紀之介様のお手紙【天正16年8月下旬】



一筆啓上      与祢殿




 虫の音がそろそろ聴こえてきました。

 今年はまだしぶとく暑さが残っているが、与祢姫は息災だろうか。


 いただいた文の返事がなかなかできなくて、申し訳なかった。

 先にあった殿下の仕置に関わる仕事が立て込んでいて、筆を取るいとまがなかなか取れなかったんだ。

 あのことについては君もたいそう大変だったと、佐吉殿から聞いたよ。

 ずいぶんと、気を病んでいる様子だとも。

 簡単なことではないかもしれないが、できるかぎり考えないようにしなさい。

 君に非があることでは、決してないのだからね。俺が保証する。


 さて、話を変えようか。

 先月君が送ってくれた暑中見舞いは、確かに受け取ったよ。

 いただいた香油は、大事に使わせていただいています。

 松葉と、それから橙の香油が合わせてあるのかな。

 静かな森の中にいるようで、清々しい香りだね。

 勧めてもらったように、勤めを終えた後に湯を張った盆に垂らして楽しんでいるよ。

 疲れが洗われるようで、とても気に入っている。

 俺のために良いものを選んでくれて、ありがとう。


 遅くなってしまったけれど、礼の品をこの手紙と一緒に送ります。

 びいどろ・・・・の小皿なのだが、気に入ってもらえると嬉しい。

 澄み渡る瑠璃色が、実に美しいだろう?

 色合いの深さに、夜明けの淡海の湖面が思い出されてね。ついつい手に取ってしまった。

 じっと眺めていると、なんだか近江に帰りたくなるな、この色。


 ……あ、今気付いたのだが、この小皿、とと屋の品だ。

 もしかして、もう君も手にしていたりするのだろうか。君は宗易殿と、とても懇意だったし。

 いや、だが、うちに来た商人は最新の作だとか言っていた。

 まだ君が手にしていない品だと信じたい。うん。


 しかし、また宗易殿は商いの幅を広げたのだね。

 近頃はとみに政事への関心が無くなられたと思ったら、本業に立ち戻られていたのか。

 悪いことではないのだけれど、よくもまあ色々と考えつくものだ。純粋にすごいと感心するよ。

 このまま宗易殿が、真っ当に商人をしていてくれないかな。

 そうすると、俺たちも助かるのだが。

 

 紙の余白が残り少なくなってきたので、此度はここまでとさせてもらおう。

 今少しをしのげば涼しくなってくると思うので、暑気当たりに気をつけて過ごしてほしい。

 寧々様のお側での勤めも、よくよく励まれますように。

 それでは、また。



 以上




 天正十六年八月 大坂    紀之介




◇◇◇




 読み終えた手紙を畳んで、隣の箱を開ける。

 蓋を外すと、白い布に埋まるように青いガラスの小皿が入っていた。

 与四郎おじさん、ガラスのテーブルウェアの販売も始めてたのか。

 ガラスボトルの化粧水はこないだ納品してくれていたけど、まだこういうのは持ってなかったよ。


 そうっと、壊してしまわないように、慎重に。

 小さな宝石のようなお皿を、手に取ってみる。

 なめらかでひんやりとした小皿は、私の両手に少し余るくらいの大きさだ。

 窓辺へ持っていって、陽光にかざしてみる。

 夏の鮮やかな光に透けるガラスのブルーは、ほんのりと淡く紫を帯びた。


 紀之介様が書いてらっしゃった、夜明けの湖面の色だ。


 近江の色。

 琵琶湖の色。

 私と紀之介様の、ふるさとの色。


 同じ色を、好きな人と共有できた。

 そう思うと、自然と頬が緩んでしまう。

 嬉しいなあ。私のための手紙と、私のための贈り物だ。

 密かに私が望んでいる形ではないけれど、紀之介様は私を大事にしてくれている。

 それを実感できるって、とっても幸せなことだ。 


 にまにましながら小皿を文机の箱に戻し、棚に置いてある黒塗りの文箱へお手紙を仕舞う。

 この、螺鈿で蛍が群れ飛ぶお洒落な文箱は、紀之介様専用だ。

 初めてのお手紙を仕舞った文箱から数えて、四つ目。聚楽第の城奥に入ってから、二つ目になる。

 堺で出逢って、文通を始めてからもう二年。

 私と紀之介様は会えない日の数だけ、文字を贈り合ってきた。

 そう考えるとロマンチックなのだけれど、そろそろ直接会いたいんですよね!


 一年、いや、準備期間を含めると一年半以上前の九州征伐以降、一度も私は紀之介様に会えていない。

 紅葉狩りに連れて行ってもらった時から数えると、二年目がもう目前だ。

 これってどうなん!? 酷くない!?!?

 つい地団駄を踏みたくなっちゃうが、だいたい私のせいだからそれもできないんだよなあ。


 寧々様の御化粧係に就職したから、私は気軽に外出できなくなっちゃったのだ。

 仕事があるのはもちろんのこと、子供でも城奥の女だもの。

 秀吉様や寧々様の許可無く、城外に出られないのだ。

 紀之介様に会いに大坂へ行くなんて、絶対に許可が出ないと思う。

 奥の女房が身内以外の異性と城外で会うのは、御法度オブ御法度なのよ。

 首が物理的に飛びかねないリスクなんて犯したくない。


 紀之介様が聚楽第で働くようになってくれたら、堂々と会えるんだけどな。

 例えば堺代官所から、秀吉様のお側で働く奉行衆へと異動するとか。

 そうすれば私は仕事を大義名分に、城中で紀之介様とお会いできるのに。

 現に仕事の絡みで、奉行である石田様の顔は飽きるほど拝んでいるんだよ。

 紀之介様が奉行衆に入ったら、毎日でも会えるはずだ。


 あーもー! 異動しないんですか、紀之介様。

 めっちゃ優秀なんだから、中央官庁に戻ってきても良い頃合いじゃないんですか。

 秀吉様ー! 人事異動を発令してくれー!!


 もだもだした気持ちがたまらなくなって、私はついつい畳に転がった。

 抱き枕を抱えて腹這いになり、足をじたばたさせる。

 誰も見ていないし、ちょっとくらいは良いでしょ。

 ストレスっていうか、紀之介様不足を発散だ。うおおおお。





「姫様、何やっているんですか」



 冷めた声が、戸口から飛んでくる。

 はっと振り向くと、お夏がいた。

 やっっっべ。怒られる。



「……いえ、何も」



 起き上がって、髪と着物の乱れを直す。

 知らん顔で何もなかったような態度を取れば、叱られずに済むかな。

 しれっとしている私の側に、お夏が座る。

 ちらっと文机の上を見て、それから棚の方に視線を移動させた。



「大谷刑部様からの文ですか」


「なんでわかるの!?」


「文机に目新しき箱があって、

 文箱の位置も少し動いているじゃありませんか」



 わからないはずがないとでもいうように、お夏が鼻で笑う。

 くっ、バレたか。そんな些細な変化さえ見逃さないってすごいな。



「まったく、もう。

 文をいただくたびに、よくもそんなに心を乱せますね」


「だって、紀之介様の文だよ?」


「だからなんですか?」



 びっくりして、お夏を二度見する。

 怪訝そうに目をすがめるクール系のお顔には、理解できません、と大文字で書かれていた。

 マジか。本気でわかってないのか、お夏。



「お夏、あなたって恋したことないの?」


「姫様、知っていますか?

 色恋は暇な人の遊びなんですよ」


「あ、遊びっ!?」


「恋でお腹は膨れないでしょ」



 な、なんと情緒がない……!

 へっと片頬を上げるお夏に、愕然としてしまう。

 嘘でしょ。今の時代の恋ってそういう認識のもんなの?

 いや、恋愛に基づく結婚がマイナーなのは知ってるよ。

 一般的なパターンは、だいたいお見合い結婚か政略結婚だ。

 前田様とまつ様、徳川様と旭様みたいな感じね。

 私のような身分ともなってくると、ほぼ完全にその二択だ。

 それでもさ! 私たち上流階級の女の子でも、恋愛に興味は持ってるんだが!

 江姫様や摩阿姫様が、よく恋への憧れを語ってたりするよ!?

 おこや様や萩乃様も、たまに秀吉様の御馬廻のイケメンをネタに盛り上がってるよ!?

 積極的な行動は起こさないけど、みんな一通り甘い初恋くらい経験しているぞ。

 お夏にも、そういう甘酸っぱい経験がないの……?



「言っておきますけど、

 佐助兄さんはただの親戚ですよ。

 これっぽっちの恋情も持ち合わせていません」


「本当にぃー?」


「以前に一度、縁談は持ち上がりましたがね」


「いつの間に!?」



 聞いてないんだが! 私、お夏の主人なのに、そんな縁談があったことなんて知らないんだが!!

 唖然とする私の両脇に、お夏が手を突っ込んでくる。

 そのまま猫みたいに持ち上げられて、強制的に立たされた。



「ちょ、お夏、佐助との縁談って!

 どうなってるの!?」


「そんな話はどうでもいいですから、お支度を」


「良くないよ! 全然良くない!!」


「些事ですから捨て置いてくださいまし。

 早くしないと、東様のお見舞いに遅れますよ」


「お夏────ッ!?」

 


 私の叫びをスルーして、お夏はテキパキと手を動かす。


 終わりの夏の午後のひとときが、ゆっくりと過ぎていく。

 自室を出るまでに、私はお夏の縁談について、何一つ聞き出すことはできなかったのだった……。


 

 

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