私の会いたい、あなた【天正16年9月1日】



 黒い瓦を葺いた門の前に立つ。

 思ったよりも、シンプルな門構えだ。

 華やかさとは無縁だが、代わりに清廉な雰囲気がある。

 柱や門扉は綺麗に磨き抜かれ、門前はきちんと掃き清めてある。

 良い感じ。派手なものばかり見ている目にとても優しい。

 屋敷の主の在り方を映したような佇まいに、少しだけ嬉しくなった。


 とうとう、来てしまった。紀之介様のお屋敷に。


 伏見からの舟が思いのほか早く堺に着いたので、船着場から直行しちゃったよ。

 太陽がまだ高いから紀之介様のご迷惑にはならないだろうってことで、石田様がアポ取りのために従者を走らせた。

 そうしたら運良くご都合がよかったようで、どうぞ来てくださいってお返事があって、今に至るってわけだ。

 自分の運の良さを褒めてあげたい。

 まさかこんなに早く紀之介様に会えそうなんてね。

 つい、笑みが溢れてくる。



「おい、ぐずぐずするな」



 ニコニコと門を眺めていたら、背中を軽く押された。

 よろけながら振り返ると、そこには石田様の仏頂面。

 はー、むかつく。何すんだ、この人は。

 嬉しい気持ちがちょっと失せて、むっつり顔に変わってしまう。



「なんだその顔は」


「なんでもないです」



 小袖の裾を直しながら、明後日の方向を眺めて返事をする。

 あからさまな舌打ちが聴こえたが無視だ。

 ここで言い返すと、必ず五倍になって返ってくる。

 まともに石田様の相手をすると疲れるだけだ。

 もうこの人の喧嘩は絶対買ってやらないんだからな!

 

 伏見での一件からこちら、私たちの空気は最悪の一言に尽きる。

 当たり前だよ。斬る斬らないなんて修羅場までいったんだもの。

 お互い紀之介様が大切ゆえのぶつかり合いだ。

 和解なんて、どちらもできっこなかった。

 しこたま言い合った末に、かろうじて妥協して私たちは休戦した。



 私が紀之介様の姿を見て少しでも引いたら、その場で斬ってもいいっていう約束をして。



 洒落にならない、命をチップにした賭けじみたことをしているせいだ。

 寄ると触ると剣呑になってしまうのは、もうしかたがない。

 上手いこと間を取り持ってくれる佐助がいないから余計だ。

 与四郎おじさんの屋敷へ、予定変更を知らせに行かせたのは失敗だったかなあ。



「さっさと行くぞ。

 せいぜい上手く猫を被ることだな」



 もう一回舌打ちをして、石田様が歩き出す。



「言われなくとも」



 鼻で軽く笑って、私は石田様の後に続く。

 恋する女を見くびらないでほしい。

 こちらとら紀之介様の前でなら、いくらでもありのままの可愛い女になれる自信がある。




 ……顔を見たら、心配が決壊して泣いちゃうかもしれないけど。







 屋敷の中にはすんなり通してもらえた。

 石田様の顔パスの威力がすごかったよ。

 門の勝手口からズカズカ入り込んでも、誰にも止められなかった。

 門番さんは石田様を目視した瞬間、理解した顔になった。

 一声もかけず、一礼とともにサクッと入れてくれてびっくりした。

 警戒をされてないにもほどがある。

 そうなるほどしょっちゅう出入りしているってことなのかな。


 同行している私はというと、不思議そうな門番さんたちに軽く被衣の中を覗かれた。

 黙って微笑んで誤魔化しましたよ。

 容姿が悪くないとこういう時に便利だ。やり方一つでハッタリが効く。

 念のために待ち時間を利用してメイクもしたから、子供扱いへの対策も万全ですとも。

 普段は本格的なメイクをしないけど、今回だけは特別だ。


 天花粉と雲母のフェイスパウダーを薄めにはたき、シェーディングでフェイスラインから子供っぽい丸みを削った。

 すっきりとさせた頬には、淡くサーモンっぽいピンクを乗せてふんわり仕上げた。

 目元と唇のポイントメイクは、念入りに施してある。

 アイシャドウはシルキーベージュをアイホールと下まぶたの目頭側に広げて、赤みがかったぶどうっぽいパープルを目尻の三角ゾーンへ長めにオン。

 メインのアイシャドウが強い色だから、アイラインはあえて無し。

 代わりにゴールドラメを黒目の上へ軽く乗せて、光を瞳に集める。

 眉は自眉を活かしつつ、アーモンドブラウンのパウダーブロウで柔らかさを演出した。

 リップはスティックじゃなくてグロス。

 透け感のある桜色とピーチの中間色で、元の血色感を生かしてナチュラルに彩ってある。


 小袖もメイクと合わせて、綺麗めなコーデをチョイスしたよ。

 布地はシャリ感がさわやかな、夏らしいアイボリーの麻。

 ディープなネイビーと明るい黄色の二色の糸で縫い取られた菊が、裾にかけていくつも咲いている。

 帯と被衣はピスタチオグリーンで揃えてぐっと色味を抑え、無理のない範囲で大人っぽく仕上げた。


 そんな渾身のメイク&コーデで、他人を一瞬黙らせるのに必要な存在感は出せたっぽい。

 私は唖然としている門番さんたちの脇をすり抜けて、堂々と屋敷内へ入り込むことに成功した。

 猫の皮ってのは、言い得て妙ってやつだったかも?

 ちょっと自画自賛しつつおすましで石田様にくっついて行き、いったん客間に案内された。

 紀之介様の身繕いが済み次第、奥へ通してもらえるらしい。

 すごくちゃんとしてるなあ、紀之介様。

 親しい友達が自宅に遊びに来るだけなら、私はすっぴんルームウェアも許容範囲だ。

 やっぱりちょっとズボラがすぎるかな……。



「失礼いたします」



 遠い目でお茶をいただいていると、やっと声がかかった。

 戸口の方を見ると、肩衣姿の男性が膝を突いていた。

 さきほど応対してくれたご家臣と違う人だ。

 家老、にしてはちょっと若いか。身なりは悪くないので紀之介様の近習かな。



「ああ、湯浅殿か」



 茶器を置いた石田様が、男性に声を掛けた。



「ひさしぶりだな、息災か」

 

「はい、治部様もお変わりなく」



 どうやら顔見知りみたいだ。石田様にしては気安い雰囲気を出している。

 男性──湯浅殿も顔を上げて、にこやかに応じている。

 見た感じ、三十路くらいだろうか。

 落ち着きのある容貌で、涼しげな浅緑がよく似合っている。

 紀之介様に近い系統で、私の緊張が少し和らいだ。



「紀之介は?」


「本日は調子が良いようです。

 朝からとこを出て、筆を取っておられます」


「そうか」



 ふ、と石田様の表情が緩む。



「それは、よかった」



 小さく呟かれた声音は、心の底からあふれたように温かい。

 本物だな、と思った。

 石田様が紀之介様へ寄せる友情は、とても深い。

 紀之介様を気にかけて、紀之介様のためを懸命に考えている。

 だから伏見であんな行動に出たんだろう。

 あれはよく考えたら、私の為も少しはあった気がしてきた。

 もし私が普通の子供なら、紀之介様の真実にショックを受けたかもしれない。

 どちらにとっても不幸な結末を迎えないよう、石田様は精いっぱい配慮をしようとしていたのか。

 やり方は大不正解だったけれど、不器用すぎる石田様の心遣いだったんだ。

 腹が立つけど、やっぱり嫌いきれないなあ。腹はしっかり立つけど。



「おい、なんだその目は」



 ぬくい心持ちで見守っていると、気づいた石田様にぎっと睨まれた。

 


「黙って笑うな」


「失礼しました、石田様が微笑ましくって」


「はあ? 気持ち悪いことを言うな!」


「うふふふふ」



 あー、笑える。恥ずかしがらなくてもいいのに。

 可愛げがあって悪くないし、むしろ他の人にも積極的にそういうところを見せた方がいい。

 そうしたらもうちょっと、人間関係が楽になると思うよ?



「あの、そちらは……?」



 石田様をからかって遊んでいると困惑混じりの声が挟まった。

 遠慮がちに湯浅殿が、こちらをうかがっている。

 ありゃ、置いてけぼりにしちゃったか。

 悪いことをしたなと反省をしつつ、彼の方へ向き直る。



「ご挨拶が遅れました。

 私は北政所様にお仕えしております、しょうと申します」


「北政所様の、申されますと、もしや」


「はい、ご当家の東様とおこや様にはお世話になっておりますし」



 はっとした湯浅殿に、微笑みかける。



「刑部様にも、平素から心を砕いていただいております」



 目の前の人の太い首が、ぐっと鳴る。

 私の正体に気付いてくれたのかな。

 頭が良くて、ずいぶんと紀之介様の信用がある方みたいだ。

 私たちは信ずるに足りる人にしか、文通していることを教えていない。

 私は母様とお夏、手紙を配達してもらうために佐助。

 紀之介様は、私の知るかぎり親友の石田様や福島様。

 その中に混じる人間ならば、信用して大丈夫だろう。



「石田様、これはいかなることでございましょう」



 私から石田様へ、湯浅殿が視線を移す。

 思わずといったふうに、声へ動揺がにじんでいた。

 予告にない私の登場にとても驚いているようだ。



「寧々様のお言いつけだ、粧の姫を紀之介に会わせるぞ」


「それは、」


「紀之介の望みに反することはわかっている!」



 石田様が湯浅殿の言葉を遮った。

 斬り捨てるような言い方に、湯浅殿の顔が歪んだ。

 裏切られた。音にしなくとも伝わってくるほどの憤りが、彼の穏やかな雰囲気を掻き消していく。



「すまない。しかし、曲げてくれ」


「っ、旦那様が嘆かれます」


「あいつの恨みも怒りも、某が引き受ける」



 床に着くほど低く、石田様が頭を下げる。

 常ならない石田様の行動に、湯浅殿は完全に言葉を失ったらしい。

 だがそれでも、彼は私と石田様を見比べて、表情を曇らせる。

 特に私へ向ける目に、不信が覗いていた。

 ちょっと悲しい。そんなにうわべだけしか見えていない子供に見えるのかなあ。



「湯浅殿」



 深呼吸をして、しっかりと湯浅殿と目を合わせる。



「私は美しいものが大好きだし、美しい自分も大好きです」


「……左様ですか」


「疱瘡みたいな容姿に関わる病気が怖いのも本当ですよ」



 でもね、と言葉を切る。

 嫌悪を含みかけた眼差しを真正面から受け止めて、まなじりに力を込めた。



「私、薄情な女ではありません」



 紀之介様がどんなに酷い見た目になっていても、私は目を背けたりしない。

 だって紀之介様と言う存在が、丸ごと好きなんだもの。

 私は知っているんだよ。

 あの人の好ましい要素は、容姿以外にもいっぱいあることを。



 大振りだけど端正で、意外と主張が強い筆遣い。


 目に映る世界を表現するため、豊かな語彙を持ち合わせているところ。


 私の心の揺れ動きに、さりげなく寄り添ってくれる優しさ。


 たまに覗かせる、少年のような好奇心の旺盛さ。

 


 紀之介様のなにもかもが、私はとても好き。

 怪我をしても、病気をしても。太ってしまっても、顔に大きな傷ができても気にしない。

 それも含めて紀之介様であるなら、私はそれごと愛するのだ。

 ま、健康で楽しく生きてくださるのが一番だけどね。



「紀之介様に会わせてください」



 食い入るように目を開く湯浅殿に、私も頭を下げる。

 深く、深く。祈るような気持ちを込めて。




「一目だけでもいいの、お願いします……っ」




 畳を見下ろして、どのくらいが経っただろう。

 客間にいる誰もが、口を開かないまま時が過ぎる。

 遠いひぐらしたちのさざめきが、静かに聴こえるばかりだ。



「石田様、粧様」



 掠れを帯びた声が、私たちを呼ぶ。



「どうか頭を上げてください」



 顔をもたげる。ぎこちなく頬から強ばりを解いた湯浅殿がいた。

 私を捉える双眸に、元の穏やかさが戻っていた。



「奥へ、案内あないさせていただきます」



 こちらへ、と彼は私たちをいざなう。

 私も石田様も、裾を踏んで転びそうな勢いで立ち上がって湯浅殿に続いた。

 丁寧に磨かれた板廊下に出る。

 焦ったい気持ちを堪えて、大人二人の背中を追いかける。



「先ほどは失礼をいたしました」



 歩くことしばらく。

 ぽつりと湯浅殿が、すまなそうに話しかけてきた。



「拙者としたことが、驚いてしまいまして……」


「お気になさらず。

 こちらこそ、急にお邪魔して礼を失しました」



 丁寧に頭を下げる湯浅殿に、私も謝り返す。

 緊急事態とはいえ、アポ無し訪問をして申し訳ない。

 不快に思わせても仕方のないことだった。

 頭を上げてくれた湯浅様が、ふ、と笑う。



「しかしこのように貴方様のお目にかかろうとは、

 夢にも思いませなんだ」


「私もできれば、もう少しきちんとお伺いしたかったのですが……」


「ああいえ、そういうことではなく」



 どういうこと?

 きょとんと湯浅殿を見上げると、口元に漂う笑みが形をわずかに変えた。



「旦那様の姫君を当家にお迎えする機会など、

 無いだろうと思っていたのです」


「き、紀之介様の姫君!? 私のこと!?」


「はい、家中の者は皆そのように認識しております。

 旦那様はよく貴方様のことを口になさいますので」



 ねえ、と振られた石田様が鼻を鳴らす。



「しょっちゅうあれこれとお前の話を持ち出すぞ」


「えええ!」


「紀之介のやつときたら、飽きもせんことだ」



 暇なのだろう、と面倒くさそうに石田様が言う。

 湯浅殿が苦笑いで頷いた。

 呆れられるほど私の話を、紀之介様がしてくれている?

 一気に顔が火照る。手で包んだ両の頬が熱い。

 紀之介様の姫君。私が、紀之介様の。

 知らないうちに私の名前が、紀之介様の唇にたくさん触れていたんだ。

 与祢って、紀之介様の声が私の名前を、形にしていたんだ。

 え、ちょっと、やだ。

 語彙が死んだ。嬉しくて瀕死。


 

「照れるほどのことか?」


「石田様はしばらく黙ってください」


「なぜだ。某がなぜ黙らねばならん」


「喜びを噛み締めるのに忙しいんです」



 だから邪魔しないでくれ。

 足りていなかった紀之介様成分が補充されたんだ。

 全身に幸せを行き渡らせるまで待ってほしい。

 私と石田様のやりとりを見ていた湯浅殿が、顔を背けて肩を震わせた。



「どうりで旦那様が貴方様を可愛がられるわけだ」


「そ、そうですか?」


「ええ、とても楽しい姫君でらっしゃる」



 えへへ、褒められた。照れるわあ。

 にまにまする私にジトっと視線を横して、石田様が盛大なため息を吐いた。



「図に乗るなよ、粧の姫」


「今乗らなくてどうするんですか」


「どうせ紀之介は、

 お前を娘か妹と思っているだけなのだからな」


「そそ、そんなの、しっ、知ってますからっ」



 石田様ァ! あえて言わないでよ!

 地味にダメージがくるんですよそれ!!

 わかっているよ。年齢一桁の子供が、うんと年上のお兄さんに恋愛感情を向けてもらえるはずない。

 大人と子供の恋愛は、子供の片想い以外はほぼ成立しない。

 いくら私が紀之介様を想っても、彼を振り向かせるのは難しい。

 紀之介様の目の父性フィルターは、特に分厚いもの。

 十五歳の歳の差が、本気で憎たらしい。

 もっと早く、せめてあと五年早く生まれたかった!



「五助?」



 穏やかな声が鼓膜に触れた。



「何事だ?」



 懐かしい、どこか疲れた響きに息が止まる。




「ずいぶんと賑やかだが、なに、が……」




 振り向いた先の、廊下の遠く。

 柱に縋るようにして立つ紀之介様と。





 視線が、重なった。





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