秀吉様はひきこもり姫が心配【天正16年5月下旬】



 ひとまず秀吉様を座敷に戻してやって開口一番、寧々様が盛大なため息を吐き出した。



「……いかなる次第ですの」


 

 隣に座った竜子様がそれに続く。



「死ぬかもしれぬとは、

 穏やかではありませんね」


「そうね、病か何かなら、

 早々に手を打たないと」


 

 本当にそれな。

 寧々様と竜子様の言うとおり。

 死は、疫病を招く危険があるものだ。

 原因が疱瘡や麻疹みたいな、超強烈な伝染病だったらガチでヤバイ。

 無視すると聚楽第全体を巻き込むパンデミックになりかねないので、早めに手を打つ必要がある。

 放置して自分の命が危うくなったら、笑うに笑えないものね。



「んー、病、と言えばいいんかなあ」



 薄い口髭をさすりながら、秀吉様が目線を上の方にさまよわせる。



「はっきりしませんね」


「わしもはっきりとはわからんのだ、

 もう半月ばかり茶々に会うておらんで」


「「「「は?」」」」



 会っていないだと?

 茶々姫様と??



「あの、よろしいでしょうか」



 ちょっと考えて、手を挙げる。

 秀吉様に頷かれて、少しのためらいとともに知っていることを口にした。



「行幸が終わってからこちら、

 殿下は浅井の一の姫様の元へ、

 たびたびお通いでいらしたのでは……?」



 室内の体感温度が、心無しかひんやりする。

 気分の悪い話だけれど、事実なんだよな。

 竜子様が体調を崩していた期間に、秀吉様が茶々姫様の元へ通い出したのは。

 通い始めた理由は、茶々姫様を励ますためだったらしい。

 茶々姫様が行幸の際のトラブルで落ち込んでいると聞いて、かわいそうになったようだ。


 よくあるかわいそうな私演出で、ターゲットの気を引く手口ですなあ。

 あれって、大抵の男性にかなりの効果があるんだよね。

 代わりに同性の好感度が大暴落するから、使う勇気を持つ人は少ないが。



「それが……最近は行っても会えんのだ」


「なにゆえでしょう?」


「茶々の調子が、良うないらしい」


 

 体調不良って、あんた。

 茶々姫様の体調不良はしょっちゅうだろう。

 一気に私も寧々様たちも冷めた目になる。



「また頭痛でも起こしてらっしゃるんですか」


「いや、目眩やもしれんぞ」


「単なる気鬱ってだけかもしれないわ」


「腹痛ではありませんこと?」



 頻繁に聞く茶々姫様の体調不良の原因を、私たちは投げやりに飛ばしてみる。

 あのお姫様、すぐ頭痛と目眩で寝込むし、腹痛や気鬱ですって茶会や花見を欠席するんだよ。

 往診している玄朔先生いわく、血の道の病。婦人科系の病気っぽい。

 だいたいの症状が生理前に起きているそうだから、ほぼ確定だと思う。

 生理が終わればケロッとしているそうなので、重めのPMS月経前症候群なのかも。

 あれはしんどい人は死にたくなるほどしんどくて、薬も何にも効かない不運な人も珍しくない。 

 茶々姫様も、そういう不運な一人ってだけなら心配したって意味はないよ。

 ある意味、治らない病気みたいなもんだから。



「どれでもないんだわ、

 ただ調子が良くなくて会えぬと」


「茶々姫が、そう申しましたの?」


「いや、茶々の乳母や女房どもがな」



 あのモンペたちの主張か。

 信用ならない人間のコトはしかないとは、またなかなかにあやしい話だ。

 


「虚言では?」


「あり得そうですわね、

 あちらはもともと大げさですし」



 ビネガードリンクのおかわりを飲みながら、竜子様と萩乃様が言う。

 秀吉様の気を引くための演技って可能性、私もあると思います。

 会えない状況を作って、心配させてかーらーのっての?

 構ってちゃんですなあ。率直に言って、私は好きじゃないタイプだ。

 そういう子の方が男性にモテるんだが。



「だがもう半月だぞ?

 万が一そうだとしてもな、ここまで引っ張るか?」


「わかりませんよ、

 殿下が強行突破してきて来るの待ちかも」


「もうやったで」



 実行済みだったのか。

 秀吉様はそもそも悠長に待つタイプじゃないから、当たり前か。

 自分で動いて掴み取るのが基本スタイルだもんな。

 動かない時も、動かないという動きをしているだけのことが多いし。

 でも、だったら会えなかったのはおかしくない?

 関白殿下が直々に強行突破を図ったら、大抵のものは突破できちゃうはずだけど。

 怪しみたっぷりな目が、秀吉様に集中する。

  


「茶々の寝所の前までは、

 行けたんだが……」



 歯切れ悪く、秀吉様が口をもごもごさせる。



「障子戸を開けようとしたら、

 やめてくれと中の茶々に拒まれたのだ」


「殿下を? 浅井の一の姫様が?」


「そうや、開けたら、死ぬと申して」



 開けたら死ぬ?????

 さすがの寧々様たちも私も、あまりの強い言葉に呆気に取られる。

 私たちが黙り込んだ隙に、秀吉様がぽつぽつ説明し始めた。


 秀吉様が茶々姫様の局に突撃をかけたのは、昨日のことだった。

 半月も会えない状況に痺れを切らし、うるさい袖殿や女房を小姓に捕まえさせて単身寝所へ乗り込もうとした。

 だが寸前で、失敗する。

 茶々姫様が激しく拒んだからだ。

 会いたいけど会えないと、入ってこないでほしいと。

 もし戸を開けたら、喉を突いて死にますと茶々姫様は泣いていたそうだ。

 それで、秀吉様は引き下がってしまった。

 気を引くためとは思えない、凄まじい剣幕だったからだ。

 無視して戸を開いたら、本当に喉を突く恐れがあると思って一時撤退をしたんだって。



「あんな茶々は初めてだ……

 わしにはどうしてやりようもない……」



 秀吉様は、しょんぼりと俯く。

 本心から茶々姫様を思いやって、心を痛めていらっしゃる。

 側にいる私にも、それがありありとわかるほどの悲しさが漂わせている。

 寧々様や竜子様も、困惑した顔を見合わせている。

 心配ではないけれど、尋常ではないから不安になる、といったご様子だ。



「殿下、よろしいでしょうか」



 うっすらと感じてきた疑問が、ふと強くなる。

 居心地の良くない沈黙を破って、私は秀吉様に訊ねることにした。



「なんだ、お与祢ちゃん」


「どうしてそのように、

 浅井の一の姫様へ心を砕かれるのですか?」



 不思議だった。

 秀吉様が茶々姫様に心を配りすぎるのが。

 城奥において茶々姫様は、気遣うべき重要なお姫様ではないのだ。

 茶々姫様にはしっかりした後見人がいないに等しく、固有の財産もほとんどない。

 織田の血を引いてはいるが、男系女子でない傍系の姫という血の薄さだ。

 それでも一応織田一族の姫ではあるが、この城奥ではそうとみなされない。

 織田家の看板を背負う方は、別にいるからだ。


 その方々は、織田の五の姫様と姫路の方様。


 彼女らは信長公の実の娘と、信長公の弟君の娘だ。

 織田の姫君と呼ぶにふさわしい、濃い織田男系の血がこの二人には流れている。

 五の姫様も姫路の方様も、まともな感性をお持ちだ。

 血筋を無駄に誇らず、側室として必要な程度には協調性も備えている。

 正室の寧々様と竜子様を立てて、一歩引く賢さもある。

 茶々姫様ではなく、彼女らが寵愛を受けていたら寧々様たちも納得しただろう。


 なのに、あえての茶々姫様。

 側室方の中で埋もれるほど低いお立場なのに、秀吉様の寵愛を受けている。

 だから、色々と、拗れる。

 賢くふるまえていると言い難い人だから、余計にだ。

 いっそ遠ざけてしまう方が、茶々姫様のためなんじゃないかな。


 なんて、私は思っているのだけれど。

 頭の良く回る秀吉様が、同じ答えに行きつかないことがとても不思議だ。

 じっと、お返事を待って視線をまっすぐ向ける。

 秀吉様の目が、痛々しい色を抱いた。



「……わしが、茶々の親をすべて殺したから」



 掠れた呟きが、返ってきた。



「茶々をこれ以上不幸にしたら、

 備前様、権六様、お市様に申し訳が立たんて」



 秀吉様が、顔を覆う。

 寧々様と竜子様は、そんな夫から気まずそうに目を逸らした。

 同情かぁぁ……やっぱりそこかぁぁ……。


 簡単にしか知らないが、茶々姫様の実のお父さんは、信長公に逆らった浅井備前守長政様。

 その備前守様が最期を迎えた小谷城攻めの急先鋒は、若き日の秀吉様だった。

 嫡男の処刑も手掛けたのだから、秀吉様は浅井を直接滅ぼした男と言える。


 二番目のお父さんは、柴田勝家様。

 茶々姫様のお母さん、お市の方様の再婚相手だ。

 柴田様は、つい数年前に秀吉様と権力争いの末にお市の方様ごと攻め滅ぼされた。

 義理の娘の茶々姫様たちを柴田様はとても可愛がっていて、敵の秀吉様に助命を乞うほど大切にしていたそうだ。


 父二人、母一人。親が全員、秀吉様の手で死んでいるとか笑えない経歴だよ。

 秀吉様が後ろめたく思って、気を遣ってしまうのもわからなくない。

 旭様の件とこれはこれ、それはそれにしているのがダブスタだと思うけどね?



「お願いだ! 茶々を助けたってくれ!」


「殿下っ!?!?」



 がばりと秀吉様が畳に這いつくばる。

 そして私に向かって、額をごりごりこすりつけ始めた。

 おいぃぃぃぃっっっ!

 何してくれるんですかぁぁぁ!?



「やめ、やめてくださいっ」


「頼むっ、もう頼れるもんがないのだ!」


「いや頼むのはこっちですから!

 土下座はやめてください!!!」



 口で止めても、秀吉様は止まらない。

 頼む頼むと額が真っ赤になるほど、頭を下げてくる。



「私より優秀な石田様か片桐様はどうですか!?

 石田様は頭が良いし、

 片桐様は人当たりが良いですよ!」


「あいつらは男やぞ!

 茶々に男を近づけられるか!!」


「じゃあ五の姫様か姫路の方様!」


「さっき断られた!!」


「あー! 断られちゃいましたかー!」



 そりゃ迷惑してる奴の面倒みてくれとか言われたら、お二方もキレるよね〜〜〜〜!

 メイクの順番抜かし未遂事件の尻拭いのために、五の姫様や姫路の方様は謝罪行脚してたもんな。

 摩阿姫様や旭様、寧々様に私とあっちこっちへ。

 茶々姫様本人は来なかった。恥ずかしくて顔を出せないとかで。

 青筋立てながら謝る五の姫様のお顔と、死んだ目の姫路の方様のお顔を今でも覚えている。



「寧々や竜子もこのとおりだろ?

 な? もう頼れるのはお与祢ちゃんだけ!!」


「頼らないでください! 忙しいので!!」


「茶々を助けてくれたら褒美をやるから!

 だめかっ!?」



 だめだよ!!!

 寧々様の方見てよ! だめって顔しているでしょ!!!

 寧々様の言うこと聞けないなんて、ダメな天下人だな!!!!



「そうだ!お与祢ちゃん、

 サボンを欲しがっとったよな?」

 

「え、ええ」



 まあ、石鹸の安定供給は夢だけれど。

 今のように輸入のままだと、常用が難しいんだよね。

 淡路島のオリーブが順調に育ってきているそうだから、そろそろ着手したいと思っているところだ。



「もし茶々を救ってくれたら、

 製法を南蛮人から引っ張り出してやろうか?」


「!」



 まじか!? 可能なのか!?

 石鹸の製法はわかっているけれど、あれは水酸化ナトリウムを使う。

 令和では劇物として、販売にすら注意が払われていた代物だ。

 危険性の理解が不十分な素人が、適当に扱っていいものではない。

 職人さんたちの健康被害が心配で、なかなか踏み出せずにいる状態だ。

 詳細な製法なり職人さんなりを、南蛮人さんからゲットできたら。

 そう思えど、私の知る範囲の南蛮人は製法を知らなかった。

 マルセイユ石鹸サヴォン・ドゥ・マルセイユの産地はフランスだ。

 もうちょい先になるが、国王が製法に関する法律を施くほどがっちり守られていたはず。

 極東の日本には、製法がなかなか流れてこないもんなと諦めていたが。が!

 


「まことですか?」


「おう、わしを誰と思っとる? 関白殿下だぞ?

 すぐにサボンを作れる南蛮人を探してやる」


「お前様! お与祢をそそのかさないっっ!

 お与祢も耳を貸さないっっ!!」


「お与祢! サボン作りに必要な金も場所も用意したる!!

 どうだ、茶々を助けてくれるよな!?」


「この卑怯者っ! 金頼みッッ!!」



 寧々様に襟首を掴まれながら、秀吉様が叫ぶ。

 修羅場の再開に、私は息を呑みながらも迷った。

 石鹸、石鹸は欲しい。シャンプーも作りたい。

 米ぬかやムクロジ も良い。髪や肌に優しくて、石鹸にはない効能もある。


 でも! また令和の頃のように!

 盛大にあわあわもこもこで、体や髪を洗ってみたい……!


 対価として、茶々姫様に関わらなきゃならないのは不安だ。

 だが、あわあわふわふわ……泡洗顔んんん……!!







 どうしよう。






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