望まぬ結婚【天正17年7月末日】

「で、どちらに行かれるおつもりでしたの?」


 

 大坂城は城奥の、江姫様のお部屋。

 女中の服から着替え中の江姫様は、そっぽを向いている。

 私の質問に答える気はさらさらない様子だ。

 この人はもう。連れ戻す道中からずっとこれだ。

 往生際の悪さに、ため息が出そうになる。



「女中の格好をしただけでは、城の外へ出られませんからね」


「そうなの?」



 目をまんまるにして、江姫様が振り向いた。



「金品でどうにかなるって女中たちが言っていたわよ?」


「前まではそうでしたね。でも今はもう、無理です。殿下が固く禁じられましたから」



 つい先日、城奥の出入りに関する禁令が出た。

 城奥の女は側室から女中に至るまで、外出をする際には事前申請が必須となったのだ。

 外出許可証を持っていなければ、確実に中奥と城表の間に置かれた検問で捕まってきつく罰される。

 検問の審査もまた、より厳しいものとなっているそうだ。

 香様の件で、当時大坂城の城奥と外を担当していた番衆数名が処罰されたばかりだからね。

 襟を正した番衆たちは厳格な審査を行うようになり、賄賂を受け付けることもなくなった。

 わずかなお金で首が物理的に飛ぶリスクを負うのは、割に合わないことだ。

 前の感覚で賄賂を使うと、逆効果になるだろう。

 


「知らなかったわ……」



 私の説明に、江姫様はそう呟いた。

 純粋に驚いている彼女に、驚きと心配と少しの呆れがこみ上げる。

 筋金入りの箱入りお姫様だとは思っていたが、これはちょっと物を知らなさすぎる。

 まあ、知らないからこそ、女中に変装して脱走しようなんて思えたのだろうが。

 行動力と物知らずが組み合わさると怖いなあ。私も、人のことをどうこう言える立場ではないけれど。



「お行きになりたいところは近場ですか?」



 座り込んで肩を落とす姿が哀れになって、つい提案してみた。



「日帰りできる場所なら、寧々様にお願いすれば行けますよ」



 気晴らしに外の景色を見に行くくらいなら、許可をもらえると思う。

 旭様たちが来るのは、明日以降だ。隙を見て出かけるくらいは可能だろうし、難しくても時期をずらせば大丈夫だろう。

 なにより、寧々様は江姫様を気にかけていらっしゃる。

 どうしても、と江姫様が望めば、スケジュール調整をしてくれるはずだ。



「ううん、いいわ」



 しかし江姫様は、首を横に振った。



「お願いしても無理だからいい」


「無理ってそんな。お願いしてみなければ……」


「無理なものは無理なのっ!」



 振り切るようにして、江姫様が私の言葉を遮った。

 勢いに押されて、思わず黙り込む。

 こんな攻撃的な声を出せたんだ、この人。

 軽く見当違いなことを考えていたら、バツが悪そうに目を逸らされた。



「だってわらわ、お寺に行くつもりだったのよ」



 ハッとして江姫様を見つめる。

 私の中をよぎった予想が、それだけで伝わったのだろう。

 江姫様は肯定するようにため息を吐いた。

 


「髪を下ろそうと思っていたってこと」



 やっぱりか。

 単純に外に興味を示して飛び出そうとするタイプではないから、変だと思ったんだよ。



「こたびの縁組がご不満ですの?」


「……このまま嫁いだら、ろくな目に遭わない気がするの」



 拗ねたような声音で、江姫様は答えた。



「出家した小姫おひめに代わって、徳川へ嫁ぐ姫が必要だったのはわかってる。殿下が使える年頃の姫がほとんどいないのもよーっくわかってる。わかってるけど……」


「三の姫様?」


「わらわじゃなくてもよかったんじゃないの!?」



 江姫様の膝の上で、握りしめられた拳が震えた。

 そう思った瞬間、その拳は勢いよく畳に振り下ろされた。



「わらわには小吉こきち殿がいたじゃない! わざわざ破談させる必要があった!?」


「あの、それは」


「ないよね! ないわよね!?」


「な、ない、かもですね」



 江姫様の勢いに、思わず頷く。

 私個人としても、あの破談はちょっとないと思う。

 最終調整に入っていた縁組を急に取り止めたことで、色々とトラブルが起きたと聞く。

 徳川との縁組が大事なのはわかるが、他の姫を探した方が面倒が少なかったはずだ。



「でしょう!? しかもそれだけじゃないわ。与祢、あなた徳川の若君の歳を知っていて?」


「え、えっと、確か天正七年のお生まれと聞きますから」



 天正八年生まれの私より、徳川の若君は一歳上か。

 で、今、私が十歳ということはつまり、徳川の若君は……。



「十一歳……」


「そう! 十一!!」



 言いながら、江姫様が畳をぶん殴る。



「わらわと六つ! 六つも歳が離れてるのよ! のあっちではなくて、のわらわが年上っ! 与祢、どう思う!!」


「う、うーん、ちょっとばかりお歳が離れてますね?」


「五歳以上はちょっとじゃないわよ! すごく離れてるでしょ! どう考えても歳の釣り合いが取れてないわッッ!」



 言いたいことはわかるが、言いながら迫らないでください。

 引いている私を他所に、江姫様は畳を殴って叫び続ける。



「元服前の子供を夫にするなんて嫌! 大人の男になるまで何年待てっていうの!? 待ってる間にわらわはおばさんよ!!」


「な、長く待つにしても、四年くらいですって。大丈夫ですよ。四年経っても姫様は二十一でしょ? おばさんにはまだ遠いかと」


「十五のにしてみれば年増よ! 子を二、三人産んでいて普通の! 大年増!!」


「それは人によって考え方がちが」


「違わないッッッ! だって殿下が言ってたもの! 女は二十歳過ぎたら姥桜うばざくらって!!」



 うっわ、秀吉様最悪。

 女性絡みの秀吉様はクズだクズだと思っていたが、輪をかけてクズ過ぎる。

 二十歳過ぎたら姥桜なら、四十路を超えた寧々様はなんだと思っているのだ。

 そういう価値観も百歩譲って思うだけなら自由だが、口にするのは御法度でしょ。

 せめて、江姫様の耳がある場所で語らない配慮がほしかった。



「落ち着いてくださいまし、三の姫様。それは殿下だけのお考えですわ」



 後で石田様にチクってやる、と心に決め、ひとまず江姫様をなだめにかかる。



「徳川の若君もそうであるとはかぎりませぬ。お父上の駿河大納言様はお若い頃、大人の女人がお好みであったそうですよ?」



 これはソース旭様なので、正しい情報だ。

 徳川様は、成熟した大人のお姉さんが好きらしい。

 最初のご正室が綺麗な年上のお姉さんで、性癖が引っ張られたのだろう。

 今も二十、少なくとも十八を超えた成人女性にしか目を向けないそうだ。しかも子持ち未亡人大歓迎という、なかなかの性癖付き。

 そして男性の女性の好みの傾向は、父親に似るという。

 若君も徳川様に似て年上のお姉さん好みである可能性は、大いにあるはずなのだ。



「ですからそんなに思い悩まれずとも、良いかと思いますが」


「……若君と歳の近い小姓や若い近習は、殿下に同意していたけど?」



 秀吉様の小姓と近習、くだらない猥談に乗ってないで仕事して。

 主君のバカなお戯れを止めることも業務のうちでしょ。

 ああもう、ため息しか出てこないや……。



「殿方はたいがい、若いおなごが好きなんでしょ」


「まあその、うーん、そういう方が多いようには思いますが」


「やっぱりね! なら四年後の若君も歳若い可憐な乙女に目移りする可能性が高いわ、きっと!!」



 再び感情がヒートアップした江姫様が、甲高い声で叫ぶ。



「お、お静まりくださいまし、姫様」


「落ち着けないわよ! きっとわらわ、嫡男を産んだら恭しく捨て置かれるのだわ! あっという間に子が産めない年齢になって、夫が若い側室を娶るのを許すしかなくなるっ。そして側室とその子の影に怯えて暮らす生活を死ぬまで続ける羽目になるのよ!!」


「三の姫様、三の姫様ー?」


「殿下も寧々様も与祢も、わらわに夫の寵を失ったらお終いの正室になれって言うの!? 茶々姉様みたいに自力で目障りな側室を潰す度胸もないわらわに!?」



 妄想がものすごく具体的過ぎて、つい絶句する。

 それ見たことかとばかりに、江姫様が嗚咽まじりに絶叫した。



「これ以上みじめな人生はいやぁぁぁぁぁぁッッッッッ!!」



 あかん。悪い未来予想のドツボに嵌っていらっしゃる……。

 えぐえぐとしゃくりあげる背中をさすりながら、私は軽い頭痛を覚えた。

 それにしても茶々姫様のあれ、江姫様は茶々姫様なりの生存競争の結果だと思っているんだ。

 確かに外側だけで判断すれば、茶々姫様は有力なライバルを蹴落として立場を補強した、とも言えなくもないか。

 実際はもっと性質の違うものだと思うのだが、なんと説明したものだろう。なんか、こう、難しいな……。

 そうこうしているうちにも、江姫様の声は涙に溺れていく。



「無理ぃ……姉様みたいに非情になれないぃぃ……身分のしっかりした側室に男児を生まれたら、わらわ、夫の慈悲を信じて耐えるしかなくなる……生き地獄はいやぁ…………」


「別に非情になれずともよろしいのでは?」



 伏せられた江姫様の顔を、横から覗き込む。

 不安げに揺れる瞳に向けて、できるかぎり優しい声を出す。



「三の姫様には、淀の御方様のようなお振舞いをなさる必要はありませんよ」


「…………そうかしら」


「そうですよ、だってご正室として徳川家に迎えられるのでしょう?」



 家の中において、正室は夫とほぼほぼ対等の権力を握っている。

 奥向きのことともなれば、正室の権限は完全に夫を上回る。

 夫の側に仕える女性の選定と配置は、その最たるものだ。

 よほどのことがなければ、夫に近づく他の女の影に怯える必要はない。



「ですから、ね? 江姫様のお立場が他の女人に脅かされる恐れは」


「あるわよ」



 江姫様は、短く言い切る。



「だってわらわ、親も家も無いもの」


「でも姫様は殿下の猶女ゆうじょになられているでしょう? 姉姫様と同じじゃないですか」



 江姫様は縁組に先んじて秀吉様の猶女、ようは相続権の無い養女になっている。

 秀吉様が後見人を務めるため、その方がよかろうと手続きをしたらしい。

 よって現在の江姫様の身分は、天下人の養女むすめ

 条件の違いや細かな差はあれど、だいたい宇喜多家に嫁いだ豪姫様と同じ待遇だ。

 徳川家もそのへんは重々承知しているだろうから、江姫様をないがしろにすることは無いと思う。



「それでも、よ。実の親と実家が健在の豪殿とわらわでは、天と地ほどの差があるわ」



 しかし、江姫様は悲しい顔で首を振った。

 何が問題なのだろう。実親が代わりに養父母が付くなら、特に支障はないと思うのだが。

 よくわからないでいる私に、江姫様は困ったように微笑んだ。



「与祢、初姉様の近況って知ってる?」


「それは……ぁっ」



 言われて、ようやく思い出す。

 江姫様のもう一人の姉である、初姫様。

 竜子様のお兄様に嫁ぎ、京極家の正室となった彼女の近況は確か……。

 青ざめる私に、江姫様は唇を持ち上げた。

 そうしてぎこちない笑みを浮かべて、小さく沈んだ声で呟く。



「おうちのしっかりした側室と争って、屋敷から追い出されそうなのよ」


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