城表にて(1)【天正17年4月初旬】


 年配の番衆が、丁寧に頭を下げる。



「よろしゅうございます。

 お通りくださいませ」



 すぐにお夏が動いて、台に並べた手荷物を大判の布へ仕舞い始めた。

 空港の搭乗前手荷物検査のゲートを思い出す光景だ。

 金属探知機と手荷物を載せるベルトコンベアが無い以外、ほとんど一緒。

 なつかしいな。かつて仕事や旅行で、しょっちゅう空港を利用した記憶がよみがえる。

 ちょっとだけ、落ち気味の気分が上に向いた気がしてきた。



「いかがなされました?」



 返された金朱色の打掛をお鈴に着せかけてもらっていると、側から遠慮がちな声が掛かった。

 振り向いた足元に、年若い番衆のお兄さんが跪いていた。



「お顔色が優れませんね。

 何かお心にわずらわしいことでも?」



 見上げてくるお兄さんの眼差しには、気遣わしげな色がある。

 ゔっ、顔に疲れが出てたか。あっさりバレるなんて恥ずかしい。



「まあ、お気遣いありがとうございます。

 でもそのようなことはございませぬよ」


「左様でございますか」


「左様ですとも。

 とても丁寧なお調べだなと感心していただけで」



 気まずさを今度はしっかりと隠して微笑みかける。

 するとお兄さんの表情がさっと色を変えた。

 


「申し訳ございません、

 ご気分を害しましたでしょうか」


「あっ、いえ! そういうことではありませんよ!」



 まずい、今のクレームに聞こえちゃったか!?

 内心少し慌てて、頭を下げようとするお兄さんを止める。



「城表と中奥の境に番所があるとは知らなかっただけなのです。

 不愉快だなんて、つゆほども思っておりませぬわ」



 城奥の女は滅多に外に出ないんだよね。

 出てこれて、中奥。そこに設置された、親族など外部の人との対面の間くらいのものだ。

 上から数えた方が早い身分の私、女性官僚ポジの孝蔵主様や東様でさえ例外ではない。

 業務の上で奉行衆と打ち合わせをすることも多々あるが、その時は中奥までご足労をお願いするのが基本だ。

 なので私は、今までほとんど城表へ行ったことがない。

 通常モードの手続きを踏むのは、実はこれが初めてなのだ。



「ですから、ただただ興味深かっただけなのです。

 言葉が足りず申し訳ありません」



 素直に事情を説明をして、さくっとお兄さんに謝っておく。

 本当は番衆相手に下手に出る必要は無いけど、念のための用心だ。

 生意気な女房殿という印象を持たれて、噂になったらたまらないからね。

 軽く頭を下げると、すかさず「頭を上げてください」と焦った声が返ってきた。



「こちらこそ早合点をいたしました、どうかお許しを」


「いえ、お気になさらず。

 気を遣わせてごめんなさい」

 


 そう告げると、お兄さんの表情がわずかに緩んだ。

 よかった、安心してくれたっぽい。

 ほっとしたついでに、私はお兄さんとお喋りを少しした。

 お兄さんは新人さんで、安芸の方の人らしい。

 安芸って都道府県で言えば、広島だったかな?

 美味しい牡蠣と、紅葉と鳥居が綺麗な厳島神社があるところ。

 試しに厳島の話を振ったら、お兄さんは喜んだ。

 何やら縁の深い場所だそうで、私が知っていてくれて嬉しいそうだ。

 ついでに聞いてみたが、揚げもみじはないらしい。

 残念、揚げたてもみじは美味しかったのにな。



「姫様、お待たせいたしました」



 お夏の声が、するりと滑り込んでくる。

 まとめ終わった荷物を手にしたお夏とお鈴が、錠が外された戸口に控えていた。

 用意できたから行くよってことね。了解ですとも。

 お喋りを切り上げて、お兄さんに会釈をしてからお夏たちの元へ行く。

 豪奢な戸口の前に立つと、左右の番衆が戸に手をかけた。

 重そうな音を立てて、静かに戸が開いていく。

 


「粧姫様」



 踏み出しかけた足が止めて、首を巡らせる。

 後ろに控えていたお兄さんが、笑みを刷いていた。



「表は藤棚が見頃でございますよ」



 藤棚? ああ、もう四月だもんね。城表にも藤棚があるんだ。

 良いこと教えてくれてありがたいけれど、急にどうしたんだろう……って、ちょい待ち。

 お兄さんの目に、どことなく期待っぽいものが覗いてない?

 これはもしや、いや、まさか。


 お兄さん、私にアプローチしてらっしゃる?


 しまった、不意打ちで距離感をぬかった。

 私より一〇歳くらい上に見えるお兄さんが意図して子供の私を誘うなんて、夢にも思わなかったよ。

 どうしよ、これ。無視は悪手だよね?

 下手に相手のプライドを傷付けると、トラブルの種にならないとも限らない。

 とりあえず、お礼を言っておく?

 それで済めば、はいさようなら。お兄さんが踏み込んできたら、やんわりお断り。

 よし、これでいこう。これしかない。

 断り文句はどうするかな。考えながら、踏み出しかけていた足の先を引っ込める。

 


「与祢姫」



 後ろへ向き直る寸前、打掛の肩を白い手袋の手に掴まれた。

 その場に留められて驚く間もなく、頭の上に耳に心地良い低い声が降ってくる。



「紀之介様!」


「迎えに来たよ」



 目を大きく開いた私に、紀之介様はにこりと笑いかけてかがんだ。

 長い腕が膝の後ろに回まわされて、声を上げる間もなく抱き上げられる。

 視界が一気に高くなる。お腹がひゅっと絞られるような感覚に、思わず薄紫の肩衣へしがみつく。

 近くなった紀之介様の口元が、笑みを深くした。



「さあ、参ろうか」


「は、はいっ」



 あ、でも、お兄さんにひと声かけておかなきゃ。

 お誘いはお断りするにしても、良いことを教えてくれたお礼はちゃんと伝えるべきだ。

 そう思って首を巡らせようとしたら、紀之介様が髪に触れてきた。



「紀之介様? いかがなさいました?」


「表の藤棚は奉行の溜間たまりのまに近い場所にあるんだ」



 大きな手のひらで私の頭をすっぽりと包むように撫でて、紀之介様が言う。

 


「気にかかるなら、花見をして行こうか」


「いいんですか!」


「君が望むならば」



 デートだ! やった!!

 嬉しくて紀之介様の首元にぎゅっとしがみつく。優しく呼気が耳の縁に触れて、くすぐったい。

 お夏に睨まれてるけど、どうでもいいや。

 今の私は、大好きな紀之介様にたっぷり可愛がっていただくので忙しいのだ!



「ああ、久留米くるめ内記ないき殿」



 私の髪を指で掬いながら、紀之介様が番衆のお兄さんに声をかける。



「与祢姫の無聊ぶりょうを慰めていただき、礼を申し上げる」


「いえ、大谷刑部殿から礼をいただくほどのことでは」



 二人とも笑って言葉を交わす。

 なんか、どっちも笑顔が綺麗すぎて怖いんですが。

 え、何、私がトラブルの種になってるの?

 そこはかとなく居心地が悪くて、二人を見比べるようにうかがう。

 髪を撫でてくれる紀之介様の手に、そっと肩へ押し付けられた。



「藤は俺が姫に見せてまいろう、

 貴殿は心置きなく・・・・・殿下のお側にお戻りあれ」



 では、と紀之介様が踵を返す。

 相手の返事は聞かないつもりらしい。

 きびきびとした足取りは、いつもよりもテンポが早い。

 付いてくるお夏とお鈴が小走りになっている。

 同行者と歩調を合わせないなんて、紀之介様にしては珍しい。

 呆気に取られている間に、番所がどんどん遠くなる。



「あのっ、お喋りしてくれてありがとうございましたっ」



 我に返って紀之介様の肩越しに、お兄さんへお礼だけなんとか投げる。

 何か返事をしてくれたようだが、はっきりはわからなかった。

 ほとんど同時に、紀之介様が廊下の角を曲がったから。

 


「紀之介様、紀之介様」


「なんだい」


「あの、どうしてこんなに急がれるのですか?」



 おそるおそる、訊ねてみる。

 普段とちょっと違う紀之介様は、そうだね、と目を細めた。



「早く君を連れて行ってしまいたいから、かな」






◇◇◇◇◇◇






 紀之介様に伴われて、奉行衆の溜間たまりのまへ入った。

 墨の匂いがほのかに漂い、襖や欄間には絢爛でありつつも凛とした意匠が用いられていた。

 同じ城だというのに、城奥とはまったく異なった趣きだ。



「目に楽しいものでもあったかい」



 訊ねられて、はい、と頷く。



「紀之介様と一緒だと、何を見ても楽しいです」


「嬉しいことを言ってくれるね」



 額を寄せて、くすくすと笑い合う。

 それだけでとっても楽しい。紀之介様のお側にいると、疲れも悩みもがすべて飛んでいくようだ。



「おい紀之介、いつまで戸口で突っ立っておるのだ!」



 横柄な声が、無遠慮に甘い空気を裂く。

 気がつけば石田様が、衝立の端から顔を出してこちらを睨んでいた。



「佐吉殿、いたのか」


「先ほど戻った。

 それより、粧の姫を連れてきたならすぐ中に入れんか」



 むやみやたらに外へ出しておくな、と石田様は鼻を鳴らして言う。

 私は台風の日の犬か猫か。微妙に酷い扱いに、せっかくの気分が盛り下がる。



「はいはい、今そちらへ行くよ」


「さっさとしろ、逃げたらどうする」


「逃げませんからっ!!!」



 私をなんだと思ってるの!?

 ついイラッときて石田様を睨み返すと、紀之介様に軽く背中を叩かれた。

 苦笑混じりに「良い子にね」と言われる。

 うー! 石田様が今日もむかつく!!

 腹立ちまぎれに肩衣へしがみつく手に力を込めて、抱っこされたまま中に入る。

 後ろに控えるお夏たちも私たちに続き、すぐ滑るように戸を閉じた。



「遅い! どこで油を売っていたのだ?」



 紀之介様と衝立の内側へ回るなり、石田様が叱り飛ばしてくる。

 


「すまない、藤を少し観てきたんだよ」


「はあ? 藤ぃ?」


「少し行ったところに藤棚があるだろう。

 綺麗だから、与祢姫に見せたくて」


「ほう、角の庭の白藤かな?」



 石田様の向かいに座る男性──片桐かたぎり東市正いちのかみ様が口を開いた。



「そうです!」



 畳の上に下ろされながら元気に応えた私に、片桐様はにこにこと目の横の皺を刻んだ。



「どうだったね、満開だったろう」


「けぶるようでございました。

 眩しいくらい白いお花がとても美しかったですわ」


「それは上々だ、良い時にこっちに来られたね」


「はいっ、紀之介様と観れてよかったです」



 そうかそうかと、笑顔の片桐様は何度も頷いてくれる。

 奉行衆の中でも年嵩の彼は、私に対していつもおっとりとソフトに接してくれる。

 だから紀之介様は別枠として、とてもお話ししやすい好ましい人だ。

 にこやかに話す私たちに、石田様はつんとした鼻の上に皺を寄せた。



「助作殿、紀之介、粧の姫を甘やかすな」


「まあまあ、ちょっとくらい息抜きをしてもいいじゃないか」


「与祢姫は大変な目に遭ったんだ、甘えさせてあげないと」



 そうだそうだー、石田様も私に優しくしろー。

 朝からえらい目に遭って、仕事どころじゃなかったんだよ。

 超特急で荷物をまとめたり、城奥から城表へ緊急配送されたり、ずっとドタバタで体的にも疲れてもいるんだ。

 傷心を癒すために、紀之介様とデートするくらいのご褒美があってもいいじゃない。

 たぶん寧々様も、その目的で私を送り出してくれたのだと思うよ?



「かわいそうな私をゆっくりさせてくださいよねー」


「自分で言うな! 息を抜きすぎだと言っておるのだ!!」



 こめかみを押さえて、石田様が吼える。



「お前は襲われかけて避難してきたのであろうがっ。

 少しは神妙にして人目を憚れ、馬鹿!!」 



*****************

【番衆のお兄さん】

正体は小早川こばやかわ秀包ひでかね氏。

与祢と接触するために、番衆に紛れ込んでた。

1567年生まれ。与祢より13歳年上の23歳。

謀神☆毛利元就が71歳の頃に生まれた末っ子。爺さん元気だな。

現在歳の離れた兄の小早川隆景の養継嗣であり、秀吉のお気に入りでもあったりする。

昨年クリスチャンの大友家からもらった奥さんと離婚したらしい。

もしかしなくても、昨年初夏のヒ素化粧水事件で秀吉がバテレン追放令狂化版を発動した余波の被害者。

兄兼養父と歳上の甥っ子の協議の結果、ちょうどいいからとバチ○ロレッテin聚楽第にエントリーさせられた。

わりと身内が心無い感じがする。また登場できたらいいな。


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