小鳥を鳴かせる下準備【天正16年6月上旬】
「お邪魔しまーす」
適当に声をかけて、茶々姫様の居所のある御殿へ入る。
ご機嫌うかがいアタックは、一日一回やっとかなきゃならない。仕事だからね、これも。
先月の終わり頃からスタートして、かれこれ半月近く。
いまだ茶々姫様には会えていないが、行かないと行かないでサボりっぽくなるから嫌だ。
さくっと行って、追い返されて来ましょっと。
奥の方から足音が、複数ばたばたと聴こえてくる。
来た来た。入り込んで一分も掛かってないじゃん。
だんだん反応が早くなって来てるな。
学習能力をもっと別のところに使えばいいのに。
そう考えている間に、廊下の向こうへ若めの女房や侍女たちが現れた。
打掛や小袖の裾を苛立たしげに捌いて、ずんずんと近づいてくる。
適当に立ち止まって、彼女らを待ち構える。
チョイスする場所は、日陰の真ん中あたりだ。
日焼けしたくないからね。
「粧の姫君、何用でございますか」
日当たりの良いところで先頭の女房が止まる。
そこそこ整った顔には、薄めのメイクが施されていた。
上手いな。私や私の侍女たちの技術に、限りなく近いレベルまできたか。
顔と首の色に統一感があるし、ベースメイクは塗りムラ一つない。
ハイライトとシェーディングも上手に使っていて、ポイントメイクもこの女房のパーツに合わせて仕上げて来ている。
特にアイブロウが絶妙だわ。
長めに眉を描いて、目の幅を広く見せるテクを使うとは恐れ入った。
自力で発見したのなら、とんでもないハイセンスだ。
「……じろじろ見ないでくださいます?」
「あ、ごめんなさい。
良いお化粧だなって」
「フ、貴女でなくともこの程度はできますのよ」
「まあ紅の色が、微妙に惜しいんですけどね」
ブルベサマーさんに、アプリコットは鬼門やで。
今日のようなグレイッシュ系のアイシャドウと合わせるなら、
ぐっと女房が怯んだ隙に、言いたいことを言わせてもらう。
「で、一の姫様のご機嫌うかがいに来たんですけど」
「姫様はお会いになりません」
「なぜ? 今日は気鬱? 腹痛?」
「いちいち貴女に申し上げる必要があって?」
冷たい声を思いっきりぶつけられた。
私の態度に、かなりイラッイラきている様子だ。
こめかみがひくひくしている。
まあわざとイラつかせる物言いをしているので、気にはしないんだけどね。
「私は北政所様の女房で、あなたより偉いの。
理由を問うて答えさせる権利があるのよ?」
「粧の姫君は、礼儀をご存知ないと見えますわね」
「そっくりそのままお返しするわ、
私が従五位下掌侍なのをお忘れかしら」
援護射撃を試みた侍女を、スッパリ切り捨てる。
礼儀って言うなら、あんたら今すぐ床にひれ伏せよ。
私は城奥の女房唯一の殿上人なんですけどぉ。
城表のバリバリエリート奉行衆の皆さんと同ランクですけどぉ。
「ほんっっとに失礼な方ねっ!
ご実家でどんな躾をされてきたのっ!?」
めんどくさげに髪をいじっていると、再起動した先頭の女房がヒスった。
私の後ろで、侍女の誰かがそれを笑う。
失笑って感じのくすくすが、後ろに少し広がっていく。
「今笑ったのは誰!? 何がおかしいの!!」
「何って、ねえ?」
「鏡を見て仰っているみたいなんですものねー」
「粧姫様が失礼な方なら、
城奥のほっとんどの女が無礼者じゃない?」
「ふふふ、言えてるわぁ」
軽やかなあざけりを含ませて、侍女たちが笑いさざめく。
いつもはお上品なみんなだが、ここの連中にだけはガンガン煽ってよしと指示を出してある。
だから全員ストレス発散とばかりに、多少のお行儀は投げ捨てているのだ。
煽るとこいつら、自分たちで自爆カウンター回してくれるからね。
対峙する茶々姫様の女房や侍女たちが、トゲだらけの敵意を向けてくる。
前から思っていたけれど、煽り耐性がちょっと低くないか?
それも受け流して、お夏に視線を送る。
心得たものの腹心は、にこりとしてから最後尾の女中を呼んだ。
女中たちはすぐさま、金襴の布包みを運んでくる。
「ま、今日のところはこのへんで帰ります。
こちらは差し入れですから、
「……」
「いらない?」
「承知いたしましたっ」
お夏が差し出した包みを、あちらの侍女の一人が奪うように受け取る。
あらやだ、乱暴だこと。お夏に肩をすくめると、へっと笑われた。
なんだかんだこの子は図太い。佐助と良い勝負になって来たものだ。
あいつ元気かな。明日会えるが。
「いいかしら、
「しつこくてらっしゃいますね、
なんてうるさいこと」
「しつこくしなくてどこかに消えたらって思うと、
ちょっと心配なのよね」
「っ、そんなこと起きませんッッ」
なぜそこで詰まる。あやしいですね〜?
彼女らににんまりと笑いかけて、わざとらしく丁寧に会釈をして背中を向ける。
「お前たちー、帰るわよー」
侍女たちに声をかけ、後は振り返らずスタコラだ。
今日のルーチン終了! おつかれさまでしたぁ〜!
一番おっくうなルーチンを終えたら、次は小鳥探しである。
城奥に最近、外から入り込んだ小鳥がいるんだよ。
あっちこっちのお庭に痕跡があって、気ままに動き回っているようだ。
珍しい小鳥のようだから、観察してみたくってね。
毎日探しているんだけど、これがどうしてなかなか見つからない。
私や侍女の動きにすぐ気づいて逃げちゃうし、罠を仕掛けても引っかからない程度には賢いとくる。
コスメの試供品をばら撒いて情報提供を募っても、目撃情報ばかり積もるばかり。
いまだに直接目にできていないありさまだ。
なんとも手強い小鳥であるが、だから放置ってわけにもいかないんだよなあ。
「小鳥、いた?」
「跡だけはございましたわ」
塀の側から、お夏が大きな声で返事をした。
指し示される地面が、掘り返されてぼこぼこになっている。
私が城奥へ上がった頃に植えた、キカラスウリの根を狙ったんだな。
まだ若い物ばかりだったから、どれも根が細くて全部持っていく勢いになっちゃったんだろう。
見た目は被害甚大だが、まあいっか。
天花粉を自家生産できたらお得、程度の気持ちで植えてたやつだし。
「姫様ー」
敷地の隅の方から、侍女の一人がぱたぱたと走ってくる。
「
いくらか持っていかれておりますわ」
「そっちもかあ」
「姫様のお考えどおりでございますね」
本当にねえ。
ちょろっと私の薬草園の情報を世間話として流して、薬草園の施錠を一ヶ所だけ忘れてみた。
たったそれだけで、こうなるとは。
予想通りがすぎて、いっそ笑えてくる。
しかも選んだのは、爆殖タイプの薬草ばかりか。
キカラスウリ、ヨモギにドクダミ。
どれもこれも抜群の効能を有する薬草だが、厄介な繁殖力を備える雑草でもある植物だ。
多少盗られたところで、放って置いてもすぐ復活する。
大した損害にはならないし、こちらもあまり気にしない。
そう踏んだ上での、最適解なチョイスだ。
ずいぶんと頭の出来が良い、そして根が真っ当な小鳥ちゃんだこと。
「姫様、何を喜んでいるのですか」
お夏が私の顔を覗き込んでくる。
まぶたを軽く落とした眼差しに、大量の呆れが含まれていた。
流れるように顔を横に向けて、まだ蕾もつけない芍薬を植えたエリアを眺める。
「別にぃ?」
「いい加減になさいまし」
「何をよ」
「あの不届な小娘を鳥と呼んで、
好きにさせることをです」
お夏の眉間に、不満げな皺が刻まれる。
ぱらぱらと集合した他の侍女たちも、似たり寄ったりの表情だ。
「捕まえる気が、おありなのですか?」
「あるけど」
「ならばさっさと、我らに命じてくださいな」
珍しい、ちょっと強めな語調でお夏が言う。
「不届きな鳥を捕らえて、
姫様の御前に引き据えよと」
お夏たち侍女は、小鳥──杏の存在に、私よりも神経を立てている。
私たち御化粧係は、今や城奥において花形のポジションだ。
業務内容が華やかの極みであり、トップの私は官位持ちで高貴な方々の覚えもめでたい。
あでやかにお洒落をして、城奥の女たちの憧れや羨みを一身に浴び、肩で風を切って歩ける。
結果として侍女たちは確固たるアイデンティティと同時に、プロ意識ゆえのプライドを高く持つようになった。
加えて、彼女たちは私個人への忠誠心も強い。
気持ち良く働いてくれるよう、福利厚生とお賃金は手厚くしているせいだろうか。
仕え甲斐があると言ってくれるのはありがたいが、ちょっと私ファーストが突き抜けてきている。
そんな感じだからこそ、お夏たちは杏の存在が憎たらしいことこの上ないのだろう。
気持ちは嫌ってくらいよくわかるよ。
私も杏に関しては、ぜんっっっぜん心穏やかじゃない。
単純に勝手にパクられたような不快感があるし、私のキャリアをおびやかす不安要素だし。
なによりかつての親友と同じ顔なせいで、余計なことを考えてしまいそうになる。
ほんと、もうね、気持ちが落ち着かないったらない。
すべてが解決したら、一発殴らせていただきたいよ。
元々右の頬を打たれたら、左の頬をバットでフルスウィングするタイプなんだ。
確実に勝てると踏んだ相手にしかやらないけどな。
「でも、まだ時じゃないんだよね」
「時?」
「鳴かない小鳥はね、
不用意に捕まえて殺すもんじゃないのよ」
私は指先を唇に当てて、くすりと哂ってみせる。
思いつくかぎりの手は打った。
求めた情報は、明日佐助が持ってくる。
何も知らず、袖殿たちは自爆の道を舗装している。
わかっているはずの杏も、私の想像通りに動かざるをえなくなっている。
「もうすぐ嫌でも鳴かせてやるから───待ってなさい」
盛大な悲鳴を、みんなで鑑賞させてもらおう。
もちろん、特等席でだよ?
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