セカンド・オピニオン(1)【天正16年9月15日】



 ずらりと並ぶ坊主頭、坊主頭、坊主頭。

 一〇を超える坊主頭の集団が、所狭しと大谷邸の座敷を埋める。

 狭くはないはずなのに、圧迫感がすごい。

 お付きの小坊主さんに至っては、廊下にまではみ出すほど集まっている。

 一瞬大きなお寺の法要のような錯覚を覚えるが、坊主頭の人々は誰一人として袈裟を着ていない。

 おのおのの手に数珠は無く、側にあるのは仏具ではなく薬箱。

 そう、ここに集まったのはお坊さんではない。




 彼らは医師。

 当代最高峰の名医たる曲直瀬道三と、その高弟たちなのである。





「おい……粧の姫……」



 油切れを起こした自転車のようなぎこちなさで、石田様が振り向く。



「お前、何をやった?」



 絞り出された石田様の声は、動揺を隠せていない。

 隣の紀之介様に至っては、信じられないものを見る目で固まっている。



「お医者様を呼んだだけですけど」


「だからそれをどうやったんだと言っている!」


「普通に呼んだだけですよ。

 診てもらいたい患者さんがいるので、来てくださいって」



 そこまで驚かなくてもいいでしょ。

 大事な人が病気になったから、知り合いの腕の良いお医者さんを呼んだ。

 ただそれだけのことなのだから。





 紀之介様に会えました。

 ちょっとだけパニクらせてしまったけれどね。

 やっぱりというか、紀之介様は病気で心を病みかけていた。

 原因は皮膚疾患。しかもとびきり深刻なものを患ってしまったせいだ。

 見た目の変化は人間の心に影響を与えやすいものである。

 事故で病気で体に大きな傷や欠損が発生すると、人は多かれ少なかれ動揺する。

 それが元でメンタルのバランスを崩してしまう人も珍しくはない。

 だから乳がん患者さんの乳房の再建手術や、事故で顔面に大怪我をした人の整形手術があるわけだ。

 紀之介様の場合、病気による行動制限が起きていたことも大きい。

 手のひらだけだった炎症が足にも顔にも広がって、しかも感染症を併発したのか酷く膿んでしまった。

 それで筆を取っての机仕事だけでなく、立ち歩くことさえ大変になりつつあったのだ。

 今までできたことが、ほとんどできなくなる。

 容姿が変貌して、心無い言葉や噂に苦しめられる。

 もう真正面からアイデンティティがぶち壊しである。

 こんな状況に置かれたら、紀之介様でなくたって心の病気になってしまうわ。


 急いでまともなお医者さんの診察を受けるべきだと思った。

 業病ではなさそうだが、放置していいような病気には見えなかった。

 細菌感染で内臓にダメージが及んだら、治療の難易度が跳ね上がる。

 合併症を呼び込む前に、早急な治療が必要だ。

 なんとか落ち着いてくれた紀之介様に言葉を尽くして、私はそう説得した。

 石田様も友達として、不安がる紀之介様の言い訳や尻込みを片っ端から潰しまくってくれた。

 なんだかんだで、私たちの紀之介様を助けたいという気持ちは一致している。

 粘り強く二正面作戦を続け、夜までに紀之介様を頷かせることに成功した。


 そうと決まれば、あとは簡単。

 私は与四郎おじさんのお屋敷に滞在しながら、紀之介様のお屋敷に毎日通って看病して、合間合間であちこちに手紙を出した。


 まずはお医者さん。

 良いお医者さんの知り合いを片っ端から招集した。

 曲直瀬道三先生、その後継の玄朔先生、丿貫おじさん、佐助の親族である施薬院全宗先生。

 一番信用できるフルメンバーが往診をOKしてくれた。

 寧々様経由で秀吉様の許可も下りている。

 帝が急病にでもならないかぎり、しばらく私が彼らを独占しても横槍は入らないはずである。


 次に知り合いの豪商への協力要請。

 与四郎おじさんを筆頭とした堺商人には直接会って、博多の神谷宗湛さんたちには手紙で、医薬品の提供を依頼した。

 紀之介様の病名は、まだはっきりしない。

 どんな薬が必要になるかわからないのだ。

 場合によれば、海外の薬材が必要になるかもしれない。

 今あるだけ集めて、売ってもらいたいと申し入れた。

 だいたいどの商人にとっても、私は屈指のお得意様だ。

 羽柴の城奥との取引にしろ、美容グッズや化粧品の開発販売にしろ、ガッチガチに私が噛んでいる。

 平素からご愛顧してあげているってこういう時に有利だね。

 おかげで断る人はいなかった。

 必要な物があれば東南アジアや中国の方から輸入もすると、貿易商の人が手を挙げてくれもした。

 代わりになんかあったらよろしく、と微笑まれたが。

 まあ、ギブ・アンド・テイクは商売の大原則だ。

 ちょっと怖いけど、その時は良い商売をしましょうねってお返事をしておいた。


 そして毎日、東様への手紙を書いた。

 心配されているだろうから、紀之介様の観察日記を付けて配信しているのだ。

 寧々様も秀吉様も読むと考え、できるだけ詳細にね。

 何かあれば秀吉様たちの力添えもほしい。

 紀之介様の病状を知っておいてもらって損はない。

 惚気たブログのような内容になっているが、わざとである。

 周囲の大人に紀之介様が好きとアピっておけば、おかしな縁談避けになるそうだ。

 これは母様のアドバイスで、父様を落とす時に使ったテクニックらしい。

 お姑さんになる人と仲良くなるのもオススメと聞いた。

 お姑さんが味方だと、結婚前も結婚後も有利にことが運ぶみたい。

 そういえば大政所様もうちの祖母様ばばさまも嫁の味方で、彼女らの好意は寧々様や母様の力になっている。

 優しい料理上手の東様がお姑さんか。悪くない、むしろ最高。うふふふふ。


 そんなこんなで、毎日朝から日暮れまで楽しく紀之介様のお世話をして、大谷家の湯浅殿たちに囃されて。

 与四郎おじさんや佐助に時々揶揄われ、お夏に呆れられ、たまに石田様にいびられつつ過ごすこと半月。


 本日やっと堺の紀之介様の屋敷に、現在の日本最高峰の医師団が到着したのである。





「お前、人脈がおかしいことになっていないか?」



 ざわざわ診察の準備を進めている曲直瀬先生たちを横目に、石田様が囁いていてくる。



「いや別に? お化粧係の仕事柄もありますし、

 そこの遠藤道貫様が大叔父という縁もありますから」


「だとしてもおかしかろうが!

 曲直瀬流の医者を道三殿ごと根こそぎ連れてくるなど、

 殿下とてなかなかできんぞ!?」


「できちゃったもんはしかたない」


「それで済むか馬鹿!」



 がしっと肩を掴まれる。



「医者代はどうするのだ!?

 こいつらの誰かを一人を呼ぶと、

 どれだけ金が掛かるかお前は知っておるのか!?」


「知りませんけど大丈夫ですよ」


「大丈夫じゃない! 紀之介の財布を空にする気か!」


「私が払うから大丈夫ですって、石田様」


「「は?」」



 さらっと返すと、石田様がぽかんとした。

 再起動しかけていた紀之介様も、また固まる。

 いや、驚かなくてもよくない?

 こう見えて私には、結構な個人資産があるんだよ?

 化粧品開発のアドバイザー、化粧品や美容グッズの広告塔としての謝金。

 合成ウルトラマリンの利益配当も、全体から見てちょっとだけど懐に入ってくる。

 寧々様の女房としてもらっている俸禄や、山内家からの化粧料おこづかいという収入もある。

 ゆえに私は、同年代のお姫様の誰よりもセレブであると自負している。

 そうでなくても紀之介様の治療費であれば、喜んで差し出すよ。



「そこまで俺にしてくれなくとも」



 困ったように紀之介様が言う。

 あ、まずい。やりすぎと思われたのかな。



「あの、だめでしたか?」


「君に無理を強いてまで、

 病を治すのは気が引けるよ」


「無理してないです!

 ちっともそんなことないです!」



 紀之介様の手を取る。

 痛々しい手。指の関節のところはアカギレみたいになっているし、手のひらも手の甲も酷く肌が爛れている。

 カレンデュラのハンドクリームなどでケアしても、ほとんど改善していない。

 どうして治らないんだろう。悲しくなってきて、鼻の奥がツンと痛む。

 両手で取ったその手に頬を添える。

 温かい手。優しい手の紀之介様が、これ以上苦しまないよう治せたらいいのに。



「お願い、紀之介様。私にできることをさせてください」


「だが、これは少しばかり……」


「お金を見せびらかすいやらしい娘とお思いですか?」

 


 不安になって訊ねる。

 今回は派手にお金を使っているかも、と私自身も少し思っているくらいだ。

 お金に物を言わせる品の無い子だって、紀之介様は心の中で私に眉を顰めているのかも。

 だからやんわりと断ろうとしているのだったら。

 夢中でやってしまったこととはいえ、紀之介様に嫌われたら。

 ちょっとだけ、涙が出てきた。



「そんなことは思っていないよ」



 湿りを帯びた私の目元を紀之介様の親指がなぞる。



「君は懸命に俺のためをと考えてくれたことだろう?」


「っ、はい!」


「だったら、とても嬉しく思う。ありがとう」



 でもね、と紀之介様の眉のあたりが、ほのかな憂いが帯びる。



「君にこれほど心を砕かせる価値が、

 はたして俺にあるかどうか」


「ありますっ」



 何を今更! 紀之介様の言葉を途中で否定する。

 まだわかってくれていないの?

 あなたが大切よって、毎日伝えていたのに。

 丸くなった涼しい双眸を見つめて、紀之介様、と名前を呼んだ。



「だって私、紀之介様のこと───」


「盛り上がっとるとこちょっとええかいな」



 パンパン、と手を叩く音。

 はっと私と紀之介様が振り向くと、丿貫おじさんが腕組みをして私たちを見下ろしていた。

 愛嬌のあるつぶらな目元に、まったく似合わない威圧オーラを漂わせて。



「診察の手筈が整いましてなあ。

 大谷刑部様、お与祢から離れておくれやす」


「あ、ああ、承知した」



 紀之介様がパッと私から距離を取った。

 適切とされる距離まで離れるよう言われて、しかたなく従う。

 ちっ、良いところだったのに!

 恨めしく丿貫おじさんを睨む。めっと睨み返された。



「悪ぅござりますなぁ、口煩くちうるそうて。

 手前はこれでもお与祢の大叔父でおざりますのや」


「……申し訳ない、与祢姫の好意に甘え過ぎました」


「わかってくださればええんどす」



 軽く頭を下げた紀之介様に、丿貫おじさんはおっとり微笑む。



「伊右衛門殿にもな、

 刑部様に会うたらよしなにお伝えしとくれと、

 ようよう頼まれておりますのんやわ」


「伊右衛門殿が……左様ですか……」


「ええ、そらもうねえ、山内うち大事なおひぃ様・・・・・・・やしねえ」


「ちょっとおじさん!」



 慌てて丿貫おじさんの袖を引っ張る。



「なんで紀之介様を不埒者扱いで脅すの!? 謝って!」


「これから不埒者にならはるかもしれへんやろ?」


「なるわけないから! 紀之介様は誠実な方なの!」



 私の紀之介様を勘違いしないでほしい。

 だって紀之介様は完全に私のお父さん気分だからね。

 一昨日夕食の給仕をしていた私に、さらっと笑顔で「君の父上になった気分だよ」って言っちゃうくらいだ。

 完全に私を女としては眼中に入れてくれていない。

 非常に悔しいが、丿貫おじさんが心配するようなことは現時点では何一つ発生し得ないのだ。



「せやけどなあ、お与祢。

 男はこの世でいっとう信用したらあかん生き物なんやで?

 すこぉしでも期待させたらあかんのや」


「ケダモノ前提で語るって酷すぎない?」



 男は狼なんだってか?

 重々知ってるわ。元アラサーだからな。

 だとしても紀之介様は例外だ。とびっきり節度のある男性なのだ。

 今の私がいくら望んでも、絶対に狼にはなってくれない自信がある。

 


「粧の姫、お前の大叔父の言い分に理があると思うぞ」


「石田様!?」



 なんで石田様がここで参戦してくるのだ。

 ぎょっとする私に、石田様は生温かい目でぽんと頭を撫でた。



「紀之介をケダモノのように申すのは気に食わんが、

 お前に慎みが必要なのは同意だ」


「つ、慎み」


「そうだ、慎みだ。紀之介がまともな男であることに感謝しろ。

 女にとって男はな、警戒してもし足りない生き物なのだぞ。

 お前は馬鹿だが阿呆ではないのでわかるだろう?」


「その、口答えするようで申し訳ないのですが、

 ちゃんと紀之介様以外の殿方には警戒心を持ってますよ?」



 私は紀之介様以外の男性に積極的なアプローチをする気はない。

 誤解させるような隙も作ったことがないし、そこそこ警戒して対応する。

 前世でストーカー被害に遭った時、そういうことを嫌ってくらい学んだからね。

 この時代においても抜かりなく、きちんと寧々様や孝蔵主様から学んでいる。

 心配しなくてもいいんだけどなあ。



「お与祢、石田治部様の言う通りやで」


「おじさん!?」


「どんな男にも警戒心は必要なんや、なあ治部様」


「話がわかるではないか、遠藤殿。

 もっと言ってやれ、身内の言葉ならこの娘の頭にも染み渡るだろう」


「いやいや年頃の娘でおざりますからなあ、

 他所様の言の方が沁みるやもしれまへんで?」


「確かに一理あるな。

 某の九つの娘も近頃はとんと親の言うことを聞かぬ」


「で、おざりましょう? ややこしい年頃ですわぁ」



 待って待って、なんでこの二人が意気投合するんだ。

 一番合わなそうな性格同士なのに、世の中何があるかわかったものじゃないな。

 紀之介様をちらりとうかがう。ケダモノの冤罪をかけられてしまったけど、不快になってないかなって。

 目が合った。荒れた唇が、薄く苦い笑みを刷いている。

 申し訳なくなって私が眉を下げると、紀之介様はそろりと手を伸ばしてきた。

 話に夢中のおじさんたちが見ていない隙に、頭をひとつ撫でてくれる。

 優しいなあ。こんな紀之介様が悪い狼になるわけないよ。



「遠藤殿、佐吉殿」



 紀之介様が丿貫おじさんと石田様に声を掛ける。

 私を撫でた手を膝の上に戻してから、だ。抜かりがない。



「俺も与祢姫も、今後は節度を心がけます。

 ですので、どうか姫を叱るのはそこまでに」


「ほんまですな?」


「ええ、もちろん」



 じとりと横目をくれる丿貫おじさんに、紀之介様は素直に頷く。



「俺は与祢姫の父や兄のような心持ちでおります。

 不埒な真似はしないと、天地神明に誓いましょう」



 紀之介様、オーバーだ。

 そんな誓いは立てないでほしいんですが?

 だけどここでそう言ったら、また話がループする。

 喉まで出かかる気持ちをこらえて、私も身を慎みますと言うしかなかった。

 ……今日も寝床で泣こう。



「よろしゅおす、治部様に免じてそういうことに致しましょう。

 次はありまへんで」


「遠藤殿がそう申すなら某も許してやる。

 粧の姫は以後気を付けろよ」



 だからいつの間に信頼関係を築いているんだ、あんたらは。

 妙に仲良くなった丿貫おじさんと石田様を前に、私と紀之介様はこっそり目配せをする。

 変な身内がいると、お互い苦労するよね。

 そんな気持ちを胸に私たちは神妙な顔に切り替えて、揃ってはいと良い子な返事をしたのだった。


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