人に仕えることの意味(2)【天正15年7月下旬】
ため息を飲み込んで、思い切って振り返る。
そこにいるのは、やっぱり昨年あった例のあいつだった。
「石田様、ご無沙汰しております」
石田治部少輔三成……様。
一応、様、つけとこ。うっかり呼び捨てるとやばいしね。
廊下で急停止したその石田様は、ぽかんと私を見てくる。
その作りだけは繊細顔に、ちょっとどころではない苦虫を噛み潰して微笑みかけた。
そんな珍しい猫か何か見つけた目をしなくてもよくない?
なんて思っていると、訝しげなお顔になった石田様が無遠慮に寄ってきた。
「伊右衛門殿のところの姫ではないか」
「はいそうですよ、お邪魔しております」
「お前何をしておるのだ。なんで城におる?」
挨拶すっ飛ばして職質かい。相変わらずストレートにくるな、この人は。
「北政所様にお呼ばれされて参ったのです。
お庭を拝見して良いとお許しも得ておりますよ」
「寧々様にぃ? なぜお前みたいな姫が呼ばれておるのだ??」
「あー……お話し相手というか」
「なんで子供のお前が? 話し相手なら母御の方が適任だろう。
それで母御はどこだ。また脱走したのか」
「いや今日は母様はいなくて。あと脱走してないですから」
「じゃあなんで一人でおるのだ、おい」
だからさ! そんな不躾にじろじろ見るのはやめてほしいんですけどね!
もーいやー、この人だけには会いたくなかったー。
羽柴家の重臣なんだから城内にいるだろうな、とは想像してたよ。
遭遇する可能性も低くはないなって、多少は覚悟をしていた。
でもさぁ、一対一で出遭っちゃうとは思いもしてなかったよ。
遭うなら遭うで佐助やお夏、あるいは孝蔵主さんとか第三者がいる場面がよかったわ。
佐助たちに止められなくても、めんどくさいが分散されてマシだったかもしれないのにっ。
それか紀之介様とセットで出てきてよ。石田様のめんどくささが中和されて良い感じになったはずなのにっ。
なんで一人で現れるんだこの人はっっ。
「佐吉ぃぃぃぃっ! いきなり走るんじゃねえっ!」
マシンガン職質に晒されてうんざりしていたら、遠かったもう一つの足音の主がやっと追いついた。
お腹に響く低い大きな声。石田様のとはまた違う意味で耳に痛い。
肩を跳ねさせると同時、ごつい手が私の目の前を横切った。
次の瞬間、石田様が横に引きずられる。お人形みたいに、あっさりと。
びっくりして顔を上げる。知らんマッチョがいた。
でっっっか! 与四郎おじさんと良い勝負だな!?
てか、ごっっっつ! 天正で見かけた人の中でも一番分厚いんですけど!?
なんなの、この人!?!?
「お前、こんなちっこい姫に絡んで何やってんだよ?」
「うるさいぞ馬鹿松! 別に某はこれに絡んでなぞおらん!」
「女に話しかけて女が嫌がったら絡んだって言われんだよ。
うちの嫁さんが言ってたから間違いねぇ。
あと馬鹿松はやめろって何度言わせやがる」
「い゛っっっ!!!」
呆然とする私をよそに、マッチョさんは口答えした石田様を小突く。あっ、頭軽く沈んだ。痛そう。
一応、マッチョさんは私を庇ってくれてる……ということでいいのかな?
お礼、言った方がいい感じか。突然のあれこれにビビりながら、あの、と声をかけてみる。
マッチョさんが振り返った。おお、威圧感が凄い。プロの格闘家とか目じゃない眼光じゃん……ひぇ……。
「あの、ありがとうございます」
「おう、わりぃな小さい姫さん。こいつ鬱陶しい野郎だけど、悪気はねぇんだ、悪気は」
「なんだその言い草は! 某を悪童のように言うな! 話を聞け馬鹿松っ!!」
「まじめにわりぃな。言い聞かしとくから、勘弁してやってくれよ」
頭をさすって口を挟んできた石田様の背中をぶっ叩きながら、マッチョさんが快活に笑って詫びてくれた。
おお、石田様が若干でも振り回されてる。すごいぞ、マッチョさん。
とりあえず石田様は置いておいて、ご挨拶もしとくか。
「申し遅れました、私は山内対馬守が娘にございます。
お助けくださり、重ねて感謝を申し上げます」
「ご丁寧にどーも。おれは福島左衛門大夫。
関白殿下の麾下で、この佐吉の同僚だ。不本意だけどよ」
ああ、石田様の保護者か。紀之介様と同じ枠なんだね、マッチョさんもとい福島様。
どうもどうもいえいえ、と私と福島様がやっていると、やっと被衣と草履を抱えた佐助が戻ってきた。
遅すぎるぞ、護衛。もうちょい早く帰ってきてほしかった。
そんな恨みを込めてじろりと見てやると、うんざりとした視線を返された。
「姫様、あんた、またやらかしたんですか」
開口一番でやらかしを疑うって、ひどくない?
まずは姫様ご無事ですかくらい言ってもよくないか、佐助よ。
冤罪でダメ姫扱いをされてはかなわないので、とりあえず言い訳してみる。
「……ちょっと、ワケがあるの。話せば長くなるわ」
「ワケってなんですか、知らん他所様を捕まえてからにもー」
だからそんな疑わしげな目で見ないでよ。
本当にやましいことはなんにもしてないんだって。今回は、だけどさ。
「おっ、こいつか。
昨年この山内の姫に堺で撒かれた、間抜けな護衛というのは」
あーだこーだ言い合う私と佐助の間に、遠慮無しな声が割り込む。
気付くと復活した石田様が、にょきっと福島様の横から顔を出していた。
「また懲りずにおてんば姫から目を離しておったんだな。
今度はなんだ、姫から言いくるめられでもしたのか?」
率直を通り越して剥き出しなことを言いながら、石田様は佐助をじろじろ観察し始める。
頼むから言葉を求肥とかオブラートとかで包め、石田様よ。
佐助の顔見て見なよ。こめかみがピクピクしてるよ。好感度が初っ端からマイナススタートになってるぞ?
ちらっと福島様が私を見下ろしてくる。
見上げる私は、ゆっくり、深く頷いた。やっちまいなー。
福島様の大きな手がにゅっと伸びて、石田様を佐助から引っぺがす。
ぐぇっと内臓が締められたみたいな音を石田様が出した。掴まれた袴の帯紐がお腹に食い込みでもしたのかな。
ちょっと静かになった隙に、福島様はぽかんとする佐助に話しかけた。
「お前がこの姫さんの護衛か?
すまんな、うちの佐吉が姫さんに絡んで困らせてたんだよ」
「え、うちの姫様、ほんとに何もしてないんですか?」
「おれが見つけた時はそこに良い子で座ってたぞ」
福島様が私の座ってたあたりを指差す。
佐助の目が私に向く。福島様の弁護を肯定するように、がくがく頷きまくった。
気まずげに佐助が目を逸らす。そして、小さい声で謝ってきた。
やっっっとわかってくれたか。信用無いな私。ここ一年はまあまあ良い子で過ごしてたんだが。
「福島様、ありがとうございました」
トラブルメーカーのそしりを免れてホッとしつつ、福島様にお礼を言う。
まともな大人の第三者がいてくれて大助かりだよ。
福島様は笑って、下げた私の頭を撫でてくれた。
「礼を言われるほどじゃねーよ」
「いやいや、本っ当に助かりましたよ?」
石田様から救ってくれた恩は地味に深いんだよ。
軽くできるお礼は何か……ああ、あれとかどうかな。
控えの間の荷物の中にあるはずの、クルミの塩サブレ。
小腹封じ用だからナッツざくざくのしょっぱい系だし、男の人もたぶん好きなタイプじゃないかな。
乳製品の代わりに、豆乳とごま油で作ったから、天正の人にとっても苦手感は出にくいと思う。
山内の料理人さんにレシピを伝えて一緒に試作した時に、味見した佐助たちにはご好評だったんだよね。
ちょうどいいから、お礼に差し上げちゃおうか。
「佐助」
「はいはい、なんでしょ」
「ちょっと控えの間に戻って、」
塩サブレを取ってきて、という言葉を口に出す直前で止める。
福島様と、石田様って……関白殿下の重臣だよね。
つまり、人に仕える立場の人。それも、私の身近にいないパターンの。
「姫様?」
「あのお部屋、城の侍女の方が控えてたよね」
「え、ええ、居ましたけど」
「では先に戻って、お茶をいただきたいとお伝えしてちょうだい。数は三人分ね?
それから
「は?」
突然の変更に、佐助の声が心持ち低くなる。
振り回してすまんなあ。でもこのチャンスを逃すわけにはいかないんだ。許せよ、佐助。
「……散歩は?」
「気分が変わったの、戻って」
瞼を半分落とした佐助に気づかないふりで、福島様の方へ向き直る。
石田様が再復活して、福島様に突っかかっているところだった。目を離した隙に元気なことだよ。
石田様に算盤で小突かれながらも、どこ吹く風で知らんぷりしている福島様の方に話かける。
「福島様……と石田様。この後、お時間はございますか?」
「ん? 寄り合い終わったとこだから、おれも佐吉ももう帰るだけだぞ」
よっしゃ! こっちもOKじゃん!
私に運が向いてる感じで最高。意識しなくても、自然に顔が緩んでくるよ。
きょとんとする二人に、私はとびきりの微笑みを浮かべる。
「でしたらちょっと、一緒にお茶しませんか?」
お菓子もあるから。悪いようにしないって、ね?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます