第7話

 正直、皇子の救出は楽勝だった。

 なにしろ、ジェレスの泳ぎはまったく見事なもので、重たいドレスを着ているにもかかわらず堀の中をすいすいと泳いで、沈みかけている皇子の体をとらえた。

 陸に上がるには足場が悪い、節子がロープを探して来てジェレスと皇子を引き上げた。

 結果的には、二人で皇子を助けたということになる。


「困ったわねえ、『ウマコイ』とは違う結果になっちゃったわねえ」


 その対策を練るため、二人は節子の暮らす侯爵家に集まった。

 名目は『お茶会』である。


 さて、『悪役令嬢モノ』につきもののパーティについて、ここで軽く解説。


 華やかな貴族社会を舞台とした『悪役令嬢モノ』には、実にいろいろなパーティのシーンがある。

 たっぷりと布地を使った派手なドレスを着た令嬢がパーティで男性と踊るシーンがあったら、これはまず間違いなく夜会である。

『夜会』というくらいだから開催されるのは夜。この時に着る正装だから、豪華で大人っぽいドレスを夜会服イブニングドレスとよぶのだ。

 夜会は大人のお付き合い――つまり社交の意味合いが強い。


 対するガーデンパーティは昼の会である。

 夜会に比べるとくだけた会であり、主に野外でずらりと料理を並べて楽しく談笑しているパーティーシーンがあったら、これはガーデンパーティだと思えば間違いない。

 要するに夜会が酒を飲んで踊る大人のパーティであるのに対し、ガーデンパーティは軽食をつまんでお茶をしながら楽しくおしゃべりすることが目的の、健全なパーティだというわけ。

 特に先日のロイヤルガーデンパーティは、年端もいかぬ子供たちを招くことが目的だからこそ昼のパーティだったわけだ。


 そして今、ジェレスと節子が開いている『お茶会』というのは、少人数で行うガーデンパーティだと思えば間違いない。

 茶会の名の通り、供されるのはお茶と菓子類である。

 小説の中で、集まった令嬢たちが優雅にお茶を飲みながら悪だくみするあれ……あれがお茶会だ。

 本来の目的は社交界にデビューする前の若い令嬢たちに公の場での立ち居振る舞いを練習させたり、社交界デビューの時に面倒を見てくれる年上の友人を作ったりすることが目的だとも言われているが、まあ、まだこの世界の年齢では九つという幼いジェレスと節子では、そんな目的もない、ただの『お茶会ごっこ』でしかないのだが。


 大人たちはみんな、子供たちが思いついた楽しいごっこ遊びだと思って、二人のために本物のお茶会のようなきちんとしたガーデンテーブルを用意してくれた。

 それは侯爵家の庭先にある楡の木陰に置かれて、小さな銀器に盛りつけられた菓子が置かれて、まるでお茶会のミニチュアみたいに可愛らしかった。


 が、いくら外見が九歳でも、中身は54歳とJKとである。

 二人は菓子もそこそこに、お互いが知っている限りの情報を話し合った。


「つまり、私はあんたの世界では『ウマコイ』っていう小説の主人公ってわけ?」


 一通りの情報を聞いた後で、先に口を開いたのはジェレスの方だ。

 節子はおっとりとした口調でそれに答える。


「そうなのよぉ、でね、『ウマコイ』っていうのは、正式なタイトルは『悪役令嬢に生まれ変わったならばコマンドは逃げる一択ですわ』っていうんだけどね……」


「あ、いいわ、なんかそのタイトルだけでわかったから」


「いいの?」


「うん、いいの。確かに、私、どの攻略対象ともフラグ立てないように逃げるつもりだったし、めっちゃタイトル通りだから」


「そお? でも、『ウマコイ』のストーリー通りだとしたら、こないだ助けた皇子ちゃんと結婚するのよ?」


「マジ勘弁してよ、あの皇子とか、一番ないわ~」


 ジェレスが小さな頭を抱える。


「ねえ、今から私が知ってる『恋もん』の説明するから、聞いてね」


「わかったわ、一生懸命聞いちゃうから、始めて」


「『恋もん』――『恋する問題児たちと翼をもがれた小鳥姫』とは、1000万ダウンロードを誇る人気乙女ゲームである。メインライターに『鬱展開のスペシャリスト』と呼ばれる某有名脚本家を起用したことでも話題をさらったと同時に、鬱展開をモリモリに盛り込んだ問題作でもある。キャッチコピーは『極上のメリバをあなたに』……魔法学園を舞台に癖の強い美少年とヒロインが歪んだ愛に落ちてゆく溺愛闇系乙女ゲームなのである」


「ゲームの説明ってやつね、そういうのマンガで見たことあるわ!」


「はしゃいでないであんた、ちゃんと聞いてた?」


「ええ、聞いていましたとも。『恋する問題児たちと翼をもがれた小鳥姫』っていうタイトルなのね」


「タイトルしかわかってないじゃん! いや、こんだけ長いタイトル一発で覚えたのは偉いけどね!」


「それだけじゃないわよ、えっと、何だったっけ、極上のメリバ?」


 そういいながらも節子は耳慣れない単語に首を傾げた。


「『メリバ』ってなあに?」


 ジェレスは「ううん」と唸った。

 節子は54歳で、ジェレスの中の人はJKなのだから、どうしてもジェネレーションギャップというものがある。


「わかった、ゆっくり説明するね。周りから見ると、めっちゃ不幸に見えるけど、恋する二人だけはハッピーみたいな話があるじゃん? めっちゃドSな彼女にボロボロにされているのに、彼氏はドMだから傷さえ愛された証~みたいな?」


「ああ、痴人の愛ね」


「ちじ……? よくわかんないけど、そんな感じ」


「いいじゃないの、他人からは理解できないけど、本人たちにとっては真実の愛だったって、私はそう言うの読むの、好きよ」


「いや、そりゃあ読む分にはいいだろうけどさあ……よく考えて、今、あんた、ヒロインなのよ? つまり痛い思いしたり、不幸っぽい目に遭う当事者なのよ?」


「アラッ、そういえばそうだったわね」


「で、あんたがそういう性癖なら止めないけどさあ、間違いなくどのルート選んでもメリバになるわけ」


「例えば?」


「えっと、攻略対象のメインは皇子じゃん? あいつ、めっちゃ粘着質な上に嫉妬心強くて、ヒロインを城の一室に閉じ込めた上に手足を切り落として自分の元から離れられないようにするんよ。で、手足切り落とされたヒロインが『これが愛なのね』って、幸せそうにつぶやいたところでエンドロールはいる、これが皇子ルート」


「それはちょっと……怖いわねえ」


「っていうか、メインのシナリオライターがさ、これ、子ども向けのヒーローものとかも書いてんだけど、鬱展開マシマシでさ、お子様の心に深いトラウマを刻んだっつう、トラウマ製造機みたいな人なんだわ。だから、他のルートもかなりエグイの」


「でも、『ウマコイ』はハッピーエンドよ?」


「だからさあ、それはあんたの知ってる『ウマコイ』の話でしょ? もしもうっかり『恋もん』のルートに入っちゃったら、全部メリバなわけ」


「手足を切り落とされるのは、さすがにいやねえ」


「それだけじゃないって、他のルートも『食人癖があって美味しくなるようにヒロインを育成する』とか、『性欲が強すぎてヒロインが自我を失うまで抱き倒す』とか、ろくなことになんないんだから」


「あら、やだ、こわい」


「でしょ、で、ここ大事なんだけど、あんたのいう『ウマコイ』って、ハッピーエンドだっていうけど、私、あの皇子と結ばれるなんて絶対ごめんだから」


「あら、だって、二人の幸せな結婚式で終わるのよ?」


「その後ってやつは書かれてないんでしょ? 絶対、私が手足切り落とされてるじゃん」


「確かに、そうね」


「あ~、詰んだわ、マジ詰んだ」


「ツンダ?」


「終わったってこと」


「やあねえ、終わってなんかいないでしょ、むしろ物語は始まったばっかりじゃない」


「いや、そういうこっちゃなくて、終わったっていうのは絶望したみたいなそういう感じの……」


「ごめんなさいね、おしゃべりしてたら喉が渇いちゃって、お茶、いただいてもいい?」


「いや、お茶ぐらい飲めばいいじゃん」


 節子はティーカップに手を伸ばした。

 それも片手ではなくて両手。

 見ようによっては手の小さな子供ゆえの、可愛いしぐさと見えなくもないが……いや、両手でカップをくるんでぬくとさを確かめる姿は、やっぱりどこかババクサイ。


 その様子を見ていたジェレスが、「はぁ」と深いため息をつく。


「年上の人をアンタ呼ばわりするのもどうかと思うんで、節子さんって呼んでもいっすか?」


「いいわよ、好きに呼んで。だって今は同じ年じゃない」


「いや、精神年齢がかなり……」


「じゃあ、節子さんでいいわ。その方が呼びやすい?」


「そっすね」


「さて、お茶を飲んで落ち着いたし、私も『ここまでの状況を整理してみよう』ってシーン、やってもいい?」


「つまり節子さんのターンっすね、どうぞ」


 節子は紅茶のカップをテーブルに置いて、「さてと」っと大きく伸びをした。

 そのあと、いかにも芝居がかかった様子で頭を抱える。


「え、ちょっと待って、どうなってるの? ううん、落ち着いて、私、落ち着いて、ここまでの状況を整理してみましょう!」


 節子、ちょっとテンション上がりすぎな気もするが。

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ちょ、ちょっと待って! 悪役令嬢からやり直させてもらえません? 矢田川怪狸 @masukakinisuto

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