誰が小鳥をなかせるの?(5)【天正16年6月下旬】




 私のコスメは、おおよそ私の手を離れた。

 ようは、専門の職人さんを揃えたってことだよ。

 知識というものは、基本的に隠すものではない。

 広めて使える人を増やしてこそ、意味をなすものだ。

 リップ一つにしても、私一人が作るよりも、職人を複数人用意して作らせた方がたくさん作れる。

 需要を満たすための供給システムが構築できるのだ。


 だから大方のコスメやグッズについては、各種レシピや仕様書を作成して配布した。

 幸いにして日本の識字率は、現時点でも悪くない。

 この国は意外にも、文書主義真っ盛りの社会だ。

 大名はもちろん庶民であっても、一生のうちに数えきれないほどの書類に目を通さなくてはならない。

 許認可書、借用書。契約書や権利書に、示談書。

 そして制札という、領主が出す法令を告知する掲示板。

 これらの文書を最低限読めて理解できないと、天正の世では生きていけない。

 当然私が接触できる職人さんともなると、一定以上の身分だからほぼ確実に読み書きができる。

 つまり、知識を文字にしてあげれば、簡単に周知ができるってことだ。

 紙に書いて読んでもらい、口頭でも伝えて、質疑応答のやりとりをする。

 あとは実践しながらある程度アドバイスを繰り返し、今ではかなり良い水準の物を製造できるようになった。


 メイクやケアに関する知識や技術も同じだ。

 城奥に来てからマニュアルの整備を進めていて、今では何冊か完成している。

 それを書き写した物を、侍女たちや朝廷の女房さんたちに渡して、知識の共有を図っている。

 それらのアップデートやアイデア出しも、欠かさず行っているよ。

 思い付いたもの、思い出したもの。

 成功例や失敗例、改善案にアレンジ案。

 こまめに考えたことを書きつけられるよう、私はいつもメモ帳を懐に入れるようにしている。

 結構役に立つんだよ。例えば、今みたいに。





「ちょっと待って」



 シャドウブラシを持った手に、ストップを掛ける。

 ハイライトカラーを刷いていた筆先が、杏のアイホールから離れた。



「今、まぶたからかなりはみ出して塗ったよね。

 やりすぎじゃない?」


「んなことねーよ、

 目の横の幅を伸ばすなら、これでいいんだって」



 私の疑問を、杏がため息を吐いて叩き落とした。

 ブラシを置いて、鏡の前からこちらに向き直る。

 私の矢立てを奪うように取って、メモ帳に筆を走らせた。



「いいか、目の幅がこのくらいしかねえとするだろ」



 筆先が器用に、簡単な両目と両眉を描く。

 切れ長ではない、くりっとした丸い目だ。



「眼彩を薄い色から、こう、

 横へ長く伸ばして塗る」



 淡いグレージュのアイシャドウを乗せたブラシが、描いた目の左のまぶたに滑る。

 アイホール全体へと、横長の楕円だえんを描く。

 次に少し濃いグレーをまぶたの半分に乗せて、細く締め色のカシスパープルを刷く。

 すべて目尻を越えての、大胆なオーバーラインでだ。



「ほらな?」


「あら、すごい」



 どうだ、と示されて、思わず口元を手で覆う。

 絵の左の目は、右目と比べるまでもなく切れ長になっていた。

 本来の目尻よりも長く引かれたアイシャドウが、目尻の位置を錯覚させてくる。

 ちょっと思い付かなかったテクで、感動しちゃったよ。

 アイラインを追加すれば、もっとはっきり横幅を誤魔化せそうだ。

 


「ウチみたいな縦幅にばっかり目がでかいやつは、

 眼彩を横へ長く塗ると、良い具合になるんだ」


「なるほどねえ」



 私自身も周りの人も、杏みたいなぱっちり二重は少ない。

 縦幅をどう大きく見せるかで悩むことは多いが、横幅へのアプローチはまだまだだった。

 勉強になるなあ、と思いながら予備の筆でメモを書き込む。



「よく思い付いたわね、こんなやり方」


「だろ?」



 へへ、と杏が得意げに笑う。



城奥ここと違って、

 廓の姐さんは天女ばっかじゃねーからな」


「へえ、堺でも?」


「まあな、鄙から来る女は特に磨かれてねえもん」


「はっきり言うわねえ」


「当たり前だろ、

 ブスやおふく・・・じゃロクな商売にならねーじゃん」



 すぱっと言い切る杏の口は、残酷なほどに鋭い。

 まあ、言うことはわからないでもないな。この子のいたところは、遊里だもの。

 まず何を置いても、容姿が物を言う世界だ。



「でも、そういう姐さんほど、

 化けさせるのは面白かったよ」



 筆を指で回して、杏が言う。

 メイクの腕の見せどころだし、メイクされた本人も喜ぶ。

 それがとても楽しくて、やりがいがあったそうだ。



「そっか、ならさ」



 どこか懐かしそうな横顔をじっと見て、聞いてみる。



「あなた、なんでまだ城奥にいるのよ」


「うるせぇな、ほっとけ」



 舌打ちして誤魔化さないでよねー。



 サボりスポットの庭で、杏と二人っきりで会うのは、これで七度目。

 毎日お夏の目を掻い潜るのは無理だから、二日か三日に一度のペースで落ち合って話をしている。

 警戒するかと思ったけど、思ったよりも信用されているっぽい。

 二人でおやつを食べたり、コスメの話をしたり。

 お互いの顔で、メイクやフェイシャルケアの練習をしたり。

 奇妙に和やかな交流を続けて、次第に距離を縮めることに成功して。

 ようやく近頃は杏の口から、彼女に関する情報を聞くことができるようになってきた。

 そんな、今日この頃である。


 杏は、堺に名高い高須遊郭の出だ。

 髪と瞳の色でわかるけど、南蛮人と日本人の間の子らしい。

 らしいというのは、拾われ子で来歴がはっきりとしないからだ。

 本人によると、十一年ほど前に高須遊郭の端っこに捨てられていたんだって。

 だぶんどこかの遊女が生んだけど、あまりに珍しい色彩の赤子だから捨てたんじゃないか、とのことだ。

 実際南蛮人慣れした高須遊郭の人々も、杏をちょっと気味悪がったようだ。

 でも、赤子の杏は運がよかった。拾ってくれる人がいたのだ。


 それが、白妙太夫しらたえたゆうさん。


 ずば抜けた美貌と教養、洒脱な人柄で大見世に君臨した売れっ妓さんだ。

 伝説の地獄太夫じごくだゆうの再来と謳われたそんな女性が、杏に目を留めて拾い上げてくれた。


 青い目が綺麗、というかっ飛んだ理由でだよ。


 周囲に止められたけれど、白妙さんは杏を育てた。

 子供一人育てるお金を、一晩あれば余裕で稼げる人だから通った無理なんだろうな。

 無事に杏は成長して、白妙さん専属の髪結いとして働いていたようだ。

 白妙さんが出入りの髪結いに頼んで、杏を仕込んでもらっていたらしい。

 杏は容姿のせいで手っ取り早く遊女になれないし、かと言って市井の男に嫁げる可能性も低い。

 ゆえに手に、一生物の技を持つべきだ、とね。


 ここまでは、佐助が知らせてくれた情報と合致している。

 じゃあ、令和式メイクをどこで、なぜ覚えたのか。

 杏の口から聞くに、どうも親孝行の結果みたいだ。


 実はこれに、とと屋の商いが深く関わっていた。

 とと屋は私発案のコスメを作ると、京阪の遊郭でコスメのテスターを依頼する。

 使用感や崩れ方、アレルギーなどが出ないかなどのデータを取るため、プロの夜のお姉さんたちを頼っているのだ。

 そんなテスターの中に、白妙さんと杏のいた見世があったってわけだよ。


 見世は近所付き合いがてらテスターに参加したようだが、当初見世の遊女たちは苦戦した。

 コスメ、特にカラーコスメが時代を先取りしすぎていて、廓の誰もが上手く使いこなせなかったのだ。

 私が書いた説明書や基本メイクのマニュアルだけでは、上手く理解が追い付かなったらしい。

 白妙さんもコスメを持て余して、杏に使い方がわからんねえ、と愚痴った。


 せっかくの珍しいものなのに、惜しいね、と。


 この愚痴がもとで、杏は奮起したのだ。

 母同然の白妙さんの役に立ちたい、喜んで欲しい。

 純粋な気持ちで私のマニュアル片手に、自分や見世の下女の顔で練習しまくった。

 もともとセンスがあったのだろう。地道な練習で、一気に才能を開花させた。

 マニュアルには基本の基本しか書いていなかったのに、短期間の試行錯誤で私のレベルに追いついたのだ。

 正真正銘の天才じゃん……予想外だよ……。


 そんな天才杏ちゃんの手で、まず白妙さんの美貌が冴え渡った。

 当然大評判となり、見世のご主人が見世中の遊女にメイクを施すよう杏に命じた。

 すると見世の女たちの美しさが底上げされ、また評判を呼びまくる。

 そういう良いサイクルが発生して、見世は大儲けでご主人はにっこり。

 養い子の杏がお化粧係として見世での立場を確保し、白妙さんもにっこり。

 白妙さんが美しくなり、いっぱい褒めてくれるから杏もにっこり。

 とても順風満帆、前途洋々だったようなのだが。



「本当に気になっているんだけど、

 どうして遊里から城奥へ来たのよ」


「気にしなくていいだろ」



 明後日の方向を向いて、杏が言い捨てる。

 言いたくないことがありますと、体いっぱいに表現する子だなあ。



「廓の中で仕事を探せば、

 今みたいな苦労しなくてよかったのに」


「廓の中よりこっちの方が、

 おあし・・・がよかったんだってば」


「ふーん?」



 遊里の御化粧係として、将来を約束されていた杏。

 その子が今、お金のためだけに城奥にいるなんて変な話だ。


 与四郎おじさんの調べでは、今年の春先に見世から杏の姿が消えたらしい。

 前後して白妙さんも見世を出て、堺郊外に移ったようだ。

 どうも、白妙さんは肺の病みたい。

 不治の病気だから見世を出されたのだろうが、それにしては暮らしぶりが良いそうだ。


 遊女は持ち出しの多い仕事である。

 自身だけでなく、お付きの遊女や禿などの服飾費や生活費まで、自腹を切って賄う。

 太夫で荒稼ぎをしていても、たくさん蓄えることは難しい。

 まして白妙さんは、杏を養っていた。

 贔屓客に落籍されていなければ、病と相まって零落一直線なはず。


 にもかかわらず、白妙さんは小さくとも綺麗な家に住んでいる。

 しかも数人の使用人に世話をされ、定期的に医者にもかかっているとくる。

 電撃引退ゆえに贔屓客は誰一人白妙さんの行方を知らず、誰もパトロンになっていないのにだよ。

 どう考えたって、不自然な状況だ。

 杏が城奥にいることが大きく関わっている、としか思えない。


 けれど、杏も白妙さんも、口を割らない。

 杏はこんなふうにはぐらかすし、白妙さんは自分の蓄えで生活を賄っているの一点張り。

 白妙さんは杏の行方についても、知らぬ存ぜぬだそうだ。

 義理母子ともに、間違いなく、何か隠している。



「ねえ、杏ちゃーん」



 そっぽを向く頬を、つんつんと突いてみる。



「そろそろ話してみない?」


「何を」


「誰に口を利いてもらって、

 城奥に来たのかな?」


「口入れ屋」


「そんな口入れ屋があってたまるか」



 馬鹿言うな。羽柴の城奥の侍女には、身元の確かな娘しかなれないんだぞ。

 側室や女房の侍女なら、実家が家中から募って集める。

 市井の口入れ屋ハローワークに求人情報が行くことは、絶対と言っていいほどない。

 口入れ屋で紹介されるとしたら、良くて豪商の女将さんの侍女が精いっぱいだと思う。



「誰かに義理立てしてる?」


「……」


「浅井の一の姫様かしら」



 おっと、睨まれた。

 メイクのおかげで、いつにも増して目力がある。

 杏みたいな、強そうな女の目っていいなあ。

 素直に話してくれそうにないし、方向を変えてアプローチしてみるか。



「一の姫様は、ご息災でいらっしゃる?」


「またそれか」



 杏が気だるげなため息を吐いた。

 会うたびに投げていて、彼女がまともな回答が返していない質問だもんね。

 それでもまったくあきらめないで投げるのは、杏から見た茶々姫様を知りたいからだ。

 茶々姫様に対するこの子の態度には、なみなみならぬ何かが感じられる。

 たぶん、私が寧々様へ向けるような忠誠心、ではない感情だ。

 似ているようで違う、けれども杏は茶々姫様にとても尽くしている。

 少なくとも杏に根ざすものは、虚栄心に満ちた袖殿たちと異なることだけは確かだ。

 根ざした何にかさえ知ることができれば、私の手にある切り札の出し方を変えられるかもしれない。

 秀吉様の虎の尾を踏まず、茶々姫様にアプローチできる。

 なんてベストな解決策が、見つかっちゃうかもしれない。

 だからうんざりされても、訊くっきゃないのだ。私の身のためにもな。



「あんたの気にすることじゃねーだろ」


「するわよ、お役目だから」



 城奥の女の健康は、御化粧係の管轄下だ。

 知らんぷりしたら、職務放棄になってしまう。

 しかも茶々姫様に関しては、秀吉様から直々に指令が下っているのだ。

 面倒とは思っていても、適当にやるわけにはいかない。

 真剣にやらねば、私の立場が危うくなる。

 タイミング良く、秀吉様は竜子様の懐妊確定という慶事で最高に上機嫌だ。

 ちょっとやそっとの問題があっても、今なら笑顔で流してくれるはずである。

 ぜひとも杏には、すみやかに協力をしてほしい。

 さくっと決着に持ち込んで、私をストレスから解放してくれ。



「お役目、ね……」



 リップを塗ってぽってりさせた唇が繰り返す。

 長いまつげの陰が、瞳の青を深くする。



「聞きたいんだけど」


「なぁに」


「茶々様のこと、あんたは嫌いか」


「え?」


「お役目を抜きにして答えろ。

 好きか、嫌いか……どっちだ」



 いきなり真面目な顔で、何を言い出すんだ。

 聞き返しそうになって、寸手のところで思い止まる。

 問いかける声音に、思いつめた気配があった。

 下手な返事を、してはいけない。

 取り返しがつかないことになるような、そんな気がした。



「一の姫様のことは、好きではないわ」



 私が口に乗せた答えに、杏の目元が歪む。

 怒ったようでいて、泣きそうに。

 知らぬふりをして、でも、と続ける。



「嫌いでもないのよ」


「……どういう、意味だ」


「私は一の姫様のこと、何も知らないのよ」



 いつも茶々姫様は面倒ごとの中心にいる。

 トラブルメーカーというイメージが、定着しつつはある。

 でも同時に、一度たりとも会ったことがない人でもある。

 他人のフィルターを通してばかりで、本当の茶々姫様を私は知らない。

 今覚えているイメージは、本当の茶々姫様に当てはまるのか。

 判断するための材料が、何一つ私にはないのだ。


 

「会ったことすらない方を、

 一方的に決めつけたくないの」



 私は私の目と耳で、茶々姫様を知った上で判断したい。

 私の判断を、他人を通した情報ばかりで下したくない。

 できるかぎり、私は人に誠実でありたい。


 例え相手が、茶々姫様であろうとも。




「ねえ、杏」



 膝の上で握り締められた手に、手を重ねる。

 手のひらに感じるのは、雪解けの水のような冷たさ。

 氷を溶かすように、包み込む。



「私を───」




 一の姫様に、会わせて。





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