春はいろいろ変わる季節【天正16年3月末】



 ウグイスが鳴いている。

 竜子様と初めてお会いした、竹林の茶室の方かな。

 聚楽第にはそこそこバラエティ豊かな鳥が生息しているが、この春はウグイスの声をよく聴く。

 本当にもう、あっちこっちでのどかにホケホケ鳴いている。

 集めて放鳥でもしているんだろうか。

 令和では幻になりかけのウグイスの糞、手に入らないかなあ。

 あれ、超高級美容洗顔料なんだよね。

 尿素やグアニン、それから美白酵素だったか。

 肌に良い成分たっぷりで、肌を白くして保湿してくれる。

 脂肪分解酵素も含むから、ニキビにも効果抜群だ。

 だから日本では古代から愛用されていた超有能コスメなのだが、現代では希少な品になっていた。

 ウグイスの飼育に規制がかかってしまい、とんでもなく高価になってしまっていたのだ。

 でも海外にまでウグイスの糞の効能が知れ渡っていて、セレブ向け超高級エステでは使用されていた。

 ゲイシャ・フェイシャルってのだったっけ。

 とんでもない価格のメニューだったよ。

 前世の私も一度、アメリカ出張の折に試したことがある。

 確かに大金を積んだだけの効果はあった。

 高級品だ有能コスメだって褒めちぎっても、まあ、その、ね?

 鳥の排泄物なので、臭いはアレでしたが。


 そんな金の卵ならぬ金の糞を出すウグイス様だが、天正の世では飼育に関する法規制が無いっぽい。

 だったら、ウグイス園みたいな施設を作れないだろうか。

 集めたウグイスたちの餌とか生活環境とかを、専門の飼育員に徹底管理させるのだ。

 それで美顔効果の高い糞の供給が安定したら、美容オタク的に最高の結果が得られるのでは?

 ……今度、寧々様にねだってみるか。

 帝の行幸が終わって落ち着いたくらいに、腰を入れてプレゼンしてみよう。



「姫様、悪い顔になってますよ」



 隣のお夏が、ため息混じりに見下ろしてきた。

 やべ、また顔に出てしまった。

 内心慌てて、仕事用お澄ましフェイスで取り繕う。

 


「本日は気をつけてくださいね?」


「はいはい」


「はい、は一回。

 わたしがいなくても、お行儀良くですよ」


「はーい」


「はい、は伸ばさない。

 わたしがいないからって、侍女を撒かないでくださいね」


「ねえなんで私を信用しないの?」


「姫様だからです」



 わかっていますね、と言いながらお夏はしゃがんで両手を掴んでくる。

 あらー、めちゃくちゃ疑われてるわぁ。

 強い力と不信感が思いっきり比例していて、乾いた笑いが出そうだ。

 たまに一人で空き部屋に忍び込んでサボってるのバレてるな、これ。


 今日は珍しいことに、私たちはこれから別行動だ。

 お夏がね、私抜きで佐助と面会する予定なのだ。

 内容は聞いていないけれど、たぶん家中の情報共有とかなんかだろう。

 家臣たちの仕事には、ただの姫に教えられない機密があるっぽい。

 気になるけれど、そういうのは知らんぷりをするのが姫君のマナーだそうだ。

 先日、竜子様とお茶をしばいている時に教わった。

 そういうわけで、お夏の留守も親戚の佐助と面会するってことしか知らないていで済ませおく。

 お小言を言われながら、中奥と城奥の境の扉に辿り着く。



「では、また二刻後に扉の前で」


「佐助によろしくね」


「承知いたしました。

 姫様はくれぐれも駿河御前様に失礼のなきよう」


「わかってるよ?」



 信じてくれと上目遣いをしてみる。

 お夏は優しげに、そっと微笑みを返してくれた。

 そうして私の後ろに控える侍女たちに、彼女の猫目が向けられる。



「姫様の行動はすべて後で報告を」


「「「はい、お夏様」」」」



 侍女たちが、流れるように綺麗な礼を取る。

 あかん。これは寄り道も何もできないやつだ。


 ウグイスの糞探し、今日は無理か……。








◇◇◇◇◇







「……今日はおとなしいのね」



 私に髪をいじらせながら、旭様が呟く。



「……お腹でも壊したの?」


「いや、ちょっとですね」


「……ちょっと、なにかしら」



 鏡越しに目が合うと、一重の目元が心持ち細くなった。

 その瞳に宿る光は気だるげなのに、ちょっと楽しげ。

 からかってきてるな、この人。

 むっとしていると、旭様がくすくす笑った。



「……また侍女にお小言でも言われた?」


「……駿河御前様」


「……あらあら」



 図星なのね、と可笑しげに旭様の喉が鳴る。

 この人ったら、もう。

 やっと距離が縮まったと思ったら、これだよ。

 近頃の旭様はご覧のとおりシニカルというか、ほんのりといじわるだ。 

 必要以上に人に気を使うのを、やめたらしい。

 周りを気にするのが、あほらしくなってきたと大政所様に言っていたそうだ。


 これについては、良い傾向だと思う。

 人目という呪縛からある程度逃れた方が、人間は生きやすい。

 迷惑人間にならない程度なら、図太さはメンタルを守る良い鎧になるものだからね。

 ほどほどの自己中さを保った生き方は、ベストな生き方だ。


 でもさ、私をからかって遊ぶことまで、覚えなくてもよかったんだが?

 

 気を許していると大政所様は仰っていたけれど、困ったもんだよ。

 さくっとからかいポイントを見つけては、不快にならない程度に触れてくる。

 元々人の気持ちに敏感な人だからだろう。

 旭様は相手が不快にならない程度を、絶妙に見分けられるようだ。

 からかった後にはちゃんとフォローを入れて、相手を自分のペースに巻き込む。

 そんな高等テクニックさえ、旭様は身につけ始めている。私を実験台にしてな。

 

 さすが秀吉様の妹というか、豹変しすぎだよ。

 ヘアアレンジで髪の不安やストレスが無くなったからって、振れ幅がとんでもない。

 まあ、元気になりつつあるのは良いことなんだけどね。

 


「……ワタクシに話してごらんなさいな」


「えー……駿河御前様にですかぁー……?」


「……愚痴くらい聞いてあげるわよ」



 ワタクシ、優しいのよ? なんて旭様がうそぶく。

 自分で言うなよって思う反面、ちゃんと優しいから否定できなかったりする。

 旭様って、聞き上手で共感力が高いのだ。

 なりゆきで私もちょくちょくお世話になっている。

 


「愚痴聞きの対価が怖いのでいいです」


「……あら、残念」


「また今度お願いしますねー」



 にや…とする旭様の髪に、ブスッと丁寧に造花をあしらったヘアコームを挿す。

 ビロードでできた深紅の牡丹が、漆黒の髪に咲く。

 今日の旭様のヘアアレンジは、ローシニヨン。

 低い位置で髪をふんわりお団子っぽくまとめたカジュアルなアレンジだ。

 外出用に用意した、カンカン帽っぽい麦藁帽子に合わせてある。



「お化粧はいかがしますか?」


「……濃くはしないで、目元ははっきりと」



 濃くなくて目元ははっきりか。

 なら、アイカラーが大事になってくるね。



「承知いたしました、

 お目元に添えるお色はいかがしますか」


「……好きにしていいけれど、赤や黄色は嫌いよ」


「では、赤や黄色以外を使いますね」



 安心しろ、旭様。赤や黄色は選考外のカラーだ。

 あなたのような色黒ブルべさんには、基本暖色が合わない。

 似合うのはグレーや黒、ネイビーや青みパープルだ。

 本人の希望に沿わせるなら、今日はナチュラルエレガントに仕上げていくのがベストかな。

 チークも薄めで、リップはアラフォーに向くマットにするか。


 頭の中でメイクの工程を組み立てながら、まずはベースメイクを始める。

 スキンケアはすでに済んでいるので、ファンデの下地を仕込んでいく。

 使うのは酸化亜鉛と紅粉で色みを調整したライトピンクのベースカラーだ。

 例のごとく、ただのベースカラーではない。日焼け止め効果を考えて作った新作だ。

 紫外線ってのは、二種類の波長の長さがあるんだよね。

 一つは肌を黒くして、シワやたるみを引き起す紫外線のA波。

 もう一つは、シミや色素沈着の原因になる紫外線のB波だ。

 今回作った日焼け止めは、A波を防ぐ酸化しにくいセサミオイルに、実はB波を吸収してA波を弾く効果持ちの酸化亜鉛を多めに配合して、ミツロウと混ぜてある。

 汗には弱くて、令和の日焼け止めには効果も劣るけれど、日常の日焼け対策はまあできる。

 なるべく日傘や手袋、帽子で対策しておけばなんとかなる、といいなって感じだ。


 今日はこの後、外で活動するのでしっかり日焼け止めベースカラーを塗る。

 ついでに首筋にも日焼け止めを塗り込んで、次はファンデだ。

 薄めをご希望なので、暗めのピンクオークルのクリームファンデを薄く伸ばす。

 いつものごとく、顔の真ん中から外に向かって濃淡を付けていく。

 色のチョイスは、首の肌の色に近いものを選ぶのがポイントだ。

 首と顔の色が合っていると、顔全体の血色感が良くなるからね。

 シミやそばかすは暗め、黒クマはパール入りのベージュのコンシーラーで消去。


 お粉をはたいてマットに仕上げたら、ハイライトとシェーディングだ。

 旭様の輪郭は、面長気味の逆三角だから、マットな質感のココアブラウンのパウダーで顎先を削る。

 髪の生え際や耳のあたりにも、シェーディングで囲むようにして輪郭をやわらかな卵型に近づけていく。


 ハイライトは鼻筋と頬の上。

 低めの鼻は光らせて高く見せ、目の少し下あたりに塗って印象を丸くする。

 次は眉をパウダーアイブロウで、平行眉を描いていく。

 色は暗めのブラウンを薄めに、眉の長さは長めに。

 ブルべと逆三角なお顔に似合う色と形で整える。



「……時間がかかるのね」


「綺麗は時間がかかるものなんですよ」



 特にご所望のナチュラルなメイクはな。

 輪郭が卵じゃなくて、適当メイクに耐えうる年齢じゃない旭様だ。

 シェーディングもハイライトも、ファンデやコンシーラーだって考えて塗らなきゃいけない。



「……野菜のようなものなのね、人って」



 あいまいなため息を一つ吐いて、旭様がぼやく。

 例え方がちょっと元農家の人っぽくて、ユニークだ。

 でも、ずばりそのとおりだね。人間も植物も似たようなものだ。

 気温や天気に影響されやすくて繊細で、手間をかけた分だけ良くなる。

 そうですね、と返しながらローズピンクのチークを頬骨の上に軽く乗せる。



「自分をいつくしんで育てる楽しみは、

野菜を育てるのにも似ているかもしれませんね」

 

「……野良仕事もしたことがない子がよく言うわね」


「まあそうですけど」



 私は武家の姫ですしね、一応。

 一般人だった前世でも、キッチンでカイワレ大根を育てた経験しかないわ。

 口を尖らせた私に、旭様がくすりと笑う。



「……なんとなく、言いたいことはわかったわ」


「だったらいいのですけれど」



 本当に伝わってるのかなあ。

 じとっと見上げると、旭様はうっすら微笑んだまま目を閉じた。

 続けろってことですね。はいはい。


 薄い一重まぶたにアイシャドウベースを塗って、アイメイクへ移る。

 まずはベースカラーとして、ベージュをアイホール全体へ乗せていく。

 次は透け感のあるパールグレー。ブルべに似合うエレガントなカラーだ。

 この時の一重まぶたのお約束は、目を開けた時にアイシャドウの色が見えるように塗ること。

 そうしないとせっかく塗った色が隠れて、残念なことになるんだよ。

 だから幅を広めにして、目頭から目尻の方へ向かって濃くなるように。

 慎重にアイシャドウを重ねて、横へグラデーションを作っていく。

 下まぶたには、目尻から黒目までの間へ細めに色を入れることで、目のフレームを強調する。

 旭様の目は縦幅があまり広くない。本来のフレームより少し下に塗って、縦幅も広げておく。

 締め色はウルトラマリンバイオレットを使った、暗いパープルみのあるグレーだ。

 最近量産が可能になったから、ブルべ向けカラーの幅が広がって嬉しい限りだね。

 上のまぶたの目尻三分の一からちょっと長めにこの色を引いて、切れ長でクールな雰囲気を与える。

 アイラインは木炭とミツロウで作ったブラックで、締め色と同じ範囲に細く描く。

 ラインをぼかして、黒目の上にハイライトをポンと乗せて。

 最後に青みのある桜色のリップを唇にさっと塗れば完成だ。

 侍女に指示をして、大きめの鏡を旭様の前に据える。

 鏡を覗き込んだ旭様は、何も言わないけれど満足げに頷いてくれた。



「……では、おかか様の菜園へ参りましょうか」


「はい、お供いたします」



 腰を上げた旭様に付いてお部屋を出る。

 玄関先にはすでに旭様の女房さんたちが、出かける準備を整えていてくれた。

 先に草履を履いて玄関に降りた旭様の頭に、紫外線対策のカンカン帽っぽい麦わら帽子を乗せる。

 それから私も麦わら帽子を被って、旭様や女房さんと一緒に屋敷を出た。

 徳川家から派遣されている守衛さんの横を通って、屋敷の門の外へ踏み出す。

 深く守衛さんにお辞儀をされる旭様には、以前よりも気負ったふうはない。

 慣れてきたんだろうか。軽く顎を引いて、すたすた歩いて行ってしまう。

 旭様が、ちゃんと正室っぽい振る舞いができるようになろうとは……。



「やればできる方なんですよ」



 私と並んで歩く女房さんが、こそっと唇の端を持ち上げる。

 やればできるなんてもんじゃない気がしますが。

 元から素質はあったんじゃないかなあ。

 腐ってもこの人、秀吉様の妹だから。

 旭様の回復ぶりを心から喜んでいる女房さんに水を差すのは、ちょっと野暮だから言わんけど。

 やれやれと思いながら、旭様の後ろをゆったりと歩いていく。

 麦わら帽子、作っておいてよかったな。

 菜園で土いじりをするためカルサン袴を穿いた旭様に、とても馴染んでいる。

 秀吉様の妹なのに平均身長はあるし、意外と脚が長いからパンツスタイルがお似合いだ。

 自分のコーデセンスの良さを自画自賛したくなってくる。



「?」



 ふと視線を感じた。守衛さんコンビの見送りか?

 振り返ってみるが、彼らはお行儀よく門の前に待機している。

 二人ともこっちを見向きもしていないって、どういうこと?

 人通りの多い場所でもないのに、なんか気味悪いな。



「……どうしたの」



 旭様が振り返って、不思議そうに首を傾けていた。



「……惚けていたら置いていくわよ」


「あっ、ただいま!」



 慌てて旭様のお側へ駆け寄る。

 今は視線とかどうでもいいわ。

 置いてかれて一人行動になっちゃったら、お夏のお小言が増えてしまう。

 私が追いつくのを待ってから、旭様がまた歩き出した。

 ちょっとだけ歩調を、緩くしてくれる。



「……早いようなら、言いなさい」



 明後日の方を見ながら、旭様がぽそっと言う。

 ほんっっとに、素直じゃないアラフォー様だよ。

 だから私はこの人のこと、嫌いになれないんだよね。

 苦笑いしながらお返事をする。

 また、なんとなく視線を感じた。

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