大坂城の女主人(3)【天正15年5月21日】
「美しさが幸せに繋がること──あたくしに、証明してごらんなさい」
そう言った北政所様の瞳は、楽しい遊びを見つけた子供のようにきらきら輝いている。
証明って言われても、急には困るな。パッと見でわかる効果があるものって何かあっただろうか。
頭をフル回転させて、脳みそに蓄えた知識を探しまくる。
わかりやすいこと、わかりやすいこと……そうだ! あれだ!
「では、簡単な按摩とお化粧などいかがでしょうか」
「按摩と化粧、ね。それはどのような?」
「按摩は頭皮とお顔に施しますものです。
輪郭の線が引き締まり、瞳をすっきりとさせられます。
本日の母をご覧になって、以前と違うように感じられませぬか?」
そう言って、隣の母様を示す。
北政所様とまつ様の視線が母様に集中する。
母様はにっこり笑顔を浮かべて、ふふん、といったふうに顎を上げてみせた。
「そういえば千代、今日のお化粧はずいぶんと変わっているわね。
前より若くなってる感じもするかしら」
「そうでございましょう、まつ様。
私が腕によりをかけて母のお顔のリンパ、ええと、むくみを起こす悪い気を按摩で流しましたから」
今朝の風呂上がりにがっつりごりごりじっくりと、頭から首にかけてのリンパマッサージのフルコースしたのだもの。
そりゃもうしっかりリンパを流せているさ。
証拠は母様のお顔だ。はっきりとフェイスラインが引き締まって、顔の小ささがアップしている。
目だってそう。むくみが取れてまぶたがすっきり。一重のアーモンドアイの魅力が、最大限に発揮されいている。
「なるほど、むくみ取りってわけか。
でもお与祢ちゃん、それだけじゃないわよね?」
「ご明察ですわ。お化粧の効果もございます」
「それはどのような?」
「肌と目元の化粧です。
肌については按摩と合わせて、パックという特別なケアを行いました。
目元は母の好みにかなう印象となるよう、手を加えております」
パックは昨日の晩と今朝に、簡単なものだけど効果抜群なやつを施した。
保湿もしっかりやってあるから、母様のお肌の透明感が爆上げになっている。
それにプラス、酸化亜鉛のファンデーションとパウダーで自然な色の白さを演出している。
目元は大人っぽくという母様のリクエストを元に、大人っぽめのおフェロ系をテーマにした。
アイカラーはゴールドベージュ×オレンジブラウンが基調で、リップは濃くなく艶が控えめのものに。
チークは明るめの赤をごくごく淡く乗せて、控えめなじゅわっと感を出した。
娘の欲目を抜きにしても、似合いすぎるくらい似合っているよ。
いつもよりぐっと大人の色っぽさが増していると思う。
「はーなんだかとっても手がかかってるのねえ」
母様の顔をガン見しながら、まつ様がため息を吐いた。
理解度はいまいちのようだが、とにかく関心は持ってくれたらしい。
「これをすべて、お与祢がやったのね」
北政所様が、確認するように呟く。
「左様です、すべて私が施しました」
「使った化粧道具などは巷で噂のとと屋印かしら」
「はい、道具や化粧品は千様に融通していただきました。
肌の手入れや化粧の手法は、私が考案した方法でございます」
さあ北政所様、どうですか?
ベストコンディションな母様を見れば、効果のほどもわかりますよね?
「よくわかりました。
ではその按摩と化粧、私にも施してみてくれる?」
ぱちりと扇を閉じて、北政所様が微笑む。
「いいわねえ、むくみ取り。
寝起きとか顔が腫れぼったくて嫌になってたとこなのよ。すぐやってもらえるかしら」
「御意に。では至急、必要なものを屋敷に取りにいかせ……」
「お待ちください!」
座敷の外から飛んできた声が、私の返事に被さった。
鋭いそれに驚いて振り向く。入り口に、髪を尼削ぎにした打掛姿の女性が座っていた。
さきほど私と母様を案内してくれた、北政所様の侍女さんだ。
その侍女さんが、失礼いたします、と断って入室してきた。
「北政所様、その儀、今しばらくお待ちください」
「どうしたの、
「山内の姫君に、確かめさせていただきたいことがございます」
侍女さん、孝蔵主さんが、私の方へ体を向ける。
合わせられた彼女の瞳には、緊張感が少し漂っていた。
ただならぬ感じに、どきっとして背筋が伸びてしまう。
「姫君、その按摩とお化粧は安全なものでございますか?」
「えっと、安全性ですか? もちろん安全なものしか使ってませんけど……?」
安全性のテストならちゃんとしたよ。肌荒れとか健康を損なう事態になったら嫌だしね。
私自身にも当然やったし、丿貫おじさんのツテで祇園や島原の夜のお姉さんたちに声をかけ、チップを出して協力してももらった。
その結果はというと、美容効果には各個人で差はあっても、全員健康を損なうような異常は出なかった。
品質管理と保存環境の整備だってきっちりやっている。
冷蔵庫はないけれど、冷暗所はこの時代でも用意できるからね。
それは土蔵だ。ガチガチに土と漆喰の厚い壁で四方を囲ったやつ。遮熱・遮光性に優れていて、しかも湿度が一定に保たれる性能を備えている。
知らない人は一度どこかの古い蔵に入ってみるといいよ。奥の方は夏場ですら寒いから、マジで。
そういうわけで、これが今の時代の化粧品の保存のベストなのだ。
だからうちの屋敷にも、私と母様用の小さい化粧蔵が完備してある。今日の化粧品はそこから出してきて、大坂滞在で使い切れる分だけ密封して持ってきた。一番使用期限が遠い物ばかり揃えてきたから、品質の劣化は心配しなくてもいい。
孝蔵主さんにそれを説明して、おおむね人体に害はないのだと伝えてみた。
が、まだ彼女の眉から険しさは取れない。
「孝蔵主、しっかり安全は確かめているようよ。
ちょっとだけでもだめかしら?」
私たちを見守っていた北政所様が口を挟んできた。
扇を弄びながらの、ずいぶんとうんざりしたお顔だ。
「貴方様のお体に使う物でございますれば、用心させてくださいまし」
「あのね、貴女の言ってることはわかるのよ。
でもね、疲れているからこそあたくしは新しいことをして遊びたいの」
「おわかりいただけているならば、今日のところは諦めてくださいませぬか?」
「もう、貴女は頭が硬いったらないわねぇ」
「頭が柔らかすぎる貴方様に足してちょうど良いでございましょ?」
ジト目で睨む北政所様を微笑みで孝蔵主さんがいなす。
どちらも感情的にならず、でも言いたいことは言い合って、上手く会話を繋いでいるのが見て取れる。
こういう上司にはっきり意見が言える環境っていいなあ。やっぱり北政所様は良い上司みたいだ。
羨ましげに二人を見つめていると、まつ様が「ねえ」と声を上げた。
「それならさ、あたしに良い案があるのだけれど」
「まつ様?」
「あたしが先に按摩とお化粧をしてもらうってのはどうかしら」
まつ様の提案はわかりやすかった。
要は、毒見役的なものを買って出たのだ。
まつ様は北政所様の親友であり、一番の臣下でもある。羽柴家中でもっとも信頼が置けて、その意見には信用がある。
それにまつ様は、加賀を治める大大名・前田筑前守利家様のご正室だ。
生活水準は北政所様にかぎりなく近い。物の良し悪しを見極められる経験値と力量も、きちんと備わっている。
つまり私の美容技術が北政所様にふさわしいものか、的確に判断できる。
だから、北政所様が私のマッサージとメイクを受ける前に実験台となってみせましょう、ということなんだけど。
まつ様よ、あなたはマジで加賀百万石の前田さんちのまつさんだったんですか。
薄々気づいていたけどやっぱり驚いたよ。有名人がそのへんに転がりすぎじゃない?
そんなふうに地味に驚いている私をよそに、まつ様や母様が孝蔵主さんの説得にかかる。
「あたしがなんともないって判断したら、寧々さんもやってもらうのよ。これならどう?」
「なるほど、名案ですわ。わたくしは良いと思いますが、孝蔵主殿」
「な、何をおっしゃいますか! まつ様も千代様も!」
「いいじゃないのー寧々さんのたまのわがままよー?
ちょっとくらい聞いたげなさいよね」
「さようです。ご多忙な北政所様にも、たまには息抜きが必要かと。
ちょうどようございますのよ、うちの姫の按摩とお化粧」
「さ、されど。だからと言って目新しいものを不用意に使うのは……」
たじたじとする孝蔵主さんに北政所様が声を掛けた。
「孝蔵主」
「北政所様?」
目が合ったと同時に、ふわっと北政所様が微笑む。
そうして胸の前で手を合わせて、孝蔵主さんを拝むような仕草をしてみせた。
「お願いよ、ね?」
決まりました。トドメですね、これ。
ぐっと孝蔵主さんの口が引き結ばれる。北政所様を見つめ返している目が、くやしいって物語っている。
ややあって、孝蔵主さんが深いため息を吐いた。
「……まつ様がお化粧と按摩をお受けになれるよう、別室を整えてまいります」
「ありがとう、孝蔵主」
「でも今回だけでございますよ! これっきりにしてくださいましね!?」
「わかっているわ。以後気をつけます」
くやしまぎれみたいな孝蔵主さんの言葉に、にこにこと北政所様が頷く。
孝蔵主さんは眉を困ったように下げて微笑み返し、するりと座敷を出て行った。
衣ずれが遠くなっていく。北政所様とまつ様、母様が目配せをしてにんまりとした笑顔になる。
「いちころだったわね、孝蔵主」
「さすが寧々様、いつもながら人使いのお上手ですこと」
「うふふ、なんだかんだであの子はあたくしに甘いのよねえ」
孝蔵主さん、完璧にこの人たちの手のひらで転がされますよ。
ほほほ、と袖で口元を覆って笑い合う三人組を見ながら、私は去っていった忠義者さんを思った。
まあ、三人とも名前を後世にしっかり残した人たちだもんね。無名の私や孝蔵主さんが太刀打ちできる人たちじゃなかったな。
……怒らせないように気をつけよ。
◇◇◇
それからあまり時間を置かず、孝蔵主さんが私たちを呼びに来た。
連れて行かれたのは座敷からそう遠くない、多少小さめの部屋だった。
中には私がお願いしたとおり、横になれるよう敷き布団的な敷物が敷かれていた。
枕の置かれている方には、洗面台に当たる角盥、湯を温めるための火鉢、清潔な布がたくさん。
それから屋敷に置いてきたはずの、私のスキンケアとメイク用品一式がある。
どういうことかと思ったら、なんてことはなかった。母様の指示で、登城の際に一緒に城へ持ち込ませていたのだ。だから警備のチェックに時間がかかったのか。
でも、まさか母様。元から私に北政所様のメイクをさせるつもりだったの……?
気になって母様に聞こうとしたけど、微笑みひとつで黙らされた。聞かんでよろしいって、どんな企みがこの裏にあるんだ。
「姫君、ご準備はよろしいですか」
孝蔵主さんの呼びかけで、思考の中から意識が浮上する。
打掛と小袖を脱いだまつ様が、部屋に入ってくるところだった。
ひとまず、母様の意図は棚上げしとこう。無理に聞くのはもっと怖いし、そんな時間の余裕もないしね。
今は目の前のことに集中だ。全力で北政所様の期待に応える。それにだけ専念すればいい。
「よろしゅうございます。ではまつ様、こちらへどうぞ」
メイクセットと一緒に連れてこられたお夏が、私の小袖の袖にタスキを掛けてくれる。
指を慣らすように動かす。うん、滑らかに動いている。大丈夫、やれそう。
そうして、敷物に座ったまつ様の前に進み出る。メイクセットの側に座った私は、まつ様、そのすぐ近くに腰を据えた北政所様と母様に一礼した。
「───では、はじめさせていただきます」
さあ、私の腕を余すことなく披露させていただく時間だ。
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