聚楽第行幸(4)【天正16年4月15日】




 城表の、小さな座敷。

 控室とも言うべき場所に、私はいた。

 着せられた汗衫かざみが慣れなくて、何度も裾をいじってしまう。

 公家風の童女用フォーマルなんて、初めて着せられた。

 ずるずる引きずる上に厚着で、とっても重い。

 寧々様チョイスの花山吹の襲だけは、ほんと可愛いんだけどなあ。

 赤みの強いピンクに、オレンジがかったイエローの重なりがすごく私好み。

 それでも気分は微妙な浮き方しかしてくれないから、困ったもんだ。

 ため息まじりで、遅れて座敷へ入ってきた人に頭を下げる。



「父様、お久しぶりです」



 やってきたのは、にこにこの父様。

 真っ黒な衣冠束帯で身を固めた、公家風のフォーマルスタイルだ。

 約半年ぶりに顔を合わせたが、変わりはないようでよかった。



「大きくなったなあ、与祢」



 目の横の皺を深くして、父様が私の方へ膝をいざらせてきた。

 頭を撫でて、肩を撫でて。成長ぶりを確かめるように触れて、うんうん、と頷く。

 あまりにも変わらない父様に、ほんのり肩の力が抜けた。



「家のみんなは、息災?」


「もちろんだとも。

 来月には皆の顔を見に、帰っておいで」


「そうね……今すぐにでも帰っちゃだめかな……」


「うーん、無理だなあ」



 困ったように、父様の太めの眉が八の字を描く。



「さすがにな、宣旨からは逃げられんよ」






 とっても、えらいことになりました。

 

 行幸初日の昨日のこと。

 私が力尽きて寝ている間に、今上帝とその随行の皆様が聚楽第に入られたそうだ。

 御所から帝に付き従って、派手なパレードをやって。

 この日のために設られた御殿で、華やかな宴を催して。

 秀吉様をはじめとする男性陣は、現在進行形で帝を歓待している。

 このかたわらで寧々様たち女衆も、皇太后様──厳密には准三后の国母の君様──や女御様をおもてなししている。


 国母の君様が寧々様のメイクに興味を惹かれたのは、宴が始まってすぐだったそうだ。


 管絃の催しの最中、お側に侍った寧々様をご覧になって不思議な化粧だとおっしゃった。

 ゴールド系の目元の輝きが、陽の光を受けてきらきら美しかったらしい。

 お褒めにあずかって上機嫌になった寧々様は、問われるままにメイクの話をした。


 これは羽柴の家中でのみ楽しめる、最新のお化粧であること。


 最新の化粧に熟達した、腕利きの御化粧係を側に置いていること。


 今日の女衆のお化粧は、その御化粧係の手なるものということ。


 上品なオブラートでくるんで、寧々様はこれでもかとたっぷりと自慢しまくった。

 竜子様や旭様も、寧々様の自慢に乗っかった。

 ヘアアレンジとか、スキンケアとか、マッサージとか。

 色んな自分のお気に入りを、寧々様に話しかけるという形で言い添えた。

 ここまでやられて、国母の君様が気に留めないはずがない。

 国母の君様は、寧々様とそう変わらないお歳だ。

 お悩みになられるポイントも似通っている。

 寧々様たちが褒めそやす、最新のお化粧とやらはそれら悩みを解決してくれるらしい。

 もし寧々様たちと同じメイクやケアを受けられたら、自分もまた美しくあれるのでは?

 そうお思いになった皇太后様は、寧々様に前のめりで頼み込んできた。


 自分にもお化粧をしておくれ、とね。


 待ってましたとばかりだったそうだよ。

 寧々様ったら、満面の笑みで私を呼ぶように命じたそうだ。

 自慢してアピりまくりたかったんだな、メイク。

 急なお召しで、良い迷わ……いや、驚いたよ。


 そうして呼ばれて、私は国母の君様たちの御前に出た。

 これがまた、ほんっっっとに面倒だったわ。

 私は寧々様の女房であっても、無位無官の小娘だ。

 国母の君様への直答が不可で、質問に答えるだけでかなりの手間がかかった。

 面倒さにうんざりしたが、それは国母の君様側も同じだったようだ。

 私に官位を与えちゃおって話になったよ。

 皇族とまともに顔を合わせて会話可能な女官にすれば、万事解決っしょー! って感じだ。

 

 もーびっくりした。

 図書館の利用カードを作ってあげようか、みたいなノリなんだもん。

 官位ってそんな軽いもんじゃないはずだ。やりすぎじゃないのかって震えた。

 でも、寧々様はノリノリで秀吉様に遣いを飛ばした。

 怯えて慌てる私をよそに、良い機会ねってにこにこでだ。

 すぐさま帰ってきた返事もやばかった。



 『面白そうだから帝に奏上したよ! OKだってよ!』



 ええんか、朝廷。自重してくれよ、秀吉様。

 唯一の救いは、心の準備の時間が与えられたことくらいだ。

 どんなに急いでも本日中の手続きが難しいので、翌日に改めて行おうって段取りになったのだ。

 官位を決めて、事務処理やって、帝の宣旨を出す。

 簡単な流れのスケジュールが組まれたが、一つ問題が発生した。


 それは、官位だった。

 国母の君様や女御様のお側に侍り、肌に触れて化粧をする。

 それ可能となる身分は、中臈女房以上。

 宮中における官職に合わせると、掌侍ないしのじょう以上でなくてはならない。

 この掌侍に就くために必要な官位は、従五位下じゅごいげ


 従五位下、従五位下である。


 うちの父様の官位は、従五位下。

 私が掌侍になったら、従五位下。

 后妃になったわけでもない娘が、父親と同ランクになる。


 さすがにまずくない? って話になった。

 叙位関係担当のお公家さんたちや、実務担当の石田様たちが頭を悩ませかけた。

 が、速攻で秀吉様が解決策を提示したそうだ。


 うちの父様の官位を上げちゃえばいいんじゃね? と。


 要は父様が従五位よりも少しでも上の官位を得れば、私が従五位を得ても問題ないのだ。

 だから上げちゃおうってことで、父様の昇格も急遽決まった。


 従五位下から二つ上げて、正五位下。

 官職は対馬守で据え置きだそうだ。


 いいのか、それで。物議を醸したりしませんか。

 心配になったけれど、案外異論は出なかったらしい。

 国母の君様たちの熱烈な要望の前には、時間がまじで無かったんだろうね。

 構っちゃいられないとばかりのハイスピードで、父娘のための宣旨の準備が整えられた。


 そして、とうとう今に至るわけです。が。




「襖の向こうに行くの、怖いなあ」



 そわそわと、何度も座敷の奥にある襖を見てしまう。

 私たち父子が待機しているこの座敷の向こうでは、本日の大イベント開催中だ。

 徳川様をはじめとした大名衆が、帝に起請文を提出しているらしい。

 起請文というのは、誓約書みたいなものだ。

 今回の内容は、秀吉様へ忠誠を誓います、というもの。

 諸大名衆は皆すべて、秀吉様の臣下になったので絶対服従します、という意思表明である。

 裏を返せば、秀吉様による戦国乱世を制したという完全勝利宣言。

 とんでもない大イベントのおまけが、私たちへの叙位と昇位の宣旨なんだよ。

 大大名たちが居並ぶ中で、小大名とその姫が辞令をもらうとはエグい。

 なんだこの晒し者プレイ。怖いわ。



「怯えることはないよ」



 落ち着かない私とは正反対に、父様はのほほんとお茶を啜っている。



「宣旨を読み上げる公卿と殿下以外、

 誰も話しかけてこぬからな」


「でもたくさんの人に見られるのは、

 さすがに怖いよ……」


「はは、与祢は怖がりだなあ」



 ではこうしよう、と父様が手を打った。



「大名も公卿も、みーんな雛人形と思えばよい」


「雛人形って」


「可愛らしゅうない雛人形で悪いがな」


「んぐ、ぶふっ」



 押し殺そうとした笑いが、半端に潰れておかしな形で吹き出てくる。

 だめだ、想像しちゃった。

 ゴリゴリマッチョとかガチおじさんのフィギュアが並ぶひな祭り。

 お雛様や三人官女は不在で、お内裏様と左右大臣と五人囃子オンリー開催か。

 やばい。シュールすぎる。怖いを通り越して愉快だ。



「気は抜けたか?」



 湧き上がる笑いに耐える私の背中を撫でて、父様が聞いてくる。



「んんっ、ぬ、抜けた」



 もうばっちりよ。緊張感は吹っ飛んだ。

 会場入りした時に、笑いが込み上げてこないかって別の心配が出てきてるけど。



「位記をいただく時に笑っちゃったら、

 父様のせいだからね」


「その時は一緒に笑ってやるので案ずるな」


「なにそれぇ」



 父子揃って、口を押さえて笑い合う。

 安定してるなあ、父様。おかげで私もなんとかなりそうだ。



「山内対馬様、姫君様」



 廊下側の障子戸が、静かに開く。

 秀吉様の若い馬廻の方だ。



「まもなく叙位の宣旨が下されます、お支度を」


「承知いたした」



 父様の表情が引き締まる。

 来た。来ちゃった。私の体にも、緊張が走る。

 顔を見合わせて、頷き合う。

 ここまで来たんだ。腹を括るっきゃない。

 揃って奥の襖へと、体の向きを変える。

 合わせたように私たちは深呼吸をして、姿勢を正した。


 するすると、襖が開く。

 明るい陽光に満ちた、広大な座敷。

 居並ぶのは国持以上の大大名に、宮中でも高位の公卿たち。

 正面の御簾のお側には、正装の秀吉様と寧々様が侍り、私たちを待ち構えている。

 あまりにも、壮観な光景。

 私は息を呑みながら、ゆっくりと頭を垂れたのだった。

 

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