ヘアセット入ります!(1)【天正16年3月中旬】
大政所様の白いものが多い髪を、丁寧にくしけずる。
使うものは櫛ではなく、ヘアブラシ。
だけど、ただのヘアブラシじゃない。
短い歯と長い歯を組み合わせたヘアブラシだ。
梳かすと長い歯が髪の絡まりをほぐしてくれて、短い歯が髪のキューティクルを整えてサラサラにしてくれる。
令和の私が必須としたヘアアイテムで、かなり早い段階から再現を試みていた品だ。
まあ、実現したのはかなり最近。私が城奥に上がる直前だったんですが。
時間がかかった理由はブラシの材料である、シリコン系素材がなかったからだ。
そもそもプラスチックどころかゴムすらない時代だ。
ブラシの構造がわかっていても、材料が調達できない。
代替材料を模索することからスタートしなければならなかった。
これがなかなか難しかった。求められる材質の条件がえぐいのだ。
ある程度丈夫で、ある程度の太さがあって、それでいて柔らかくしなる。
そんなもんプラスチックやシリコン以外に存在するのか?
絶望的だし断念すべきでは?
なんて考えもよぎったが、あきらめるわけにはいかなかった。
だってね、髪は美容にとって、めちゃくちゃ重要なパーツだからだ。
昔から言われるように、髪は女の命とかいう話だからじゃない。
男女関係なく、その人のパッと見の清潔感にものすごく関わってくるからだ。
頭部の大部分を覆う、ある意味一番目立つパーツなんだよ?
髪が脂ぎってもつれていたり、寝癖で爆発していたりする人がいたら、周りの人はどう思う?
間違いなくほとんどの人が、だらしなくて汚らしいって印象を持つだろうね。
だから、髪はちゃんと手入れをして、常に綺麗に保つ必要がある。
そのためには、ヘアブラシがなくてはならないので、必死で代替品を与四郎おじさんに頭を下げて探しまくった。
あれこれと試して、何度も失敗を繰り返す。それだけで一年近く。
そして、ようやく辿りついた素材は竹だ。
竹はシリコンやプラスチック素材ほどではないが、よくしなって丈夫。
適度な太さに加工することも難しくなくて、なにより入手がすごく楽。
しかも、静電気が発生しない上に、油分を含んでいて髪のまとまりに良い効果を持っている。
ベストではないがベターな素材が見つかってからは早かった。
十分な耐久性を備えつつ、できるかぎりコンパクトになる太さを試行錯誤して。
一番髪がさらつやになる歯の数と長さを、職人さんがうんざりしてくるまで拝み倒して追及して。
ようやくできあがったのが、今使っているヘアブラシなのだ。
すでに寧々様や竜子様、まわりの女房仲間にも使ってもらっているがかなりの好評を得ている。
髪に絡みにくくて梳かすだけである程度まとまるし、頭皮に当てながら梳かすとヘッドマッサージ効果があって結構気持ちいい。
そういう口コミが増えて、城奥中の女性から私のもとへ購入依頼がかなり舞い込んでいる。
与四郎おじさんの美容用品の優先的な卸し先が、私だとどこかから漏れたっぽい。
そういう依頼への対応が激しくて本来の業務に差し障ってきたので、おじさんと相談して今年の二月あたりから市場に流した。
そしたらまたあの堺商人はやってくれたよ。
ブラシの柄や背の材質や、装飾をいじって庶民向けと富裕層向けの二パターンで売り出した。
しかも、聚楽第の上臈衆に超人気! これであなたも天女の髪! と銘を打ってだ。
京阪で一気に爆発的なブームが発生しました。
またあのおじさん大儲けしてるよ……もう驚かないけど……。
話がそれまくった。
とにかくそんな苦労の結晶のブラシで梳かすから、大政所様の髪はサラサラなっていく。
同時に椿油とミントの芳香蒸留水のヘアミストを吹きかけて、保湿もしっかりと行う。
白髪の多い髪、いわゆるグレーヘアは乾燥しがちだからね。
油分はしっかり足さないとだ。
「すぅっとしてええ気持ちだわぁ」
「薄荷の美髪水、お気に召されましたか?」
心地よさげに目を細める大政所様に、話しかける。
私の髪を梳かす作業に触らない程度に、大政所様が頷いてくれた。
「……あの、美髪水とは何かしら?」
私たちのやり取りを見ていた旭様が、不思議そうに訊ねてくる。
そういえば、旭様は知らなかったっけ。
しょっぱなの私のやらかしで、まだ一度もメイクとかさせてもらったことがなかったし。
説明しておかないと不安にさせちゃいそうなので、いったん手を止めてお話しする。
「ちかごろの聚楽第で使うようになった、
髪用の化粧品でございます。
椿の油と薄荷を湯で煮て取った露を混ぜ合わせた品ですの」
「……髪油のようなもの?」
「はい、少し近いですね。
美髪水は髪に潤いを与えて、
さらりとしたまとまりを与えてくれるんですよ」
例えば、と旭様に大政所様の側に来てもらう。
綺麗になったグレーヘアを一房、手に取ってもらったみた。
旭様の目が、きょとんとする。
さらさらして潤った髪をぎこちなく撫でて、私の方へ振り向いた。
「……おかかさまの髪、さらさらだわ」
「そうやろぉ、旭。白髪頭でもな、
髪の美しさは若いころに勝ってきたんよ!」
うははは! と大政所様が笑う。
私がケアするようになってから、大政所様の髪は絶好調だもんね。
枝毛も切れ毛も、傷みも格段に減ってつるつるさらり。
今の大政所様の髪は、ただの白髪頭じゃない。
洒落たグレーヘアと呼んでいい仕上がりだ。
根気良くがんばった甲斐があったというものです。
「駿河御前様の髪にも、
後ほど使わせていただきますがよろしいですか?」
「……ワ、ワタクシにも?」
「薄荷がお好みでなければ、
違うもののご用意もございます。
クロモジ、ハマナス、ダイダイにヒバなど、
いろいろと」
「……多いわね」
「はいっ、御前様がお好きなもので、
お好きな綺麗を手に入れられるよう、
たっくさん用意してきたんですよ!」
自分が好きなもので、自分が綺麗になるのはすっごく気持ちいいことだからね。
そのためには全力を尽くすのが私のポリシーだ。
旭様にもぜひ、この快感を味わっていただきたい。
あわよくば、私の好感度も上方修正してもらうきっかけになったら最高だ。
打算まじりに笑いかけると、旭様はおずおずと大政所様に視線を送った。
「旭の好きにしたらええよ」
「……でも」
「お与祢ちゃんに任しときゃあええ。
ちゃぁんとええようにしてくれるから、な?」
「……おかかさまが、そうおっしゃるなら」
旭様が、私を見下ろす。
迷うように視線をさまよわせてから、あの、と声を発した。
「……では、頼みます」
「おまかせくださいまし!」
やったぜ。旭様が私に髪の手入れを許してくれた。
今までの関係から考えれば、かなりの進歩だ。
このまま一気にとはいかなくても、関係が改善したらいいな。
そんな嬉しさを抑えきれないままに、私は大政所様のヘアアレンジへ移る。
「大政所様、どんな雰囲気に結い上げたいですか?」
まずはリクエストを聞くのが大切だ。
私が似合うと決めてかかってアレンジしても、大政所様の好みに合わなきゃ意味がない。
似合うものと好みのもののズレはありがちだが、それを埋めるのが私のお仕事である。
大政所様は斜め上を見上げて、眉根を寄せる。
そうしてから、ぽんと手を打った。
「すっきりしたのがええな、
そんで上臈っぽくしておくれ」
「承りました!」
OK、綺麗でエレガントな感じね。
だったらもう、夜会巻き一択だ。
夜会巻きとは定番で、かつ簡単なアップヘアの一つだ。
わかりやすく言うと、令和のCA《キャビンアテンダント》さんがよくやっている髪型ね。
きっちりと髪がまとまって、とてもエレガントな雰囲気になる。
元は明治の頃、鹿鳴館の舞踏会なんかに参加する貴婦人の間で流行ったらしい。
そのため、洋装にも和装にも馴染む万能さがあるのも最高のポイントだ。
大政所様のようなグレーヘアにもばっちり似合う。
私も真っ先に提案したかったので、好都合だ。
さっそく、エレガントな老貴婦人になっていただこう。
まずは細めで黒い髪紐を使って、髪をまとめる。
大政所様の髪は、肩甲骨のあたりまでの長さだ。
夜会巻きにするにはちょっと長いので、二つ折りにして結ぶ。
ポイントは毛先を少しだけ残すことだ。
下の輪っかになっている部分をねじり上げる時、ちょうどいい高さになるよう調整する。
次に輪っかの部分を時計回りにねじっていく。
そしてねじり上げた髪に結び目が隠れるよう、右側の髪を被せてあげる。
よし、髪が長いから綺麗に被ってくれた。
そしたら飛び出したままの毛先は、左側にできた溝にしまっていく。
ここでがんばれば、超綺麗に仕上がるので集中してやる。
最後にきまして、やっとヘアピンのご登場だ。
大きなU字ピンを裏向きにして、反り返りのついた先端で、表面の髪をすくう。
ここでのコツは薄めに髪をすくうこと。
多くすくってしまうと、髪が引きつれて痛いんだよ。
なので薄く、ピンが透けるほど。これで大丈夫か? って程度にすくう。
すくえたら後は簡単。反対側にパタンと返して差し込めばいい。
後はアメピンで後れ毛や不安な部分の固定をしっかりして完了だ。
こんなふうに、コツを掴めれば超楽に髪が綺麗にまとまる。
ちなみに、シンプルな一本かんざしでもできるよ。
お手軽なので、私もプライベートで髪が邪魔な時によくやっている。
「いかがでしょう?」
鏡を持ってきて、大政所様に見ていただく。
お夏ともう一人の侍女に手伝ってもらって、三枚の鏡で三面鏡みたいな感じにしてだ。
「ん! こりゃあええね!」
頭を左右に動かして確認する大政所様が、きゃあっと明るい声ではしゃぐ。
「頭皮が痛いことはございませんか」
「ないよ、良い具合や。
これ、解けてこんの?」
「ご案じなさらずともよろしゅうございますよ。
髪をかんざしでしっかり留めておりますから」
「はぁ、よう考えてあるのねえ」
「うふふ、では仕上げとまいりましょうか。
飾りのかんざしはこちらでいかがでしょう?」
イチオシのマジェステを、大政所様にお見せする。
私の手元を、大政所様と旭様が覗き込む。
よく似た目元が、ますますそっくりな丸になった。
「……これは、螺鈿?」
「左様です。黒漆塗の飾り板に、
花の模様を螺鈿で入れさせました」
「棒の方についとる白い珠も綺麗やなあ」
大政所様が、マジェステのスティックを手にうっとりなさる。
うふふ、好きだと思った。にこにこで正体を教えて差し上げる。
「こちらは真珠ですね」
「「はぁ!?」」
「まあ、模造品ですけど」
愕然とするお二人に、にやりと笑って説明する。
スティックの装飾は、大きめのパールだ。
言っておくが、ガチの真珠ではない。
綿でできたコットンパールである。
コスメの材料として、パール材のグアニン箔を開発した副産物だ。
グアニン箔とは魚のタチウオの体表をおおう、銀色にきらめく素材だ。
タチウオの表面を擦って水に落とし、攪拌して濾して、消毒用アルコールで洗う。
そうして乾燥させてよく挽いたらできあがる。
アイシャドウやフェイスパウダー、それからリップにきらきらのパール感をもたらしてくれる貴重品だ。
模造パールの塗料としても使えるので、コスメに使った余剰で、私の工房でコットンパールを試作してもらっている。
コットンパールの作り方ははわりと簡単でね。
ざっくり言うと、グアニン箔を溶いて色味を調整した糊で、綿を丸く成形して塗り固める。
それだけでできる、わりにお手軽な模造真珠だ。
本物の真珠とは別物感があるけど、本物の真珠にはない温かみと柔らかさが出て美しい。
ついでにローコストで軽い物なので、今後アクセサリーの材料として大活躍するはずだ。
今回は一番出来の良いコットンパールを使って、大政所様用のマジェステを作らせました。
「……あなた、本当に、女童なの?」
語り終えた私に、旭様が珍獣を見る人のような目になる。
良い線突いてくるね、旭様。大正解です。
ガワは数えで九歳のお与祢だけど、中身は四百年後に生きていたアラサー美容オタクだよ。
「女童ですよ」
でもそんな荒唐無稽な真実を言えるわけがない。
だから、こうお返事する。
「同時に、北政所様の御化粧係でもありますので」
不可能を可能にするのがお仕事なんでーす!
ってことで、今は許してくださいな。
信じられない顔の旭様に、私はにっこりと微笑みかけたのだった。
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