妻二人+夫一人(愛人+トラブル)=ろくでもない【天正16年5月下旬】




「よぉ、お与祢ちゃん。

 息災にしとったか!」



 寧々様の膝枕に頭を乗せた秀吉様が、そうおっしゃる。

 片手で寧々様の膝を撫で回し、もう片方の手で竜子様の手をにぎにぎしながらだ。

 今さっき、女房さんにセクハラして、寧々様からお仕置きを食らってたよね?

 修羅場直後にあるまじき、そのイチャつきっぷりはどういうことですか。

 軽くキレていた寧々様と竜子様を、いつの間にか甘やかしモードに切り替えさせてるとかすごいな。


 さすが天下一の女好きの女たらし。やりおる。


 九割くらい呆れながら、私はとりあえず丁寧にご挨拶を申し上げた。



「殿下と寧々様のお陰を持ちまして、

 健やかに過ごさせていただいております」


「そぉかそぉか! そりゃなにより!」



 秀吉様がくしゃりと顔を笑み崩す。

 心から喜んでいるご様子で、こちらも嬉しくなってしまうほど人懐っこさだ。

 つられて私も表情を和らげると、秀吉様はいっそうお顔のシワを増やして頷いた。



「大きゅうなってきたのお、

 背もだいぶ伸びてきたな」


「はい、城に上がってから二寸も伸びました」


「おー伊右衛門の血が出たかぁ」


「左様でございましょうね」



 父様は意外と大柄だからね。

 五尺八寸約175センチくらいだったかな。

 天正人の平均身長を、余裕でぶっちぎっている。

 母様も母様で、五尺二寸約157センチくらいと高身長だ。

 順当に育てば、私もそこそこ身長が高くなるのではないだろうか。



「ええのう、ええのう。

 ついでに千代みたいにな、

 桃のように尻が育てば」


「で ん か?」


「いぎっ、んんっ、

 も、桃の花みたいに可愛く育つとええなあ!」



 竜子様の指が、秀吉様の手のひらの合谷のツボに沈む。

 瞬時に秀吉様は不埒な発言を引っ込めた。



「まったく、油断も隙もない人だわ」



 そうだそうだ。寧々様の言うとおりだ。

 良い加減にさ、私に下ネタを振るのをやめようよ。

 何度奥さんコンビのお仕置きを食らえば気が済むんだ。



「だって、そこに女子がおるから」


「黙ってくださいな」



 寧々様が呆れ顔で、戯言を抜かす秀吉様にデコピンした。

 いってぇ! と叫ぶ夫を無視して、湯呑みに口を付ける。



「はあ、それで何をなさりにきたの?」



 デコを抑える秀吉様のお顔を、寧々様たちが覗き込む。



「お前様が先触れもなく訪ねてくるなんて、

 ずいぶんと珍しいですわね」


「妾も驚きましたよ、なんぞ表で起きましたか」


「む……それなんだがなあ……」



 問われて秀吉様の口調が濁る。

 どんな時でも、たいてい明朗快活な秀吉様にしては珍しいご様子だ。



「その……その、だな」


「はっきりなさいまし、どうしたの」



 もじもじする夫のお尻を、寧々様が軽く引っ叩く。

 


「……えぇっと、その、怒らんで、くれる?」



 上目遣いの秀吉様が、寧々様と竜子様を見比べる。

 寧々様と竜子様の視線が、チラリと秀吉様を見下ろす。

 私と萩乃様も、こっそり視線を交わす。

 なーんか嫌な予感がする。

 秀吉様があからさまな下手に出てくる時は、ろくでもないことを隠している時だ。



「とりあえず、聞きましょう」


「寧々ぇっ! それでこそわしの妻っ!」


「はいはい、それで何ですか」



 手のひらにキスして媚びてくる秀吉様を、寧々様がめんどくさそうに促す。

 むふーっと鼻から深い息を吐いて、秀吉様がいそいそ起き上がる。

 あぐらをかいて座り直し、明るい笑顔で口を開いた。



「うんっ、実はな、茶々がだな」


「誰ぞおらぬか、殿下がお帰りだ」


「怒るの早くないか!?」



 手を叩いて人を呼ぶ竜子様の膝に、秀吉様がスライディングを決める。



「待って! なぁ竜子さんっ!!

 待ってちょぉ!!!」


「嫌です」


「なんでっ!?」


「妾はアレを嫌ろうておりますゆえ」



 名前も聞きたくない、と竜子様は袖に取り付く秀吉様を振り払う。

 涼やかなミントカラーで夏を先取ったまなじりが、きりきりと吊り上がっている。

 茶々姫様って、竜子様の地雷だからしかたないよね。

 あのオバハン事件以来、竜子様は茶々姫様をゴキ並みに嫌ってるって萩乃様が言ってた。

 自分の御殿で名前を出されるとか、耐えがたいレベルなんだろう。



「正室の御殿で、側室の名を持ち出すとは……

 お前様、良い度胸ね」


「ね、寧々さんっ?」


「竜子殿に、もそっと気を使いなさいな」



 ぎろりと寧々様が秀吉様を見下ろす。

 実はなんだが、竜子様は先ごろ側室から正室に昇格した。

 寧々様を手伝って行幸を成功させた功が認められ、朝廷より従四位に叙されたのだ。

 つまり竜子様は、城奥にて従一位に叙された寧々様に次ぐ地位に昇った。

 秀吉様の第二の正室であるとみなされ、秀吉様もこれを追認した。

 知らなかったが、どうやら高位の公卿は正室を複数持てるらしい。


 だから、現在の竜子様の呼び名は、京極御前様。


 御前、という正室用の敬称で呼ばれる身の上となったのだ。

 

 要はね、竜子様は超えらくなった。

 秀吉様が寧々様並みに心を砕くべきポジションへ、成り上がっちゃったわけ。

 やらかしましたなあ、秀吉様。

 正室相手にその正室が嫌いな側室の名前を出すなんて、ちょっとした喧嘩を売る行為に近いよ。



「すまん! 悪かった! でも聞いてぇっ!!」


「お前様、やかましい」


「とっとと表にお帰りくださいまし」


「頼む頼むっ、頼むからぁ〜っ!」



 ぐいぐいと廊下へ押し出そうとする妻二人にしがみついて、秀吉様が粘りまくる。



「一生に一度の願いだっ!」


「お前様の一生は何度あるの?」


「うっ、じ、じゃあ後生だからっ!!」


「それも幾度目でございましたか」



 どれほど食い下がられても、寧々様たちは許さない。

 慈悲も容赦もなく、夫を二人で追い詰めていく。

 竜子様どころか、寧々様も茶々姫様をあまり良く思っていないもんねえ。


 茶々姫様は、城奥屈指の困ったさんだ。

 彼女は側付きの女房や侍女の管理が上手くない。

 乳母の袖殿を筆頭に、モンペとトラブルメーカーを複数抱えていて、周りととにかく揉めまくる。

 寧々様がたびたび注意していても、なかなか上手くいっていない。

 とうとう、城の外へ城奥の情報をお漏らしするアホの子まで現れる始末だ。

 私にセクハラかました内府様の裏には、茶々姫のとこの女房がいたんだよ……。

 セクハラ内府様は、茶々姫様の従兄弟。

 茶々姫様の女房とも知己で、女房から行幸初日のトラブルの件を愚痴られていたそうだ。


 与祢とかいう小娘が、茶々姫様をないがしろにしたんですぅ! ってな。


 で、これを鵜呑みにしたセクハラ内府様。

 可愛い従姉妹姫をいじめた私を懲らしめようと、張り切った結果があれってわけだ。

 ……セクハラ内府様、信長公の息子らしいが頭が残念すぎるのでは?


 城奥の内情のお漏らしはかなり罪が重い。

 羽柴の看板を背負った私の叙位にケチをつけたもんだから、ますます罪深い。

 事が発覚してすぐ、やらかした女房たちは寧々様の権限で城奥から追放された。

 茶々姫様はごめんなさいって泣いていたらしい。

 泣くな、周りのやつを管理しろ、と竜子様に叱責されたら、もっと泣いたそうだ。

 メンタルよわよわだな? 大丈夫か?


 始終そんな感じだから、茶々姫様とその取り巻きは城奥でとんでもなく浮いている。

 トラブルメーカーで、寧々様と竜子様を困らせているからね。

 城奥の住民が、茶々姫様に反感を持つのも当然の結果である。

 私もそこそこ迷惑をかけられたから、茶々姫様とその取り巻きが好きじゃない。

 羽柴家の特大破滅フラグだから、このまま干されてくれとすら思っている。

 てか、コスメの借りパクは、重罪だ。ギルティ。



「頼むって! 一刻の猶予もないんだって!」



 一刻の猶予ってなんだ、一刻の猶予って。

 苛立ちと白けに満ちた空気が、座敷いっぱいに漂う。

 秀吉様へ向けられる視線が、全部氷のように鋭く冷える。

 このハゲネズミ、必死になるほど、茶々姫に入れ込み始めやがったか。

 なんて語るような寧々様と竜子様の背中に、ゆらりと怒気が立ち昇る。

 空気の重みが、ひたひたと増していく。



「ち、茶々が、」



 秀吉様が、喘ぐような声を絞り出す。

 寧々様が、ゆっくりと唇を開く。

 そこからお叱りの声が飛び出すより先に、秀吉様はがばりと廊下に這いつくばった。





「茶々が、死んでまうかもしれんのだっっっ!!」



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