聚楽第行幸(5)【天正16年4月15日】





「山内対馬守殿、ならびに山内の一の姫君、前へ」



 議事進行の公卿さんの指示に従って、腰を上げた父様の後に続く。

 お作法は、突貫で孝蔵主様に仕込まれた。

 昨日から城奥を出る直前まで、必要最低限だけだけどね。

 扇を両の手に持って、しずしずと歩いていく。

 基本は喋らずおすましして、父様の後ろについて頭を下げていれば良いらしい。

 喋っていいのは秀吉様や、万が一帝にお声をかけられた時に、お返事するくらい。

 身に余る光栄です、もしくは聖恩感謝いたしますって一言だけ言えば良いそうだ。

 決められた席に着くまでは、誘導係さんが導いてくれるので従う。

 すごく視線を集めていて居心地が悪いが、足元の畳の縁をガン見してやり過ごす。

 大大名の顔なんて見たところで、ろくでもない気しかしないもん。

 終わったらみんな、私のこと記憶から消してくれよな!



 誘導係が父様に席を指示する。

 腰を下ろした父様に続いて、私にも。

 二人横並びではなくて、私は少しだけ後ろだ。

 孝蔵主様の教えの通り、扇を畳の上に置いて、指を突いて平伏する。

 議事進行係さんが、あーだこーだと帝に言上し始めた。

 公家言葉、まったく意味わからん。

 用語が難解というか、独特だ。

 宣旨出してOK? って確認しているんだろうか。

 今朝も夜明け前から仕事をしてきたから、ちょっと眠くなってきた……。


 欠伸を噛み殺していたら、やっと父様の名前が呼ばれた。

 まずは父様の昇位からだ。

 衣擦れがして、父様が動いた気配がした。

 前に一歩くらいの距離を膝立ちで進んで、止まる。



「正五位下、豊臣一豊……」



 授与係さんが宣旨を読み上げ始めた。

 とうとうと、小難しくて古めかしい言葉が連なっていく。



「……中原朝臣師廉」



 そう結ばれ、読み上げが終わる。

 ややあって、父様がまた動く。宣旨を受け取ったようだ。

 しゃらしゃらと、束帯の擦れる音が元の位置に下がってくる。

 そうして、今度は滑るように右脇へ退いていった。



「それでは、一の娘君」



 呼ばれた!

 父様が居なくなった場所へ、進み出る。

 顔はずっと伏せたまま。黙ったまま。

 お上品に、お上品にと自分に言い聞かせて動く。

 規定の位置まできたら、いったん顔を上げる。

 周りは見ない。前だけ見ておく。

 授与係さんは、しわっとしたおじいちゃん公卿さんだった。

 厳しい感じはしないから、心の中でほっとする。

 補助役らしき人が、漆塗りの大きくて四角いお盆を抱えてきた。

 授与係さんにお盆が捧げられ、老いた手がそこからA三サイズくらいの大きな紙を一枚取り上げる。

 それに合わせて、しとやかに私は頭を下げた。



「従五位下、豊臣豊子」



 父様の時と、似たような内容の宣旨が読み上げられていく。

 自分の番だと、さすがに眠気は来なかった。

 息をひそめて耳を傾けているうちに、宣旨が結ばれる。

 頭を下げたまま、少し前にいざり出る。

 宣旨の書かれた紙を、できるかぎり恭しく受け取った。


 今もらったこれは、位記というものだ。

 平たくいうと、辞令である。

 私に従五位の位を与えて、掌侍に任じますって書いてある。

 名前の部分は、『山内与祢』ではなく『豊臣豊子とよとみとよこ』とされている。

 私の本姓といみなだ。

 豊臣姓をですね、もらっちゃったんですよ。

 ご祝儀にって、秀吉様が私と父様にくれたの。

 現段階では大大名か羽柴のお身内の皆さんにしか配布されていない、とんでもねえレアなプレゼントだよ。

 このまま小大名してていいのか、山内家うちんち

 諱は父様からの偏諱へんきだ。

 昨今女性に諱を付ける際は、父親や夫の諱の一字をもらうのが通例なんだって。

 だから、父様の諱の『一豊』から『豊』の一文字をいただいて、『豊子』。

 父様が豊臣一豊で、私が豊臣豊子か。

 語呂が良いんだか、悪いんだか。


 おすましして、膝立ちのままバックで最初の位置に戻る。

 父様も元の位置に帰ってきて、揃って深く平伏する。

 御簾の奥から、人が動く気配が微かにした。

 帝が退席なされていくようだ。

 静まりかえった座敷に、帝とお供の公卿方数人分の衣が畳を滑る音がする。

 ゆっくりと、でも確かに遠くなっていく。

 

 終わった……か?

 終わったよね!? よっしゃ! 私の叙位完了だな!?!?

 はいサンキュー! もう帰って良いね?

 回れ右していいですかーっ!!


 終了の気配を感じ取った気持ちが、一気にそわそわしてくる。

 周りの空気もちょっと緩んできた。

 詰めていた息を吐いて、少し体の力を抜く。



「面をあげよ」



 ちっ、このまま下げてはくれないのか。

 逆らうわけにはいかないので、秀吉様の声に従って顔を上げる。

 大大名の皆さん、退席してなかったんですね。

 ずらりと並ぶ正装のお偉方が視界に収まってしまって、げんなりとした気分になった。



「ご苦労だったのぉ!

 伊右衛門、お与祢ちゃん!」


「「はっ」」



 普段通りのフランクな秀吉様のねぎらいに、父様とともに頭を下げる。

 あとはもう父様にお任せだ。

 私はにこにこしているだけの、父様のオプションに徹しよう。



「父娘ともに今後も励んでくれよ、期待しとるでな」


「はっ、某も娘も豊家の御為、

 微力を尽くして参りたく存じまする」


「うははは! なんだ伊右衛門、謙遜するのぉ!」



 父様の定規を当てたような真面目な返答に、秀吉様が膝を叩いて笑い出した。

 笑ってあげないでよぉ。父様は素朴さと親しみやすさが取り柄なタイプだ。

 秀吉様みたいに、ウィットに富んだお喋りが得意なタイプじゃないんだよ。

 ほら、困ったみたいに笑うしかできてないじゃん。

 陽キャの上司の振りを上手くさばけないあたり、父様もそこそこ不器用さんなんだよなあ。

 将来安泰だって知ってはいるけれど、ちょっと心配な人の良さだ。



「お前さんらにはどえりゃー世話なっとると思ってるんだが、なあ?」


「ええ、そうですわね。

 伊右衛門殿、与祢姫はよう働いてくれておりますのよ」



 ねえ、と寧々様が話しかけてきた。

 本当だよ。毎日フル回転で働いているよ。

 寧々様のメイク以外の仕事もガンガン増えている。

 子供なのに大人並みに働いているから、もっと褒めてくれよ。

 そんな気持ちを隠して口元を軽く綻ばせ、ゆるりと優雅に頭を下げる。

 ほほほ、と寧々様が扇で口元を覆って笑った。

 楽しそうで何よりですけど、早く帰りません?

 私、城奥、帰りたい。今すぐ連れて帰って、寧々様。



「しかしまあ、対馬守はできた娘御を得たものですな」



 心で帰宅コールをしていたら、横から声が割って入ってきた。

 私から見て右側。徳川様の左隣に座る若い大名と目が合った。

 ほどほどには整った、どこかで見たことがあるような風貌だ。

 そんな大名に、まじまじと見つめられる。髪、顔、汗衫に包んだ体。

 品定めするような視線が、ねっとり絡んでくるようだ。

 こいつ、ロリコンか?



「これは内府様」


「対馬守、一瞥以来だな」



 内府様とやらは私から視線を外さない。

 見世物じゃないんですけど、私。

 痴漢に遭遇した気分になってきて扇で顔を隠すと、父様がそれとなくくっついてくれた。

 父様に庇われる私に、内府様が小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。



「其の方の娘はまだ女童であるのに大したものだ。

 父親の官位を押し上げるばかりか、自らも叙位の機会を掴むとは」


「は、はあ……」


「いったいいつ、どこで殿下におねだりをさせたのやら?」



 突然殴られたみたいな衝撃で、頭が真っ白になる。

 父様の横顔にも、ただならない緊張が走る。



 せ、セクハラだ。セクハラきたぁ─────!!!



 秀吉様におねだりって、この人、私が閨に侍っているとでも思ったの!?

 私、九歳よ? 九歳で側室入りしたと本気で言ってるわけ?

 父様が秀吉様を篭絡するため、私を城奥に送り込んで成功したって解釈をしたわけか。


 うーん、発想がゲスの極み。ついでに失礼極まりない。


 私たち父娘を貶めたついでに、秀吉様にロリコン疑惑をかけるってさあ。

 このセクハラ内府様、どんな神経してるんだ。


 あんたの右隣に座っている徳川様と、左隣に座る仏頂面の若めな大名さんを今すぐ見ろ。

 二人そろって、わかりやすくドン引きしてるから。

 徳川様はほぼ限界まで目をかっぴらいているし、若めの大名さんは無理やり反対隣に詰めて距離を取ってるよ。

 他の大名衆も似たようなものだ。引くか、半笑いか、冷めた目かの三択状態。

 秀吉様と寧々様は表情を変えていないけど、目から感情が消えている。

 座敷の空気が、恐ろしい勢いで凍っていく。

 セクハラ内府様だけがにやにやと、私たち父娘にからかうような視線を寄越している。



「のう対馬守、よう娘を育てたものよなあ」



 こいつ大丈夫? まだ追加で失言するの?

 空気が読めないにもほどがあるでしょ?

 まぎれもなくアウトな雰囲気だ。背筋が寒くなってきた。

 なんで私がひやひやしなきゃなんないんだよ!

 セクハラに晒された当事者は私なのに!



「いやあ! まことそのとおりにございますな!」



 父様が突如、明るい声で返した。

 そして呆気に取られたセクハラ内府様に、にっと笑いかける。



「才があって、妻に似て器量も良し!

 いやはや、某にはもったいないほどの娘に育ちました。

 出藍の誉れとはまさにこのこと」


「……おやおや、えらく自慢することだ」



 思った反応と違ったせいだろう。

 セクハラ内府様が、鼻白んだ様子を隠そうともせず口を開いた。



「才色兼備の娘など、珍しくもなかろうに」


「いやいや、世に才色兼備の姫は数あれど、

 当家自慢の鸞は与祢一人にて! 出藍の藍だけに!」



 座敷に父様の豪快な笑い声が響く。

 待って、待って。父様、鸞ってなんだ。

 鳳凰の雛とかいうアレのこと? 私が?

 それはちょっとどころでなく、言い過ぎすぎでしょ。

 てか、親父ギャグとかやめてよ。

 秀吉様や徳川様たち、すごい目で父様を見てるよ。

 かなり滑ってるっぽいよ!?



「伊右衛門よ、鸞とはまた大きく出たがどういう意味だ?」



 アクセル全開で炸裂する、軽快な親馬鹿トークが面白かったのか。

 秀吉様が可笑しげに曲げた口を挟むと、父様は嬉しそうに頭を掻いた。



「実は以前、さる御仁に娘を褒められまして」


「ほお、なんと?」


「はい、与祢は鴛鴦のもとに生まれた鸞。

 あでやかで美しき瑞兆である、と」


「なるほどのぉ!」



 秀吉様がポンッと膝を打つ。

 ぱっと明るくなったお顔には納得と、心からの愉快さが映し出された。

 隣の寧々様も、自分のことのように私を見る目が嬉しげになる。



「そりゃあ言い得て妙だな!

 お与祢は確かに、きれーで華やかなもんばっかり思いつく子だ。

 その上、まっっっこと可愛らしい!」


「左様にございますねえ、お前様。

 あたくしたちのもとへ、数多の福を運んでまいりましたものね」



 関白夫妻は顔を見合わせ、うんうんと頷きあう。

 満足げにそれを見ながら、父様が続けた。



「殿下の治世に鸞ありとは、

 実にめでたいことでありますなあ」


「おぉ、伊右衛門もええこと言うのぉ!」



 秀吉様と寧々様と父様。

 三人がそろって、大げさなくらい朗らかに笑い出す。

 つられるようにして徳川様が愉快そうに笑い、それが座敷に広がっていく。

 空気が瞬く間に、なごやかなムードへ切り替わる。

 セクハラ内府様はフリーズしてしまった。

 顔色がちょっと青い。やっと自分が外しまくったことに気づいたか。

 やっぱりさ、人に意地悪はするもんじゃないね。

 反省するだけで済むといいな、セクハラ内府様。

 厳罰まではいかなくても、こいつが痛い目でも見たら私はすっきりするけどな。



「さて、では一度城奥へ戻りましょうか」



 ひとしきり笑った寧々様が、腰を上げる。

 すたすたと私のもとへやってきて、袖で隠すように私を抱えて立たせた。



「ご苦労様、ようきばったわね」



 私だけに聞こえる声で、寧々様がねぎらってくれる。

 ほっとして手を握ると、笑みを深くして握り返された。



「伊右衛門殿も、ご苦労でした」


「いえなんの、娘のためでございますれば」


「この礼はいずれ」



 寧々様は父様と軽く目礼を交わしてから、私を連れて座敷を抜けた。

 見送ってくれる父様に、ひっそり手を振る。

 振り返してくれたのを目に収めて、私は寧々様に隠れるように場を後にした。




 はあ、えらい目にあった。

 城奥への道を進みながら、花の盛りの庭の風景で、ちょっと疲れた頭を休める。

 いったん休憩したいけれど、無理なんだろうな。

 国母の君様は私のメイクを待ち焦がれていらっしゃるそうだ。

 さてさて、どんなメイクにしよっかなあ。



 そうして、仕事モードに頭を切り替えて。

 私は城奥へと戻る。





 初めて私の名が世に出た日が、ようやく半分過ぎようとしていた。



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