城奥入り(1)【天正15年9月17日】
感動じみた旅立ちをしておいて、ひとつ白状しておくことがある。
山内の屋敷、実はびっくりするほど聚楽第に近い。
それもそのはず、屋敷がある場所は下立売通という通り沿い。
聚楽第の南外門から見て、右手の真横にあるのだ。
山内家が小大名にも関わらず、こんな好立地に屋敷を持つことを許されている理由は単純。
堀尾のおじさんちとうちを含めて、通りに面した並びで五軒くらいかな。
羽柴家の後継者を支える重臣の社宅街っていうか、そんな感じのエリアになっている。
令和で言ったら、大企業のオフィスビルから徒歩五分くらいの高級高層マンションが社宅、みたいなノリかな?
駕籠に乗ってぞろぞろ供を引き連れて、ゆっくり行っても五分とかからないんだよ。
私も父様と一緒に通いでも良いんじゃ? って一瞬思うが、私の仕事が仕事だ。
住み込みでなければちょっと難しい仕事なので諦めた。
まあ、それでもうんと近くに実家があるには変わらない。
手紙をメッセージアプリ感覚で出せるので、大坂にいた時よりは寂しさはないよ。
母様だって、大坂城よりもずっと気軽に聚楽第へ遊びに行くよって言っていたしね。
うん、思っていたより気が楽だ。よかった、よかった。
駕籠の中でぼへーっとしている間に、私たち一行は聚楽第の門を潜って敷地内に入った。
中がまた広いから、指定された御殿まで駕籠で乗り付ける。
本当は門を入ってすぐで降りなきゃならないらしいが、今回は特例だ。
私が疲れないようにって、寧々様が特別通行許可証を発行してくれた。
VIP待遇、ありがとうございます。
言っちゃなんだが、世の中コネだな。あとお金。
現在の私はわりと両方兼ね備えているから、最強に近いのでは無いだろうか。
揺られていた駕籠が、やっと止まった。どうやら目的地へ辿り着いたらしい。
ややあって、駕籠の戸を開く。座ったまま待っていると、佐助が手を差し伸べてくれた。
指の長いそれに手を置いて、白い砂が敷かれた地面に降りる。
そこは、瀟洒な御殿の正面玄関だった。
黒い甍に白い壁。あちらこちらに金の装飾があって、質の良い材木の香りがまだ濃い。
しかも、玄関先から畳敷きだ。天正の世は、まだまだ畳が高級品である。
それをふんだんに敷けるのは、ハイセレブの証。
すっごいお屋敷だ。さすが天下人。令和に残っていたら重文とかになっていそうなレベルじゃん。
大坂城で豪華絢爛には馴れたつもりだったが、魂を抜かれる気分を味わってしまう。
大坂城に似合う言葉は壮麗。
天下無双の武家の城という風格は、翼を広げて天を舞う鷹のようだった。
対して聚楽第は、華麗の一言に尽きる。
雅やかで、艶やかで。ぱっと咲き誇る牡丹をイメージさせる華がある。
武家にして公家。
豊臣秀吉という天下人の二つの側面を、二つの城がはっきりと反映している。
気付いたことの途方もなさに、思わず感嘆が口からあふれた。
「姫様」
佐助に呼ばれて、視線を下ろす。
玄関の側で、父様たちが私を見ていた。
佐助にエスコートされて、足を踏み出す。
後ろにお夏と数名の侍女が続く。
ゆっくりと、一歩ずつ。白い砂を踏みしめて、立つ細やかな足音を耳に、歩いていく。
距離にして二十歩くらい。たったそれだけで、たどり着いてしまう。
佐助の手が、私の手を離す。
「俺はここまでです」
膝を突いた佐助が、軽く頭を下げてくる。
えっと思ったが、すぐ理解する。
私がこれから向かう先は城奥だ。外部の男性の出入りは厳しく制限されている。
大坂城の中奥に出入りしていた時のように、佐助を連れては行けないのだ。
うっわ、忘れてた。しばらく会えないメンツの中に、今まで一番側にいた佐助が含まれるだなんて。
不意打ちに動揺していると、にっと佐助が笑った。
「そんな顔やめてくださいよぉ、姫様らしくもない」
「いやでも……」
わりと寂しいんだぞ。
護衛とか家臣とか言いながらも、私にとって佐助は気安い従兄弟のおにーちゃんみたいな存在だった。
ちょっとくらいしょんぼりしたっていいじゃないか。
自然と眉が寄ってきてしまう。頭も萎れたように俯いてしまう。
佐助も佐助で堪えるような顔をしている。
なんだ。あんただって一緒じゃん……としんみり思ったら。
「ぐっ、ぶ、ふふ、はははっ!」
佐助が、吹き出しやがった。
「さ、佐助?」
「やばい、無理だ。姫様すんませ、はははははっ!」
「ちょ、あんた急になんなの!? なに笑ってんのよ!!」
「いやだって、しおらしい姫様とか。くくっ、だめだ。
珍しすぎて笑えるー、ふはっ」
なんだこいつ! なんだこいつ! ふざけてんの!?
感動っぽいシーンをぶち壊すほど空気が読めないやつだったっけ!?
センチメンタルを爆破された怒りを込めて、力いっぱい睨みつけてやる。
すると佐助は涙の滲んだ目尻を親指で拭って、ネタバラシをしてきた。
「俺、城奥にはついて行きませんけど、三日に一度はここへ来ますよ」
「は?」
「姫様の御用聞きです。お方様から聞いてません?
奥勤めの不足がないよう、小まめに使いをやるって」
それが俺、と自分を指差して佐助がにたりと片頬を持ち上げる。
待って待って、なんかその話、聞いたような。
一昨日私がアイシャドウ作りに夢中になってる時に、母様が言ってた、ような。
すっかり……忘れてたわ……。
私の間抜けづらに佐助は肩を震わせながら、手を握ってくる。
「だから心配ないですよ、佐助はいつでも姫様のお役に立てますから」
「……ありがと」
「はい、ではいってらっしゃいませ」
「はぁ、いってきます?」
最後まで佐助のペースに巻き込まれたまま、別れの挨拶を交わす。
どうせ三日後にまた顔を拝み合うのだから、情緒もへったくれもない。
シリアスって、なんだったっけ。
◇◇◇◇◇◇
駕籠を乗りつけた御殿は、大坂城でいうところの中奥に当たる場所だった。
羽柴家の家臣団が政務や外交を行う城表。
寧々様が取り仕切るプライベート空間の城奥。
中奥はその中間地点で、秀吉様の御座所だ。
基本的に日中は秀吉様はここで政務を行なって、大名や官僚との面談などをなさる。
城の主人が常駐する場所なため、城奥の人間と城表の人間が入り混じって働く珍しい部署でもある。
城表と城奥は表裏一体だからね。連絡連携を取るには欠かせない場所なのだ。
そういう性質であるから、手続きを踏めば外部の人間と城奥の人間が面会することもできる。
城主の目があるとこで滅多なことは起こさんよね? ね? ってことだね。
だから今日のように、男の父様も堂々と入れるわけなのだ。
「こちらへどうぞ」
出迎えと案内役は、いつもお馴染み孝蔵主さん。
私たち山内親子を先導して、座敷の一つに通してくれた。
そこは大坂城の中奥の間と広さは変わらない座敷だった。
しかし内装はまったく雰囲気を異にしている。
目が眩むような、途方もない豪華さなのだ。
畳は青く、真新しい藺草の匂いを立てている。
欄間に柱を彩るのは、技巧を凝らした精緻な細工の数々。
調度はどれもこれも金銀と螺鈿で朝日を浴びて輝いて、襖には極彩色の絵が並べられている。
唖然とする。想像を超えるド派手さだ。ちょっと目がチカチカする。
母様に手を引かれて、父様の斜め後ろに並んで座る。
用意された敷物が柔らかい。綿を打った絹製だ。お金かかりまくりじゃん……。
落ち着かない気持ちで前を見る。
最初に寧々様とお会いした時のように、上座が一段高くなっていた。
段のすぐ上には御簾が止められていて、少し奥には錦の敷物と脇息が並んで二つ。
あれが、誰の席かは言うまでもない。
前々から、予告はされてはいた。寧々様が直々に説明してくれたから、予定変更になることはまず無いはずだ。
ご挨拶するのは筋だってこともわかっている。
今日は入社式みたいなものだ。社長の訓示を受けるのは当たり前のことである。
でも、でもね。緊張するのは許されたい。
だって会う人が、会う人だよ!?
小中高の日本史の教科書にばばーんっと名前が出ててるビックネームの!
日本に住んでたら知らない人を探す方が難しい、めちゃくちゃな知名度の!
例のあの人と対面とかっっっ!!
胃が、心無しか痛い気がしてきた。喉もからっからになりつつある。
平然とお喋りしている父様と母様の、肝の太さが羨ましい。
この人たち、マジで緊張感のかけらもない。あまりにもいつもどおりだから戸惑うわ。
ここ、聚楽第だぞ? 天下人の新築大豪邸よ?
雰囲気に飲まれるとか、オーラに圧倒されるとか無いの??
最終的に大勝利で乱世を走り切る人間の度胸って、とんでもないんだな……。
私も父様たちに似たかった……。
「対馬守様」
緊張回避のために半分意識を飛ばしていたら、孝蔵主さんが戻ってきた。
座敷の手前で手をついて、父様に軽く頭を下げる。
「まもなく関白殿下、ならびに北政所様が参られます」
「承知いたした」
父様が頷いて、畳に拳を付く。
まだ空の上座に恭しく頭を下げる父様に倣って、母様と私も指を付いて首を垂れる。
ドキドキか高まってきた。息が浅くなってくる。
「与祢」
吐息のような、細やかな声に呼ばれる。
そろりと、目だけで横を見る。母様も、横目を私に向けていた。
「大事ないわ」
ぱち、と片目を瞑って、母様が微笑む。
過剰な緊張が、すぅ、と私から抜けていく。呼吸が元に戻って、落ち着いていく。
母様が大丈夫っていうなら、大丈夫だろう。
そう思えるだけで、私は私を取り戻せた。
衣擦れの音が近くなってきても、もうドキドキは跳ね上がらない。
普段通り、とまでは行かないけれど、大人しく頭を下げて上座に人が入る気配を感じていられた。
「殿下、北政所様。
山内対馬守様、ならびに御令室様と姫君にございます」
孝蔵主さんの声が、座敷の空気を凛と振るわせる。
父様がぐっと、さらに深く頭を下げた。私と母様もそれに倣う。
ややあって、初めて耳にする男性の声が響いた。
「おもてを上げよ」
変に芝居がかった、というか大仰なセリフを言っているかのような許しだ。
すぅ、と息を一つして、父様と母様に合わせて顔を上げた。
もたげた視界が広がって、上座が目に入る。
そこには、にこやかな寧々様の姿があった。
お元気そうだ。引っ越しのために一〇日会えなかったから、お姿を見れただけで妙にほっとする。
だがそんな和んだ気持ちは、寧々様の隣の人の姿で吹き飛んだ。
寧々様の隣にいたのは、小柄なおじさんだった。
歳のころは、父様と与四郎おじさんの中間くらいか。
並んで座る寧々様と同じくらいの背だけれど、華奢という印象はない。
肌が浅黒くて、意外にもがっしりした手足と肩幅のせいだろうか。
アスリート体型、って言えばわかりやすい?
前世で見た世界陸上に出場して優勝していた、小柄な長距離ランナーを彷彿とさせる人だ。
不意に、ぎょろりと表現するのが似合いすぎる大きな目が、私の方へ向く。
失礼のない程度で様子を窺っていた私と、ばちんと視線が合った。
大きな目の、大きな瞳が私を映す。
目が逸らせなくなった。息も止まった。
昔与四郎おじさんに向けられた、探る目に似ていてどこか違う目に囚われる。
時間にして、一秒か二秒だったはずだ。
でも、長時間見つめられたような落ち着かなさが湧いてくる。
どうしよう。どうしたらいい。思考までがゆっくり止まりかけてくる。
「おう、それが伊右衛門の掌中の珠かぁ」
奇妙な睨めっこを終わりにしたのは、相手の方だった。
先ほどと打って変わったひょうきんな調子で、小さな顔をくしゃっとさせる。
たったそれだけで、印象ががらりと変わった。
人懐っこさと、きらきら眩しい朝日のような雰囲気が溢れる。
つられて詰まっていた呼吸が、するっと肺へ抜けた。
思わずきょとんとしていると、相手が敷物から立ち上がる。
周りが止める間もないほど素早く、大げさなくらいの足音を立てて近づいてくる。
私の真横に雑な動作で座ると、楽しげに顔を覗き込んできた。
間近で顔を寄せられて、ひぇ、と喉が鳴る。
そんな私が面白かったのか、相手はけらけら笑い出した。
「秀吉じゃ、よろしくな」
挨拶とともに、指のやたら長い手が伸びてくる。
ぽんぽんと、軽く頭を撫でられる。
そのさまはまるで気安い近所のおじさんそのもので、私の思考は完全停止した。
この天下人、なんか、フレンドリーすぎでは……?
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