お化粧しましょう!〜クレンジング&マッサージ&パック〜【天正15年5月21日】
お夏に用意してもらった湯で手を洗う。
メイクやマッサージの前には手を綺麗にしておかないと、せっかく綺麗にするはずが汚れをなすりつけることになるからね。
しっかり手首まで洗ってから、丿貫おじさん謹製の消毒用アルコールを清潔な布に浸して手首まで拭く。
それをやりながら、敷物に横になってもらったまつ様のご様子を確認した。
引き眉以外はほとんどノーメイクだけれど、白粉と紅は薄く付いている。肌荒れは特に見当たらない。
あ、目の下にうっすら青クマ発見。疲れて血流がちょっと悪いかもだ。
異常と言えばその程度かな。通常のマッサージやメイクを施しても問題なさそうだ。
よし、それならまずはメイクオフから始めようか。
「それではお化粧を落とさせていただきます。
襟を……そうですね、鎖骨のあたりまで広げてもらえますか?」
「そんなに広げるの?」
「はい、油が付いてよごれちゃいますから」
まつ様は驚いた様子だけれど、素直に従ってくれた。
お礼を言いながらくつろげられた襟元を手拭いで覆う。一応の汚れ対策だ。
次にスキンケア用品を入れたボックスを側に引き寄せる。最下段を開けてちょっと悩んでから、私は椿油を取り出した。
椿油は匂いが少し独特だが、かなり優秀な植物性オイルだ。髪や肌に塗ると抜群の保湿効果が見込めるし、メイクを落とすクレンジングにも使える。
時間はかかるけどちゃんとメイクをオフできる上に、肌の油分を余計に洗い流さず保ってくれるのだ。
そのため遥か未来の令和でも、椿油クレンジングを愛好する人は一定数いた。令和ではジェルやバームクレンジングを愛用していた私は、始末が面倒だなと思ってしまうけれどね。
でもね、手間はかかっても、オイルクレンジングには肌に負担がかかりにくいというメリットがある。
肌というのはデリケートなものなのだ。特に顔の肌は人体最弱に近いと私は思っている。ちょっとしたことで傷付くし、ちょっとした体調の変化で調子が揺らぐ。
そうしてじわじわダメージを蓄積し、シミやシワといった老化や、皮膚疾患に繋がってくるから恐ろしい。
ゆえに洗顔やクレンジングには細心の注意が必要だ。肌をできるかぎり擦っちゃいけない。長く洗いすぎてもいけない。傷や色素沈着の原因になるからね。
洗顔をするなら、きめ細かな泡を作ってふんわり撫でるように洗うべし。
クレンジングをするなら、滑りの良いクレンジング剤──つまり椿油などぬるっとしたもので、やんわりと撫でるように落とすべし。
それがフェイスケアの大原則にして鉄則なのだ!
「失礼しまーす」
手に取ってしっかり体温を移した椿油を、まつ様のお顔に少し垂らす。
触れた瞬間だけ、ぴく、とお体に力が入ったけれどすぐ抜けた。大丈夫、と判断してもらえたようだ。
ほっとして椿油をゆっくりお顔に伸ばし、私はいよいよマッサージに取り掛かった。
指の腹を使って、くるくると肌を撫でていく。
よしよし、唇の紅はするんと落ちた。頬や額の方も行ってみよう。
伸ばした油がみるみる白粉を浮かせていく。うわ、思ったよりも白っぽくなってきた。水銀白粉か鉛白粉かなあ。お口に入らないように気をつけなきゃ。
「まつ様、絶対に今はお口を開けないでくださいね」
「はぁい」
「返事しなくていいですからねー」
手順をちょっと変えて、白く濁った油をお湯に浸して絞った手拭いで軽く拭う。
こんなもん混ざったオイルでマッサージするのは、絶対肌に良くない。手間だけど安全第一だ。
新しい椿油を手のひらで温めて、クレンジングとマッサージの再開だ。
まつ様の顎の先に手を添える。フェイスラインの縁を挟むようにして指を沿わせて、耳の付け根まで撫で上げる。
これを五回、ゆっくりと繰り返す。強い力は手に込めず、そっとだ。
次は手を口の脇に置く。手のひらを頬にぺったり沿わせ、顔の外側へ滑らせる。両耳の前で手を止め、軽く押したら離して元の位置へ。
五回かそこらゆっくり撫でたら、小鼻の脇に指を三本揃えて添える。
頬骨の下から耳までを先ほどと同じように、同じ回数だけ撫でる。
頬が終わったら、目元のマッサージだ。
揃えた指を目の下に置き、眼窩の下の骨の縁に沿ってこめかみまで軽くプッシュする。強くしすぎないのがコツだ。やりすぎると痛いからね。
それを五回ほどやってから、指を目頭へ置く。親指と人差し指で眉の位置を軽く挟みながら、こめかみまでなぞっていく。
五回繰り返して、綺麗な形のおでこの真ん中に手を添える。
これもこめかみまで優しく五回くらい流す。こめかみで軽くプッシュするのは忘れないように。
結構眉や目の下、おでこって凝る部位だから、かなり気持ちいいはずだよ。デカ目効果もすごいからおすすめ。
まつ様のお顔もほわっと緩み始めている。効いているご様子だ。
さてさて、仕上げにかかろう。
こめかみに揃えた指を当てて、耳の前へ撫で下ろす。耳の前から耳と顎の繋ぎ目、首筋を通って鎖骨へ。
鎖骨に指がついたら、心持ち強いかな? くらいの力加減で一プッシュ。
人差し指と中指を開いて、鎖骨の上下に当てる。そのまま先ほどの力加減で肩と鎖骨の繋ぎ目あたりへ。
これは三回から五回ほど繰り返すといい。
最後に顎の下から首の前面を両手で撫で下ろして完了、っと。
「まつさん、どう?」
また熱めのおしぼり手拭いで椿油を落としていると、北政所様がまつ様に訊ねた。
そわそわとなさっているところからして、とても気になっていらっしゃるのだろう。
「極楽ね……これ……」
「そんなに?」
「ほんと、寧々さん楽しみにしていいよ……!」
まつ様は私のなすがままになりながら、ふわふわ心地よさげな返事を返した。
極楽ですか。それはなにより。
友達の間で神の手と言われた私のマッサージの腕が落ちてなくてよかったよ。
「油を落としたら、肌の下ごしらえと頭皮の按摩に移りますね」
まつ様の襟をお夏に直させている間に、スキンケアボックスからパックの材料をいくつか出す。
「まつ様、お酒はお得意ですか?」
「お酒ね、あまり好きではないわね」
「承知しました。では酒粕はやめておいて……」
出したパック素材をざっと見回して、黄色っぽい白に目が止まる。
よし、これに決めた!
「米ぬかのパックにしましょうか」
「米ぬかのぱっく?」
「蜂蜜と米ぬかを水で溶いて、お顔に塗るんです。
臭いはちょっとしますがお肌の明るさが増して、しっとりもちもちになるんですよ」
米ぬかはスキンケアには優秀な素材だ。なんたって含まれている成分すごい。
植物性セラミドは角質を潤し、ポリフェノールの一種のフェルラ酸はシミの元になるメラニンの生成を抑えてくれる。ビタミンB群は言うまでもなく、肌荒れの強い味方だ。
これを保湿効果の高い蜂蜜とともに練ってパックにすると、お肌がつるつるのもちもちになる。シワやシミの予防改善、美白効果も期待できる。
お手軽に肌トラブルを予防しつつ保湿できるからとてもおすすめなのだ。
興味津々のまつ様や北政所様たちに見えるよう、パック製作用の乳鉢を置く。
用意するものはよく挽いた米ぬかと精製水、それに蜂蜜だ。
米ぬかを少しの精製水で溶いて、蜂蜜は奮発してたっぷり入れておく。
蜂蜜は大金積んでようやく手に入れた希少品だけど、ケチらないと心に決めている。
だって私、戦国セレブなお姫様だからね! 与四郎おじさんという心強いスポンサーもいるしね!
「材料を混ぜ合わせて、このようにどろりとしてまいりましたら完成です。
まつ様、もう一度お横になってくださいね」
出来上がったパックを、横になったまつ様のお顔に塗っていく。
たっぷりまんべんなく塗れたら、上から木綿で作ったフェイスパックシートを載せる。これはなけなしのパック剥落の防止対策だ。
「パックの表面が乾いてくるまで待ちます。
その間に頭皮の按摩を致しましょう、ちょっと痛いですけど」
「痛いの!?」
慌てて起き上がりかけるまつ様をお夏が止めてくれる。
孝蔵主さんがすんごい顔をしているな。ちょっと説明がてら、セルフマッサージで実体験してもらうか。
「えっとですね、頭皮の凝りを解すっててきめんに効く代わりに痛いんです。
ちょっとまつ様以外の皆様、ご自分でやってみましょうか」
「一人でもできるのでございますか」
「できますよ、孝蔵主殿。
まず手ひらを前に出してください。付け根の内側に硬い骨があるの、わかりますか?」
孝蔵主さんと北政所様、そして知っているくせに参加している母様が手首を確認し出した。
「ありました? そしたらその骨を、こめかみの生え際に添えてください。
そして頭を挟むようにして、生え際に沿っておでこの上まで、
軽くぐりぐりと円を描くように揉んでみてください」
私がやってみせると、みんな真似をし始めた。
「あいたっっ!?」
「いっ!? ……っ!!!」
「いつもながら痛いわね〜」
「痛いのが普通だからご心配なく。
そのまま何度かぐりぐりし続けてください。
そうそう、はい、その程度で終わっていいですよ〜」
私が終了を告げると、母様以外の二人は少し涙目だった。
痛いよね。一回もマッサージしたことないとこうなるよね。わかるよ、私も慣れるまではそうだった。
様子を見守っていると、ふと北政所様が不思議そうな顔になった。
「あら? 痛かったけど、何か、すっきりした感じがする……?」
「さようでございましょう? 孝蔵主殿はどうですか?」
「わ、私もで、ございます。
目が何故かいつもより開いてすっきりとしたような」
おわかりいただけてよかった。
やっぱり実体験って大切だよね。してやったりと思いながら、マッサージの効果を説明する。
「今のは目の周りに効く按摩なんです。
おめめぱっちりになるし、文の読みすぎや書き物のしすぎで目が疲れてる時にやるといいですよ」
「良薬口に苦し、ということかしら」
「そういうことでございますか……」
北政所様たちが納得顔になる。
その隣で母様はそうでしょうそうでしょうと、自慢げに笑っている。いつもどおりだなこの人は。
「と、いうことよ。まつさん、諦めなさい」
「え、ええっ、そんなっ」
「とっても効くのよ、痛いけど。
お与祢の手にかかったらもっと効くと思うわよ」
「そういうわけでパックが乾き切らないうちにやっちゃいましょうね」
北政所様の加勢に感謝しながら、まつ様の頭に手を添える。
「ま、まって! お与祢ちゃんっ!」
「待てませんから覚悟してくださーい。いきますよー」
そうして、ちょっとばかり情けないまつ様の悲鳴が部屋の中に響いたのだった。
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