婚活市場も戦国乱世【天正16年5月下旬】
人生にはモテ期というやつが、二回か三回ほど巡ってくるらしい。
令和に生きていたころ、映画かなんかで言われていた。
異性にやたらとモテる時期が、必ず誰にもあるんだって。
もし、もしだよ。
それが、事実だとしたならば。
私、始まったかもしれん。
竜子様から、午後のお茶に招かれた。
行幸が終わって、そろそろ一ヶ月が経つ。
やっとおだやかな日常が戻ってきたから、ここらでのんびりしましょうって。
もちろん喜んで! とお返事した。
さばさばした竜子様とお話しするのは好きだ。
一緒に萩乃様を餌付けするのも、とっても楽しい。
お菓子を持っておうかがいしますと伝えて、今日を迎えたんだけれども。
「あら、いいところへ来たわね!」
「寧々様?」
振り向いた寧々様が、にっこり笑って手招きしてくる。
どうして寧々様がここにいるんだ。
今は政務の時間じゃなかったっけ?
てか、もう片方の手に持った分厚い手紙の束は何。
向かいに座っている竜子様の手にも、似たような厚みの束がある。
なんですか、その束。
「これ、早ようこちらへ来んか」
竜子様が手にした束を振って、急かしてくる。
とても可笑しそうに、唇で弧を描いてだ。
絶妙に嫌な予感がするんですが……。
回れ右して逃げたいような気持ちにかられるが、そういうわけにもいかない。
おそるおそる入室すると、萩乃様がすすっと寄ってきた。
「萩乃様っ!?」
「さあさあ与祢姫、こちらにどうぞ〜!」
がしっと腕を掴まれて、あっという間に寧々様たちの輪に放り込まれる。
今日はちょっと強引な萩乃様の表情も、寧々様や竜子様にそっくりだ。
わくわくを隠しきれていない、と言えばいいか。
福袋を買った人みたいな雰囲気がある。
柔らかな敷物の上に座らされて、後ろから萩乃様が両肩に手を置いてきた。
た、立ち上がれない。逃げられないよう捕まえられた!?
「ちょ、ちょっと、なんなんですか」
慌てる私に、三人は顔を見合わせてにんまりする。
「うふふふ、怖がらないで?」
「左様、取って食おうというわけではないのでな」
いや、怖い。めっちゃ怖いよ!?
あえて怖くないって言う人ほど、信用できないものはない。
注射とか歯医者とかに子供を連れて行く、親御さんの常套句だからな!
這って逃げようとしたら、肩に乗っていた手がすばやく脇の下に滑り込んできた。
そのままぐいーんと猫みたいに持ち上げられ、座った萩乃様の膝に降ろされる。
驚いている間に、お腹の前で両手を組まれた。
「や、やだっ! 離して!」
「だめです、逃がしませんわよ」
北政所様の御命令ですから、と良い笑顔で切り捨てられる。
酷い! 友達じゃないか!!
諦め悪くうごうご抵抗していたら、竜子様に鼻を摘まれた。
「往生際が悪い、諦めよ」
「ふぉんなぁ」
「案じるな、悪い話ではない」
ねえ、と竜子様に視線をもらって、寧々様の微笑みが輝く。
きらきらと、それはもう、楽しそうに。
音もなく滑るように寧々様が近づいてくる。
ぴたっと膝がくっつきそうな距離で、顔を覗き込まれた。
「お与祢、面白きことになってきたわ」
「え、ええ?」
「ごらんなさい」
手にした束から、寧々様が適当な一枚を押し付けてくる。
NO! と手で押し戻そうとしても、無理矢理握らされた。
竜子様が涼しい流し目で、私を見下ろす。
読めよ。
語る視線の圧に屈して、いやいや手紙を開く。
おや、指ざわりが良い。なかなか上等な紙だ。
香の匂いも微かに残っている。
輸入品を二つも使うとは、またずいぶんと贅沢なブレンドだ。
どこのセレブからの手紙かな。
包紙に書かれた差出人の部分に目を向ける。
あら島津さん。九州屈指の大大名じゃないの。
確か領国が、南蛮貿易の本場長崎とそう遠くなかったな。
なるほどね、と納得ながら中身を開く。
さてさて、何を書いていらしたのやら。
「……」
「どう?」
寧々様がそわそわと、訊ねてくるが答えられない。
連なる文面から、目が離せない。
信じられない内容が、そこにあったから。
まずは定型の時好の挨拶から始まって、先日の行幸の感想やお気遣いをもらったことのお礼が続く。
問題は、次だ。
『……さて本題でございますが、
当家の次男である米菊丸の縁談についてです。
米菊丸は今年で十二とあいなりまして、
現在良き正室のご縁を探しております。
つきましてはそもじ様御鍾愛の、
粧の姫君とのご縁を賜れませんでしょうか?
我が息子ながら、米菊丸は容貌に優れ、
鎮西一と謳われるほどです。
また、和歌や蹴鞠などにも長け……』
「なんですか、これ」
書面から、視線をぎちぎち引き剥がす。
なんとか出てきたのは、掠れ切った声。
寧々様たちは、ますます笑みを深くする。
「縁談よ」
「えんだん」
「そう、縁談」
「誰の……?」
「お与祢のよ」
「わたしっ!?」
「貴女を、お嫁に、ほしいんですって」
あかん。思考が止まる。
フリーズした私の頭を、ぽんっと竜子様が撫でてくる。
「よかったな」
「あっ、あっ」
「ちと早いが、婚期の到来だ」
あっはっはっは! と寧々様たちが明るく笑い飛ばす。
呆然とした私の手から、島津家の縁談申込書がひらりと落ちた。
寧々様たちが持っていた、手紙の束。
全部、私をご指名の縁談だった。
行幸のあれこれで、私の存在がご披露された結果らしい。
外部から見た私は、隠れなき羽柴のお気に入りで、朝廷の覚えもめでたい九歳女子。
ついでに見た目も頭もまあ悪くなく、小大名家出身で元の身分も悪くない。
しかも、個人で官位と官職を持ち、与四郎おじさんという最強のパトロンも持っている。
コネ、外見、頭、身分、財産。
戦国婚活においてチェックされる条件の総合得点が、最高点を叩き出していると言って差し支えない。
どう考えても、婚活市場の最優秀物件です。
ありがとうございました。
そういうわけで、だ。
現在私には、縁談がゲリラ豪雨のように降り注いでいるそうだ。
実家の山内家や寧々様に送られてくるそれらの差出人は、そうそうたる顔触れだよ。
まずは公家。
下は羽林家から、上は摂家まで。
やったね。お公家さんの中〜上位家格フルコンプだ。
あんまり嬉しくはないけどな。
公家に嫁ぐと、しきたりづくめで面倒らしいんだもの。
そもそも公家の懐事情は残念だ。
絶対に私の財布を当てにされる。嫌だ。
次に武家はというと、実にえぐいことなっている。
有名どころのエントリーだと、九州の島津、中国の毛利、北陸の前田。
徳川様と引けを取らない大大名三連星だ。
まさかこの三家から、私へ縁談が来るなんて驚きだよ。
他にも細川、黒田、蜂須賀、鍋島などなど。
城中でもよく耳にするお家が、ずらりと並ぶ。
関東以南でめぼしい大名は、徳川家以外はだいたいエントリーしてるっぽい。
縁談相手の年齢層は、七歳下から一〇歳上くらいまでの赤ちゃんから青年だ。
最年少の満年齢二歳児を持ち出したお家、必死か。
そして全員これでもかと、イケメンアピールをされている。
現在日本には、三国一の美男子が小学校の一クラス分近くいるみたいだ。
おまけに皆さん、性格もとっても良いんだと。
優しく穏やかか、明るく朗らからしいわ。
釣書の内容が真実なら、この人たちは絶対公家や武家じゃないな。
アイドルや若手俳優の卵、と言われた方がしっくりくる。
なんだかとっても嘘臭いぞー?
「選り取り見取りとは、まさにこれよな」
竜子様がからから笑う。
息子の良いところを、愉快そうに眺めている。
それも梅酢と蜂蜜のビネガードリンクを片手に、柚子ジャムをたっぷり塗ったビスケットをかじりながらだ。
まあなんとも、元気のよろしいことで。
行幸後の疲れが長引いてたけど、ぼちぼち良くなってきたのかな。
「どれも選ぶ気はありませんけどね」
「ええ! もったいない!」
「知らない人との縁談とか嫌ですよ」
目を丸くする萩乃様に、肩を竦める。
今の時代の上流階級において、夫婦は結婚式まで顔を合わせないのがセオリーだ。
家同士の相性は合っても、本人同士の相性が合わなくて、拗れる夫婦はかなり多い。
釣書のプロフィールを信じて縁組したら、結婚式当日に真逆の人間が現れるとかザラみたいだ。
私ゃそんなの嫌だよ。姫だけど嫌だ。
顔も見たことない男となんて、怖くて結婚できないよ。
「あたくしや千代の影響かしらねえ」
「で、ござりましょうなあ」
「夢を見るのは女童の特権ですわねえ」
寧々様と竜子様、萩乃様までため息を吐く。
わかりやすくやれやれされた。お子ちゃまなんだから〜ってか。
姫のくせに寝ぼけたことを言ってる自覚はあるけどさ、嫌なもんは嫌なんだよ……。
結婚するなら、顔と人となりを知っている男の人がいいの。
……できれば、紀之介様、とか。
歳は十五も離れていて、いまだ子供としか思ってもらえてない。
でも、私は紀之介様が好きで、恋してる。
あんなに素敵な方は、前世も含めて初めてなんだよ。
だって紀之介様は、私の美容趣味を貶さない。
綺麗だね、楽しそうだねって言ってくれる。
ナルシストだとか、男ウケを狙ってるとか、言わない。
初めて会った時からずっと、紀之介様は私を見下さなかった。
私と私の好きなことを馬鹿にせず、ちゃんと向き合ってくれている。
だから、好き。諦めたく、ない。
人に言えない気持ちを飲んで、黙り込む。
口を尖らせる私に、何を思ったのだろう。
寧々様は困ったように眉を下げて、髪を手櫛で梳いてくれた。
「ま、ひとまず縁談はすべてお断りしましょうか」
「……いいのですか?」
「貴女はあたくしの御化粧係ですからね」
元からそうするつもりだった、と寧々様が笑う。
「まだまだあたくしを美しくしてちょうだいな」
「はいっ!」
よかったぁぁぁ! 早期結婚退職、回避!!
嬉しくて萩乃様の膝から降りて、いそいそ頭を下げる。
勢いあまって、畳に頭突きが決まった。
鈍いけれどそこそこ良い音に、寧々様たちが笑い出す。
うう、またやらかした……痛いやら恥ずかしいやら……。
「ご歓談中に失礼いたします、
北政所様、竜子様」
取次の女房さんが、戸口から声を掛けてきた。
早足できたのか、彼女は肩で息をしている。
ビネガードリンクを飲み干した竜子様が、ゆるりとそちらへ顔を向けた。
「いかがした」
「その、関白殿下が……ヒッ!?」
言いかけた女房さんの後ろから、にゅっと二本の手が伸びてなだらかな肩を掴む。
その菖蒲色の打掛の肩ごしに、手の持ち主がぴっかぴかの笑顔を覗かせた。
「寧々と竜子の男前な亭主が邪魔するぞっ」
「お前様ぁ!!!」
寧々様の扇子は、今日も綺麗に秀吉様のおでこにヒットしました。まる。
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