聚楽第の御化粧係【天正15年9月〜】

鸞は旅立つ、都の華へ【天正15年9月17日】



 京の都に、城ができた。

 場所は大宮通と一条大路の交わるあたり。

 神泉苑からも、そう遠くないところ。

 何町にも渡って広がる敷地には、数多の御殿が建ち並び、白と金の天守がきらきらしい姿を誇っている。

 堀の外には大名屋敷。天下人の威光に服した日の本中の武家たちが、城を守るようにその邸宅の甍を並べている。

 史上稀に見る壮観な光景で、さしもの都人たちすら唖然とさせる。




 その城の名は、聚楽第。


 主人の名は、関白豊臣朝臣羽柴秀吉。




 これぞ天下人が築いた、日の本を統べる政庁である────







 とか言っても、うちの京屋敷の近所なんだけどねー。

 都に戻ってから気付いたよ。あの近所の、頻繁に工事してた大規模エリアが聚楽第だって。

 ちょっとしたお子様には危険なエリアだったんだよ?

 毎日のように大きな石とか材木とかがいっぱい運ばれていて、いろんな人が頻繁に出入りしまくっていた。

 だから、あそこには近寄るなって母様をはじめとした近隣の大人は、子供たちに散々口を酸っぱくしていたのだ。

 下手に近づいて事故や誘拐に遭ったら、絶対洒落にならんからって。

 まあそれは百歩譲っていいんだけど、騒音にはいっつも迷惑してた。

 朝から日が暮れるまで、とにかくしょっちゅううるさかったんだよ。

 大工仕事の音はもちろん、現場の皆さんの怒声罵声掛け声荒っぽい注意喚起のオンパレード。

 おかげで昼寝はしにくかった。午後のまったりタイムをぶち壊される日もかなりあった。

 今日こそは怒鳴り込んでやろうかって、何回思ったことか。

 そんな迷惑な建設工事の現場が、天下人の都の城とはね。

 勢いに任せて怒鳴り込まなくて、本当によかった……




「与祢、どうしたの?」



 はっと我に返る。母様が私の帯を結びながら、顔を覗き込んできた。



「帯、きつく結びすぎてる?」


「あっ、ううん! そんなことは!」


「ふふ、ならどうしたの。ぼんやりしちゃって」



 母様がくすくす笑う。

 マスタードイエローに銀刺繍の帯を可愛らしく整えて、今度は小袖の襟の調整を始めた。



「ちょっと大きかったかしら」


「そんなこともないでしょ」


「袖が長いような気がするのよねえ」


「着てたらそのうちちょうどいい塩梅になるって。

 私の体、すぐに大きくなるんだから」



 成長期の子供の服なんて、ちょっと大きいくらいでいいんだよ。

 去年に堺でおりきおば様に買ってもらった小袖なんて、もう着れなくなっちゃってるんだもの。

 この赤みがかったアプリコットピンクの小袖だって、すぐにダメになるに違いない。

 服代がかさむなあ、子供の体。

 合成ウルトラマリン関連の利益のお裾分けで、山内家のお財布が潤沢じゃなきゃ大変だった。



「本当にね、私と伊右衛門様に似たらずいぶんと大きくなっちゃうでしょうね」


「そしたら着物に困るねえ」


「いいじゃない、与祢が古着なんて着る必要ないんだから」



 そのつど合うものを仕立てれば良いわ、と母様は言ってのける。

 おお、お金持ちの親な思考だ。実際うちはお金持ちなんですけど。

 ちゃんと父様も母様も、基本的に自制心を持って成金な振る舞いはしない。

 家計のやりくりは堅実かつ適切で、家臣団への俸禄の払いや福利厚生にもちゃんとお金を使っている。

 領地経営にも、しっかりお金を突っ込んでいるみたいだ。

 さすが私の両親。後の幕末まで続く一国一城の主とその妻だけあって、とても上手に家を切り回している。

 でも、私や弟たちの衣食住や教育に関しては別なのだ。

 手加減無しの全力で、莫大なお金とコネを投入してくる。

 実に親馬鹿。松菊丸が甘々お馬鹿なボンボンにならないようにしてよね……?

 将来土佐をもらったのに馬鹿殿すぎて改易されましたとか、マジで寝覚が悪いから。

 


「さ、できたわよ」



 ポンと軽く母様が私の胸元を叩く。

 回ってみるように言われて、その場で一回転する。

 長めの裾がふわりと円を描く。大きな花のようでとっても綺麗だ。

 自然と口元が笑みに変わってしまう。

 母様も、控えている母様の侍女やお夏たちも、みんな満足げに笑っている。

 晴れやかな気分が胸を満たして、体から溢れ出しそうな心地だ。



「どう?」


「完璧よ! さすがわたくしの与祢だわっ!」



 ぎゅっと母様に抱きしめられる。

 いつもながらの激しいハグだ。少し苦しいけれど、私も力いっぱい母様を抱きしめ返す。

 今日が過ぎればしばらくはお預けになるんだもの。

 たっぷりと母様を補充しておかなきゃね。ホームシックになっちゃうかもしれないし。



「奥方様、姫様」



 佐助が部屋の入り口に現れる。

 いつもよりぱりっとした服装で、髪もびしっと結い上げた頭を恭しく私たちに下げた。



「駕籠の準備が整いました、出立の刻限でございます」



 母様と顔を見合わせる。

 目を合わせて、じぃ、と言葉の要らない会話を交わす。

 先に笑ったのは、母様だった。私の手を取って、立ち上がる。

 私も笑って、手を握り返した。少しだけ、強めに。



「では、参りましょうか」


「「「はっ」」」



 母様の声に従って、佐助や侍女たちが深く首を垂れる。

 さらさらと打掛の衣擦れを零して、母様が廊下を歩き出す。

 二、三歩ほど後ろに、佐助たちが続く。

 母様に手を引かれる私は、しっかりと前を見て歩く。

 まだほんのりと夜の名残りの闇をわだかまらせた、長くて静かな廊下。

 夜明け直後の青い空気を漂わせ、そここに朝露を宿す庭。

 ゆっくり進む私に、どこか寂しげな顔で平伏する家臣や使用人たち。

 見慣れた屋敷のすべてが、今日でいったん見納め。

 次に帰れる日は半年後だから、一つもこぼさず目に焼き付けておく。


 玄関近くにたどり着くまでは、あっという間だった。

 

 随伴してくれる護衛たちや、駕籠を舁く者たちで賑々しい。

 見送りに出てきてくれている者も大勢だ。

 お祖母様や康豊叔父様、丿貫おじさんに乳母が抱えた弟たちの姿も見える。



「おまたせいたしました」



 母様の声で、みんなが振り向く。

 すぐさま近しい家族が、私と母様の側に来てくれた。

 お祖母様が丿貫おじさんに支えられながら身を屈めて、私と目を合わせて微笑む。

 


「与祢、体に気を付けなさいね。無理などせぬように」


「はい、お祖母様」


「秋が来たらすぐ冬や。朝晩は十分にあったこうして過ごすのやで」


「丿貫おじさんたら、わかってるよ」



 皺の多いお祖母様と丿貫おじさんの手が、交互に私の髪を梳く。

 この人たちはわりと最近仲良しだ。私という孫と茶の湯が共通の話題らしい。

 老夫婦というよりは、近所の友達みたいな感覚で一緒にいる。

 私が家を空けても、ちょっとは寂しくないはずだ。

 心の中で安心していると、康豊叔父さんが弟たちを抱えてしゃがんでくれた。



「松菊丸と拾丸にも挨拶をしてやりなさい」


「うん、叔父様。松菊、拾、姉様がいなくても、どうか健やかに。

 次に会えるの、楽しみにしているからね」



 目を覚ました拾が、あう、と声を上げる。

 もちもちの手が、隣の松菊丸の頬に当たった。

 ちっちゃな指がむにむにと動く。起こすようにくすぐられて、松菊丸のおめめがぱちっと開いた。

 お目覚め早々、松菊丸がむきゃーとうきゃーの中間みたいな大声を出す。

 至近距離でくらって思わず身を引く。心臓がちょっと縮んだんですけど!

 ビビる姉の私をよそに、松菊丸はすっきりした顔をしている。ぐずったわけではなさそうだ。

 あんたなりの別れの挨拶かよ……この赤ちゃん怪獣め……。



「これ! 松菊丸! 変に姉上を脅かすでないぞ、まったく」



 うごうご暴れ出す松菊丸を器用に抑えながら、叔父様がチベスナ顔になる。

 そういや叔父様、なりゆきで二人の傅育を任されているんだったな。心中はお察しします。

 こないだも突然ハイハイを開始した松菊丸の進撃に、めちゃくちゃ振り回されてたもんね。



「めちゃくちゃ元気でなによりだけど、この子っていつもこうだよね」


「拾丸の大人しさを見習ってほしいものだがな」


「言えてるけど、まだ言い聞かすのも見習わせるのも難しいと思うよ……」


「そうかぁ……赤子だもんなぁ……」



 がっくりと叔父様が肩を落とす。

 育児、がんばってくれ。私は仕事をしながら見守っているから。

 近いうちに松菊丸を大人しくさせられるようなおもちゃでも考えて、作らせてみようかなあ。



「家のことは気にせずとも良いのだぞ」



 そんな私の思考を読んだ叔父様が、ため息まじりに言った。



「与祢には大事な御勤めがあるのだ。しっかりと専念してまいれ。

 それが家のためになるし、お前のためにもなるのだからな」


「はい、叔父様。心掛けます」


「よろしい。たまには文も書いてくれよ」



 叔父様の小さなお願いに頷いて応える。

 嬉しそうに笑って、叔父様はゆっくり立ち上がった。

 弟たちを抱えたまま、お祖母様と丿貫おじさんとともに道を開ける。


 開けたその向こう。玄関の間に、父様がいた。



「では、参ろうか」



 ふっくらとした頬を緩めて、父様が手を伸ばしてくれる。

 母様に促されて、私はその大きな手を取った。

 支えられながら、新調したばかりの草履に足を通す。

 母様も私に続いて、父様に支えられて草履を履く。

 親子三人で、ゆっくりと玄関を潜る。



「姫様、ご息災で!」


「いってらっしゃいませ!」


「お体にお気を付けてっ」



 見送りの家臣や使用人から声が飛ぶ。

 駕籠の前で、そっと玄関を振り返る。

 みんな私を大事にしてくれた人たちだ。ほんのりと、目頭が熱い。

 ず、と小さく鼻を鳴らして、息を吐く。



「みんな! いってきます!」



 手を振って、佐助の手を借りて駕籠に乗り込む。

 布団に背を預ける私を確かめてから、佐助が駕籠の戸を閉めた。

 外のざわめきが、遠くなる。いよいよだ。





「出立!」




 父様の声が、響く。

 私を乗せた駕籠は、一拍遅れてゆっくりと動き出した。






 やってまいりました、城奥へ上がる日!


 期待と不安を胸に押し込めて、私は山内の京屋敷を旅立つ。

 すぐ側の聚楽第に入ったら、私は北政所様の御化粧係。

 何が待ち受けているかなんて、まだわからない。

 でも、きっと、楽しいことがたくさんあるはず。

 煌びやかなお城で、寧々様を笑顔にするのがお仕事だもの。

 悪いことが起きるわけ、絶対無い。

 ぐっと拳を握りしめて、小さく気合いを入れる。





「がんばるぞーっ」


「姫様、今日くらい騒がんでくださいね」



 外に聞こえてますよ、なんて佐助の注意が、駕籠の外から飛んでくる。



 ゔぁ、やらかした……はずかし……。



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