誰が小鳥をなかせるの?(3)【天正16年6月上旬】
おやつ片手に、サボりスポットへふらっと行く。
今日はオフ日。昨日の夜、急に久しぶりのお休みを申し渡されて暇なのだ。
いつも何かしらやることがあるはずなのに、どうしてこんなことになっているか。
それは今日、御殿医による極秘の竜子様の診察があるからだ。
竜子様の懐妊の可能性がね、かなり濃厚になってきたんだよ。
行幸の少し後から、竜子様は体調不良が続いている。
いつも熱っぽさを訴えられ、味覚や嗅覚に変化が目立ち出していた。
そして生理がだよ。
四月の妙に短期間の一回を最後に途絶えて、もう二ヶ月近く来ていないのだ。
ご懐妊、ほとんど確定ですね。
本当にありがとうございます。
条件やらなんやらはもう役満なのだが、あまりの急展開である。
情報統制がしかれ、これを知る人間はごく僅かだ。
秀吉様も寧々様も、竜子様ご本人すらも一周回って冷静になっているらしい。
勘違いでしたとならないよう、六月に入ってから御殿医トップの曲直瀬父子の診察を二回受けている。
いずれも懐妊という診断が下りているのだが、それでもまだ慎重を期して今回の最終診察だ。
曲直瀬先生たちも先生たちで、診断精度を上げようと必死なようだ。
とうとう産科を専門の一つとする、丿貫おじさんも診察への参加を命じられたと聞く。
秀吉様と寧々様にお目通りをして、面談を重ねた上での採用だというからすごい。
誰も彼もガチだよ。
懐妊確定だと、羽柴家に待望の嫡男誕生フラグが立つんだもんね。
信じられない気持ちと、祈るような気持ちが秀吉様たちを過剰な警戒に走らせているのだろう。
そういうわけで、医療関係は専門外の私は蚊帳の外となった。
寧々様は竜子様へかかりきりになるから、私は朝のメイクの仕事以外は仕事無し。
手習や楽器などの習い事も、講師役である孝蔵主様や東様が忙しいので無し。
外部講師を聚楽第へ入れたくないから、茶の湯や立花のお稽古も無し。
他のご側室のメイクやエステの依頼も、すべてお断りした。
摩阿姫様と江姫様たちのお茶会など、遊びの誘いも辞退した。
情報をお漏らししちゃったらいけないからね。
茶々姫様のお見舞いも、もちろん中止である。
やることは全部無しの超暇な休日って、本当に落ち着かない。
後で結果を教えてもらえるとはいえ、竜子様のことがとても気にかかる。
気を紛らわせられるものもほとんどなく、萩乃様やおこや様は竜子様に貼り付けでお喋りしに行けない。
私は休みでも侍女たちは忙しそうだし、一人での遊びも飽きてきた。
家族や紀之介様への手紙を書いた後、堪えかねて散歩に出かけたってわけである。
お気に入りの沓脱ぎの側に、持ってきた布を敷く。
明るいブラウンの布地に、蜂蜜みたいなイエローで小花柄の縁取りを施した、一人用レジャーシートだ。
これを敷いて座ると小袖が汚れないし、どこでもピクニック気分を味わえる。
「よっこいせ」
腰を下ろして、水筒を開ける。
中身は旬の柑橘類の果汁と蜂蜜を湯冷しで割った、ハニードリンクだ。
直前まで井戸に入れておいたから、冷たくって爽やかで喉越しが良い。
東様がくれた求肥菓子を摘みながら、白や紫のホタルブクロがちらほら咲く庭を眺める。
私のサボりスポットは、今日も今日とて誰もいない。
共有の庭とはいえとても狭いし、日当たりがあまり良くないせいだ。
おまけに空き部屋が周囲に多くて、余計に近づく者を少なくさせている。
でも、私にしてみれば好都合な場所だ。
人が来ないなら人目を気にせず、だらだらまったりできるからだ。
常に注目されるお姫様の生活は楽じゃないんだよ。
食事の仕方、立ち振る舞い。微笑みの浮かべ方に、話し方。
あらゆる私の行動を、周りの人たちは値踏みしている。
みんな私を通して、後ろにいる寧々様や山内家を見ているのだ。
だから私は二十四時間の勢いで、きらきらしくも賢い粧内侍として振る舞わなくてはいけない。
羽柴と山内の誉れで在り続けることが、今の私に課された義務。
だから、少しの隙を見せてはいけないのだけど。
正直に言って、めっちゃくちゃ疲れる。
だって私は元々、ごく普通の美容オタクなんだよ?
頭も性格も平凡だから、状況についていくのにいつも精いっぱい。
たまにはこうして、一人にならないとやってられない。
最近は茶々姫様んとこのことで、ストレスもガンガンに溜まってきているし!
あー! お酒飲めないしやけ食いしよ! やけ食い!!
もっちもちの求肥を口に詰め込む。
お行儀なんて知りません。誰も見てないしな。
あー美味しい。胡桃入りで香ばしくって、超美味しい。
東様は料理もだけど、お菓子も上手くて素敵だわ。
ちょっと料理、教えてもらおうかなあ。
「……あんた、何やってんの」
「んぐ!?」
呆れた声が、背後でした。
口にちょうど入れたばかり求肥が、驚いたはずみでまるごと喉に入り込んだ。
ぐはっ、ちょ、何!? 後ろを向こうとするけど、喉に引っかかった求肥が呼吸を邪魔してくる。
の、喉がくるし!
餅に殺されるぅぅぅぅっ!?
「ばっか、何やってんだ!?
背中叩くぞ! いいな!?」
声の主が慌てたように、背中に手を添えてくる。
頷くより先に、バシバシ叩かれた。容赦ない打撃に、喉に詰まっていた求肥が戻ってくる。
咄嗟に口元へ当てた懐紙に、無残な求肥が飛び出した。
「がっ、げふ!」
「水飲め、これだよ。
ほら、ちゃんと持てって」
手に水筒を押し付けられる。
握らされた水筒に口をつけ、急いで傾けた。
ハニードリンクが、滑り込んでくる。
爽やかな酸味と冷たい潤いに、ひりつく喉が徐々に落ち着いていく。
「落ち着いたか?」
「うん……あなた何やってんの……?」
「そりゃこっちが言いたいわ」
涙目を向けた先の助けてくれた人──杏が、しかめっつらを返してきた。
「餅食って喉詰めるとか、あんた爺婆かよ」
「うるさい、あなたが、驚かしたからでしょ」
「あれで驚くとかちっさい肝だな?」
ぐ、否定ができないのがつらい。
でも気配も薄く背後に近づく方だって悪いんじゃないか。
私だってわかってたら、求肥を喉に詰めなかったっての!
「それで、何しにきたの」
ハニードリンクで喉を完全にしずめて、改めて杏に訊ねる。
数日振りに会った彼女は、あいかわらずふてぶてしい表情だ。
でも小汚さが少しマシになっている。
お風呂にでも入れて、小袖も洗えたのだろうか。
髪は前に私が包んであげたスカーフではないけど、小綺麗なライムグリーンの布で包んでいる。
布の端を前ではなく、後ろで結んで長く垂らすアレンジだ。
バンダナ風とターバン風を組み合わせたような感じで、少しだけスカーフから垂らされたサイドの髪が大人っぽい。
この前とは違った洒落たエスニックな味が出ている。
「じろじろ見んなよ」
「いや、髪の布の巻き方が上手いなって」
「テキトーだよ、こんなん。
あんただってできんだろ?」
いや、できるけど。
それでも杏のスカーフアレンジは、手先の器用さが際立っている。
まじまじ見ていると、杏の頬が少し赤らんだ。
「それより! これ!」
荒れた手が私に突き出される。
その手には、皺一つない新品のようなスカーフがあった。
丁寧に
ピシッと角を揃えられたそれを、杏は私にぐいぐい押し付けてきた。
んん? なにこれ??
ぽかんとして、つい首を傾げてしまう。
杏もまた、怪訝な顔で小さく首を傾げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます