吸いたい男と吸わせたくない少女(2)【天正16年10月中旬】
「与祢姫様、こちらを」
私の前に、湯浅殿が大きめの塗りの箱を置いた。
大谷家中の人たちと佐助が総出で紀之介様のリビングと寝室を家探しした結果、発見された品だ。
寝室の天井裏に隠してあったらしい。
湯浅殿と目が合う。頷くと、大きな手が箱の蓋を外した。
香ばしくて辛みを含んだ臭いが鼻腔に絡む。
首を伸ばして箱の中を覗く。白木の小箱が二つと、煙管などの喫煙道具一式が入っていた。
ふぅん、煙管は火皿以外が木製のやつね。考えたものだ。
白木の小箱を手に取って開ける。細かく刻んだ煙草の葉が詰まっていた。
あーあ、やっぱりか。
「二度目ですね、禁煙失敗」
近習の人たちに両脇を固められている紀之介様が、気まずそうに目を伏せた。
弱々しく「すまない」と謝ってくる。
ずいぶんとしおらしい態度だが、つい目を眇めてしまう。
二週間前に一度、騙されたからだ。二度も同じ手に引っかかるものか。
「今度はどうやって手に入れたんですか」
「……」
「紀之介様、与祢の目を見てください」
往生際が悪いな、紀之介様。
秘密にしようと思ったら、死んでも口を割らない姿勢をここで披露しないでほしい。
さすがの私もこめかみがぴくぴくしちゃうよ。
一度目の禁煙失敗の際、紀之介様が隠し持っていた煙草はすべて没収した。
隅々まで屋敷内を調べ、見つけた煙草は一欠けらも残さず私の手で処分した。
にも関わらず、ここに新たな煙草がある。
紀之介様がなんらかの入手ルートを持っているってことだ。
用意周到さの無駄遣いに呆れるしかないわ。
冷たい目で紀之介様に返事を催促していると、からりと居間に繋がる襖が開いた。
「姫様、片桐
ひっくり返されたようなリビングを背景に、佐助がへらりと片頬を持ち上げる。
一枚の手紙をひらひら見せびらかすように、長い指が弄んでいた。
「見舞いの品に煙草を所望されたようですね。
上手く言いくるめちゃってまあ、すごいや」
東市正様かわいそーとうそぶく佐助の手元を、紀之介様は凝視する。
恨みが漂うその眼差しを、佐助は軽く笑って流した。
からかいを含んだ態度にカチンと来たのだろう。
紀之介様はにっこりと、それはもうわざとらしく微笑みを浮かべた。
「君、伊右衛門殿の御家中とは思えない無作法だね」
「すんませんねえ、刑部様。
そこの湯浅殿の許可は取りましたんで~」
「俺にはからず他家の者を使うとは何事かな、五助」
「いやあ、他家は他家でもですね、
三雲殿は与祢姫様の供侍ですから」
「それが言い訳になるとでも?」
おっしゃるとおり。私と私の配下を信用しすぎだ、大谷家の皆さん。
今に限っては好都合だからツッコミ入れないが。
穏やかに湯浅殿と佐助に八つ当たりする紀之介様を横目に、懐から手紙を引っ張り出す。
一通、二通、三通……。きちんと揃っている。宛名にも間違いはない。
「お夏」
「はい、ここに」
「大坂城に使いの者をやって、
これを石田様にお渡ししてちょうだい」
「承知しました」
「例の文に添えてくださいとお願いしてね」
念押しする私に深く頭を下げて、お夏が席を立つ。これでよしっと。
「今の文は何でございますか」
私の側に控えていた百合殿が不思議そうに訊ねてきた。
紀之介様を確認すると、まだ湯浅殿と佐助に弄ばれている。
私とお夏のやり取りに気付いた様子はないし、ネタばらしをしても大丈夫そうかな。
「紀之介様と親交のある方への文ですよ」
「旦那様のご友人方、
と申しますと関白殿下の元小姓衆の方々?」
「そう、その方々」
紀之介様は昔、秀吉様の小姓を勤めていた。
当時の小姓仲間数名とも、いまだに仲が良い。
石田様と私もよく知る福島様や片桐様、会ったことがない加藤様という方だ。
「今の紀之介様は自力で煙草を買いに行けないでしょう?」
「なるほど、先回りで旦那様が頼る先を潰されたのですね」
返事の代わりににやっとしてみせると、百合殿もにやりとしてくれた。
福島様たちが紀之介様へお見舞いに煙草などを贈りそうだ、という話は前々から石田様に聞かされた。
彼らは最年少の同僚だった紀之介様に甘いらしい。
本当に人の好意に付け込んでいくとは、紀之介様もなかなかの悪よな。
再発防止のため、福島様たちにはきちんと注意喚起しておかねばならない。
今後一切、紀之介様に喫煙グッズを与えないでくださいってね。
「やるからには、きちんと禁煙していただかないと」
「まったくでございます」
前より元気そうな紀之介様を眺めながら、百合殿とため息を重ねる。
紀之介様の金属アレルギーと掌蹠膿疱症は、順調に良くなってきている。
だから、ニコチンの誘惑に敗北したんだろう。
禁煙してしばらくしたタイミングは、甘い考えが発生しやすくなる。
ずいぶん禁煙をがんばったし、だいぶ体調も良くなった。
ご褒美にちょっとくらい吸っても大丈夫だよね? みたいな。
人間は楽な方へ流れる生き物だ。忍耐力なんていくらあっても、欲望の前には紙切れ同然。
ゆえに気を抜くとすぐに禁煙は失敗するのである。
それと、煙草の価値が下がりつつあることも、禁煙の邪魔になっているように感じる。
最近何が起きているのか、やけに煙草の葉が入手しやすくなってきてるらしい。
ここ一、二年くらいだろうか。紀之介様が博多で煙草を覚えた時期あたりからだ。
ちょっと珍しくてプチ贅沢な嗜好品と言えばわかりやすいかな。
私たち上流階級にとって、煙草はそれなりのお手頃な価格で流通しているのだ。
ほんの数年前のように超高価な品であれば、金銭的に止めやすかったのに!
「朝も夜も付きっきりでお側にいるしかないのかしら」
一応、紀之介様は分煙ができる人だ。私の前では吸わない努力ができている。子供は煙草が苦手という認識があるらしい。
可能なかぎり私と過ごす時間を増やせば、おのずと煙草は紀之介様から遠ざかるはず。
なのだけれど……。
「与祢姫、それはやめなさい」
煙草の小箱を突きながらの私のぼやきに、紀之介様が慌ててふりむいた。
「俺の屋敷に滞在するのは、
さすがに伊右衛門殿がお許しにならないよ」
「ですよねえ」
私の問題で無理だよね。残念。
子供とはいえ、私は未婚の姫だ。近親者ではない若い男性の屋敷に泊まり込むと、事実上結婚したも同然になる。
嫁入りの形式の一つとして、成人前から妻となる少女を夫側の屋敷で預かるなんてものがあるみたい。
私たちにそのつもりがなくても、世間がそう見なしてしまうのだ。
丿貫おじさん越しに紀之介様を脅したうちの父様のことだ。そんなことになったら、絶対に許すはずがないよ。
バレたら最後、父様はノータイムで紀之介様の首を獲りに飛んでくる。
寧々様のお許しで紀之介様のお世話をすることができているだけ、ありがたいと思わなくちゃ。
「私がいなくても、
煙草を断てる
頬に手を当てて、またため息。せっかくの幸せが逃げちゃいそうだ。
私もいつまでも堺にはいられない。寧々様が手紙で帰りはいつ頃になりそう? と匂わせ始めている。
私が聚楽第を離れて、かれこれ一ヶ月以上になる。言い訳しようもなく長すぎるのだ。
可能なかぎり滞在期間を引き延ばそうと考えているが、限度ってものもある。
タイムリミットは長くてあと一ヶ月ほどだろう。
「どうして煙草を吸いたくなってしまうのですか?」
「……口が、寂しくてね」
目を逸らして紀之介様が言う。
口寂しいって、薄荷飴はどうしたの。
たくさん作って渡したのに、足りなかったのだろうか。
「飴を口に入れるとつい噛んでしまうんだ」
「ああ……噛み癖ですか……」
「それに甘い物を食べ過ぎるのもよくないだろう?」
そうだった。虫歯予防を考えたら飴の食べすぎは厳禁だ。
歯科治療が発達していない今の時代、虫歯はとても怖い病気だもの。
でも、そうか。飴は噛むとすぐ無くなる。あまり数も食べられない。
だから紀之介様の口寂しさは埋められないってわけか。
薄荷飴で紛らわせる作戦なんて、紀之介様には上手くいくはずなかったんだ。
思わぬ盲点だったよ。
「だめですね、飴」
「味は悪くないんだが」
二人そろって額に手を当てる。困ったな、メントールが大丈夫なのにもったいない。
令和の世であれば、キシリトール配合のミントガムって選択肢もあったんだけどなあ。
悲しいかな、今の世にはガムがないんだよね。
さすがの私もガムの材料や作り方は知らないので、一から作ろうにも作れないよ。
ミントタブレットならまだ作れる可能性はあるが、たぶんだめだ。
紀之介様のことだ。口に入れたら速攻で噛み砕くに違いない。
「薄荷味の何かなら、なんとかなりそうでしょうか」
「おそらくは?」
「疑問で返されると不安が残るんですけど……」
「こればかりは自信がないからね、しかたない」
すぱっと言いきらないでよ。困った人だ。
本当に、何か良いアイデアないかなあ。
手持無沙汰で手に取った煙管を、指の間で回しつつ考え込む。
ガムやタブレット以外で、禁煙グッズってあったかな。
用意が難しくなくて、噛んでもいいか、噛まなくてもいいようなの。
掌蹠膿疱症を患った同期は、確か加熱式タバコでノンニコチンスティックを味わっていたっけ。
バニラフレーバーが美味しいって、うつろな目で自分自身に言い聞かせていた。
私も試しに吸ってみたが、それなりに満足感はあった覚えがある。
でも、電化製品は無理か。天正の世にはリチウム電池どころか、初歩的な発電機すら存在しない。
選択肢としては無し……いや、ちょっと待って。
「与祢姫?」
「姫様? どうなさいました?」
紀之介様と百合殿が心配そうに掛けてくる声が、どこか遠い。
視線が煙管から離せない。
そうだ。そうだよ。できるじゃん、加熱式タバコ。作ろうと思えば何とかなるじゃん。
というか、似たようなものは私も前に使っていた。
忙しくなくなってから飽きて、すっかりあれのことを忘れてたよ。
「佐助ぇ!」
「うぇ!?」
息を吸い込んで吐くと同時。
あらんかぎりの力をお腹に込めて、柱にもたれてにやついていた佐助を叫ぶ。
「与四郎おじさんのお屋敷に行って!」
「え、何ですか。忘れ物でも?」
「急ぎの用よ」
メイクアイディアを書くための手帳を懐から出す。
周りにびっくりされても構ってられない。
焦りを必死で抑えて、紙の上に筆を走らせていく。
「おじさんに頼みごとを伝えてほしいの。
必要なものはすぐ書きつけるからね」
「今日はとと屋の旦那、会合衆の寄合ですけど……」
「ちょうどいいわ、寄合しているところへ行って」
「いやあんた、無茶言わないでくださいよ!」
殺されちまう! と佐助が叫ぶように言った。
財界のVIPの定例会議に突撃しろっていうのは、へらへらの佐助であっても腰が引けるようだ。
気持ちはわかるが、殺されるは大げさだよ。
会議の邪魔をしたら嫌がられるだろうが、せいぜいしかめっ面をされるくらいじゃない?
案外佐助も小心者だったのかな。しかたない、私の花押を入れておくか。
「粧内侍の名を出せば、誰も否やと言わないでしょ」
「うっわ、そこまでやりますか」
「本当に本当の急ぎなのよ」
必要な内容を書き終えたページを手帳から破る。
もどかしく指を動かして畳み、佐助の手に握らせた。
「薄荷の香油と葉、橙とかの香油、
桂皮や生姜とか香味のあるもの、
綿球、火皿と吸い口が陶製か木製の煙管」
ドン引き気味の佐助をぎろりと睨む。
そして、いいこと、と私は心持ち低い声を出した。
「すぐに用意してくれた方に、相応の礼をしますと伝えなさい!」
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