誰が小鳥をなかせるの?(1)【天正16年6月上旬】
城奥の女は、外部の人間と接触しないわけじゃない。
職務として商人や城表の役人と接する者は、わりとそれなりにいる。
一定以上のランクの側室や女房なら、申請すれば実家の者と面会もできる。
ただし、外部の者と面会をする場は限定されている。
それは中奥の城表にほど近い区画の、いくつも座敷の並ぶエリアだ。
近くには奉行衆などが大勢勤務するエリアがあり、人通りがとにかく多い。
不正や醜聞の防止措置、ということだろう。
面会時には中奥の侍女が待機するルールもあって、絶対間違いが起こせない仕組みになっている。
堅苦しい決まりだけれど、普通にしていれば別に苦痛はない。
人の耳や目を気にするようなことを、一つもしなきゃOKなのだ。
どうしてもって時は、抜け道がないわけでもないしね。
「それでは、御用がございましたらお呼びください」
中奥の侍女は、満面の笑みで優雅な一礼をする。
するりと障子戸が閉じられて、座敷には私と佐助だけになった。
「姫様、これいいんですか」
侍女の足音がしなくなって、数秒ほど。
おもむろに佐助が、じろりと私を見た。
「いいの、わりと誰でもやっているから」
「うっそお」
「問題ないって、このくらい。
誰も言わないだけであるお品書きみたいなものだよ?」
中奥においてお金で人払いが可能なのは、暗黙の了解だ。
特に親族との面会時に利用する人は、結構いる。
城奥の秘密を流すってわけではなく、家の秘密に関して話し合うためとかにね。
だいたい
この料金で完璧に人払いができるのなら、安いものである。
「あんた嫌な意味で大人になってきましたね……」
「喧嘩売ってるの?」
「心配してるんですってば」
尋常じゃない金銭感覚とか、と佐助がこめかみに指を当てる。
失敬な。自分の財布に無理のない範囲でしか、お金は使ってないよ。
山内家にダメージを与えるような真似なんて、一度もしたことがないじゃないか。
むしろとと屋の商品開発顧問の副業で、琵琶湖並みに山内の資産を潤しているはずだ。
「そんなことより報告なさい、報告!」
軽く膝を叩いて、佐助をうながす。
なんのために多忙な私が時間を作って、出てきたと思ってるんだ。
定期連絡のためだけじゃないんだぞ。
与四郎おじさんから、杏に関する調査結果を佐助に預けたって連絡が入って、急いで予定を詰めたのだ。
せっかくの空けた時間なんだから、有効活用しろっての!
「はいはい」
実にめんどくさそうに、佐助が懐から帳面を出した。
ページを何枚かめくって、書き付けた内容に目を走らせる。
「結論から言いますとね、件の南蛮人の娘は───」
◇◇◇◇◇◇◇◇
「粧の局様、御用はございましょうか」
部屋の外から、侍女の声が掛かる。
いつの間にか、半刻たったようだ。
佐助と目が合ったので、頷いてみせる。
情報交換は、あらかた済んだ。今日はこれで良しとしよう。
「それじゃ、父様と母様によろしくお伝えしておいて」
「承知いたしました。
弟君と妹君のご様子も、またお知らせにまいります」
「まあ! 嬉しいわ、待っているわね!」
私と佐助。どちらも声の調子を明るく切り替えて、腰を上げた。
障子戸を開いて、控えていた侍女に歩み寄る。
「ありがとう、用は足りたわ」
微笑みかけつつ、袖に私謹製の新色リップを一本落とす。
「よかったら使ってね?」
袖の中を確かめた侍女の表情が、ぱっと明るくなった。
心底嬉しそうな笑みとともに、深々と頭を下げてくれる。
これでこの人から、私が佐助と密談した、という情報が漏れる心配はないだろう。
佐助の方へ首を巡らせる。なんでチベスナ顔してるんだよ。
「行くわよ」
「はーい、ただいま」
肩を竦めて、佐助が私の後に続いた。
お夏が待機している控えの間まで二人で戻り、持ち込みチェックを通った実家の差し入れを受け取る。
今日持ち込まれたのは、薄物の小袖が数着と日持ちするお菓子。
お祖母様と母様が選んでくれた、新しい夏向きの扇子もある。
扇子の扇面は青くて、描かれた舞い飛ぶ蛍が可愛らしい。
蛍のお尻は金と銀で塗られていて、光を受けると本当に光っているようだ。
すごく私好みで、とっても嬉しい。
ついでに、差し入れのお返しを佐助に託す。
寧々様からいただいた妹への出産祝いの産着と、私が縫った木綿のスタイ。
それから家族一人一人への手紙を、絶対無くさないようしっかりと念押しして、私は帰路についた。
「いかがでしたか?」
「上々」
城奥へ戻る道中。人気の少ない場所に差し掛かったあたりで、ぽつぽつお夏と情報共有を始める。
唇をあまり動かさない話し方でだ。
この話し方は、声のボリュームを極端に小さく絞ることができる。
人に聞かせたくない内緒話をしたい時に、とっても役立つ。
「と、いうことは」
「元の巣と素性はわかった」
「仲間は?」
「一羽もいないみたいよ」
ようございました、とお夏が胸元に手を当てる。
「でも、まさかでしたわね」
「そうねえ」
足を止めて、私も細い息を吐く。
好都合な真実とはいえ、まさかのまさかだよ。
あの小鳥ちゃんの特殊さが、毛色だけじゃないなんて……って。
「姫様?」
「これ持ってて」
お夏の方へ、差し入れの包みを押し付ける。
驚く彼女を放置して、私はすばやく縁側から飛び降りた。
素足の裏に当たる小石が、ちょっと痛いが構っていられない。
一目散に植え込みへ駆け寄って、葉陰へ腕を突っ込んだ。
クチナシの花が散る。甘くて濃い芳香が溢れる。
伸ばした指先が、木綿の襟を掴んだ。
小さな悲鳴は、知らんぷりだ。
掴んだ布地を手に巻きつけて、思いっきり手繰り寄せる。
抵抗はあったけど、なんとか力で勝てた。
白い花と濃い緑の葉の間から、襟の主が後ろ倒しに姿を現す。
ちょうどいい、相手がバランスを崩している。勢いに乗せて、地面に転がす。
そして素早く右手で肩を押さえ、ノーガードなお腹に左膝を乗せた。
「はな、せっ」
制圧されてもなお、膝の下の体はじたばたもがく。
諦めが悪いなあ。軽く重心を乗せた膝に預けて、圧を足す。
九歳の子供ながら、私は平均以上に体格が良い。
色の良くない唇から、声にならない苦鳴が零れたのはすぐだった。
「城奥の女が、
勝手に外へ出ちゃダメじゃない」
赤みがかった髪が、紅葉のように地面へ散らばる。
いやいやと振られる細い顎を、片手で掴んで固定する。
息を詰まらせながらも、青い瞳はぎらついている。
あーもー苦手っ! 身に覚えのないヘイトは困るっ!
「ここで何してるの、杏ちゃん?」
ため息まじりに、訊いてみる。
けれども、杏は何も答えない。
ただただ、私を睨むばかりだ。
「そなた、お答えなさい」
駆け寄ってきたお夏が、杏の頭の横に膝をつく。
いつも涼しい目元が、氷のように鋭く尖った。
かさついた薄い唇が、更にぎゅっと引き結ばれる。
お夏は表情を変えず、平手を杏に振り下ろした。
「ッ!」
「我が姫様のご下問です、疾くお答えなさい」
小気味良い音の後、お夏がひんやりとした声で言葉を重ねる。
あかん。めちゃくちゃお怒りモードだ。
こうなるとお夏は、私が止めても止まらない。
徹底的に相手を追い詰めて、屈服させる勢いになる。
けれども杏も大したものだ。打たれた頬を痛がる素振りも見せず、お夏を激しく睨み返す。
お夏の手のひらが、また綺麗に指を揃えた。
その手が振り下ろされる寸前、ふと視界の端に人影が映る。
会議が終わったばかりなのだろうか。
廊下の奥の座敷から出てくる姿が、一、二、三。まだまだ出てくる四、五。
ぞろぞろとまあ多いなって、先頭の黒いやつが目に入る。
え、あ、ああ、あれっ。
いっ、い、石田様────────ッッッ!?!?!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます