小鳥が鳴く、嵐がくる(4)【天正16年6月下旬】





 茶々姫様を救出した後。

 袖殿たちの捕縛は、おおむね首尾よく進められた。


 お下品に半狂乱気味の織田侍従様が、死に物狂いで抵抗する袖殿と、キャットファイトを繰り広げてたけど。


 私が戻った時は、汚ねえ罵声とビンタの嵐だった。

 寧々様配下でもっとも肝の据わった東様でさえ、ドン引きしていたほどだ。相当エグい。

 空気を読まない丿貫おじさんの仲裁が無ければ、永遠に止まらなかっただろう。

 おじさんが都人的おべっかのふりした挑発で袖殿の気を逸らし、その隙に供侍の皆さんが拘束。

 他の女房その他とともに、中奥の入り口で待ち構えていた石田様へ引き渡した。


 さくっと首を刎ねるという案もあったが、もう少し生かしておくようお願いしてある。

 袖殿たちは、今回のトラブルの主犯格の一部だ。

 真実をすべて自供してもらうまでは、どんな状態になっても生きていてもらわなくてはね。

 セクハラ内府様の尻尾を切ってあげるなんて親切、してやる義理はどこにもないのである。




 これにて、一件落着。

 と、言いたいところだけど。

 この騒動が、たやすく終わるはずないわけで。








◇◇◇◇◇◇◇







 煌々と、蝋燭のシャンデリアが広間に輝きを散らす。

 柔らかな夜を退けて、隅の方まで鮮やかに。

 ここは中奥。秀吉様自慢の洋風御座所である。

 天井から吊られた照明はきらめくシャンデリア、畳の上には緻密な模様が織り込まれたペルシャ絨毯。

 上座にはお洒落な紫檀のカフェテーブルに、セットになった猫脚の椅子が二脚。

 上座の後ろに飾られた屏風は狩野永徳さんの直筆で、その他調度は品の良い螺鈿細工や塗りの黒で統一されている。

 和と洋が上手い具合に溶け合った、実に華やかなリビングだ。

 日本一セレブリティな空間へ、お招きいただくなんてラッキーなことだよね。




 ……秀吉様主催の、内府様一党の、吊し上げ裁判に召集されたのでなければな。




 では、恐怖の御座所に集められたメンバーを紹介しよう。


 まずは、セクハラ内府様こと、織田内府様。

 秀吉様の命で、さきほど京屋敷からしょっ引かれていらした。

 縄はまだ打たれていないが、両脇に屈強な秀吉様のSPである母衣衆が控えている。

 逃げたり抵抗したりすると、即座に制圧できる位置取りだ。

 下座でぶるぶる震えている、容疑者を通り越して犯罪者扱いの内府様の運命は如何に。


 次に、袖殿と愉快な仲間たち。

 本日の主役の皆さんは、御座所の前庭に転がされている。

 事前に石田様主催の物理を含む尋問を受けたから、かわいそうなくらいズタボロだ。

 あれ、生きてるのかな。話せるのかな。


 その次に、私と東様と石田様。

 羽柴夫妻の側近で、袖殿の捕獲と尋問の責任者だ。

 今回の事件の、鑑識と警察と検察官、みたいなポジだね。

 私と東様は茶々姫様の局から押収して検証等をしたコスメ、書状等の証拠を整理してきた。

 石田様は織田侍従様の証言と、私たちの物証と、尋問結果をさくっと調書にまとめてくれた。

 織田侍従様も参加予定だったが、わりと酷い頭痛で別室待機中だ。

 お下品に冒されたとか、妄言を吐いていた。

 改めて考えると、内府様たちの弁護人がいない。一方的な裁判が予想される。


 最後に、本日の裁判長である羽柴夫妻。

 城奥の支配者である寧々様の笑顔は、目が笑っていない。

 孝蔵主様を後ろに従えて、椅子の腕掛けを爪でこつこつ叩いている。

 事前に私と東様の報告を聞いて、あらかたの事実をご存知なせいだ。

 懐妊した竜子様のいる城奥で、こんな事件が勃発したことが心底許せないらしい。

 そして、その隣。

 椅子にどっかりと座していらしゃる、秀吉様は。





「ほんなら、始めようかの……」





 声に温度があったら、きっと室内が一瞬で凍り付く。

 そんな錯覚さえ覚えるほどの、地鳴りの如く低い声を発した。




 怒り狂って、らっしゃる。




 茶々姫様の病状をご覧になり、天下人様はブチキレていらっしゃるのである。

 駆けつけた秀吉様の前で泣いちゃったんだもんな、茶々姫様。

 醜い姿を見せてしまったことや、袖殿たちに抵抗できなかったこと。

 不甲斐ない自分を恥じて、茶々姫様はしおれていた。

 天下人の側室失格だと、涙ながらに何度も秀吉様や寧々様に謝罪したのだ。



 すべては自分の不徳の致すところ、一連の騒動の元凶は自分。

 恩ある羽柴家の奥を乱してしまった罪を、どうか贖わせてほしい。

 いますぐ自分を追放して寺に入れてください、と。



 かなり思い詰めた主張だったが、それで少しは茶々姫様を見直した。

 なんだかんだでこの人も織田一族、かのお市の方様の娘なのだ。

 目から鼻に抜けるほど聡明はなくても、誇りの持ちようはちゃんと受け継いでいたらしい。

 これには寧々様も、私と同感だったようだ。

 適切に教育すれば、どうにかなりそうだとこぼしていらした。

 たしかに、蕗殿みたいなまともな人で側を固めれば、頼りなさを補えるかもだ。

 

 そんな我々をよそに、秀吉様は茶々姫様を抱きしめて、一生懸命慰めていた。

 さすが、女に甘い天下人である。

 特に目をかけている茶々姫様のことだから、インドのシロップ漬けドーナツの如しだった。

 殊勝な物言いと裏腹の雨に濡れた子犬みたいな茶々姫様の風情も、かなり良いスパイスになっていたと思う。

 もともと大きかった庇護欲を盛大に蹴り上げられまくって、秀吉様のお怒りは急上昇ストップ高。

 それでとうとう、世紀末の大魔王みたいな状態になられたのである。



「三介よぉ」



 じろりと見下ろした内府様を、凍てついた声が呼び捨てる。

 呼ばれた内府様は、目に見えて肩を跳ねさせた。



「なんで呼ばれたか、わかっとるな?」


「さ、さて…さて、ですな」



 茶々姫様にどことなく似た目が、おちつきなく視線を彷徨わせる。

 助けを求めたいのかもしれないが、座敷に内府様が頼れる味方は存在しない。



「愚図が! 茶々のことだわ!」



 痺れを切らした秀吉様が、怒声を張り上げる。

 襖や屏風がビリビリと振動するほどの声量だ。

 あまりの怒気に、内府様は悲鳴とともに畳に額を擦り付けた。

 直接向けられたわけではないのに、心臓が止まりそうな恐怖にかられた。

 私は耐えきれなくて、側の東様に縋りついてしまった。

 抱き寄せてくれる腕の中から、息を殺して様子をうかがう。

 秀吉様が肩で息をして、ゆらりと立ち上がった。

 畳を蹴って上座から降り、一直線に進んで内府様の正面に立つ。

 そして、骨が太くて頑丈な長い指が、無造作に内府様のもとどりを掴んだ。



「いろいろと、好きにやったようだな」



 痛みに涙目の内府様を、冷え切った秀吉様の双眸が見下ろす。



「利休に任せたワシの商いに嘴を突っ込んで、

 うちのお与祢の領分に手ぇを出して、

 あげく茶々ばかりかワシの奥を掻き回して」


「で、殿下」


「楽しかったか?」


「ちが、そのようなことは、違います、決して、け」


「何が違うのや、たわけぇっ!!!!」



 意味のない言い訳をこぼす内府様を、骨張った拳が殴りつける。

 重い、痛そうな音とともに、内府様が横倒しになった。

 その無防備な脇腹に、今度は蹴りが入る。

 くぐもった悲鳴を無視して、秀吉様は内府様を蹴りまくった。



「っ、ぐ、おゆ、おゆるし、をっ」


「許すか! このっ! 上様の面汚しが!!」


「ひぎっ、でん、がっ、殿下!」


「黙らんか!!!」



 秀吉様渾身の一撃が、内府様の鳩尾に刺さる。

 ひときわ濁った苦鳴と一緒に、内府様が胃の中身を吐く。

 間を置かず、汚れた畳に顔を叩きつけられて、内府様は沈黙した。



「三介、お前、織田の家督と所領を三法師殿に渡せ」



 しゃがんで内府様の顔を覗き込みながら、秀吉様は淡々とつげた。



「内大臣の位も官位も没収、畿内に二度と入るな」


「へっ……?」


「追放だ」



 両日中に畿内から出ていかないと殺す、と丁寧に秀吉様は付け加える。

 内府様の顔色が、途端に青から白へ変わった。

 唇がはくはくと、鯉のように動く。

 ややあって、掠れた声が溢れた。

 


「でん、か、でんか、そんな、」


「不服か?」


「そんな、違う、罰が重すぎませぬか!

 たかが化粧道具なのに!」



 裏返りそうな叫びが、座敷にぶちまけられる。



「茶々が困っていると聞いたから、

 俺は、俺はただ、便宜を図っただけですよ!」


「……ほう?」


「そこな小娘が茶々に化粧道具を渡さず、

 ひどく困らせていたのです!

 だから俺は、茶々のためを思って!!」



 内府様が私を指差して、怒鳴るように訴える。

 待て待て待て! 冤罪! 事実のようで事実じゃないぞ!!

 コスメやスキンケアグッズは渡さなかったけど、それは私の管理下に入るのを拒んだからだよ。

 目の届かないところで、適当に扱われたら怖いもん。

 それで健康被害が発生しても、責任を取れないじゃないか。

 ちらっとこっちを向いた秀吉様へ、必死で首を振る。

 私は無実だ。間違ったことはしていない。してませんからね!?



「殿下っ! あの小娘がすべての元凶です!

 俺が罰されるならば、小娘にも罰がなければ納得できませぬ!!」


「……」


「殿下ぁッッ!」



 秀吉様が、無言で腰を上げる。

 ゆっくりと、緩慢な動きで。

 垂れ込める沈黙が、重さを増す。

 息を切らす内府様が、縋るように秀吉様を見つめる。



「お前が納得せんでも良いわ」



 落ちてきたのは、平坦な返事。

 


「佐吉、お与祢」


「はっ」


「えっ、はいっ」



 慌てて石田様に続き、席を立つ。

 お側へ近づいた私たちに、秀吉様の細い顎がしゃくられた。



「こいつに己の罪を教えたれ」



 ああ、なるほど。

 動かぬ証拠を突きつけて、内府様の足掻きを止めたいわけね。

 石田様と軽く視線を交わして、頷き合う。

 証拠提示の準備はあらかじめして、打ち合わせも済ませてある。



「「御意に」」



 一礼をして、石田様は懐から調書を引っ張り出す。

 私は座敷の入り口に控えていたお夏に声をかけ、準備を命じた。



「では捕らえました内府殿の側周り及び、

 浅井の一の姫君付きの者どもが白状を致したことから」



 流れるように滔々と、石田様が調書を読み上げ始める。


 内府様たちの罪は、簡単に言うと秀吉様絡みの利権に手を出したことだ。

 与四郎おじさんの美容関連分野の商いは、秀吉様もかなり噛んでいる。

 羽柴の名前貸し、つまり御用達ブランドとしての売り方を許しているのだ。

 それと同時に、品質統制もじわじわ進めている。

 下手なコスメで羽柴の名に傷がつくのは困る秀吉様と、安全で高品質なものを使いたい私が結託した結果である。

 品質管理という概念を理解しない、できないような業者は、当然閉め出しにかかっている。

 内府様はそいつらを拾い上げて、勝手にコピーコスメを製造させた。

 高価でとと屋が流通を握る酸化亜鉛や合成ウルトラマリン系顔料は手に入らないから、安価な従来の物や似たような顔料を使わせてだ。


 例えば、鉛白粉はふに水銀白粉はらや丹鉛たんえんなどなど。


 内府様は毒性があるそれらを含んだコスメを、茶々姫様の局……城奥へ持ち込んだのだ。

 もちろん城奥の主人である寧々様から、城中の美容関連の物の管理を任された私を無視して、である。

 私を通して寧々様の領分を犯したも同然の、かなり侮辱的な行動だよ。何してくれているんだ。


 しかも話はそれだけに、とどまらない。

 内府様の手の内の者たちを捕らえてわかったことだが、彼らは勝手な商いも始めていた。

 作り溜めたコピーコスメを市井に流して、お金を稼ぎ始めていたのだ。

 理由は茶々姫様と袖殿たちのためだけ、コスメを作るのでは旨味が薄いから。

 販路はたくさんあった方がいい、という考えだったようだ。

 とと屋の純正品やとと屋が認可を与えた業者の製品は、安全で品質が良いけれどお値段はそこそこする。

 安全性はイマイチでも、より手に取りやすいコピーコスメが売れるのは必然に近かった。

 意外と天正の世の人たちは、安かろう悪かろうの許容範囲がガバガバだもんな……。

 そんな感じの購買者コンシューマーの意識の低さも相まって、与四郎おじさんが調べたらコピーコスメが市場にはびこり始めていた。

 もうコピーコスメ産業は、立派に与四郎おじさんの商売の邪魔、つまり秀吉様の邪魔となっているのである。



「……以上にございます」



 石田様が調書を読み終えた。

 うーん、アウトもアウト。ツーアウトだね。

 秀吉様も寧々様も怒るわ。顔を汚されたようなもんだもの。

 意図せずとも天下人に喧嘩を売るなんて、内府様はどうかしている。

 内府様のお顔をうかがうと、更に白さが増していた。

 ようやく秀吉様に何をしたか気付いたのだろう。

 震えがますます酷くなっていて、目が真っ赤に充血している。

 ここまできて、やっと理解できたんだね。

 反省してくれと思うけれど、これは反省で済まないかもな。

 だって内府様は、まだもう一つアウトを重ねている。

 前者の比じゃない、特大アウトをだ。



「では次は、内府様より袖殿たちが受け取った、

 化粧品について私よりご説明申し上げます」



 一礼をして、私は懐からガラスのボトルを取り出す。



「こちらは茶々姫様の局から見つかった化粧水」



 茶々姫様のお部屋から押収した、あのボトルだ。

 周りの人たちに見えやすいよう、立ち上がって高く掲げる。



「一の姫様の局で見つかったもののうち、

 もっとも城奥にあってはならぬ品にございました」


「あってはならぬとな?」


「考えうるかぎりまこと悪辣な、

 羽柴に害を成す品にございます」



 秀吉様にお答えしながら、合図をする。

 お夏たちが、小さなテーブルと布の掛かった盆を持ってきた。

 私の前にテーブルを据え、盆をその上に置く。

 座敷の視線が、テーブルに集まる。

 乗せられた盆の布を、私は丁寧に払った。

 布の下から現れたのは、竹で編まれた鳥籠。

 中には、鳥ではなくネズミが数匹、元気にうごめいている。

 昼間に急いで米倉などを探させて、捕まえてきた実験動物だ。



「こちらのねずみに、

 化粧水を与えますのでご覧くださいまし」



 そう言って私は、ボトルのキャップを外した。

 鳥籠とともに盆に用意されていたスコーンの皿へ、注ぎ口を傾ける。

 透明な液体が、とろとろとスコーンに掛かって染み込んでいく。

 このくらいかな。少ない気はするが、ネズミは小さい。微量でも、致死量には十分なはずだ。

 スコーンに触れないよう気をつけながら、皿を持って鳥籠へ入れる。

 ネズミが皿へ集まってきた。お腹が減っていたらしい。

 我先にとスコーンを食べて、そして。





 ネズミたちは苦しげな悲鳴を上げ、激しい嘔吐と痙攣けいれんを始めた。




 

 秀吉様の大きな目が、さらに大きくなる。

 内府様も、声すら出せず鳥籠を凝視している。

 あらかじめ私から話を聞いていた寧々様たちでさえ、表情をこわばらせるほどの惨状だ。

 後味の悪い気分を殺して、私はふたたび口を開いた。



「この化粧水は、ラクア・トファナ」



 すぅ、と息を吸って、吐く。

 背中の寒さに声が震えないよう、喉を引き締める。






銀の毒ヒ素を用いた、

 この世で最も罪深き化粧水にございます」





※ラクア……イタリア語で水のこと。

      ラクア・トファナでトファナ水と訳されます。

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