ。車では大雨でも食べない。まぁまず大雨の時はドライブに誘わないけど、食べ物の匂いが車に残ってるとサクが酔うから、外で食べる」

「朔哉さんって繊細せんさいな方ですね」

「よくわかったね。あいつ、愛想あいそう良くないからよく誤解ごかいされるんだけど、かなり繊細というか。見えてるものが違うんだろうなって思うよ」

「見えてるものが違う」

「そ。あのね、俺はソフト会社で働いてて、社員はけっこうクセのあるヤツばっかいるのね。そいつらは、俺にはよくわからない感覚でプログラムを組むんだよ。発想が違うというか、常識が違うというか」

「すごい人たちなんですね」

「うん。サクも同じなんだよね。だから俺はなるべくわかりやすくしてる。俺について考えるような無駄をさせたくない。俺自身がノイズにならない方がいいんだ。俺がわかりやすい方がみんなの仕事がはかどるってわかって、なんで俺がそっち側じゃ無いんだって思わないでもなかったけど、今はアシストする側もまあ気に入ってるよ」

 ヒロシが途中から、しまった、話しすぎたといった表情であわてて早口でまくしたてるのを、アリスはやんわりと聞き流した。

「サクね、今はちょっと太ってるからわかりにくいけど、ととのった顔だと思わない? 小学生の頃はほっそりした洋風イケメンでお金持ちだから、マジで『王子様』って呼ばれてたんだよ。サクが「今日は空いてる」と言えば、あの大きな家の広い部屋にクラスメイトが集まって、みんなでゲームしてたんだ」

 その光景は、まさに先週一緒に遊んだアリスにも想像できた。

「それがさ、病気した時の薬の副作用で、サク、すっごい太ったの。そしたらハブられるようになっちゃった。不思議だよね。ちょっと見た目が変わっただけで、中身はなんにも変わってないのにね」

 ヒロシは手の中のチューリップの骨をもてあそびながら続けた。

「たぶんだけど、男子はみんなサクに嫉妬しっとしてたんだと思う。お金持ちでイケメンでエラそーで、なんだよコイツーみたいな。でも、部屋広いしゲームいっぱい持ってるから、誰もなにも言わなかった。それがさ、太って自分達よりカッコ悪くなって、でも、態度はイケメンの時と同じままだったから、納得いかなくなったんだろうね」

 サクの中身は変わらなかったけれど。

「誰もサクに『遊ぼう』って声をかけなくなった。キャーキャー言ってた女子も陰口かげぐちたたくようになって、あれは俺も怖かったなー。でもね、俺は嬉しかったんだよ」

「え?」

「だって、大勢いたらゲームの取り合いになるよね? 俺は小学生のころからそこそこでしかなかったからね。見かけも性能もそこそこで、サクんちに遊びに行ってもゲームの順番なんか滅多に回ってこなかった。それがサクと二人だと、交代でまわってくるようになった。対戦相手もずーっと俺。しかも、前と変わらず遊びに行くだけで、美味しいおやつの差し入れまである。なんて天国だろうと思ったよ」

 アリスには、同じ『天国』という言葉が、少し前に聞いた響きとは全然違って聞こえた。

「あー。いい話じゃなくてガッカリした? でもさ、打算ださんのない関係なんてないと思わない? 今回のことだって同じだよ。サクはもともと『紅葉の謎』を解きたかったみたいだから、アリスちゃんの願いはちょうど良かったっぽいよね? アリスちゃんとサクの願いは一致いっちしてる。俺はね、ゲームの『謎』よりも、アリスちゃんのつながりに興味があるんだ」

「私のつながり、ですか?」

「そう。アシスト側の俺にとっては、人のつながりはすっごく大事なの。コネって言うとマイナスイメージだけど、口コミと同じで捨てておけない。だって仕事してるのは人間だから。どうしたって好き嫌いの感情が入るんだよ。当たり前だよね。誰だって、自分に良くしてくれた人には報いたいし、嫌なことしてきた相手に優しくするのは難しい。ただの見舞客みまいきゃくが簡単に朝倉夫人と仲良くなれるとは思えない」

 ヒロシは骨を置いた。

「アリスちゃんはいったい何者なのかな? 俺自身の説明はしたよね? アリスちゃんも教えてくれる?」

 ヒロシはここに来る道中、いつも通りの軽いトークでなんとかアリスから情報を引き出せないか頑張ったものの、どうやっても引き出せなかったので、やり方を変えたのだ。

 つまりぶっちゃけた。

(アリスちゃんは真面目っぽいからなー。こっちの方がいいんじゃん?)

「私、は……」

 迷うように口を閉じたあと、アリスはしっかりヒロシを見て言った。

「私は、ヒロシさんは偽悪的ぎあくてきだと思います!」

「うぇ?」

「たとえ当時のヒロシさんの目的がゲームやおやつだったとしても、朔哉さんが病気になった後も変わらずに過ごしたことは、朔哉さんにとって、とても嬉しいことだったと思うのです。それに、朔哉さんが本当にヒロシさんを嫌っていたら、二人でゲームなんてしないと思います。さっきの虫の話にしたってそうです。自分の嫌いなものの話を、仲の良くない相手にはできません。だって自分の弱点じゃくてんをさらすことになるんですから」

 ヒロシは驚いたように目をしばたたかせた。

「そっか。アリスちゃんも俺と同じアシスト側なのか」

「アシスト側かどうかはわかりませんが、私にはヒロシさんと朔哉さんはとても仲の良いお友達に見えます。お友達って、毎日べったりじゃなくても、まったく同じ意見を持っていなくても、なれるものでしょう? 腹が立っても、趣味が違っても、理解できない部分があっても、この人といれば居心地いごこちがいい。一緒になにかしたい。そんな存在だと思うんです」

「アリスちゃんにとってのお友達はそんな存在なんだ?」

「……もう話すことはかないませんが、いつでも私の背中をそっと押して勇気づけてくれる存在です」

「それは……ちょっとうらやましいな。その人と約束したんだ?」

「はい。必ず『紅葉の謎』を解く、と」

「虫苦手なのによく草むらを歩けたね」

「どうして私が虫を苦手だとわかったのですか?」

「車をりた時イヤそうだったから。草むらがイヤなのかなって思ったんだけど、虫の声が聞こえるたびにこわばってた」

「あんなに聞こえるなんて思わなかったんです。音の数だけいるのかと思うとこわくて。歩いていて気が気ではありませんでした」

「そう言ってくれたら良かったのに」

「私が頼んだことですから、苦手などと言える立場ではありません」

「やっぱりサクみたいに虫の足や触角しょっかくが苦手なの?」

「いえ。んでしまったらと思うと、怖くて。虫は簡単かんたんに死んでしまいますから」

「まぁ虫に関しては俺らがどうにかできる問題じゃないけどさ。アリスちゃんはぁ、もっと素直に意見を言っていいと思うよ。なんといってもまだ若いんだし。なにより、俺たち、もう友達だよね? ほら今、苦手なものの話できてるし」

「あっ」

「ね。だから教えてよ。なんで朝倉夫人から許可証もらえたの?」

 アリスはにっこり笑った。

「その前に、私もうかがっていいですか?」

「いいよー。俺の苦手なものは」

「いえ。ヒロシさんのリュックには、いったいなにが入っているのですか? 掃除道具そうじどうぐつねに持ち歩いているのですか?」

「あれ、そっちー? ま、いいけど。ほら、朔哉は繊細だからね。草むらとかでシートひいて座ってるところに虫がはってきてもえられないんだよ。ならイスに座ればいいかって言うと、虫はねるし飛ぶからねー」

「とびますね」

「特製の虫除け電波を出す機械をそれぞれのリュックに仕込んでんの。掃除道具は行き先によって変えてるよ。今日は東屋あずまやにクモのってると想定してたんだよね。だから長く伸縮するモップを持って来たんだけど。ここは全然キレイでラクだったなぁ。あと、今回限定なのは雨具とスコップ」

「スコップ?」

「小さいシャベルのことだよ?」

「あぁ、はい。あの、それはなんのために?」

「だって地図があるから、絶対なにか埋まってそうだなって思って!」

「あの地図は、宝の地図ではありませんよ?」

「地図とくれば宝探しがロマンでしょ。ほんとはツルハシとか持って来たかったんだけど、さすがに持ち歩けないからガマンしたんだよー」

「……見つかるといいですね」

「ね! アリスちゃんもー、そんなロマンってあるでしょー? ひややっこと言えばネギみたいな」

「えぇ? そう、ですね。ロマンとはまた違うかもしれませんが、つい連想してしまうことはありますね」

「朝倉夫人と言えば?」

「そういえば、ヒロシさんの好物こうぶつはお肉なんですか? 先程からそれしか食べていませんよね?」

 やっぱりヒロシはアリスにのらりくらりとかわされたが、二人の食事は楽しく進んだ。

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