人に仕えることの意味(3)【天正15年7月下旬】

 お茶は城の侍女さんに用意してもらえた。

 屋敷から持ってきた塩サブレも、ちゃんと数があった。

 面倒そうな石田様は福島様が担いで来てくれた。

 北政所様のお戻りはまだまだっぽいので、時間に余裕もある。


 ばっちり。タイミングも捕まえた人も完璧。


 あとは自然に、私が知りたいことを聞けばいい。

 『人に仕えること』の意味について、この福島様と石田様なら知っている可能性が高いのだ。

 だって彼らは、不世出の大出世を果たした天下人の家臣。人たらしとかカリスマすごいとか現代でも言われる豊臣秀吉に仕えているんだもの。

 ど真ん中な答えではなくても、きっと有益な回答はしてくれると信じたい。いや、信じさせて。頼むから。

 これ以上話を聞ける相手がいないんだよ……頼むよ……。




「美味いな、これ」



 狐色をした長方形のサブレ。それを一つ、福島様が大きな口に放り込んで、目を丸くする。



「お口に合いました?」


「おう! 塩辛いし、歯ごたえもあるしでいいな。酒が飲みたくなってきたわ」



 ですよねー。もう一つほおばりながら言う福島様には完全同意だ。

 これはお酒が欲しくなるタイプのお菓子だよね。

 私も子供じゃなければ一杯やりたいよ。めちゃくちゃストレスが溜まってるんだもん。令和の頃なら絶対毎晩晩酌してたレベルだわ。

 ま、気に入ってもらえたんなら嬉しいし、持って帰ってもらおっかな。

 そう思ってお夏に塩サブレを四、五個ほど包ませる。お家で晩酌用にしておくれ、福島様。

 


「お口に合ったなら、これどうぞ。持ってってくださいまし」


「気ぃ使わせてわりぃな! ありがとな!」


「まふぇまふぇまふぇ、ひょっとまふぇ!!」



 私の手から、福島様に差し出そうとした塩サブレの包みが奪われる。

 犯人は口いっぱいに塩サブレを詰め込んだ石田様だ。すんごい顔で唖然としている福島様と私を睨んでいる。

 あんたなにやってんの。食い意地張りすぎでしょ。塩サブレ、奪いたくなるほど気に入った?



「佐吉なにやってんだよ、お前ほっっっんとそういうのやめろよなぁ」


「石田様、福島様の言うとおりですよ。

 そういうのとっても失礼だからやめた方がいいですよ」



 ため息まじりに福島様と私が注意すると、石田様が目を怒らせて首を横に振った。

 何が言いたいんだ、この人。通訳の紀之介様を誰か呼んできてほしいわ。

 呆れて睨み返すと、石田様は口の中の物をむぐむぐすごい勢いで飲み込んだ。

 最後に流し込むためか、お茶をがっと飲み干す。

 それから私の肩をいきなり掴んできた。



「うわっ!? 何するんですか!」


「山内の姫、お前は本当に軽率だな。

 市松に酒のアテを与えるなど、正気の沙汰ではないぞ」


「は?」


「この馬鹿は酒乱なのだ、呑むと大惨事ばかり起こす。

 酒呑童子と良い勝負の、天災まがいの蟒蛇うわばみ馬鹿なのだ」



 福島様が酒乱? 体育会系にありがちな雑っぽさはあるけど、普通に良い人なのに??

 お話しした感じ、わりと良識ありそうなんだけど。少なくとも石田様より突飛ではないし。

 呑むと性格が変わるタイプってことなのかな?

 きょとんと福島様を見ると、バツが悪そうに目を逸らされた。



「佐吉よぉ、何もそこまで言わんでもいいだろ……?」


「呑む度に某や紀之介や虎之助に散々尻拭いさせておいてよく言うわ。

 だからお前はいつまでたっても馬鹿松なのだ」


「いやだから馬鹿馬鹿言うなって。

 いっつもお前らにはわりぃなって思ってんだからよ……」


「思うだけではなく反省しろ、馬鹿が」



 視線を斜め上あたりに彷徨わせながら、福島様が石田様に文句を言う。

 あっ、自覚があられるご様子だ。石田様の正論爆撃をまともに食らってるのに、明らかに口調の腰が引けてる。

 マジかー……石田様が大げさってわけじゃないのか……。

 この時代の被害甚大系の酒乱って、控えめに言ってもかなりやばいのでは?

 常に刀とか携帯しちゃう時代だもの。酔った勢いで喧嘩通り越して斬り合いとか洒落にならないよ。



「……じゃあ、お土産は無しにさせていただきますね」


「そんな!」


「いやほんとすみません」



 福島様が悲壮な顔で見つめてくる。

 ものすごく罪悪感があるが、仕方ないんだよ。酒乱な人にお酒を飲むきっかけを与えるのは、ちょっとどころでなく気が引けるんだって。

 恨むなら暴露しちゃった石田様を恨んでください。



「まったく馬鹿松め、未練がましいぞ。これは某がいただくからな」


「なんで当たり前みたいな顔して横取りしてるんですか」



 ナチュラルに略奪を達成するとか大人のやることじゃないよ、石田様。

 私の視線が痛かったんだろう。むくれた石田様が目を逸らして鼻を鳴らす。



「横取りではない。兵糧に良さそうなものだから、調べるために食うのだ」



 もっともらしいこと言ってるけど食べるんじゃん。

 食べ物の恨みって恐ろしいんだからやめた方がいいと思うんだけどな。

 福島様の顔が恨みですんごいことなってるよ? 気付いてる?



「とりあえずそれ、福島様に返してあげてください」


「お前、某の話を聞いていなかったのか?」


「ここでお茶と一緒に食べてもらうならいいでしょう?

 その菓子のことを調べたいなら、材料と作り方を手紙で送りますから」


「む……」



 だから口を尖らせるんじゃない。

 大の男なのにその顔はやめてほしい。ちょっと似合うのがむかつくから。

 福島様の期待の目が痛いし、もう一押しいっとくかな。



「おまけで日持ちする食べ物、もう一つか二つ教えますから」


「しかたない! では返すがここで食べろ、市松!」



 必ずだぞ! と言いながら、石田様はあっさり福島様に包みを渡した。

 切り替え早すぎでしょ、この人。単純に釣れてよかったけどさ。



「姫さんありがとな……!」


「いえいえ、今日のところはお茶で我慢してくださいね」



 お代わりのお茶を頼みながら、福島様に愛想笑いをしておく。

 やっぱり素直で悪い人ではないっぽい。酒乱はわりと洒落にならない不安要素だけど。

 ……私には問題なさそうだからいいか。

 幼い姫が成人男性の飲み会に同席する機会はない。私と酔っぱらった福島様と鉢合わせることなんて、絶対に無いでしょ。それなら大丈夫、大丈夫。



「それにしても、佐吉の扱い方が上手いな。紀之介みたいだぞ」


「えへへ、そうですか?」



 不意打ちの褒めに、全力で照れてしまう。

 福島さまったらもう、良いこと言ってくれるわ。好きな人と似てるってちょっと嬉しくなっちゃう。



「ほんとほんと、まじめにありがたいから礼がしたいくらいだわ」


「あっ!」



 福島様の言葉に、本来の目的を思い出す。慌てて私は、福島様たちの方へ向き直った。

 そうだった。人に仕えることについて、訊きたいんだった!

 石田様のせいで忘れちゃうとこだったよ。思い出させてくれて福島様には感謝だ。

 



「お礼とおっしゃるなら、一つお教え願いたいことがあるのですがよろしいですか?」


「いいけど、おれはあんま頭良くねぇぞ?」


「そうだぞ、こいつは馬鹿だから難しいことは訊いてやるなよ」


「佐吉は黙ろうな。姫さんが話しにくいからな」



 福島様の拳が軽く石田様に入る。わぁ、良い音。石田様が頭を抱えて静かに痛がっているとか相当だな。

 沈んだ石田様を横目に、福島様がどうぞどうぞ、というふうな手振りをした。

 いけない。気を取り直さないと。軽く深呼吸をして、背筋を伸ばす。

 私の様子に、福島様も真面目な話と気付いてくれたらしい。胡坐を組み直して、聞く姿勢になってくれる。

 よかった。冗談半分とか、子供扱いとかされなさそうだ。安心をして、聞きたかったことを口にする。




「───人にお仕えするとは、どういうことでございましょうか」




 その後はできるだけ簡潔に、でもしっかりと私の置かれた状況と、父様に出された課題についてお話した。

 福島様はちゃんと聞いてくれた。途中で石田様も復活したけれど、意外にも茶々を入れては来なかった。

 石田様、あんた人の話を聞く耳を持ってたのか。ちょっと感動したよ。いつもそれなら福島様も紀之介様も苦労しないのにな。



「寧々様の、化粧係かぁ」



 話し終えて、乾いた喉をお茶で潤す私を見ながら、福島様が零した。

 私を映す目の色が、途方もないものを見るようなものに変わっている。驚いているのか、信じられないのか。どっちとも付かない雰囲気だ。

 気持ちはわかる。私だって自分のことじゃなければ信じられないと思う。

 だって八歳の姫君が奥仕えなんて普通じゃない。それも天下人の正室の御化粧係に誘われているなんて、ありえないにもほどがある。



「私も戸惑うところが大きいのです。いまだにはかりかねるところもございますので」


「何がはかりかねず、何が不満なのだ?」



 石田様が怪訝そうに眉を片方跳ね上げる。



「お前は寧々様に望まれたのであろう、ならば返事は是しかないだろうが」



 その声は、心底理解できないという響きを宿していた。

 うん、この人にはこう言われると思ってた。凡人の都合など知ったこっちゃない石田様だもんね。私の悩みなんてわかるはずもないか。



「佐吉、そういうのやめてやれ」



 福島様が、石田様のわき腹を小突く。呻いて小突かれた脇を押さえた石田様が、福島様を睨む。

 でも福島様は睨み返しも何もしなかった。髭を撫でるように、顎に手を当てて床を見つめている。

 一生懸命、私の話を咀嚼している。そんな感じがする。ややあって、福島様が口を開いた。



「佐吉よぉ、みんなお前みたいに即断即決できるわけじゃないんだわ」


「はぁ? 意味がわからぬことを言うな」


「おれも姫さんも、ふつーの人間なんだよ。お前ほど賢くねぇ、だから迷うんだ」



 な? と福島様が私に笑いかけてくれる。

 私は心から頷いた。そう、私は大した人間じゃない。

 だから大きすぎることを前にしたら、それを頭で理解できても、感情が後れを取ってしまう。自分の中での咀嚼が、追いつかなくなるのだ。

 頭が良すぎて、果断すぎる石田様にはきっとわかってもらえないだろうけれどね。



「姫さんの言いたいことはよぉっくわかった」



 福島様が、がしがし私の頭を撫でる。髪が乱れるからやめてほしいけど、嫌な感じはない。

 ごつい手の下から見上げると、にっと目を細められた。



「おれにも心当たりあるんだわ」


「心当たり、ですか?」


「おう、姫さんみたいな悩みにな」




 ちょっと、昔話でもするか。



 そう言って、福島様は茶碗の縁を指で弾いた。

 硬くて、澄んだ音がする。どこか、いつかを懐かしむような。そんなふうに聴こえる音だった。

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