聚楽第行幸(6)【天正16年4月15日】




 城奥に戻って、小袖に着替える。

 襟や肩から裾へ向かって、朱色から鶯色とグラデーションのように色が変わる絹の小袖だ。

 全体に入るのは、桜花のモチーフを繋いだ白いラインによる大胆な格子柄。

 胸元から裾にかけては、大ぶりな白い牡丹の花の刺繍が施されている。

 裾を引きずるお姫様仕様のそれは、豪華絢爛な盛装だ。

 普段のお仕事用とは比べ物にならない上物で、汚してしまわないかひやひやする。

 だが、国母の君様に奉仕するんだからしかたない。

 お洒落も義務。義務なのだ。

 袖を汚さないように襷を掛けて、中奥に設置された彼女らのためだけの座敷へ入る。


 すでに座敷には、人だらけ。

 国母の君様と女御様が、側仕えの上臈衆と寧々様たち羽柴の女性陣を従えて待ち構えていた。

 侍女たちとともに、入室する。

 女性ばかりだからか、先ほど叙位を受けた城表の座敷よりは怖くない。

 少し緊張はしても、それだけだった。




「先ほど掌侍の職を賜りました、与祢にございます」



 上座に垂らされた御簾の近くで、平伏する。

 従五位下の身分を得たから、直答可能だ。

 誰に止められることなく、いつも寧々様にするようにご挨拶申し上げる。



「大変お待たせいたしました、

 お化粧をさせていただきまする」



 メイクボックスを捧げ持ち、私は御簾奥のお二方へにっこりと微笑みかけた。







 国母の君様のメイクは、思ったよりすんなりできた。


 寧々様が事前に、カウンセリングしてくれていたのだ。

 実に手際がいいな、寧々様。さすが天下人の妻だ。


 准三后、国母の君たる勧修寺晴子様。

 御歳は三十五歳。母様と寧々様の間くらいの年齢だ。

 切れ長の一重にうりざね顔の、典型的な天正美人さんである。

 そんな高貴な方のお悩みは、シワとたるみだった。

 シワは深いシワというより、小ジワね。

 年齢的にどうしてもできがちな、乾燥によるものだ。

 たるみの方も似たようなもの。加齢によるもので、ある程度は仕方がない現象である。


 でも、だからこそ、対応は難しくない。

 徹底的な保湿とマッサージが、国母の君様への最適解だ。 

 まずはあんずオイルのバームでクレンジングして、フェイシャルマッサージ。

 おでこの真ん中。眉間のあたりからくるくると引き上げるように、揃えた指で左右にらせんを描く。

 指がこめかみに辿り着いたら、そこでプッシュ。

 力入れすぎず、ゆっくりと数回行うとおでこの小ジワによく効く。

 次に鼻筋。眉間の両脇から、鼻の骨に沿って小鼻の手前までを撫で下ろす。

 撫で下ろしたら、指を離して元の位置に戻ってもう一度。二度。三度。

 それから小鼻の横のくぼみ。

 人差し指を曲げて、その第二関節を当て、二十秒ほどぐりぐり強めに押し込む。

 小鼻の横のところには、リガメントという組織がある。表情筋と皮膚をつないでいる場所だ。

 ここほぐせば頬が上がって、ほうれい線が目立たなくなるのだ。

 すぐに効くから、微妙なお年頃の人にも若い人にもおすすめ。

 鼻のあたりがスッキリして気持ちいいよ。 


 頬のあたりは引っ張り上げるマッサージだ。

 顎の先から三列に分けて、外側に向かって左右にくるくるうずを巻くようになぞり、こめかみに上がってプッシュ。

 口元もしっかりと。両手でピースサインを作って、立てた人差し指と中指を唇の脇に添えよう。

 当てた指にはほんのちょっぴりだけ力を入れて、こめかみに向かってさすり上げる。

 眼筋のマッサージは、皮膚が繊細なので本当に撫でるだけだ。

 上まぶたの目頭からスタートして、ぐるりと目尻へ指を滑らせ、下まぶたの縁に沿って目頭へ戻る。

 目尻は口元と同じように、ピースサインで引っ張るようにこめかみまでなぞる。

 これを毎日やれば、口元も目元もすっきりで引き締めることができるのだ。



「いかがでございましょうか」



 クレンジングを落として、鏡でお顔を確認していただく。



「……顔が」



 国母の君様が声を失う。

 眉一つ動かされないけれど、表情はぱっと華やいだ。

 側近くにいた上臈さんたちの目も、驚きに満ちてまんまる。

 一目でわかるくらい、リフトアップしているんだもんな。

 まあ驚くよね。



「今の按摩を、毎日いたしますと更にお顔が引き締まりまする」


「左様か」


「のちほど日々のお化粧を受け持たれている上臈の方に、

 ご教授させていただきましょう」



 まとめて何人かに教えとくよ。

 結婚退職とかされても、大丈夫なようにね。

 さて、お次は角質ケアだ。

 もう一度横になっていただいて、とっておきのスクラブを塗らせていただく。

 材料はお砂糖とハチミツだ。

 お砂糖は美味しいだけじゃない。低刺激で肌の保湿を助けて痒みを抑えてくれる優れもの。

 ハチミツも保湿に効果抜群だし、殺菌効果も高いのでスキンケアにもってこい。

 肌への浸透もすごく良いから、ソルトスクラブよりフェイスケア向きだ。

 簡単にお手軽にできて効果の高いスクラブだから、令和の頃はよく使ったもんだよ。

 天正の世では、セレブの極みなケアになっちゃったんですけどね。

 だってお砂糖もハチミツも、超希少な材料なんだもんな。

 でも高貴なお方のお肌のためだもんね。背に腹は変えられないね。

 ってことで、奉行衆が見たら卒倒する量を一気に使います。

 おでこや頬にたっぷり塗って、優しくくるくる撫で撫で。

 古い角質を浮かせて剥がして、むきたまごのようなつるつるお肌に仕上げる。


 スクラブを洗い流したらシートパックだ。

 使うのは、木綿で作らせたフェイスシート。

 ダブルガーゼのように重ねて厚くしたものに、美容液をたっぷり含ませる。

 今回は、ビタミン爆弾かつ美白効果抜群の柚子の種で作った美容液をチョイスした。

 焼酎に漬けて作ったとろとろなやつで、少し精製水で薄めて使う。

 パック中に頭皮マッサージとデコルテマッサージを施す。

 老廃物はしっかり流す。これ基本だからね。


 ひととおり終わったら、起き上がってもらってパックを外して保湿ケア。

 化粧水は緑茶と焼酎で作った、アンチエイジング仕様のものを。

 緑茶はいいぞ。飲んでよし、肌に塗ってよし。

 ビタミンCと抗酸化作用で、若さを保つ助けをしてくれる。

 令和の頃にはありふれていた蒸して揉んだ緑茶が一番効果があるんだけど、天正の世にはなかった。

 そういうわけで、作らせましたとも。私の茶園でな。

 与四郎おじさんのコネで、私専用茶園を作ってもらったの。

 そこで去年から試行錯誤させて、やっと完成させた。

 今では寧々様に、常用していただいている。

 カフェインも取れて、仕事中に飲むのに適してもいるからね。

 

 そんな緑茶の化粧水を、国母の君様のお顔と首までにしっかりと吸わせる。

 コットンを使って、じっくりとだ。

 触れて水気が付かないほどになれば、次は保湿クリームを兼ねた下地を塗る。

 ちょうどいいから、カラーベースタイプにするか。 国母の君様のお顔は、少しくすんでらっしゃる。

 淡い白に近いブルーを薄く塗って、飛ばしちゃおっと。

 見たところ典型的なイエベさんだから、ブルーを使うと肌の黄みを調整できて透明感も出てくるはず。

 赤みもあるから、部分的にグリーンも入れる。小鼻のあたりとかね。

 それからTゾーンや頬、唇の上にはパールホワイト。

 寧々様のメイクにも使っている、ハイライト効果を狙ったテクだよ。

 コンシーラーで目元のクマを消去したら、ファンデーションだ。



「白粉でございますが、

 濃さにお好みはありましょうか?」



 いったんここで、ご希望を聞く。

 下地の時点で、鏡を覗く国母の君様が十分だわって言っているように見えた。

 もしかしたら、薄めのメイクがお好みかもしれない。



「……よろしければ、薄くいたしましょうか」


「まこと、薄くできるのかえ?」



 やっぱりね。食いつき方がわかりやすい。

 アラを消そうと厚塗りメイクをしてきたけど、圧迫感とかで辟易していた感じだったもんな。

 メイクを落とした時のリラックス具合が、半端なかったもの。

 静かに見つめてくる国母の君様に、笑って頷く。



「できまする。

 薄いけれど艶やかに仕上げてご覧に入れましょう」



 クリームファンデじゃなくて、パウダーファンデでお望みを叶えるよ。

 下地で肌のアラはだいたい消してあるし、それがいい。

 グアニン箔でパール感を足した、ツヤ肌仕様のパウダーを使おうね。

 光の効果で毛穴と小ジワを吹き飛ばしましょ。

 お肌の色味に合わせて、明るめのオークルのパウダーをメイクブラシに取る。

 手の甲で余分な粉を落としてから、丁寧に軽くお肌にはたく。

 変な色ムラが出ないように、丁寧に。顔の内側から外へ濃淡をつけて。

 

 それからシェーディングもするけれど、輪郭の調整以外はしない。

 国母の君様は、もともとお顔立ちがしっかりしている。

 普通に鼻筋やらにシェーディングしたら、天正受けしないお顔になりかねない。

 このままのお顔立ちを生かさせていただこう。


 ベースが整ったら、眉だ。

 寧々様と同系統のうりざね顔タイプだから、直線の平行眉が似合いそうだ。

 色は濃くしすぎず、ふわっと仕上げたら薄めというご希望に合うかも。

 ダークブラウンのパウダーアイブロウで、慎重にアウトラインを引く。

 骨格が綺麗な人だな。眉が引きやすい。

 幅は太いより細め寄りがいいな、品良く綺麗めに仕上がるし。

 調整しながら眉を描き終えて、筆を置く。



「眉とお肌のお化粧、整いましてございます」



 確認のために鏡を見ていただく。

 しずしずと上臈のお一人が、国母の君様の前にふたたび鏡を持ってきた。



「いかがでございましょう」



 返事はない。じっと鏡を見入ってらっしゃる。

 マッサージでフェイスラインがはっきりした横顔が、嬉しそうにゆるみ始めた。

 思わず、といったふうだ。これはすごい。

 宮中の公家の女性は、鉄壁ポーカーフェイスを崩さない。

 それがしきたりだそうで、国母の君様はお会いしてからずっと無表情だった。

 そんな仮面が、私のメイクで外れた。

 自分のスキルの高さを確認できて、気持ちだけ舞い上がるようだよ。



「お気に召しましたか?」


「……うむ」



 振り向いたお顔が眩しいほど柔らかだ。

 本当に元が良くてらっしゃるなあ。

 天正美人だけど、ポイントメイク無しでも顔立ちが薄くない。

 鼻筋が通っていて高いってすごいな。

 絶妙なバランスの凹凸感がある。

 それにこの方、まぶたが脂肪が少なくて薄いすっきり一重だ。

 横幅がしっかりあるもんだから、二重に負けない目力がある。

 竜子様と同じ、クールビューティーな目元だ。

 ちょっときつめだけど、これはこれであり。

 ありがたき幸せ、と首を垂れると、即座に面を上げろと命じられた。



「大義である」



 頬に片手を添えて、国母の君様が呟く。



「かように我を、若返らせる術があろうとは。

 聞きしに勝る妙技よ」


「身にあまる光栄にございます」


「ふ、連れ帰ってしまいたいほどよな」



 国母の君様が心底、といったふうにおっしゃる。

 同時に、御簾のすぐ側から派手な衣擦れと、滑って転ぶ痛そうな音がした。



「寧々様っ!?」



 孝蔵主様の悲鳴に弾かれて、御簾内の全員が一斉に外へ顔を向ける。


 寧々様が、畳に這いつくばっていた。


 急に立ち上がった拍子に、袴を踏んづけたっぽい。

 前のめりに手を付いて、顔をしかめている。

 おいおい! なにしてるんですか!?

 慌てて国母の君様に断って、御簾の外に飛び出す。

 寧々様のお側へ駆け寄ると、思いっきり腕を掴んで抱きしめられた。



「国母の君様っ、その儀はご容赦をっ」



 私をぎゅうぎゅう抱いたまま、寧々様が叫ぶ。

 腕の力つよっ!!! 内臓がはみ出そうなんですがっ!!!

 ぽかんとする御簾内の皆様なんて関係ない。

 そんな勢いで、寧々様が平伏する。私ごと。



「お与祢はあたくしの宝にて。

 いくらお望みでも、この子ばかりは差し上げられませぬ」



 ちょっと焦り気味に言いつのる寧々様のお顔は真っ青だ。

 私のことを国母の君様がほしいなーと言ったのが、それほどショックだったのか。

 大事にされるのは嬉しいけれど、オーバーすぎて戸惑っちゃうよ。



「国母の君様の思し召しであっても、

 この儀のみはお許しくださいましっ」



 最後に思い切り、寧々様が畳に頭を擦り付ける。

 座敷がしんと静まり返った。

 冷静で余裕たっぷりな寧々様の動転っぷりに、みんな唖然としている。

 孝蔵主様はふらっと倒れているし、竜子様や旭様もフリーズしてしまった。

 ど、どうするのこれぇ……!




「ほ、ほほっ、ほほほほほ!」




 軽やかな笑い声が、気まずいというか、おかしな沈黙を破る。

 御簾奥の国母の君様が、口元を覆って笑っていた。

 ぎょっとした上臈方や女御様など意にも介さず、実に愉しいというように笑われている。



「案じるな、北政所。

 その者を取ったりはせぬ」


「は、え」


「言葉の綾だ、綾」



 目元に浮かんだ涙を指で払い、国母の君様がおっしゃる。



「しかし面白きものを見せてもらった。

 沈着なそもじが、化粧係一人に取り乱すとはなあ」


「あっ、お、お恥ずかしいところを……っ」



 平にご容赦を、という寧々様の声が尻すぼみになる。

 しおしおと平伏したままの寧々様を、国母の君様はにこにこ見下ろす。

 それから抱えられたままの私に目を移し、はあ、とため息を吐かれた。



「掌侍、そもじは果報者よな」


「は、はい」


「北政所に免じて、召し上げるのはよしておく。

 が、代わりに一つ良いものを遣わそう」



 良いもの? 何? お金か??

 ぽかんとしてはいられないから、なんとか寧々様の腕から這い出して、隣にひれ伏す。

 また、くつくつ笑う、国母の君様の声が聴こえた。



「さて、そもじにはまだ、候名がなかったな」


「左様にて」



 私は御化粧係。聚楽第の中から出ない子だ。

 人前にばんばん出る宮中の人や孝蔵主様たちみたいに、候名なんて必要ない。

 だから、対外的には『山内の一の姫』で事足りてきた。

 寧々様たちにしても、『お与祢』と名前で呼ぶので特に候名は要らない。



「では、我が付けてやる。

 しょう、でどうか?」



 は? しょう、って? どういう意味?

 候名とは、基本的に源氏物語の帖からか、都の通りや小路の名を取られるはず。

 しょう、という名はそれらのうちに、なかったように思うけれど。

 わけがわからなくて、返事に困る。



「いかなる由来にござりましょうや」



 同じことを思ったのだろう。

 年嵩の上臈の方の一人が、国母の君様に訊ねる。



「化粧のしょうよ。

 女性をめかし、美しくよそおう技を持つ者には似合いであろ?」



 定石は外すがな、とのたまう声は本当に楽しそうだ。

 た、単純……短絡的では……?

 上臈の方の顔に、思いっきりそう書いてある。

 他の人々も似たようなものだ。万座には戸惑いしかない。

 国母の君様だけが、ちょっとドヤってる……。

 隣の寧々様と、一瞬目が合う。



 この国母の君様……ネーミングセンス、ないんですね……。



 視線でたっぷり語り合ってから、そろって額ずいた。 

 でも、あげると言われたらもらうしかない。

 短絡的な名前でも、国母の君様の付けた名前だ。

 使う以外の選択肢が無いって残念すぎるような、なんていうか。



粧内侍しょうのないしよ。

 北政所に忠を尽くせよ」


「ハッ、命に代えましても」


「では、我の化粧を続けてくりゃれ」



 はーどっこらしょ。

 うんざりしながら腰を上げて、御簾内へと戻る。





 いらんもん、もらっちゃったなぁぁぁ……。




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