大政所様の家庭菜園とハーブ【天正16年3月末】
大政所様は、農作業がお好きだ。
ずっと農家さんだったからか、土をいじっていると落ち着くらしい。
だから御殿の庭を一つを除いて全部潰して、家庭菜園を作っていらっしゃる。
秀吉様は渋い顔をするのだが、どこ吹く風だ。
老い先短いババアのわがままくらい聞けと、さくっと異論をねじ伏せている。
秀吉様も秀吉様で、あーだこーだ言っても黙認している。
あと、季節の初物の野菜は、必ず大政所様の菜園で採れた物を召し上がる。
子はどこまでも子で、母はずっとその子の母。
どうやら、未来も今も変わらないみたいだ。
そんな菜園は、旭様の屋敷から遠くない場所にある。
子供の私の足でも、数分くらいでたどり着ける距離がありがたい。
いつも使う入り口は、塀の途中にある勝手口。
直接菜園に入れる近道だ。
「よう来たね!」
旭様に続いて勝手口をくぐると、ハリのある声が飛んできた。
綺麗に整えられた畑の側から、木綿の小袖姿の大政所様が手を振っている。
先日贈った麦わら帽子を被っていらっしゃる。
使ってくれていて嬉しいが、帽子の下に手拭いを被っているのは何故だ。
前世で見かけた、農家さんのおばあちゃんを彷彿とさせるスタイルだ。
農家さんの伝統的スタイルとかなの?
首の後ろをおおって日焼けを防げるので、理に適っちゃいるんだけどさ。
こう、物申したくなるぅぅぅ……。
「……貴人らしくないと、言いたいようね」
大政所様に手を振り返しながら、旭様は涼しい顔で呟く。
ちらりと私を映した目の奥に、楽しそうな光がある。
「関白殿下の母君、という点で見れば、
その身分らしいとは申せないかと」
「……そういうところが、
おかか様の良いところなのよ」
「そうですね」
確かにね。旭様とちょっと笑い合う。
身分が急上昇していながら、ずっと変わらないでいられるのはすごいことだ。
凡人であれば舞い上がって、偉そうで嫌みな成金モードになっても不思議じゃないのにね。
大政所様は普通の田舎のおばあちゃんのまま、息子や自分の立場を理解して生きている。
平凡でありながら非凡であるって、本当に賢くないとそうあれないと思う。
ある意味憧れるタイプの大人だ。
「そんなとこでどーしたの。
はようこっち来やあ!」
日が暮れてしまうで! と私と旭様に声をかけて、さっさと大政所様は畑に入っていく。
のっしのっしと歩く足取りには、力強さと健康さがみなぎっているかのようだ。
元気なおばあちゃんって、見ていて和むものだな。
「……行きましょうか」
「はい」
私たちは、少し駆け足で大政所様の元へ向かった。
数人の下女たちが、私たちの前に浅い木箱を三つ並べていく。
木箱の中は仕切りでマス目みたいに区切られていて、土が敷かれている。
マス目には、それぞれ春風に葉を揺らす緑の葉っぱ。
小さくて可愛くて、将来有望な奴らである。
「……これは?」
木箱を覗き込んだ旭様が、怪訝そうに葉っぱに触れる。
「薬草やて」
「……薬草?」
「お与祢ちゃんが種を持ってきてな。
それをおらぁが預かって、苗代に育てたのや」
下女の指揮を取りながら大政所様が返した言葉に、旭様がきょとんとする。
野菜じゃないものを植えることに、驚いているようだ。
説明を引き継がせていただこうか。
旭様の袖を引いて、こちらを向いてもらう。
「千宗易様にお願いして、
仕入れていただいたのです」
「……堺の、あの豪商の?」
「左様です。手広く商われていらっしゃるので、
明や南蛮の物を揃えていただけました」
代わりに知識の等価交換をさせられたけどな。
「……明や南蛮のものって、どれかしら」
「ご説明、いたしましょうか」
旭様が並んだ木箱を見ながら、はっきりと首を縦に振る。
お、元農家さんの血が騒いだ感じかな?
目がいつもより、明るいような気がする。
興味を何かに持てるのは、メンタルが回復してきた証拠だ。
好奇心を満たしていただけるよう、しっかり語らせていただこうか。
「ではまず、左端の薬草から」
旭様の手を引いて、左端の木箱の前に行く。
箱に入っている苗は、先の丸い葉っぱだ。
楕円でふわっとした若葉色が可愛らしい。
「こちらは
明から仕入れたもので、
もうすぐ黄色くて愛らしい花を咲かせます」
「……花見用?」
「花を見て楽しむのもありですが、
肌に効く薬効を持っておりますの」
現地では『貧乏人のサフラン』とか『太陽のハーブ』とか呼ばれている。
可愛い花に目を奪われがちだが、このカレンデュラの真価はスキンケア特化な薬効だ。
皮膚や粘膜の修復に優れているし、消炎作用があるから肌荒れにも効く。
しかも、抗菌や抗真菌作用を備えていて、抗ウイルスと抗寄生虫の作用もおまけで付く。
皮膚系のトラブルで対応していないものはないんじゃないか?
そう思えてくるオールマイティーなハーブなのだ。
利用方法としては、基本は油や焼酎に漬け込んで、外皮に塗るとかコスメの材料にするとか。
収穫して布袋に入れて、お風呂へ入れてもいいかもね。
あとは、ハーブティーとして飲むのもおすすめ。
感情を落ち着かせてくれて、口内炎にもよく効く。
「……その茶、飲んでみたいわね」
「では収穫したら、たくさん作りましょう」
興味があるなら、大いに飲むといいよ。
カレンデュラのハーブティーは、旭様みたいな繊細さん気質の人向けだから。
「その際は、こちらの薬草と調合してみましょうか」
ハーブティーはブレンドするのも楽しいものだ。
カレンデュラの隣の木箱を示すと、旭様もそちらに目を向ける。
カレンデュラとは打って変わって、細くてたくさん枝分かれしたみたいな緑の葉だ。
旭様が葉に触れてみて、その手を鼻先に近づけた。
「……良い香りね」
「カミツレと申します。こちらは南蛮のもので、
心を和らげる薬効を持っています」
「……それだけ?」
「いいえ、他にも女に嬉しい薬効がたくさん」
カモミール様だぞ。それだけで終わるわけがないわ。
今回輸入できたカミツレ、ジャーマンカモミールは超有名なハーブだ。
ハーブティーと言ったらこれ。
リラックス効果のハーブと言ったら、カモミールが代表格だ。
なぜド定番なのかといえば、作用のおだやかさゆえだ。
子供からお年寄りまで安心して使えて、安定した効能があるからいつでも飲める。
寝つきを良くしてくれるから、眠りにくい人は試すといい。
消化器系の調子を整える効果もあって、疲労回復にも効くよ。
消炎作用や抗アレルギー作用があるから肌トラブルや、花粉症みたいなアレルギーにも効く。
蒸留して化粧水にするといいかも。
採れる精油、鮮やかなブルーだから面白いし。
「……青い油って、奇怪ね」
「白い花が咲くから可愛らしいですよ?」
「……なんで青い油が採れるのに白い花が咲くの?」
毒じゃないの? と旭様が疑わしげな目をカモミールに向ける。
嫌ってやるなよ。そいつは良い子だぞ。
「毒草じゃないですよ。
冷え性や月のものの時の痛みに効きますし!」
私的に、婦人系の体調不良に効果抜群なとこがカモミールの真価だ。
生理痛と冷え症に効果があるんだよ、カモミール。
PMS──月経前症候群というクソな疾患持ちだった前世の私はめちゃくちゃお世話になった。
冬場の冷えもカモミールに助けられていた。
ありがとうカモミール様、また世話になるぞ。
愛情を込めてカモミールの苗を撫でると、旭様が「変な子ね」と呟いた。
やめてよ、自覚はあるけど傷付く。
「で、右端の箱の薬草をごらんください」
誤魔化すように、最後の木箱を指し示す。
植っているのは、カモミールとよく似た細い枝分かれした葉の苗だ。
だが、カモミールより背が高くて、触ると厚みも違う。
「こちらは
明から仕入れた薬草で、
七尺(二メートルちょっと)くらいの木になるんですよ」
「……木まで植えるの」
「もちろん、だって化粧品にも料理にも使えますから」
万年香、マンネンロウはローズマリーのことだ。
地中海原産で、よくイタリアンとかで肉や魚の臭み消しに使われているあれだよ。
料理用の方が有名かもだが、ヨーロッパでは古くから若返りの薬草と謳われてきた、最強ハーブの一角だ。
ハンガリアン・ウォーターってのをご存知だろうか。
ローズマリーをアルコールと一緒に蒸留した、伝統的なヨーロッパの化粧水だ。
伝説の話だけどね、ある時代にハンガリーの七十歳の王妃様がいた。
高齢だから体がガタガタな王妃様が、この化粧水を使ったところ、あら不思議。
みるみる若返って、ポーランドの王様から求婚されるほどの美貌を取り戻したのだそうだ。
「……それ、お伽噺でしょう」
呆れたように旭様が、ローズマリーを突く。
「お伽噺ですよ。
でも、お伽噺に近い効能は持っているそうです」
アルコールに漬けたものには、ウルソール酸って成分が含まれていてね。
これがシワに効く。深いシワにも効果があるようで、アンチエイジングには最適なのだ。
「……嘘でしょ」
「少なくとも肌には良いですよ」
前世で実体験はしてるから。
まあそれは言わず、南蛮人に聞きました、と嘘を吐いて誤魔化しておく。
ローズマリーには、抗酸化や血行促進の作用もある。
肌にも頭皮にも良くて、艶やかな肌と髪を育ててくれる強い味方だ。
アラフォーな寧々様や旭様、もっとマダムな大政所様向けコスメを作るのに使えると思う。
綺麗に老いていく楽しみを実感してくれ。
「旭、お与祢ちゃん、そろそろ植えよか」
大政所様が声を掛けてくる。
植え付け作業を手伝ってくれる下女たちの、スタンバイが完了したようだ。
お返事をして、私たちも大政所様の元へ向かう。
「……ひさしぶりの野良仕事ね」
「不安ですか?」
「……不安なわけないでしょ」
ふ、と旭様が目を細める。
「……駿河でも、やっていたもの」
その眼差しは、東へ向けられていた。
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