子供の身には過ぎた仕事【天正15年7月下旬】

 今日も今日とて、私は広くて長い畳の廊下を歩いていく。

 目の前には尼削ぎの髪をした女性の後ろ姿。先導役の孝蔵主さんだ。

 歩調はゆっくり。まだまだ子供で歩幅の狭い私に合わせてくれている。

 だから付いて行きやすいけれど、あんまり喋ってくれないから緊張する。



「山内の姫君」


「はいっ」



 ぼやっと追いかけていた打掛の裾が止まる。

 呼ばれて慌てて顔を上げたら、いつものお部屋に到着していた。

 いけない。シャキッとせねば。背筋を伸ばして襟を直し、孝蔵主さんに誘導されて入室する。

 部屋の中、上座の席には、見慣れてきた方のお姿がある。

 下座の敷布に座って、平伏する。だいぶ慣れてきたからか、綺麗に頭を下げられるようになってきた。



「いらっしゃい、お与祢」



 張りのある声に、面をあげなさい、と許される。

 ゆっくりと礼を解く。真正面にいる方──北政所様が、柔らかく微笑んだ。



「今日もよろしく頼むわね」







 母様と初めて大坂城へ登城してから、そろそろ二ヶ月。

 私はちょっと奇妙な立場になっていた。

 あの日、私は美容が幸せに繋がることを証明するため、前田家のまつ様を腕を振るって美しくした。

 結果は上々。﨟たけた、つまり艶っぽい大人メイクというオーダーに沿ったメイクは、まつ様にとても気に入っていただけた。

 令和メイクが受けるか心配だったから、ちょっとほっとしたよ。

 リンパマッサージやパック、スキンケアについても良い評価をもらい、北政所様にも孝蔵主さんにも認めていただいた。

 それで翌日に改めて、北政所様にリンパマッサージからメイクまでトータルでさせていただいたのだけれど……




 なんか、気に入られすぎた。




 喜んでもらえたのは良いことだよ?

 私だって嬉しいよ。自分の技術や知識が認められて、しかも自分の趣味を好きだって言ってもらえたのだ。達成感がいっぱいだ。

 それに仲間が増えたーって感じで話も盛り上がって、北政所様と仲良くなっちゃった。これも悪くないと思うよ。

 でもね! だからって!



 三日に一度の大坂城通いを命じるのは、ちょっとやりすぎじゃはないかな!?



 何やらされてるってスキンケア&メイクのフルコースだ。

 相手はもちろん北政所様。三〜四回に一回はまつ様も参加する。私の令和式ケアで調子が良くなったので、お代わりをリクエストしてらっしゃるのだ。

 その一人ときどき二人のため、私は大坂城に登校ならぬ登城する生活を、かれこれ二ヶ月くらい続けている。

 朝早くから佐助とお夏を引き連れて、運ぶのが大変なメイクセット一式を大事に運んで。

 大坂城の奥まで行って、日中は北政所様やまつ様のお相手をずっとやって。

 日暮れとともに城下の山内家の屋敷に戻るんだよ。

 通い過ぎてセキュリティチェックが簡略化されたけど、それでもまるまる一日が潰れる大仕事です。

 前日、いや下準備から入れたら毎日潰れてるか。

 偉い人が相手だもの。予行練習は余念なくやっておかなきゃならない。

 毎回同じメイクでマンネリ化するのは避けたい。だから目新しくて、北政所様たちの悩みを改善できそうなテクを思い出しては、再現を試みてもいる。

 あと、メイクはともかくスキンケアは毎日必須だ。私が登城しない日用の、侍女さんたち向けの指示書も作らなきゃならない。

 令和で働いてたころよりマシだけど、そこそこ忙しい日々だ。

 おかげで母様や弟たちがいる京屋敷には、一度も戻れていない。

 九州から戻った丿貫おじさんや与四郎おじさんとも、まだゆっくりと会えてない。

 大坂屋敷に一緒にいる父様とも、お互いのお勤めのリズムの違いでほぼ顔を合わせてない。

 なんだこの生活。単身赴任みたいで笑える。



 私、数え年で八歳の子供なんだけどな?

 こんなに忙しく働くのってアリなのか?



 疑問に思い始めてはいるが、天下人の妻ファーストレディの要望を断る度胸なんて私には無い。

 それに、私は忙しいのが嫌なわけじゃない。

 やっているのは、大好きな美容関係のことだ。それに打ち込めているからとても楽しい。ただただ暇をしているより、ずっと毎日が充実している。

 私がやりたいことだけ浴びるほどやれて、転生してから一番生きているって感じがしている。

 北政所様やまつ様とお話しするのだって好きだ。

 会話の内容は興味深くて、話し方や考え方はとても勉強になる。

 上流武家の姫として、たぶん、とても良い環境に置いてもらえている。

 北政所様に気に入られていることが、山内家のためにもなっていると思う。

 与祢である私がこれを喜ばなくて、どうするって言うんだ。

 北政所様のお気持ちを受け入れて、望まれるよう励むのがベストなんだ。

 きっと父様や母様もそれを期待して私を大坂屋敷に置いている。



 私は山内家の姫なのだ。

 御家の期待には、応えなくちゃ、いけない。



「お与祢?」



 北政所様が、不思議そうに私を見下ろしている。



「どうしたの、手が止まっているけれど」



 言われて気づく。北政所様の爪を磨いていた私の手が、完全に止まっていた。

 やば、物思いに耽り過ぎた。



「も、申し訳ございません!」



 謝りながら、慌てて爪やすりネイルファイルを動かす。

 目の荒いエメリーボードで、爪先を滑らかに丸く適切な長さに。

 目の細かいネイルバッファーで、爪の表面をなめらかに。

 でも、そっと、削り過ぎないように。

 意識をしながら、五本の白い指の爪の形を整えていく。

 職人さんたちと試行錯誤で作ったネイルファイルは、今日も使い勝手が抜群だ。


 今はいつものコースに加えてのプラスアルファ。ネイルケアをさせていただいている真っ最中だ。

 前回、北政所様は爪の縦すじが気になるとの仰せだったのだ。

 天正の世にはネイルポリッシュはないけれど、ネイルケアをして艶出しするくらいはできる。

 お話ししてみたら乗り気だったので、こうしてネイルケアを施させてもらっているわけだが。

 ちょっと気を抜き過ぎちゃったよ。恥ずかしい。



「ねえ、お与祢」



 一生懸命に縦すじを駆逐している私の頭の上に、柔らかな口調の声がかかる。

 顔を上げると、北政所様に髪を撫でられた。



「少し、ひと息入れましょ」


「えっ、でも、左の御手がまだです。それに、甘皮の処理や仕上げの磨きだって」


「あたくし、喉が渇いてきたのよねえ。

 お手入れしてもらっている最中に悪いのだけれど、

 お茶でも飲みましょうよ」



 ね? と微笑まれては頷くしかない。

 綺麗な形の手を離して、ネイルファイル一式を箱に戻す。

 北政所様はそれを見届けてから、手を叩いて孝蔵主さんを呼んでお茶とお菓子の用意を命じられた。


 気もそぞろなの、見抜かせちゃったな。


 せっかく任されたことを一瞬でもおろそかにしてしまうなんて、責任感が無いにもほどがある。

 道具を片付けながら、ちょっと自己嫌悪してしまう。

 何やってんだろ、私。



 その後、お茶とお菓子はすぐに運ばれてきた。

 メニューはカステラとお抹茶だった。令和でもなじみ深い組み合わせだ。

 勧められて楊枝で切り分けて口に入れる。ふんわりと舌に広がるのは、卵とお砂糖の甘さ。お抹茶の苦味と溶け合って、しょんぼりした心がちょっと上向いた。



「おいしい?」


「はい、美味しゅうございます」



 許されて側近くでカステラをいただいていると、北政所様がにこにこと聞いてきた。

 素直に頷くと、私よりも嬉しそうに北政所様が目を細められる。

 


「よかった、お与祢が好きだろうからって用意してたおいた甲斐があったわ」


「私がカステラを好きなの、ご存知だったのですか?」


「前に出した時、貴女ったらとっても幸せそうに食べていたじゃない」



 わかりやすいのよ、と北政所様は手を伸ばして、私の頬に触れられる。

 口の端を拭ってくれる指が優しい。母様みたいだ。

 少しだけ、恋しくなって笑えなくなる。カステラ、母様と一緒に食べたかったな。



「千代が恋しい?」



 心臓が跳ねる。カステラの皿を置いて、北政所様のお顔をうかがう。

 私がメイクをさせていただいた、綺麗なお顔はとても穏やかだ。

 責めるふうもなく、静かに私を見つめている。

 どうしよう。どう答えたらいいんだろう。



「ええと、私、そのようなことは」


「正直に言っていいのよ」



 言葉を選ぶ私に、北政所様はそう言った。

 手を握られる。柔らかくて、温かい。

 母様を思い出させて、つい知らんぷりしていたものがぽろりと零れた。



「……さみしいです。家族がバラバラで、遠いから」



 そうだ。私はさみしいんだ。

 心には大人の私がいる。一人暮らしを長くした経験があって、家族と離れて暮らすことに慣れている私がいる。

 だから大坂城通いを命じられても、なんだかんだ大丈夫って楽観的に捉えていた。

 想定外だったのか母様が酷く心配していたけれど、構わないよって言ってしまった。

 一人暮らしと、そんなに変わらないって思って。


 でも、違った。


 家族と離れて暮らす意味が、令和と天正じゃ違い過ぎた。

 令和の私はさみしくなったら、すぐに家族の声を聞けた。顔だってスマホの画面越しに見れた。

 電気信号が、家族と私の何百キロの距離をゼロにしてくれた。

 でも、天正の私には、それができない。

 この世界の連絡手段は、基本的に手紙しかない。伝えられるのは文字だけ。その上に、何日もかけないとやりとりができない。

 京都と大坂。母様と私との間のたった何十キロが、令和の頃よりはるかに遠いのだ。

 父様だってそう。同じ屋敷で生活していても遠い。

 父様は山内家の当主で、私は幼い姫。生活リズムも生活するスペースも違う。

 顔を合わせられる機会が少なくて、おはようもおやすみも言えない日が多い。

 一緒に暮らしているはずなのに、遠くにいる。


 私の幼い与祢の部分は、それがとても、さみしい。




「そう、そうよね」



 北政所様が、細く息を吐いた。

 やんわりと抱き寄せられる。母様みたいだけれど、やっぱり違う。

 甘い白檀サンダルウッドの香りを感じる鼻の奥が、少し痛い。



「ごめんなさいね、小さい貴女に寂しい思いをさせて」


「北政所様?」


「少し、聞いてちょうだいな」



 静かに体が離される。北政所の両の手が、私の肩を掴んだ。



「今年の秋にね、京の都に大きな城が完成するの」


「城、と申しますと?」


「うちの人が関白として都に構える、大きな城よ。

 あたくしも時期を見て、そちらに移る予定なの」


「さようですか!」



 なら、私も京屋敷に戻れるってこと?

 やっとまた母様たちと一緒に暮らせるのかな?

 嬉しくなって北政所様のお顔を見る。躊躇うような色の瞳と、視線が重なった。



「お与祢、これからあたくしは、貴女に酷いことを申します」



 北政所様のコーラルピンクに彩られた唇が、ひとつ、ふたつと閉じて開く。





「都の城───聚楽第で、あたくしの御化粧係にならない?」



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