城奥の幽霊(3)【天正17年4月下旬】

 指定された勝手口を、事前に決めたとおり三度叩く。

 すぐさま戸が開き、馴染みの顔が隙間から覗いた。

 老年にさしかかった彼女──大政所様の女房さんは、私たちを見とめるとおっとりと微笑みを浮かべた。



「いらっしゃいまし、粧姫様」


「夜分にお邪魔します」


「うふふ、どうぞ皆様こちらへ」



 軽く会釈を交わし、ぞろぞろと勝手口を潜る。

 女房さんの先導を受けて塀沿いを進み、大政所様の御殿の奥まで入っていく。



「それにしましても、かような夜は長浜の御城におった頃を思い出しますなあ」



 道中。静かに笑いをこぼして、女房さんが福島様たちを振り返る。



「よう御小姓衆で肝試しをなさっておいででございましたねえ、左衛門大夫様」


「そういうこともあったかねえ」


「まあまあ、お忘れですの?」



 明後日の方向を向いた福島様に、女房さんは懐かしむような笑みを深くした。



人柱ひとばしらの噂が立った時でしたかしら? 連夜城内をうろついていらしたのでしょう」


「人柱……?」


「築城の際に石垣へ埋めた人柱がね、夜に恨みのこもった呻めきを上げるという噂があったのです」



 うそっ、怖っ。人柱って生け贄だよね!?

 長浜城の石垣に生け贄が埋まってるなんて初耳だよ!?

 盗みを働いた小者が逃げて掘に飛び込もうとした瞬間に、追いついた父様が空中で真っ二つにしたって逸話以外にもあのお城に怖いエピソードがあったんだ……。

 うわぁ……帰省したくなくなる……。

 蒼くなる私をよそに、女房さんはころころ声を転がして話を続ける。



「皆様不届きな人柱を見つけてこらしめるだのっておっしゃってねえ、うふふ」


「なあ、ばあさん。昔話はそこらへんで」


「ほほほ、それである晩に見回った御小姓たちが鳥か獣の声に驚かれて、あれは大変でしたなあ」


「おーい、耳が遠くなったかー、ばあさーん」



 話を止めようとする福島様と加藤様をスルーして、女房さんはにこにこだ。足取りがものすごく軽い。

 


「どう大変だったのですか?」


「逃げ出した先にあった大政所様の畑の水藻のこえを溜めた穴に、そろって嵌まってしまわれたのですわ」


「御小姓だった方々が? 皆そろって?」


「ええ、そう。折り重なるように嵌まられて、身動きが取れなくなってしまってね。泣き喚くやら母御に助けを求めるやら、大騒ぎでございました」



 ねえ、と女房さんが隣のおこや様に振る。

 するとおこや様は、にやりと笑って紀之介様たちを横目で見上げた。

 それに対して、四人は一斉に首を横に振る。

 顔を引きつらせて、ぶんぶんと勢いよく。

 紀之介様たちが嵌まったのか……なるほど……。



「おほほ。さあ、着きましたよ」



 恨めしげな四つの視線を笑い飛ばし、女房さんが足を止めた。

 いつのまにか、目的地の大政所様の居室のすぐ側にある家庭菜園に着いたらしい。

 目を凝らすと、綺麗に整えられた畝が幾筋か見えた。

 微かな風で揺れる青菜を注意深く避けて、みんなで畑を突っ切る。

 さほど広くない畑を抜けると、城奥と中奥を隔てる塀に辿り着く。

 夜目にも白く高い塀に沿って、梅や橘、柿などの実のなる樹木が植えられている。

 その少し鬱蒼とした枝葉の狭間にある木戸が、今回城奥へ忍び込むための入口だ。

 ここはね、御錠口以外で唯一、中奥と城奥の出入りが可能なポイントなのだ。

 寧々様がすぐ大政所様のもとへ駆けつけられるよう密かに設置されたもので、存在を知る人はとても少ない。

 秀吉様と寧々様、その側近数名。

 あとは大政所様とその御殿の人くらいかな。

 緊急時にしか使えないルールになっているけれど、秀吉様と寧々様から特例で利用させていただく許可をもらったのだ。



「錠の鍵は粧姫様にお預けいたします。明日の朝に返してくだされば結構です」


「承知いたしました」



 鍵を受け取って、取手の穴に持ってきた紐を通して結ぶ。

 無くしたら洒落にならない代物だからね。

 私が鍵の紐を帯に括り付けるのを見て、女房さんは満足げに頷いた。



「それではわたくしめはここで」


「ありがとうございました」


「いえいえ、首尾良くお勤めを果たされますように」



 袖で口元を覆って笑いながら一礼して、女房さんは踵を返す。

 そして一〇歩ほど進んだところで、ふと振り返った。



「足元にはお気をつけなされませ。もうこのばばは助けて差し上げられませぬからなあ」



 にやぁ、とした顔が手燭てしょくに照らし出される。

 とうとう福島様たちが、小声で悲鳴を上げた。



「ばあさん、もう勘弁してくれ!」


「某らに何の恨みがあるのだ!」


「おほほほほほほ」


「聞いておられるか!?」


「ばあさんっ! ばあさーん!」


「ほほほ、婆は耳が遠いので聴こえませぬなあ、おほほほほ」 


 

 怒涛の文句をぶつけられても、女房さんはとても愉快そうに無視をする。

 そのまま彼女は笑い声の尾を引きながら、悠然と建物の方へと歩み去っていった。

 ……あんなにキャラが濃いおばあちゃんだったっけ、あの方。

 残された私たちの間には、何とも言えない空気が漂い始める。

 だめだ。ぐだぐだしてきた。



「ま、参りましょうか」



 切り替えるために手を一つ叩いて、全員を見回してみる。

 返事はないが、待っている暇はない。

 私は無理矢理笑顔を作って木戸の前に進み、預かった鍵を錠前に差し入れた。

 呆気ない音とともに錠が外れる。それを手に持って、音を立てないようゆっくりと木戸を開いた。

 戸の向こうに、漆喰の壁が現れる。

 城奥の御蔵、その裏だ。



「はい、開きましたよ……、って」



 先頭を切って戸をくぐって振り向くと、後ろにはまたじたばたし始めた石田様が見えた。

 普段の冴え冴えとしすぎた怜悧さが皆無のありさまに、しょっぱい気持ちが込み上げてくる。



「もう疲れた! 某はここに残る! 残らせろっ!!」


「そいつはできねぇ相談だな」


「婆殿の相手で疲れたのだ、わかるだろう? 明日の勤めに差し障るから休ませてくれ」


「疲れたのはおれも同じだよ」


「だとしても、荒事ならば某がおらんでもよかろうが。いても邪魔になるぞ置いていけ市松頼むから」


「殿下の命の前におれらの意思は意味ねーっつったのは誰だ?」



 ため息を思いっきり吐きかける福島様の横で、おこや様も面倒そうに髪をいじりつつ頷く。



「ほんっっっとにそう。殿方ならさっさと腹を括ってくださいよねー」


「なっ、うるさいっ! 元はと言えばお前のせいではないかっ!? まともに蔵を管理しておれば」


「もう言わないでよ! 兄さんも佐吉様もどうしてそうしつこいのよ!? ちゃんと反省してるからわたしはここにいるんじゃないのーっ!」



 ねちっこい男って最悪! と呻いて、おこや様が石田様の背中を押した。



「とにかく行ってくださいなっ! 可愛い妹分の首がかかってるんだからねっ!」


「自分で可愛いと申すな図々しいぞ!」


「はいはい、行くぞー佐吉ー」


「早く行けっ、このっ」



 抵抗する石田様の腕を福島様が掴んで引きずり、おこや様が後ろから押して木戸の内側に入れる。

 十分に石田様が木戸から離れたところで、最後尾の加藤様と紀之介様がすばやく体を滑り込ませる。

 すかさず私が木戸を閉めて、錠を取り付けた。

 がちゃん、と重い音とともに錠が落ちる。それと合わせるかのように、悲痛な声が上がった。



「なぜ閉める!」


「なぜって開けっ放しは不用心だからですが」


「だからと言ってなぁ! お前に慈悲の心はないのか!?」


「鍵を掛けただけで、鬼畜生のように言わないでくださいます?」



 涙目で私に指を突きつける石田様の背後に、ふらりと紀之介様が現れる。

 懐から手拭いを出し、後ろから忙しく動く石田様の口へ当てた。

 気づいた石田様が抵抗する暇も与えず、キュッと後頭部で手拭いの端を縛って塞ぐ。



「んむーっ!?」


「市松殿、あとはよろしく」


「おう、まかせな」



 紀之介様からパスされた石田様を、福島様が軽々と担ぎ上げた。

 そうして空いた片手をひらめかせ、御蔵の壁伝いに左手へと歩き出す。



「また後でね、盗人がいたらしっかりとっちめておいて」



 おこや様も私の肩を叩いてから、福島様の後を追いかけた。

 石田様の呻めき声が、徐々に遠くなっていく。

 ようやく静けさが戻ってきた。



「オレらも行くか」



 長めの疲れきった息を吐いて、加藤様が呟くように言った。

 そうだね。もう十分疲れた感じがするけど、見回りはしないとね。



「与祢姫、手を」


「はい」



 紀之介様が差し出してくれた手に、手を乗せた。

 しっかりと握った私の手を引いて、紀之介様が右手の塀の側を歩き始める。

 こちらは天守や御蔵といった城奥のさらに奥へと近づく左手に対し、右手は城奥の外へ繋がる御錠口へと続く。

 御蔵はほとんど無いが、女中たちの住まいに混ざって塗籠の物置が並ぶ区画がある。

 今夜は左右の塀に沿って見回りをして、寧々様の御殿前で合流する予定となっているのだ。



「先ほどからずいぶん後ろを気にしているね」



 足音さえ抑えて進む道中、小さな声が降ってきた。

 そろりと顔を上げる。紀之介様は暗がりをまっすぐ見据えたまま、歩みを止めず訊ねてくる。



「どうかしたかい?」


「……その、おこや様たちの方が心掛かりで」


「こやは放っておいてもいいよ」



 あれはしぶといから、と紀之介様が言い切った。



「あれはあんななりしてなかなか強いんだ、鬱陶しいくらいにね。与祢姫が案ぜずとも死なないよ」


「ですが賊がもしあちらにおりましたら、福島様のご負担が増えそうではありませんか」



 いくら福島様でも、石田様とおこや様を庇いながら戦うのは骨が折れるのではないだろうか。

 逃そうにも石田様は腰が抜けているし、おこや様一人で動かせなさそうだ。



「市松たちなら適当にやるだろ」



 そんな私の心配を、前を歩いていた加藤様が振り返らずに否定した。



「非常に癪だか、市松はオレらの中でいっとう膂力りょりょくも武芸の腕もある。お荷物二つ抱えたところで何の障りもない」


「左様でございますか」


「左様も何様もない、当たり前だろうが」


「は、はい……左様でございましたね……」



 そういえば、加藤様のおっしゃるとおりだ。

 福島様は一番槍や大将首を挙げることが多い方であることは、周知の事実である。

 いざとなったら、石田様たちを放り出して賊を制圧するのも可能なのだろう。

 でも、今日は闇夜だしなあ。

 二人分のハンデが、福島様の足元を揺らすかもしれない。

 城奥が地の利が無い場所という悪い条件もあるから、どうしても心配になってくる。

 おこや様と入れ替わるべきだったかな。 



「おい」



 口を閉じて考えを巡らせていたら、棘のある声が飛んできた。

 前を歩く加藤様が、足を止めて振り返っていた。



「オレの朋輩を侮るな、腹が立つ」



 獣の威嚇にも似た言葉と殺気を浴びせられる。

 びり、と痺れるような緊張が肌を走った。

 反射的に紀之介様の手に縋る。苛立たしげな気配が強くなる。



「虎、与祢姫を脅かすな」



 紀之介様が一歩前へ出る。

 腕の中へと私を抱き寄せ、加藤様から隠してくれる。

 呆れた声が、虎、と加藤様をたしなめた。



「こいつが市松を侮るのが悪い」


「与祢姫は市松殿を侮ってなどいないよ。純粋に案じているだけだ」


「案じること自体がおかしいだろ。市松を信用していないんじゃないか」


「だから、深読みするな」



 言い募ろうとする加藤様に痺れを切らしたのか、紀之介様が語気を強くして被せる。



「この子は敵将ではなくて姫君だ、表はあっても裏は無い」


「お前、この娘に甘すぎやしないか?」


「虎は知らぬのだろうがな、深窓の姫君はかように扱うべきものなんだ」


「なんだそれ」



 半分にまぶたを落とした双眸が、紀之介様とその腕の中の私を見比べる。

 よほど加藤様にとって、紀之介様の言動は理解できないもののようだ。しげしげと私たちを観察してくる。

 いたたまれなくなって顔を伏せると、紀之介様の腕の力が少し強くなった。



「じろじろ与祢姫を見るな、無礼だぞ」


「……そうかよ」



 加藤様が目を逸らす。

 ほとんど消えかけていた殺気が、すっかりと霧散した。

 知らずに詰めていた息が肺の奥から押し出される。はあ、怖かった。

 体の強張りの解けたついでに、頼もしい腕から抜け出す。

 息を整えてから、私は改めて加藤様に頭を下げた。



「差し出がましい真似をして、申し訳ありませんでした」


「謝るなよ、必要ないだろうが」


「虎」


「チッ、わかった、わかったよ」



 紀之介様に咎められ、加藤様が髪を掻きむしる。

 ドンと勢いよく私の前に膝を突くと、大型の猫科の生き物によく似た目をひたりと据えた。



「さっきのはオレの了見違いらしい」


「は、はい」


「だから謝罪は、いら……」



 ぶっきらぼうな言葉が途切れる。

 加藤様が不自然に動きを止めていた。



「か──、んっ」



 かとうさま、と呼びかけた口が後ろから塞がれる。

 首を巡らせると、紀之介様が唇に人差し指を当てていた。

 どういうこと? 何が起きたの?

 目で訊ねても、加藤様も紀之介様も答えてくれない。

 代わりに手を引かれて、手近な植え込みへと押し込まれる。

 その、ほんの一瞬。




 振り返った視界の端の遠く、蛍火のような青が漂った。


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