大坂城の女主人(2)【天正15年5月21日】

 とんでもない人に出逢ったかもしれない。

 自然とひれ伏したくなる人なんて前世も含めて初めてだ。

 どうしてだと聞かれても困るけれど、ビビッときたのだ。

 とにかく頭下げとけ! みたいな?

 北政所様、見た感じは普通なのにな。客観的に見て美人だし、人の上に立つのに慣れた風格はある。

 でもそれだけ。前世でも時折見かけた、生気に満ちたキャリアウーマン系だ。

 掃いて捨てるとまではいかないが、手当たり次第探せば五人くらいは見つかると思う。

 頭で考えればその程度なのに、何故? どういうこと??



「寧々さんたらもー、子供怖がらせてどうするのよ」



 混乱気味の私の頭上で、呆れたような声が飛ぶ。

 北政所様相手にこの気安さ、母様じゃないよね?



「あら、やっちゃったかしらねえ」


「そうよお、あなたって目に力があるんだから。ちょっとお嬢ちゃん、大事ない?」



 呆れ声の主に話かけられる。

 顔を上げていいのだろうか。迷って固まる私の肩に、柔らかな手が触れる。

 そっと目だけで横を見上げる。目元を可笑しげに細めた母様がいた。

 大丈夫なの、と目で訊ねる。母様の顎が小さく頷いた。

 良いのか、良いんだな?

 覚悟を決めてゆっくりと頭を上げる。

 上座の段のすぐ下に座っている、濃紺の打掛のお姉さんが袖で口元を隠して笑っていた。



「安心していいよ。このおばちゃん、目は怖いけど悪い人じゃないから」



 そう言いながら、彼女は北政所様を指差す。

 ちょっとお姉さん、気安すぎ。若干失礼なくらいだよ。

 でも北政所様は特に気にした様子もない。お姉さん、家族とかなのかな?

 つい二人を見比べていると、北政所様が声をかけていた。



「驚かせて悪かったわね。貴女がお与祢ね?」


「は、はいっ。山内対馬守が娘、与祢でございますっ。

 おはっ、あっ、お初にお目もじつかまつります!」



 事前に教えられた通りのご挨拶をのべて、もう一回頭を下げる。

 少し噛んじゃったよ、おい! 恥ずかしいぃぃぃ。頼む聞き流してぇぇぇぇっ。



「ふふふ、顔を上げなさい。そんなにかしこまらないでちょうだいな」



 笑いながら北政所様が促してくださる。

 ぷるっぷるしながら顔を上げると、北政所様が扇で口元を覆って目を細めていた。

 まわりを見れば隣の母様も、お姉さんも可笑しげに私を見ている。

 やめてよぉ……そーいうの……さすがに泣くぞ……?



「千代の娘にしてはうぶで真面目な子ねえ」


「対馬殿に似たのかしらね?」


「左様ですわ、まつ様。娘はうちの人によう似ていて可愛らしゅうございますの!」



 えっへんと言ったふうに母様が胸を張る。

 そこ、自慢するところか? 思わず半目で母様を睨むと、ぎゅっと抱きしめられた。

 ちょっとちょっと、偉い人の前だよ。平常運転はやめとこうよーもー!



「仲の良いこと。娘ってそうやって可愛がれるから楽しいものよね」



 お姉さん、いや、まつ様? がにこにこと私たちを眺めて言う。



「そうね、豪姫が小さい時もよくああしてたわ」


「あっちからも母様ーってすり寄ってくれてたまらないのよね〜、もう一人産んどこうかなあ」


「え、まつ様はまだお子をお産みになりたいのですか?」


「アンタもう四十路でしょ、さすがに無理じゃない?」



 まつ様にぎょっとした目を母様と北政所様が向ける。

 そんなに驚くことなのだろうか。きょとんとしていると、北政所様が微妙な表情で説明してくれた。



「このおばさんね、子を八人も産んでるのよ」


「エッッ」


「十一で旦那さんのとこに嫁いですぐ産み始めてポンポンポンっとよ、すごいでしょ」



 すごいなんてもんじゃないわ、それ。

 八人産んだってのもだけど、十一歳で嫁いで子供を産んだのもやばいよ。

 今の天正の世では結婚適齢期が低い。十代前半での結婚なんてざらだと母様が言っていた。

 でも初子を産むのは別。十代後半から二十歳過ぎにかけてがセオリーだって聞いたんですけど!?

 しかもそれだけ子供を産んでおいて、この美貌を維持しているって信じられない。

 まつ様は確実に四十路よりも若く見えている。ほぼノーメイクなのに十歳近く若い母様と比べても、肌艶や体型が遜色が無いってどういうことだ。

 どんなケアしてきたのかお聞かせ願いたいくらいだよ。



「そんなに見られると照れちゃうわね……」



 うっかり私がガン見してしまったら、まつ様がにやりと笑って目を逸らした。

 ため息まじりに北政所様と母様が顔を見合わせる。



「まつさん、照れるところじゃないからね」


「そうなの?」


「そうなのよ。お与祢もびっくりしているじゃないの」



 ねえ? と北政所様に振られて、慌てて頷く。



「えっ、あ、驚きましたが、八人もお産みになってこのお美しさは凄いなと見惚れてしまいました」


「やだもぉ、お上手な子ねえ! そんなにあたしって綺麗かしら?」



 まつ様が嬉しそうに言う。

 よっしゃ、ご機嫌損ねてない。もうちょい褒めとこ。



「はい、もちろん。とてもお若くて、お肌が瑞々しくてらっしゃいますね。

 どのような産後のボディケアをなさってきたのですか?」


「ん? さんご、け……なんて?」



 やべ、口が滑った。ケアなんて天正な今の世じゃ通じない用語じゃん。

 目をぱちくりさせるまつ様たちに、愛想笑いを浮かべてみる。

 気にしないでおくれよ、みんな。



「お与祢、その、産後なんたらって何かしら?」



 北政所様がことんと首を傾げて訊ねてきた。

 おっふ。誤魔化されてくれないかなーと思ったけど無理か。

 返事に迷って母様をうかがってみると、軽く頷かれた。



「与祢の思うようにお答えなさい」


「いいの?」


「もちろんよ。さあ、どうぞ」



 背中を緩く母様が撫でてくる。

 ……しかたない、腹を括るか。



「産後のボディケア、にございます。

 南蛮語でボディは身体しんたい、ケアは気配りを意味する言葉にございます。

 まつ様がお子をたくさんお産みになる中で、いかにお身体の健康や美貌に気を配っていらしたのか。

 私はそれが気になった次第でございます」



 一息に言い切って、口を結ぶ。

 言いたいことは全部言った。これでどうよ。煮るなり焼くなり好きにしてくれ。

 半分くらい投げやりな気持ちで北政所様をまっすぐ見つめる。



「なぜ、そのようなことが気になったの?」



 考えるふうを見せてから、北政所様が質問を重ねてきた。

 なぜって聞かれてもなあ。とりあえず思ったままを言っとくか。



「武家の女にとって、健やかであることは大切ですから」


「それはどうして」


「武家の女の務めの一つは、次代を産んで育むことです。

 できるだけ多くの子を為せれば、その分だけ御家の安泰に繋がります。

 そのためには、女自身が健やかであることが肝要です。

 身体が蒲柳の質では、出産で子ごと死ぬ危険が大きくなりますもの。

 それは務めを満足に果たせない。実に不甲斐ないことではありませんか?」



 薄い色の瞳が光を帯びる。

 納得した、というふうに北政所様が頷いた。



「では美貌に興味を覚えたのは、なぜ?」



 あ、そっち? そっちは言うまでもないよ。



「幸せのためです」


「幸せ?」


「自分を自分が好きになることですよ」



 今も昔も、私は綺麗な私が好きだ。

 さらさらの髪、なめらかなお肌。つやつやの爪に、整えたボディライン。

 万全に自分を整えて、好きな服とアクセサリーを身につけて、一番似合うメイクで彩って。

 ひとりで、鏡の前に立つ。

 私の好みをぎゅっと詰め込んだ私と向き合うと、いつもとっても嬉しくなってくる。

 きちんと私の想いに応えてくれた私が、鏡の中から笑ってくれるから。



 毎日がんばってるねって。いつも大事にしてくれて、ありがとうねって。



 私を否定しない人間わたしが、すぐ側にいてくれる。

 心の底から実感できると、生きているのがすごく楽しくなる。

 幼くても、若くても。きっと老いても、一瞬一瞬の自分を好きでいられる。

 それがきっと、幸せなんだと信じている。

 世界中が敵に回っても、きっと、自分だけは自分の味方になってあげられる。

 心強い味方がいつもいてくれるとわかっていたら、怖いものなんてほとんどなくなっちゃう。



「それって──幸せなことだと思われませんか」



 だから、私は、いつだって美容を追求して生きたい。


 他でもない私のために。


 大好きな私の、幸せのために。




「……ふ」



 北政所様の紅い唇が、ゆっくりと弧を描く。



「っ、ははははは!」



 弾けるような笑い声が座敷に弾けた。

 静けさを思いっきり破って、それを心底楽しむように。

 北政所様が、笑っている。

 お腹を抱えて姿勢を崩し、脇息にしがみつきながら派手に笑っている。

 高貴な女性にあるまじき行動だ。でもその姿はうんと明るくて、気取りがない。

 まつ様も、母様もつられて楽しげな笑みを浮かべてしまうほどの強い魅力を放っている。



「面白い、面白いわねえ! 千代の娘がこんなに面白いなんて、大発見だわ!」



 涙を拭って、今日本で最も力のある女性は声を弾ませた。



「いいわ、お与祢。貴女の考え、気に入ったわ」



 立ち上がった彼女が段上から降りてくる。

 裾を豪快に捌いて、私の前にやってくる。



「なら、やってもらおうかしらね」



 膝をついて、顔が寄せられる。






「美しさが幸せに繋がること──あたくしに、証明してごらんなさい」




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