妻二人+夫一人(愛人+トラブル)=ろくでもない【天正16年5月下旬】
「よぉ、お与祢ちゃん。
息災にしとったか!」
寧々様の膝枕に頭を乗せた秀吉様が、そうおっしゃる。
片手で寧々様の膝を撫で回し、もう片方の手で竜子様の手をにぎにぎしながらだ。
今さっき、女房さんにセクハラして、寧々様からお仕置きを食らってたよね?
修羅場直後にあるまじき、そのイチャつきっぷりはどういうことですか。
軽くキレていた寧々様と竜子様を、いつの間にか甘やかしモードに切り替えさせてるとかすごいな。
さすが天下一の女好きの女たらし。やりおる。
九割くらい呆れながら、私はとりあえず丁寧にご挨拶を申し上げた。
「殿下と寧々様のお陰を持ちまして、
健やかに過ごさせていただいております」
「そぉかそぉか! そりゃなにより!」
秀吉様がくしゃりと顔を笑み崩す。
心から喜んでいるご様子で、こちらも嬉しくなってしまうほど人懐っこさだ。
つられて私も表情を和らげると、秀吉様はいっそうお顔のシワを増やして頷いた。
「大きゅうなってきたのお、
背もだいぶ伸びてきたな」
「はい、城に上がってから二寸も伸びました」
「おー伊右衛門の血が出たかぁ」
「左様でございましょうね」
父様は意外と大柄だからね。
天正人の平均身長を、余裕でぶっちぎっている。
母様も母様で、
順当に育てば、私もそこそこ身長が高くなるのではないだろうか。
「ええのう、ええのう。
ついでに千代みたいにな、
桃のように尻が育てば」
「で ん か?」
「いぎっ、んんっ、
も、桃の花みたいに可愛く育つとええなあ!」
竜子様の指が、秀吉様の手のひらの合谷のツボに沈む。
瞬時に秀吉様は不埒な発言を引っ込めた。
「まったく、油断も隙もない人だわ」
そうだそうだ。寧々様の言うとおりだ。
良い加減にさ、私に下ネタを振るのをやめようよ。
何度奥さんコンビのお仕置きを食らえば気が済むんだ。
「だって、そこに女子がおるから」
「黙ってくださいな」
寧々様が呆れ顔で、戯言を抜かす秀吉様にデコピンした。
いってぇ! と叫ぶ夫を無視して、湯呑みに口を付ける。
「はあ、それで何をなさりにきたの?」
デコを抑える秀吉様のお顔を、寧々様たちが覗き込む。
「お前様が先触れもなく訪ねてくるなんて、
ずいぶんと珍しいですわね」
「妾も驚きましたよ、なんぞ表で起きましたか」
「む……それなんだがなあ……」
問われて秀吉様の口調が濁る。
どんな時でも、たいてい明朗快活な秀吉様にしては珍しいご様子だ。
「その……その、だな」
「はっきりなさいまし、どうしたの」
もじもじする夫のお尻を、寧々様が軽く引っ叩く。
「……えぇっと、その、怒らんで、くれる?」
上目遣いの秀吉様が、寧々様と竜子様を見比べる。
寧々様と竜子様の視線が、チラリと秀吉様を見下ろす。
私と萩乃様も、こっそり視線を交わす。
なーんか嫌な予感がする。
秀吉様があからさまな下手に出てくる時は、ろくでもないことを隠している時だ。
「とりあえず、聞きましょう」
「寧々ぇっ! それでこそわしの妻っ!」
「はいはい、それで何ですか」
手のひらにキスして媚びてくる秀吉様を、寧々様がめんどくさそうに促す。
むふーっと鼻から深い息を吐いて、秀吉様がいそいそ起き上がる。
あぐらをかいて座り直し、明るい笑顔で口を開いた。
「うんっ、実はな、茶々がだな」
「誰ぞおらぬか、殿下がお帰りだ」
「怒るの早くないか!?」
手を叩いて人を呼ぶ竜子様の膝に、秀吉様がスライディングを決める。
「待って! なぁ竜子さんっ!!
待ってちょぉ!!!」
「嫌です」
「なんでっ!?」
「妾はアレを嫌ろうておりますゆえ」
名前も聞きたくない、と竜子様は袖に取り付く秀吉様を振り払う。
涼やかなミントカラーで夏を先取ったまなじりが、きりきりと吊り上がっている。
茶々姫様って、竜子様の地雷だからしかたないよね。
あのオバハン事件以来、竜子様は茶々姫様をゴキ並みに嫌ってるって萩乃様が言ってた。
自分の御殿で名前を出されるとか、耐えがたいレベルなんだろう。
「正室の御殿で、側室の名を持ち出すとは……
お前様、良い度胸ね」
「ね、寧々さんっ?」
「竜子殿に、もそっと気を使いなさいな」
ぎろりと寧々様が秀吉様を見下ろす。
実はなんだが、竜子様は先ごろ側室から正室に昇格した。
寧々様を手伝って行幸を成功させた功が認められ、朝廷より従四位に叙されたのだ。
つまり竜子様は、城奥にて従一位に叙された寧々様に次ぐ地位に昇った。
秀吉様の第二の正室であるとみなされ、秀吉様もこれを追認した。
知らなかったが、どうやら高位の公卿は正室を複数持てるらしい。
だから、現在の竜子様の呼び名は、京極御前様。
御前、という正室用の敬称で呼ばれる身の上となったのだ。
要はね、竜子様は超えらくなった。
秀吉様が寧々様並みに心を砕くべきポジションへ、成り上がっちゃったわけ。
やらかしましたなあ、秀吉様。
正室相手にその正室が嫌いな側室の名前を出すなんて、ちょっとした喧嘩を売る行為に近いよ。
「すまん! 悪かった! でも聞いてぇっ!!」
「お前様、やかましい」
「とっとと表にお帰りくださいまし」
「頼む頼むっ、頼むからぁ〜っ!」
ぐいぐいと廊下へ押し出そうとする妻二人にしがみついて、秀吉様が粘りまくる。
「一生に一度の願いだっ!」
「お前様の一生は何度あるの?」
「うっ、じ、じゃあ後生だからっ!!」
「それも幾度目でございましたか」
どれほど食い下がられても、寧々様たちは許さない。
慈悲も容赦もなく、夫を二人で追い詰めていく。
竜子様どころか、寧々様も茶々姫様をあまり良く思っていないもんねえ。
茶々姫様は、城奥屈指の困ったさんだ。
彼女は側付きの女房や侍女の管理が上手くない。
乳母の袖殿を筆頭に、モンペとトラブルメーカーを複数抱えていて、周りととにかく揉めまくる。
寧々様がたびたび注意していても、なかなか上手くいっていない。
とうとう、城の外へ城奥の情報をお漏らしするアホの子まで現れる始末だ。
私にセクハラかました内府様の裏には、茶々姫のとこの女房がいたんだよ……。
セクハラ内府様は、茶々姫様の従兄弟。
茶々姫様の女房とも知己で、女房から行幸初日のトラブルの件を愚痴られていたそうだ。
与祢とかいう小娘が、茶々姫様をないがしろにしたんですぅ! ってな。
で、これを鵜呑みにしたセクハラ内府様。
可愛い従姉妹姫をいじめた私を懲らしめようと、張り切った結果があれってわけだ。
……セクハラ内府様、信長公の息子らしいが頭が残念すぎるのでは?
城奥の内情のお漏らしはかなり罪が重い。
羽柴の看板を背負った私の叙位にケチをつけたもんだから、ますます罪深い。
事が発覚してすぐ、やらかした女房たちは寧々様の権限で城奥から追放された。
茶々姫様はごめんなさいって泣いていたらしい。
泣くな、周りのやつを管理しろ、と竜子様に叱責されたら、もっと泣いたそうだ。
メンタルよわよわだな? 大丈夫か?
始終そんな感じだから、茶々姫様とその取り巻きは城奥でとんでもなく浮いている。
トラブルメーカーで、寧々様と竜子様を困らせているからね。
城奥の住民が、茶々姫様に反感を持つのも当然の結果である。
私もそこそこ迷惑をかけられたから、茶々姫様とその取り巻きが好きじゃない。
羽柴家の特大破滅フラグだから、このまま干されてくれとすら思っている。
てか、コスメの借りパクは、重罪だ。ギルティ。
「頼むって! 一刻の猶予もないんだって!」
一刻の猶予ってなんだ、一刻の猶予って。
苛立ちと白けに満ちた空気が、座敷いっぱいに漂う。
秀吉様へ向けられる視線が、全部氷のように鋭く冷える。
このハゲネズミ、必死になるほど、茶々姫に入れ込み始めやがったか。
なんて語るような寧々様と竜子様の背中に、ゆらりと怒気が立ち昇る。
空気の重みが、ひたひたと増していく。
「ち、茶々が、」
秀吉様が、喘ぐような声を絞り出す。
寧々様が、ゆっくりと唇を開く。
そこからお叱りの声が飛び出すより先に、秀吉様はがばりと廊下に這いつくばった。
「茶々が、死んでまうかもしれんのだっっっ!!」
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