人に仕えることの意味(1)【天正15年7月下旬】

 瞼の裏が、白んでいる。

 光の刺激で、じわりと意識が浮上する。

 目を開く。明るい。視界に広がる自室の天井が、はっきりと見える。



「姫様、お目覚めですか?」



 気遣わしげな声の方へ体を向ける。障子戸にお夏の影が映っていた。

 いつもどおりの風景。吐息をこぼす唇が、柔らかく持ち上がるのが自分でもわかった。



「うん、起きるよ」




 あの後、私は父様に寝かしつけられて眠った。しっかりと、たっぷりと、ぐっすりと。

 おかげで目覚めた時にはすっきり頭が冴えていて、ほぼいつもの私に戻れていた。

 ほとんど昼ご飯みたいな朝ご飯を食べながら、昨夜の父様が示してくれた言葉を思い返す。



 北政所様にお仕えしたいか。彼女にそう思わせてくれる何かがあるか。



 一人で考えてみるけれど、いまだにわからない。 

 まずは、そうだ。人の話を聞いてみようかな。

 一人で手に余るなら、誰かの意見を集めるのは初歩的な解決策だ。

 そうでなければ、北政所様にお仕えしたいかどうかなんて判断できない。

 幸い私の側には、信頼が置ける大人がたくさんいる。

 手始めに私の側仕えのお夏たちからいくか。



「お夏、ご飯の後で佐助を呼んできてくれる?」



 ご飯のお代わりをよそってくれているお夏に、そう声をかける。



「佐助殿ですか?」


「そ、聞きたいことがあるから。お夏にもだけどね」


「わたしにもですか!?」


「悪いことじゃないから構えないでって」



 慌てるお夏を宥めながら、お味噌汁を啜る。


 なんとかなるでしょ。わりとすぐに。


 この時の私は、呑気にそう考えていたのだった。





◇◇◇◇◇




 はい。人に仕えることの答えを探し始めて、今日で三日目。


 なんとかなること、ありませんでした。

 

 ぜんっっぜんだめだった。爪の先ほどもわからなかった。

 うちの家臣たちに質問しまくったけれど、人、この場合は父様や私に仕える理由が千差万別すぎた。


 まず佐助。うちに仕官理由は、貧乏&田舎脱出の手段だった。

 詳しくは聞いていないが、実家が没落の真っ最中らしい。それでつまらねえ田舎から出てってやる! ってノリで都に飛び出してうちに辿り着いたんだとか。

 父様に仕える甲斐ってあるか聞いたら、一応あるようだ。面白いんだって。どこが?


 お夏も似たようなものだった。佐助の親戚の彼女も、昔から都会に出たかったらしい。田舎なんてろくなもんじゃないですよって言っていた。何があった。

 そんな時に佐助が山内家の侍女募集の話を持ってきて、飛びついたんだって。

 私に仕えていてどんな感覚か聞いてみたら、毎日面白くて生きてる感じって返された。喜んでいいのかな?


 他の家臣にも話を聞き回ったら、もっといろんな話が出まくった。

 先祖代々から山内家に仕えていた人、前職がクソで発作的に飛び出してうちに転職した人。

 うちの給金や待遇が良いから来た人、ただなんとなく流れ着いた人。

 半分くらいの人たち、うちじゃなくてもよかったんでは?

 ますます、人に仕える意味がわからなくなった。

 令和の会社勤めとほっっっとんど変わらなくない? 何が違うんだ??


 困って家の外の知り合いに意見を求めてみた。

 が、ものの見事に失敗した。

 数少ない家の外の私の知り合いは、全員自営業だったのだ。

 丿貫おじさんは元医者の茶人、与四郎おじさんは豪商兼茶人。

 ご贔屓さんはいるけれど、別に特定個人に仕えた経験のない人たちだ。

 与四郎おじさん経由で知り合った職人さんたちだって、みんな似たり寄ったり同じようなもの。

 だってクリエイターは、依頼を受けて商品や作品を作るのがお仕事だ。

 誰かのお抱えになっても、通常の仕官とはまったく違う別枠である。

 答えは全員「よくわかんないなー」だった。

 暑い中を丸一日かけて聞き回って、疲れただけでした。がっくりきたわ。



 そんなこんなで答えが出ないまま、登城の日になっちゃって今に至るのだ。

 北政所様に会ったら、どう返事したらいいんだっての。

 後一回くらいなら、返事を引き伸ばさせてもらっても大丈夫かな。





「北政所様が、お留守なのですか?」


「はい。急なお出ましを求められまして」



 半ば私専用になった控えの間で、私は孝蔵主さんと対面していた。

 北政所様のご予定が、私の到着直前に急遽変更になったらしい。

 城表で、何かあったようだ。でも秀吉様は都に行っていて、城代の北政所様が対処に赴いていらっしゃるのだとか。

 何があったかわからないけれど、急だなあ……。



「でしたら、今日のお手入れはどうしましょう?」



 一回休みになるのかな、と思って孝蔵主さんに訊ねてみる。その方がいいんだけれど。

 孝蔵主さんは少し困ったように首を傾けて、申し訳ありませんが、と口を開いた。



「山内の姫君には、このままお待ちいただきたく。

 北政所様はすぐ戻る、との仰せでして」


「……仰せのように、早く終わりそうなんですか?」


「わかりませぬ。ですが、お手入れは日延べにしても、茶飲み話はいたしたいそうです」



 何が何でも私に会いたいの、北政所様。

 震える。返事を期待されてる気がして、ちょっと逃げたくなってきた。

 でも断るわけには行かないし、承知しましたと言うと、孝蔵主さんは嬉しそうに微笑んだ。珍しい。どうしたんだろう。

 驚いている私に、孝蔵主さんは控えの間近辺を散策でもして時間を潰していてほしいと言ってくれた。

 少し行ったところにある庭の夏花が見頃なんだって。

 そうして彼女は本当に申し訳ないと再三謝って、控えの間から出て行った。

 その後ろ姿の遠ざかる速度が、いつもより早い。孝蔵主さんも対応に駆り出されているのかな。

 大変そうだけれど、私はただ見送るしかない。手伝いを申し出られる立場でもないし、それに子供だし。

 無力感が少ししんどい、かも。



「そのへん、少し歩いてこよっかな」



 じわりと頭に湧いてきた憂鬱を追い払うように腰を上げる。

 お夏を留守番に置いて、私は佐助を連れて許された範囲の散歩にいくことにした。

 孝蔵主さんに教えてもらったとおり、廊下を歩いていく。私の足でもすぐの場所に、その庭はあった。

 初めてお邪魔した時に拝見した庭よりも小さい、けれども品良くまとめられたお庭だ。

 メインは夏の花木なんだろう。青々とした葉とともに色とりどりの花があちこちに咲いている。

 しっとりとした白のクチナシに、淡い薄桃に染まった酔芙蓉。

 ノウゼンカズラの朱色みを帯びたオレンジ、ノリウツギの淡いペールグリーン。

 その中の、ひときわ鮮やかな花の色に、目を奪われる。

 あれは、百日紅だ。

 私が令和に生きた頃に好きだった花。こんなところでお目にかかれるなんて驚きだ。

 激しい陽射しに負けず、濃い夏空の青に手を伸ばす。そんな鮮烈で威勢の良いピンクを見ていると気分が上がる。

 私の目に映るこの百日紅も、令和の百日紅と同じだ。

 時の隔たりを無視したように、記憶とほとんど変わらない美しさを夏に誇っている。



「はぁ……」



 人間も、百日紅のようにいつの時代も変わらないと思っていた。

 けれど人間自体は変わらなくても、価値観は万華鏡のようにくるくると変わっていくのだ。

 父様に出された宿題の内容も、そう。

 令和で個人として生きた経験しかない私にとって、未知の価値観だ。



 人に仕えるって、どういうことなのだろう。



 この天正の世には、ごく当たり前に身分がある。

 貧富の差もあるけれど、また違う。

 空の青さのように、当然のものとして存在するのが身分だ。

 だから仕えられる者と仕える者という関係がある。

 きっとそこに父様が言う『何か』は起因するんだと思うんだけれど、まず私には身分自体が理解の外だ。

 それに、それだけじゃないような気もするし。

 はぁ、わからなすぎて気分が下がりまくりだ。なんともやな感じ。

 暑いけれど気分転換に外の空気を思いっきり吸ってみようかな。

 木陰ならとりあえず日差しは避けられるし。ちょっとだけなら、日焼けの心配もないだろうし。



「庭、降りてもいいかな」



 後ろに控えている佐助に、声を掛ける。

 ちょっとだけ佐助は考える素振りを見せて、頷いてくれた。



「草履を取って来ますから、ここで待っててくださいよ」


「はーい」


「一人でどっか行かないでくださいね」



 佐助が念押ししてくる。むっとしてわかったと言い返すと、半分疑っているような目で見下ろされた。



「まことにですよ? 一寸も動かないでくださいね?」


「あんた警戒しすぎでしょ」


「姫様が姫様だからですって」



 うっ、言い返せない。

 去年の件を持ち出されると、痛いんだよね。でももうしないよ。あんな目に遭うのはこりごりだ。

 しかたなく、庭に降りる階段に腰を下ろす。しっかりと足を揃えて綺麗に座ってみせると、やっと佐助は踵を返して控えの間の方へ戻っていった。

 ようやく一人になれた。締めた帯を解いた時のような、ほのかな開放感に息を吐く。

 蝉の声に耳を傾けて、じっと庭を見つめる。

 夏の庭の鮮やかさは、私のコスメボックスに似ている。

 目に楽しくて、気持ちを上げてくれる。そういうところが大好きだ。

 でも今日は、ちっとも明るい気持ちになれそうにない。

 何度目になるかわからないため息が、私の唇からこぼれそうになった時だった。




「おい! そこな娘! 迷子か!?」




 通り過ぎるほど良く通る声が、静かな夏の情緒をぶち壊したのは。


 誰だ、空気読めよぉぉぉ! と思いかけたが、声に聞き覚えがあって顔が引きつる。

 聞いたことあるよ、この声。だいぶ前。具体的に言うと、一年少々前に、堺の街で。



「奥仕えの女童か、何をしておるのだ?」



 嫌な予感に襲われている私の背後に、畳をどすどす踵で叩くような足音が近づいてくる。

 数にして二人分。一つはわりと遠いから、近い方の足音の主を追いかけているんだろう。

 止まれと制止する太い声も一緒に近づいてくる。

 でも近い方の足音は止まらない。ああ、覚えがあるわ。ありすぎて頭痛がしてきた。



「ここは中奥だぞ。許可無く奥から出てきては……あ、お前は」


「石田様、ご無沙汰しております」



 ため息を飲み込んで、思い切って振り返る。

 はたしてそこには、昨年に遭遇した例のあいつがいた。





 石田治部少輔三成……様、が。



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