東様のもとへ、お見舞いに【天正16年8月下旬】




 百日紅が、燃え尽きるように鮮やかな花を咲かせる庭の側近く。

 秋めく風が気持ちよく吹き抜ける廊下を、お夏を連れて歩いていく。

 ここは寧々様の御殿の一角で、私を含む女房たちの局が集まる屋敷だ。

 令和の時代で例えるなら、古くて閑静な高級住宅街の豪邸って感じかな。

 なんたって、第一位の正室である寧々様のお膝元だしね。

 みんなうるさくせず、お上品に、落ち着いた空間が維持しているのだけれど……。

このところは少し、異様なほどひっそりとしている。

 



 寧々様配下のナンバー・ツー、東様がご病気だから。




 東様は、城奥トップクラスの上臈上級女房のお一人だ。

 奥向きの家政全般の実質的な指揮官で、孝蔵主様と同じく表の政治や外交にも携わっている。

 秀吉様の親しい従妹で、寧々様からも孝蔵主様と並んで厚い信頼を寄せられている、すごいお方なのだ。

 娘のおこや様と同じように私を可愛がってくださるので、城奥に入ってからずっと母様のように親しませてもらっている。


 そんな私の大好きな東様は、先月の終わりごろから伏せっていらっしゃる。

 原因は、心因性のストレスによる不眠等の体調不良。

 だいたい、死んだ袖殿がほざいた余計なことのせいである。

 東様の息子さんがご病気で、その快癒のために連続殺人をやっているって言いがかりね。

 この根も葉もない酷いデマが、大坂や堺で蔓延してしまっていたのだ。


 実際に連続殺人が起きていたからデマが飛ぶのはしかたない側面もあったけど、例の事件で気が立っていた秀吉様はガチギレだった。

 身内を大事にする人だからね。みずから大坂へ出向いて、殺人事件の捜査指揮と事態収拾に当たられた。

 そのおかげで、すぐに殺人事件の犯人は捕まった。

 大坂城中で噂を広げていた不届き者も処分されてめでたし、めでたし。

 対応が早かったから、聚楽第内でひそひそするお馬鹿が出なかったのもめでたい。

 ただ、秀吉様のお怒り具合の影響がもろに出て、犯人及び関係者の処分内容がちょっとエグイことにはなったらしい……。


 ともかく、秀吉様のお力によって、連続殺人事件とデマについては収束を見た。

 けれど、東様の心労は解消しなかった。

 当たり前だけれど、疑いが晴れたくらいでは息子さんの病状が回復するはずなんて、なかったからだ。

 息子さんはどうやら、不治の病、みたいだ。

 詳しくはわからないけれど、症状がそれっぽいらしい。

 我が子が難病に罹ったってだけでも、東様は胸の潰れる思いだったのだろう。

 息子さんのご病気に気がつかれてからずっと、何度も看病しに大坂へ行こうとしていたようだ。

 でもその度に、息子さんは遠慮というか、東様の申し出をお断りをされた。

 私事で仕事を放り出してほしくないってね。

 気を遣ってくれているんだろうが、東様にしてみれば、そんなこと言ってる場合か! な話だ。

 とうとう焦れた東様は寧々様と相談して、突発で様子を見に大坂へ行かれた。

 で、飛んで行った大坂の屋敷で、会うには会えたそうだ。




 忙しそうに終活をしている息子さんと。




 もう病気が治りそうにもないからって、身辺整理をスタートしていたらしい。

 諦め早すぎないか、息子さん。

 潔すぎる息子さんの発想に、さすがの東様も動転したそうだ。

 医者に診てもらおうとか、治療法を探そうとか、一生懸命に説得したらしい。

 しかし、息子さんは東様の提案を拒否した。

 何やったって治る気がしない、静かに死なせてくれってさ。

 死ぬ気満々か。生きる気力ゼロってある意味すごいな。

 これだけでも酷いんだが、まだ続きがある。

 愕然とする東様に、息子さんは追撃を喰らわせた。

 病気が移るといけないから看病しなくていいよ、って都へ追い返したのである。

 この息子さんの態度が、トドメになったのだろう。

 


 聚楽第に帰ってきてから、東様はぶっ倒れた。

  


 そして、今に至る、と言うわけです。


 言葉にしがたいほど悲惨だよ……あらゆるものが大事故を起こしてる……。

 東様がダウンしたせいで、御殿の住人全員の調子もじわじわ狂っている。

 寧々様から下っ端の女中にいたるまで、みんなどことなく不安な気持ちを抱えている。

 精神的な支柱っていうの? 東様の存在の大切さを、まざまざと思い知らされたわ。

 

 仕事の方は、残る女房衆で分担して回せている。

 東様の分まで孝蔵主様ががんばっているし、私もできるかぎりの仕事を請け負っている。

 でも、それでもやっぱり、東様に元気になって復帰してほしい。

 業務量的な問題ではなく、気持ち的な問題だよ。 

 東様のお手製じゃないご飯はずいぶんと味気ないし、疲れた時にあの柔らかな笑顔を見られないのがキツイ。


 こんな状況で、私はなんとなく、東様のお見舞いをするようになった。

 お土産を片手におうかがいして、その日あったことなどを少しお話しをする。

 たまに、立花や楽器のような、習い事の成果を見せたりもする。

 東様がちょっとでも笑ってくれたら大成功。

 そしてお疲れにならない程度にお側にいさせてもらって、笑顔でお暇をするのだ。


 完全な自己満足だよ。言われなくてもわかってる。

 東様のためになんて、多分、なっていないと思う。

 わかっていても、どうしても止められない。

 だって、東様が心配なのだ。

 落ち込んでいる大切な人を励ましたいって気持ちを、抑えることができない。

 寧々様に止められないのを良いことに、好き勝手してしまう。

 いつも帰り道で、迷惑な自分がちょっと嫌になるくせにね。



 淡い自己嫌悪を引きずりながら歩き、今日も東様の局に辿りついた。

 取り次ぎの侍女に声をかけて、客間に通してもらう。

 いつもどおり、ぼんやりと待つことしばらく。



「お待たせ、お与祢ちゃん」


「え、おこや様?」



 小さな声に呼ばれて、戸口を振り返る。

 そこには、侍女の代わりにおこや様がいた。

 目をぱちくりさせる私に、おこや様の頬が困ったような笑みを漂わせる。



「驚かせちゃったかしら」


「い、いえ。

 あの、お勤めはどうなさったんですか?」


「今日は昼から休みなの、母上の看病のためにね」



 なるほど、介護時短を取ったのね。どうりでお疲れ気味なわけだ。

 おこや様が、するすると客間に入ってくる。

 向かいに座った彼女に、私は不健康の臭いを嗅ぎ取った。

 夏らしい白藍の打掛を腰巻きにしたウエストが、以前よりも細い。

 頬のあたりも、目に見えてやつれている。

 オレンジみのある赤のチークで、血色を誤魔化しているようだ。



「わらび餅を持ってきたんですけど、食べます?」



 手土産の箱を差し出してみる。

 食の細っている東様でも食べやすく、カロリーを摂りやすいと思って選んだものだ。

 介護疲れをしているおこや様にも、食べやすいんじゃないかな。



「ありがと、でも遠慮しておくわ。

 お腹が空いていないから」


「本当に? 無理してませんか?」


「してないわ、気を使わせて悪いわね」



 そういうおこや様の声には、ハリが全然無い。

 というか、食いしん坊のおこや様が、食べ物に興味を示さないってやばいよ。衝撃的すぎる。

 母の東様に続いて、この人まで倒れるんじゃないか。

 ますます心配になってきて、眉を下げると小さく謝られた。

 しおらしいおこや様だと……?

 あまりにもおこや様らしくなさすぎて、ちょっと怖くなってきた。

 


「その、ところで、東様は……」



 不安をこらえて、話題を逸らす。



「起きていらっしゃるよ。

 でも、しばらく待っててくれないかな」


「どうかなさったのですか?」


「寧々様がいらしているの」



 おや、寧々様がお見舞いに来てるのか。

 今日のご予定は城表での仕事と聞いていたけど、もう終わったんだ。

 しくった。タイミング、悪かったかも。

 そう思ったら、くすっとおこや様が笑った。



「そんなにかからないと思うから、

 私の部屋で待ちましょ」



 お茶を用意させるわ、と言いながらおこや様が腰を上げる。

 おいでと手招きをされて、素直に私は後に続いた。

 ちょっとおこや様とも話したかったところだ。ちょうどいい。

 肩を並べて廊下に出る。廊下に面した庭の青葉が、白すぎる夏陽を弾いていた。

 少し眩しい中を、私たちは黙って歩く。



「おこや様」



 重たい沈黙を、思い切って破ってみる。

 なに、というふうに、隣のおこや様が私を見下ろした。



「おこや様の兄君の御病おんやまいのことですけど、

 何か力になれないでしょうか」


「えっと、お与祢ちゃんが?」


「私の大叔父は曲直瀬流の医師です。

 曲直瀬道三様や玄朔様とも、懇意にしています」



 紹介状くらい、いくらでも書くよ。

 私は自分でもびっくりするくらい、名医と呼ばれる人に縁があるのだから。

 丿貫おじさんや曲直瀬先生なら、直接往診予約を入れられる。

 間に佐助を挟むことになるけど、都で名高い施薬院全宗殿にも診察依頼が可能だ。

 メディカル関係ならばっちこい。いつどんな病気になっても困らない布陣だ。

 そう言いつのると、おこや様が勝気そうな眉を下げた。



「……ごめんね、気を使わせて」


「そんなことないです、

 困っている時はお互い様ですから」



 だから、いくらでも頼ってほしいな。

 東様やおこや様の悩みが晴れるなら、私はできるかぎり何でも手伝う。

 城奥に上がってから、ずっと私は東様たちのお世話になっている。

 右も左もわからない状態の時には、ずいぶんと助けてもらった。

 その恩返しをさせてもらえたら、こんなに嬉しいことはない。

 俯いたおこや様の手に、指先を触れる。

 きゅっと両手で握ると、ふっくらした唇がへの字になった。



「お与祢ちゃん、あの」


「なんでしょう」


「ごめん……ちょっと、泣く……」



 ぽろぽろと、丸い瞳から大粒の涙が降ってくる。

 木綿の手巾を差し出すと、おこや様は黙って受け取って目元に当てた。



「わたしの兄、ダメかも、しれなくて」


「はい」


「っ、生きてるの、嫌になっちゃったって言うのっ、

 もうやだって、病、しんどいし、

 変な噂で嫌がらせされるし、やだって……、

 もう、死んでいいやって言うんだよっ」


「きっと、おつらいんでしょうね」


「ちがうわ! あの人いくじなしなのっ!

 なんでもさっさと諦めてっ、仕方ないって言うのよっ!?

 それでいっつも、母さんやわたしの気持ちは無視……!

 いつもそう……っ、うう……なんでも、身勝手でっ」


「おこや様……」


「ズズッ、黙って全部抱え込んじゃってっ、

 わたしたちが信じられないって、頼れないって言うの!?

 もう、もう、っ」



 崩れるように、おこや様がしゃがみ込む。

 顔を覆って、呻くようにお兄様を罵倒する。





「紀之介兄さんなんて……大っ嫌いよぉ……」





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